10:魔王さまと水泳
まゆ子はただ今、非常にグロッキーであった。
昨日、何だかんだでウルリッヒに夕飯まで居座られたのだ。まるで、魔王の身で神界へ迷い込んだ時のような、居心地の悪さであった。
おかげで大好きなオニオンスープの味も、全く分からなかった。
今日も何だか、胃が痛かった。この状態で、水泳の授業が始まる……と考えると、なおさら腹部がきしんだ。
「おのれ」
ぼそりと悪態をつき、素っ気ない黒の水着越しに腹を撫でる。
隣のイルーネも心配そうに彼女を見ていたが、華奢な手首にブレスレットがあることに気付いたらしい。やにわに顔を輝かせる。
まゆ子もキラキラした視線に気づき、軽く手首を上げた。
「付けないのも、勿体ないのでな」
「とっても可愛いです」
イルーネも手首をかかげ、にこにことブレスレットを揺らした。
ここで褒め合うのが、乙女の文化である。
「貴様も……うん、良いのではなかろうか」
しかし他人の武功はともかく、容姿を褒め慣れていないまゆ子は目を逸らし、低い声でうなった。
耳をそばだて、イルーネはほんわかとはにかむ。
「あり、がとうございます、マユコちゃん」
微笑んだ彼女に、ホッとした。
プールサイドで三角座りをする二人の前へ、金髪の偉そうな少女が仁王立ちした。
「邪魔よ」
言わずもがな、クロディーヌである。畜生を見る目で、まゆ子は彼女を見上げる。
プールに入るべく裸眼であるため、なおさら目付きが悪辣だ。
「邪魔と申すなら、向こうへ行くが良い」
「いちいち口の減らない子ね、貧乳のくせに」
肉の薄い、まゆ子のか細い体をせせら笑う。これみよがしに、程よく大きい胸も突き出した。
しかし根がマッスル魔王であるため、豊満ボディへの憧れなどまゆ子にない。
「ふん。貴様は貧脳だな」
「ひんのうって、何よ?」
「知性が酷く欠落している、ということだ。少しは乳以外にも、栄養をやればどうだ?」
傍らのイルーネや、周囲で座っていたクラスメイトが、ぷっと噴き出す。
真っ赤な顔で、クロディーヌはぶるぶると震えた。
「ち、ちちって言わないでよ、あなたこそ下品じゃない!」
腰を落とし、怒りに任せてまゆ子を突いた。
平時ならば運動音痴なまゆ子でも、後ろへのけぞって終わりであっただろう。
しかし生憎、今日は胃の調子がすこぶる悪く、体全体から覇気が失われていた。
そのため体はあっさりと横倒しになり、そのまま二回転した後、プールへドボンしたのであった。
イルーネとクロディーヌが、同時に悲鳴を上げる。