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アリアの開き直り

 アリアは歌いながら針を躍らせた。休憩を終え、裁縫の作業に戻るとクレアに頼まれたのだ。ニウニとホズン、二人が過度に緊張してしまわないよう配慮したのだろう。

 黙々と作業していた先ほどと違い、今は手が止まらない程度に雑談を交わしながら仕事をこなすことで二人の肩から幾分力が抜けているのが一目で分かる。それとも、休憩中に食べたチョコレートが良かっただろうか?

 歌い、そしてクロスを縫いながらもアリアは思索する。現代日本で利用される道具の代替品を作る術、そしてクレアが魔術を使った意味を。


 アリアに可能な加工方法は手作業と魔術による作業、その二つだ。

 手作業で何かを作るためにはそのための道具が必要であり、現在アリアが所有するそれは今朝クレアから渡された掃除道具と、裁縫道具以外ない。給金で必要な道具を買い揃えるか、仕事で支給されない限り手作業で何かを作るというのは現実的ではない。現状自らの手で作成可能なものと言えば、布製品か簡易な革製品くらいなものである。そこに彼女の求めるものはない。

 魔術による道具の作成であれば、簡単な彫金作業までが可能だろうと考えている。炎を操る魔術とテレキネシスのような念動の魔術を利用すれば多少の小道具程度ならば作成が可能なのだ。

 しかしながら、炎の魔術といっても溶鉱炉のような真似はできないし、その場所もない。金属を扱うにしても手に持って使うような比較的小型のものしか作ることはできないのだが。

 そして、どちらにしても無一文の彼女は購入するという手段でその素材を入手することはできない。鉱物を生成可能な土の魔術を使えば、石材や粘土質、金属は比較的容易に手に入れることはできる。だが、これにも問題があるのだ。


 自分以外に魔術を扱う人間がいる。それはつまり浅からず魔術を知るものがいるということだ。結果として、たとえアリアが見慣れぬ金属製品を所持していたところで窃盗を疑われる危険性は低くなるが、逆に魔術を扱えると疑われる恐れが非常に強くなってしまう。

 仮に金属製品などを作り、人目に付く場所で取り出そうものなら自らが魔術を扱えるのだと喧伝するようなものでしかないのだ。アリアにとって魔術は数少ない伏せた札の一つである。容易に開示できる訳もない。


 アリアは思考を切り替える。先ほど、目の前で魔術を使って見せたクレア。それと見比べれば自分が魔術を隠すというのは(いささ)か警戒が過ぎるようにも思われた。

 だが、隠さざるを得ない理由もあるのだ。仮に危機を察知して屋敷から逃亡する場合、確実に魔術の使用が必要になる。思考能力や知識などは他の九歳児と比較にならない彼女は、それでも体は九歳児でしかない。体格、体力共に九歳児のそれでしかなく、魔術の前提がなければ逃亡など考えることすら不可能だ。


 相手は自分をただの九歳児だと思っているだろうか? ふとそんな疑念が湧いた。

 この屋敷は好き好んで魔力を持つ者や亜人を集めている。魔力を持つ前提の下集められている人を鑑みるに、魔術師は無作為に選んだ場合より確実に多いはずなのだ。そしてそれは屋敷を警護する者も当然知っていることだろう。

 なら、仮に逃亡者がいた場合、それが魔術師でないなどと思うだろうか? 少なからず警戒するか、初めから魔術師を想定した対応になるのではないか?

 つまり、この屋敷に入った時点で下手な警戒も魔術という札を隠す行為にもさして意味はないのではないだろうか。


 アリアは自分が歌っている歌が終わりに近付いていることに気付き、次の歌を探した。

 同時に休憩中に考えたこと、小娘を罠に掛けるメリットなどないという思考を拾い上げる。奴隷に落ちた時のことを考えると、少し軽率かもしれない。未だ平和ぼけした日本人の気質が抜け切っていないのではないかと自分を疑いもした。だが、少なくともクレアの態度からは今なお嘘など感じ取ることはできない。

 一度信じてみようか、などと考えている自分に度し難いものを感じながら、アリアは次の歌を見つけた。どちらにしても、リスクもなくより深い情報を得る手段など持ち合わせてはいないのだと考えながら。


「アリアちゃん、歌上手いね」

 アリアはそこまでの思考を保留してカナルに向き直る。

「そうですか? ありがとうございます。母の歌しか聞いたことがないので、上手いのかどうかは分からないです」

「それじゃ、その歌ってアリアちゃんのお母さんが歌ってた歌なの?」

「はい」

「そうなんだ」

 アリアは手元に視線を戻し、布に針を通した。再び歌い始めると、辺りを漂う精霊がアリアの歌声に合わせて舞い踊る。


 アリアは思考をその精霊に向ける。一度目に歌を止めたのは、その舞に呆気に取られたからだ。彼女は、このような光景を知らない。アリアの母が歌を歌ったときにはなかった動きなのだ。

 精霊の動きとは何か。それは彼らの自我の芽生えである。アリアは過去に出会った上位の精霊との会話を思い返す。

 そもそもどこともなく漂う精霊は自我が薄い。どこかに行きたいという意思がないからその場で漂うのだとその精霊は話した。なら、今アリアの歌を聴いて踊り飛ぶ精霊たちには確固たる自我が芽生えようとしているとでもいうのだろうか?

 精霊の自我とは彼らの形を決めるものである。過去にアリアが出会った精霊は猫の形をしていた。そしてその饒舌でアリアに魔術を教えたのだ。だが、彼は今アリアが欲することのほとんどを教えることはなかった。猫のように気分屋の彼にも何か目的があったのだろうか?


 自らの意思で飛び回る精霊たちを視界に納めながら、アリアは縫い糸を布に絡ませる。反返しに縫い進めた針の先に紫の精霊が止まった。

「見えてるんでしょ?」

 アリアの指が止まる。静かに耳を打つその声に、瞬間、呼吸が止まった。

 クレアが、カナルが、エモニが、ルイナとホズン、そしてニウニがその指先に視線を送り、そしてアリアの顔を見つめる。

 紫の精霊から聞こえる声。鈴を鳴らすような声。止めた呼吸をゆっくりと吐き出す。

 決定的にどうしようもなく、この場にいる全員にその声は聞こえただろう。その上で、誰一人としてアリアの変調を見逃すはずもない。

 アリアは目を瞑った。淡い青の光を纏った精霊がアリアの肩に止まる。

「もっと歌を聞かせて」

 アリアの手に、緑の精霊がそっと自らの小さな手を置いた。

「疲れちゃった?」

 アリアは目を開く。

「うんん、大丈夫。次はどんな歌が良い?」

「始めに聞いた歌の続きが良い」

「わかった」

 淡く光る珠だった精霊たちは、どこかアリアに似た顔でじっとアリアを覗き込んでいた。


 アリアは考える。歌い、そして裁縫を続けながら思考を巡らせる。

 避けようもなく露見した魔術の資質。もはや隠すなどという手立ても誤魔化すなどという手段もなくこの後に思索を向ける。

 以前思考したような用途があるなら、クレアはこの部屋にいる全員が精霊を見ることができると誰かに報告するだろう。そうなれば、詰みである。

 逃げるなら今日をおいて他にないだろう。ただ、そうするにも巻き込んでしまったカナルとエモニのことが気掛かりである。クレアが二人のあの様子を見逃すとも思えない。この二人をなんとか助ける方法はあるだろうか?

 もし何かしらの使用を考えているのなら、その用途より他に使った方が有用であると確信させなければならない。それも、アリア自身だけでなくカナルとエモニも一緒に。そんな方法はあるだろうか?


 アリアは思索を巡らせる。思考の虫食いを並べ立てる。自らの推論にあった穴。確証を持つに至らなかった推論の数々。それぞれを検証するだけの情報があれば何かが変わるだろうか。

 魔術師の資質が露見した以上、それを隠し立てする意味もなくなってしまった。逆に言えば隠していて聞くに聞けなかったことを聞くこともできるということ。これを機に魔術の常識というものを集めるのが得策かもしれない。得るべき情報を頭の中に並べる。

 魔力の保存技術の有無。魔力を魔術以外に使用する術の有無。精霊を知覚せずに使える魔術の有無。一先ず、この三つだろうか。


 アリアは思考する。あまり褒められた手でもないが、こうなった以上とりあえずの保身のためにクレアを抱き込む手がないかと可能性を検討し始めた。

 クレアを盾に取る方法。クレア自身にこの三人の価値を認めさせる方法である。

 なんとなく、クレアを責任者に据えたプロジェクトの立ち上げなどという言葉が思い浮かぶ。しかし、具体的な方法は思いつかない。


 次に考えるのは、精霊の急成長について。アリアは精霊の生態など知りはしない。単にどこともなく漂い、魔力のある方向に吸い寄せられる特性を持つということと、魔力にイメージを乗せて渡すことで魔術を行使することができるということだけだ。

 精霊という言葉がこの屋敷の息女の存在を引き上げる。精霊と戯れるのが好きだという少女である。

 人語を解する程に育った精霊というのはなかなかに珍しい。息女はこの精霊に興味を持たないだろうか。そして、息女が精霊を好いていると知っているクレアが家人にこのことを報告しないなどということがあるだろうか。延いては、好意、悪意の如何を問わず彼女がアリアという少女に興味を持たないなどという楽観をアリアは持つことができずにいる。


 渡された布で最後のクロスをじき縫い上げようかというとき、その布の上で青と緑の精霊が踊るように飛び回った。その二人の精霊が動きを止め、アリアを見上げる。何故だか、アリアにはその二人が飛んだ軌跡が模様のように思えた。

 アリアは請われた歌を歌い終えて、一度息を吐く。

「クレアさん。少し刺繍の練習をして構いませんか?」

「刺繍、ですか? 確かに練習には丁度良い布かもしれませんね。良いでしょう」

「ありがとうございます」

 クレアの許しを得たアリアは、白い精霊を一つ撫でて念動の魔術で青と緑の糸を針に通した。向かい側で座るクレアが目を丸くする。

「二つ前の歌が聞きたい」

「うん、いいよ」

 青い精霊の声に答えて歌いだし、白い精霊を指先に乗せてアリアは針を布へと通す。

 先ほどの二人が撫でていった軌跡を思い出しながら、布にその軌跡の刺繍を縫い付けていく。そしてその精霊はそれぞれの色の糸を追って再びその軌跡をなぞり始めた。

 それを見て魔力の残滓でも残っているのだろうかと魔術に使う魔力の先に意識を向ける。確かに、糸に魔力が残っている。だがその先、精霊の指に触れる所から魔力でない何かに塗りつぶされていくような感覚が残った。

 それと同時にアリアは理解する。物に魔力を込めることは可能だ。これならば、魔力を保存する技術も存在するかもしれない。

 アリアが歌い終わる頃、クロスには青と緑の幾何学模様が浮かび上がっていた。花を真上から見たような模様だった。指先に乗せた白い精霊は、いつの間にか珠の形から人の形にその姿を変えている。


「アリアさんも、やはり魔術を扱えるのですね」

 出来上がったクロスに目をやっていたアリアの耳にクレアの声が届いた。白、青、緑の精霊はそれぞれ縫いあがったクロスの模様を眺めている。

「はい。本当は隠したかったんですが、この子が声を掛けてきたときから遠からず隠し通せなくなると思って」

 アリアは正直に告白する。隠すつもりでいたものを不意に暴かれて吹っ切れたのだ。仮にこの場を切り抜けたとしても、そう長く隠し通せるものでもないだろう。

「それと、エモニさん。すみません。食堂では嘘を吐いてしまいました」

 アリアはエモニに体ごと向き直って頭を下げる。エモニは恐縮しながら首を横に振った。

「い、いえ! 顔を上げてくださいっ! 何か、理由があったんですよね?」

 エモニの声にアリアが顔を上げ、返す。

「クレアさんが仰った通りです。私は奴隷ですから、もしばれてしまったら戦場に出されるかもしれないと思っていました」

「なら、仕方ないですよ。私は、そんなこと思いつきもしませんでした」

 エモニがはにかむように笑った。

「アリアさん。心配しなくともそんなことにはなりませんよ」

 クレアは安心させるように優しげに微笑む。

「はい。クレアさんの言葉を信じることにしました」

「そうですか。もし不安なら、他言しませんよ?」

「それでばれたらクレアさんがお嬢様に叱られるんじゃないですか?」

 アリアの言葉にクレアはもう一度目を丸くし、そして笑った。

「大丈夫です。私のことより自分のことを考えなさい」


 縫いあがったクロスを囲んでいた三人の精霊のうち、青い精霊が声を上げた。

「この布、多分魔力を流したら水が出てくるよ」

 その言葉に全員がそのクロスを凝視した。特にアリア、カナル、クレアの顔には驚愕の念が滲んでいる。

「そのクロスに魔術が縫い付けられている、ということですか?」

「うん。そんなにいっぱいは出ないと思うけど」

 その言葉を受けてアリアがクレアの顔を見る。

「アリアさん、少し魔力を流してもらえますか?」

「わかりました」

 アリアはクロスの上にそっと手を置いた。そして魔術を使うとき、精霊に魔力を渡す要領で布に魔力を流し込む。

 アリアの手を中心に、布から水が湧き上がった。それを見たアリアは即座に魔力を止めて手を離す。

「魔術は使ってません」

「そのようですね。でも、こんなものは見たことがないわ」

 アリアはクレアのその言葉を聞いて意外の感情を隠しきれなかった。

 魔術の研究などどの国でも行われているはずで、それが今まで発見されなかったとでもいうのだろうか? もしくは、極秘に類する技術のため一般に開示されていない技術ということだろうか。

 だが、ここは公爵家の屋敷である。とても一般的と言える環境ではなく、多くの要人が訪れることもあるはずだ。そこで、そんな話一つ聞く事はなかったのだろうか。もしそうなら、完璧すぎる秘密主義を疑うより未発見の技術だと考えた方が自然だ。

「アリアさん。アリアさんの故郷には似た物はありましたか?」

「ありませんでした。でも、もしかしたらそんなものもあるかもしれないと思っていました」

 クレアは考え込み、顔尾を上げたあと一つ手を打つ。

「このことは、私たちだけの秘密にしておきましょう」

 年齢と性別にそぐわない悪戯小僧のような笑みを浮かべながら、クレアはそんなことを言った。

「報告しなくていいんですか?」

「もう一度同じものを作れますか?」

「……わかりません」

「なら、少なくとも作り方を調べてからでなければ報告の上げようがありませんよ」

 本当にそうだろうか。


 アリアは一つ考える。

 これは以前自分が考えていた外部的な魔術装置そのものであるといえるだろう。それも、想定していた精霊への語りかけすら必要としないものだ。

 今回はそれ程危険性の高い魔術ではないが、この技術を体系化していけば軍事利用が考えられるような魔術を込めた武具が生まれてしまわないとも限らない。

 技術と知識、それは何も攻撃的に利用するばかりでなく、その攻撃を研究することで防衛に応用されるものだ。仮にこのまま開示せず研究し、研鑽すれば、魔術は持たなくとも魔力は相当量持っているだろうこの屋敷の使用人の人全てが魔術を行使できる者になる。

 これを使えば、公爵家の乗っ取りから電撃的にクーデターを起こすことすら可能ではないか。だがこの仮説には致命的な欠陥がある。

 果たして、考え事をしているアリアを案じるような瞳で笑いかけてくるクレアがそのような行動に出るかどうか。

 付け加えれば、現状のこのクロスを見るに魔術に迫るものになる可能性はあっても、魔術を越えるものになるようには思えない。

 つまるところ、魔術への対抗策さえ整っていればこのような装置の有無によらず防衛可能だと言えるだろう。


 ここまで考えたところで、アリアはクレアの意図を悟る。

「えっと……ありがとうございます。でも、このクロスだけは報告しておいてください」

 そして、その好意を受け取らないことにした。

「……では、誰かが戯れに作ったクロスで制作者が誰かは分からないということにしておきましょう」

 表情を和らげて発されたクレアの言葉に、アリアは無言で頭を下げる。


 アリアはクロスの作り方を思い出していた。

 あの程度であれば、過去に発見されていて然るべきだという念に突き動かされて頭を働かせる。

 アリアの動作。その内に思いもよらないピースをたまたま拾い上げたということだろう。

 一時保留した思考の中から目当てのものを探り当てる。クレアを責任者に据えたプロジェクトの立ち上げ。アリアは(にわ)かに現実味を帯びてきた戯れの思い付きを、思考のテーマとして強く頭に焼き付けた。

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