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アリアの困惑

 アリアは想い描く。時折ニウニの縫い針に糸を通しながら、自らもまた布に針を通しながら。

 ニウニとホズンに不足しているもの。それは精神的なものの比率が大きい。一言で言えば余裕が足りないのだ。


 彼女たちは何かをするとき、一度アリアを見る。模範として、どうすれば良いのかと示す手鑑として。それはエモニも同様だ。どうすれば良いのか分からない。そのような状況を生み出すのは経験の不足であるし、それに付随する知識や判断力の不足であるといえる。

 現状、アリア自身はその三人の行いを咎めるつもりもない。彼女自身、三人の指標として見られるよう行動しているからだ。アリアの行動を見る内にも自分で考え、徐々に自信や経験、知識を付けていけばいいと考えている。

 ただし、それに慣れ、甘えて自分で考えることを放棄するようでは話が変わる。この点に注意しなければならないとアリアは頭に強く焼き付ける。何も彼女は、自分に依存する人材を培養しようとしている訳ではないからだ。

 確かな自意識と能力を持つ人間、それに支持される人物になる。アリアの考えるところは現在そこに集約する。

 ニウニには時折そう教示しながら共に過ごしている。過剰な支援もしないよう心掛け、常に一人で思考するよう働きかけている。

 その点、エモニとホズンは違う。今日初めて対面し、アリアという個性に初めて触れたばかりだ。

 アリアは自らの特異性、年齢と比較した際遥かに大人びた言動と態度を自覚していない訳ではなく、それが一人歩きを始めかねない程度の注目を集めることも理解している。


 神童。その言葉がアリアの記憶の枝葉を僅かに揺らす。今はもう存在もしない領地の領主、その一人娘として生を受けた記憶が僅かに意識へと漏れ出る。

 本来なら五つから受けるそこでの教育を、アリアは三つの頃から受けていた。可能な限り早くこの世界の常識というものを身に付けるためだ。当然、両親もその周囲も、そしてアリアを目にする全ての人々がその異常性に目を見張る結果に繋がる。

 彼女が彼だった頃には凡庸に過ぎなかったその精神性も、年端も行かぬ幼子が持つというのであれば目映いほどに目を焼く個性となった。だが、彼女は割り切る。羨望や畏怖の視線を甘んじて受け、彼女は知識を手に入れた。何に代えても必要だったからだ。

 魔術。その存在を知覚したとき、それまで単なる未開の地でしかなかったこの世界がこれまでの常識の通用しない世界だと知った。

 魔物。その存在を認知したとき、それまで科学技術の代替品に過ぎないと考えていた魔術が身を守るための力なのだと知った。


 アリアが二歳の年のころである。それまで目か脳に異常があるのではないかと危惧していた精霊の光の意味を知り、魔力の操作を身に付け、魔術を修得したその頃に今生の両親が不意に口にした魔物の存在。その危険性を吟味し、危機感を持った。

 魔物に対抗するつもりこそなかったが、抵抗しない訳などあるはずもない。自分が力を持っていると自覚し、自分の身を守る術を模索したのだ。そのために、まず情報を手に入れる手を取った。

 結局それだけでは間に合わず、アリアの両親が治めた地は今や廃墟の立ち並ぶ魔物の巣になっている。両親やその頃の使用人も生きてはいまい。アリア自身、幾人もの忠臣の手によって這う這うの体で逃げ出すことができたに過ぎず、挙句人攫いに抵抗する気力すら失って奴隷に落ちたのだ。


 目が二枚目のクロスを縫い上げたニウニの姿を認め、思考を中断する。

「ニウ、貸して」

「ごめん、お願い」

 ニウニから針と糸を受け取って手早く糸を通し、返す。

「できたよ」

「ありがと」

「気にしなくてもいいよ。重いものを運ぶときは頼ることになるんだから」

 アリアはニウニに言葉を返して視線を落とした。一枚目は皆が縫いあがるまで待ち、その後は互いに不備を指摘しながら延々と布を縫い続けている。このクロスはやはり雑巾のように使うようで、多少不恰好でも数を作らなければならないらしい。新人に任せるにはうってつけの仕事なのだ。

 アリアは四枚目のクロスに手を戻して縫い始め、思考を再開した。同時に脇道に逸れた思索を正す。


 知識と自信、三人にはそれが必要だろうと結論付けた。それを身に付けさせるためにはどうすべきか。アリアはクレアの姿を盗み見る。六人に注意を払いながらも、既に六枚目のクロスを縫い始めていた。

 教育者という言葉が脳裏を掠める。その本人の人柄にもよるが、人望を集め易い職業の一つである。アリアは人望を集めるイメージとして、協力者というスタンスを選択した。だが、それ以外の手を使ってはいけない訳でもない。何より、クレアからはニウニに立ち居振る舞いを教えるよう言付かっているのだ。教育者という方針で三人に宛てる教育を考察する。

 まず、それぞれの評価から。

 ニウニは、落ち着きが足りない。年齢からすれば、彼女の能力は決して低い訳ではない。落ち着いてやれば、針への糸通しも今日ほど苦戦することもなく自力で済ますことができるだろう。

 ホズンは、苦手な作業への恐怖心にも似た不安が強いように思えた。大抵の手作業は慣れてしまえばどうということもなくこなすことができる類の仕事なのだが、その慣れるまでに苦労を要すだろう。

 エモニは、兎に角自信が足りない。ニウニやホズンに指摘するにしても、その指摘が正しいのかどうかと躊躇(ちゅうちょ)している様子が見て取れた。ただし目端も気も利く気質であり、能力自体に劣っているということもない。

 それぞれの課題は、周囲の動向に左右されすぎないこと、不得意な事柄にも前向きに対処する気構えを持つこと、前に出過ぎない程度には自負を持つこと、だろうか。

 特に精神的な面での改善というのは時間を要す。仕事のみでそれを正すには、一月という期間は短すぎるというものだ。仕事が終わった後、ニウニと共に二人にも教育を施すべきだろうとアリアは頭に焼き付ける。


 四枚目のクロスを縫い上げ、アリアは一度思考を破棄した。縫い付ける分の布を切り分ける。単純作業に凝った肩を回した。

 見れば、特にニウニとホズンは苦手な作業に疲弊している。何か気晴らしになるようなことがあれば良いのだが、と考えを巡らせる。

 今生の母が歌っていた鼻歌を思い出した。その歌を思い出していると、自然と口から歌声が零れた。

 布に目をやっていた六人が顔を上げる。カナルの肩に留まっていた紫の精霊がテーブルに躍り出た。

「すみません」

「構いませんよ。良い歌ですね。いえ、歌い手が良いのかしら?」

 アリアの謝罪にクレアが冗談めかして答えた。紫の精霊が続きを催促するようにアリアの眼前を飛び回る。アリアの目は、視界に収まる限りの精霊が全て同じように近寄ってくるのを捉えた。

 クレアが指を持ち上げると、指の先に緑の精霊が止まる。彼女もまた、精霊を見ることができるようだ。

「朝から縫い続けていますから、少し疲れたでしょう。休憩にします」

 クレアは立ち上がり、棚の上にあるティーセットを手に取る。淡い青に光る精霊を指先で撫で、ケトルに水を注ぐ。クレアは、六人が見つめる中で魔術を使って見せたのだ。

 一瞬呆気に取られたアリアを余所に、今度は赤い精霊を撫でて湯を沸かす。

「布はカートに避けなさい」

 その言葉に従い、アリアはテーブルの上を片付ける。

 湯が沸くまでの間にクレアは戸棚から蓋の付いた焼き物の椀を取り出した。中にはチョコレートが入っている。

 ケルトが騒がしく音を立てる。湯が沸いたようだ。

 クレアがアリアに目をやった。

「この屋敷には魔力を持つ者、魔術を扱える者が多くいます」

 アリアの心臓が跳ねる。だがアリアはその動揺を胸の内に隠し、続きを待った。

 クレアはティーポットとティーカップに湯を注ぎながら続ける。

「それで戦場に出されるようなことはありません。安心なさい。それに、立場も関係ないわ。この屋敷の誰もが、貴女たちを一人の使用人として扱うでしょう」


 アリアは発言の意図を探る。アリアの警戒はクレアに見通されていた。どこからそれに感付いたか、というのも重要ではあるが、別段それを咎めるでもないクレアの態度を元に考察を開始する。

 ある種、警戒して当然だとも取れる態度。かといってそこに戦力を期待する意図などないということだろうか。ならば、何故魔力を持つ人と亜人などを集めているのか。

 魔力を持つ人だけであれば、以前考察した精霊の飼育と育成という目的のためだと考えることもできる。だが、そのために何故亜人が必要なのか?

 そもそも戦力として使用人を集めているのではないかという疑念は、亜人の多さから生まれていた。仮に魔力を持つ者のみを採用すれば、少なくとも人口比率に類似する結果を生むはずなのだ。そして、実際には人と亜人が半々。あまりに多い亜人の数を見て、疑わない方がどうかしている。

 そこで警戒が見通された理由に思い当たる。ある程度聡い者であれば、その多くが似たように警戒をするだろう。ある意味で悪目立ちしていた自分が、その警戒をしない側に分類されるだろうか?

 アリアの場合、更に自分の立場。奴隷という境遇からより強い警戒を抱いていた。だが、クレアの言を信じるのであればそのようなことを気にする者はいないという。

 真偽のほどを探るにしてもあまりに情報が不足している。更に言えば、その情報を集める行動をするにしても既に目を付けられ、釘を刺されている。

 手詰まり。そんな言葉がアリアの脳裏を駆け巡る。頭の中で逃亡の手段の確保を最優先に修正した。


 ポットとカップを暖めた湯を捨てる音で思考が中断される。

「奴隷だから戦線に出すなど、この屋敷の主人は望みません。もちろん有事の際に志願すればその限りではありませんが、戦場に出すために使用人を雇っているわけではないのですよ」

 クレアはティーポットに茶葉を入れ、蓋をした。

「え、えっと。クレアさんは私たちがそのように考えていると?」

 アリアの言葉にクレアが向き直り、返答する。

「違いますか? 私もこの屋敷に入った頃には似たようなことを疑いましたから、皆さんもてっきりそうなのかと……」

 珍しく歯切れの悪いクレアの声にアリアは困惑した。

「違うのなら良いのです。ただ、もし心配しているなら、そのような心配はいりません」

 断言しながら、クレアはティーポットに湯を注ぐ。アリアは他の六人を見た。他の四人は固まっていて、目が合ったカナルだけは困惑の表情を浮かべていた。


 アリアは混乱しながらも考える。意図、意味、その全ての根底を覆されたような錯覚を感じながら。兎に角現状を一欠片でも理解しようと思索した。

 使用人とは何か。家屋において考えられる仕事を家人に代わり行うことで賃金を得る職業だ。使用人は戦場に出さない。戦場に出すのであれば、そのために訓練を積んだ兵士や傭兵の方が余程効率的だからだ。それは道理である。

 しかしながら、屋敷の中を見るにどうだろうか。下手な軍より余程戦力を蓄えているのではないかと思える魔術師や亜人の数。それが自分の目を曇らせていた要因だったのだろうか? 一先ず、使用人を戦力と見做さず思考を続ける。

 使用人の価値とは何か。最も重要なのはやはり仕事を処理する能力だろう。仮にそれを度外視するとすれば?

 この屋敷で働く使用人は全て住み込みだ。つまり、望めば四六時中目にすることのできる人材だと考えることもできるだろうか。そうなれば、見た目が好みの者を雇いたいと思ってしまうようなこともあるかもしれない。

 いや、仮に能力に遜色のない二人が並べば、自分であれば人柄や態度、それすら同等なのならやはり見た目を最後の基準にするかもしれない。

 では、魔力を持つ人と亜人との共通項とは見た目上、一体何か。頭の中に知り得る全ての人と亜人を並べたてる。だが、共通項など見つからない。


 ここで一度思考を崩す。家人、雇い主の家族は公爵本人とその息女、二人だ。その二人が別々の好みを持っていて、それが精霊を纏う人と亜人だとでも言うのだろうか?

 馬鹿馬鹿しいとこの考えを一蹴する。公爵本人は女性だと聞き及んでいる。そして、息女。考えるまでもなく双方が女性なのだ。仮に見た目で雇う人間を選んでいるにしても、それで何故この屋敷には女性しか住んでいないのか。

 クレアの話では、他の使用人屋敷なども存在しないと聞く。つまり使用人はこの屋敷に住まう者だけなはずなのだ。好みで選ぶというのなら、むしろ男性が多くなっても不思議はあるまい。だが、それでは何故使用人全てが女性なのか。


 アリアは頭の中で嫌な想像が線を結ぶのを、頭を振って打ち消そうとした。

「どうしました?」

 それを、クレアが見咎める。アリアは逡巡し、少しずつ家人の人物像を掴むことに決める。

「……えっと、ご主人様とお嬢様のどちらかは、精霊が見えるのですか?」

「お二人ともご覧になられるはずです。特にお嬢様は精霊とお戯れになるのがお好きなようですよ」

「そうですか」

 アリアは一つ頭を冷ます。主人が同性愛者だなどという想像は流石に無礼が過ぎるだろう。ご息女は精霊を纏う者ではなく精霊が好きなのだ。そして公爵は、効率の面で人よりも体力に優れる亜人を雇っているに過ぎないのだろう。

 女性の使用人ばかり集めるのも、子を不届き者から遠ざけるための親の過敏な反応だと思えば良い。どれ一つおかしなところはない。

 幾分落ち着いたアリアの前に、クレアが紅茶を差し出した。人数分紅茶が既に用意されている。


「皆さん、好きに(くつろ)ぎなさい。この黒い物はチョコレートというお菓子だそうですよ。好きなだけ食べて構いません」

「いただきます」

 クレアの言葉を聞き、アリアは紅茶を口に運ぶ。

 立ち上る香りが鼻腔をくすぐり、味わい深い僅かな苦みは甘みを伴って消えていった。

 さほど紅茶が好きではないアリアにもはっきりとそれと分かる美味に呟く。

「美味しいです」

「そうですか」

 アリアは先ほどの混乱は何だったのかと思うほどに落ち着き、紅茶に口を付けた。

 真っ先にチョコレートに手を伸ばすニウニとホズンに苦笑しながら、アリアも一欠片チョコレートを手に取り口に入れた。

 ほろ苦くも薫り高い、甘みの抑えられたビターチョコの味に生前を懐かしむ。

 好き好んでチョコレートを食べるということこそなかったが、だからと言って嫌いな訳でもなかった味だ。

 少し気分を変えようと、アリアはクレアに問うことにした。

「クレアさん。紅茶の淹れ方を教えてくれませんか?」

「では次の休日にお茶会を開きましょう。皆さんはどうですか?」

「参加したいです」

 カナルとニウニの声が重なった。

 アリアは、ニウニの場合茶菓子が目当てだろうかと邪推する。

「お菓子気に入ったの?」

「そ、そんなんじゃないよぅ」

 ニウニは恥ずかしげにチョコレートに伸ばした手を戻した。

「ふふ、好きに食べて構いませんよ。アリアさん、あまりいじめてあげないようにね?」

「もちろんです」


 アリアは紅茶を楽しみつつも、解れた思考を一つに寄り合わせる。少なくともクレアから害意や敵意を探り出すことはできない。それどころか、友好的過ぎるようにも感じられる態度だ。

 だからこそ線を引き、見に回る。小娘を罠に掛けるメリットなどないとは思いつつも、警戒を怠る訳にもいかない。先ほどの発言の真意、それが言葉通りならどれ程恵まれた環境に潜り込むことができただろう。外にいては、それこそ戦争奴隷として酷使される未来も考えられない訳ではなかったのだから。

 安全を確かめ、その是非に問わず更に安全を作り上げる。方針としてはそのような形になるだろうか。自分を守る術はいくら多くても安心などできない。ある日突然、安全だと思っていた地に魔物の群が押し寄せることもあるのだから。

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