アリアの初仕事
アリアは思考のテーマを切り替えた。次にすることを予測しておき、よりスムーズにその仕事へと移行するためだ。まずはクレアの様子から思い返す。
クレアは何か物を取りに行く様子で部屋を出た。つまるところ、次にすることはこのクレアの部屋でできることだろうと見当を付ける。
ざっと見回した部屋の中の様子は、立ったままの七人がエプロンを着脱することができる程度の広さである。それ以上に広がると部屋に置かれた機材のいずれかに接触し、最悪壊してしまうこともあるだろう。安全な範囲で考えれば、七人で立ち並ぶことができる程度のスペース。そして、大きめの丸テーブルと八脚の椅子がある。テーブルに着目し、仕事の内容を推測した。
座ったままできること、あるいは、座った相手に対してすることだろうか。考えられる仕事を並べ、評価する。
一つ目は、裁縫の類。これなら椅子に座ったままテーブルの上で教えながら、それぞれの状況を見て適宜助言するという方法を取ることができる。家具の配置からするとこの可能性が一番高いように思われる。
次に、編み物の類。この推測を支持するには、テーブルという要素が邪魔をする。椅子に座り、籠を用意して向かい合えばその方が教える環境として適しているのだ。編み物に適した体勢は背筋を伸ばすか、背もたれにゆったりと背を預けた体勢だ。裁縫と違い、細々とした布類や糸、針などの道具の交換を必要としない分だけテーブルが邪魔になってしまう。
三つ目に、テーブルマナーの類。これは仕事ではなく身に付けるべき所作の類ではあるが、テーブルと椅子さえあれば最低限の動作を教え、正すことはできる。ただ、使用人の身で家人や客人の前で食事を取るという事は考えられない。つまり、テーブルマナーを教える優先度は低いと考えるべきだろう。
一度考えの切り口を変える。逆に、基本的に使用人が食事を取るのは使用人が集まる食堂の中でだけだ。つまり、今日を以って他の使用人に見ることができる所作だと言うこともできる。部屋の外では常に見られていると思えというクレアの言葉を思い返し、念のために候補として残しておく。
四つ目、給仕の類。内容としてはティーセットを使った食後の紅茶の淹れ方、などになるだろうか。これは家人か客人を相手にする仕事の内容で、少なくとも昨日今日この屋敷に来たばかりの新人に任せられる類の仕事ではないはずだ。留意こそしても、いずれという但し書きが外れない。一旦この可能性は保留する。
状況から類推するに、恐らく次の仕事は裁縫だろうと結論する。ようやく仕事らしい仕事に入れそうだと胸中溜め息を一つ漏らした。
だがそうなると、ニウニとホズンの仕事ぶりに不安が感じられる。二人は、自覚する程度には手先での細々とした作業が苦手な様子だからだ。クレアは気に掛けるよう言っていたが、どの範囲までなら許されるだろうか。一先ず、手伝うところまでは論外として助言をする程度の範囲に線引きする。ニウニとホズンにはいつでも助言できる立ち位置を確保しておいた方が良いだろう。
考えを纏め終わるころ、エモニが声を上げた。
「いつになったら、仕事を教えてもらえるんでしょうか」
自分たちのテーブルの掃除や着衣の整え方など、確かに一見すると仕事ではない。特に自分に自信がない様子のエモニは、この屋敷に留まる方法、つまり、より早く仕事をものにする方法を考えているのだろうとアリアは推測した。
だが、どちらも決して仕事に関係しない訳ではない。特にテーブルの清掃などは正しく覚えておけば家人を相手取った給仕であっても通用するものであるし、そうでなくとも家人が去った後の食卓を清掃するという仕事に当たった際に利用できる。
次に身繕いは、主人の前に出る際に必ず必要なものなのだ。言ってみれば、家人の住まう邸宅に赴くための準備をしていると言えない訳ではない。逆にこの二つが及第点に達することがなければ、いつまでも使用人の屋敷で穀潰しとして燻ることになりかねないとも言えた。
アリアはそこまで考え、安易に教えるという手を切り捨てる。こういった部分は、自分で気付かなければ意味のないものなのだ。自分にできることは気付き易くするようヒントを出す程度だろうと考え、言葉を選んだ。
「どうでしょう。でも、教えてもらったことを覚えて、ちゃんと活かせるようになれば仕事を教えてもらえると思います。ニウ、苦手な仕事でも、しっかり覚えないとね?」
「う、うん。そうだね、頑張らないと」
暗にニウニに釘を刺したアリアは、一度気分を入れ替えようと辺りに視線を送る。そこからこれから教わる可能性のある仕事を推測した。
裁縫、編み物、園芸、掃除、洗濯、給仕、調理、その他側仕えの類、だろうか。場合によっては、家人の子女に対する教育もありえるだろう。
窓の外に視線を送る。中庭、二階部分に作られた庭園である。その下には食堂と大浴場があるはずだ。庭園の様子を伺うと、疎らに土肌が見えた。菜園になっているのかもしれない。
「アリアちゃんは、小さいのにしっかりしてるよね。なんでそんなに賢いんだろ?」
カナルの探るような視線。この視線の裏を考えるに、やはり心当たりのようなものがあるのだろうと思い至る。この確信にも似た結論は邪推だろうか?
アリアはカナルに視線を返して当たり障りのない返答を口にした。
「賢くなんてないですよ。足を引っ張らないように精一杯考えてるだけですから」
「そうなんだ。どんなこと考えてるの?」
「次に教わることは何だろう、とか、さっきは上手くできたかな、なんて考えてます。あと、もっと上手くするにはどうすればいいだろう、というのも考えるようにしてます」
半分は本心であり、残りの半分は年齢に見合ったできの三人に宛てたものだ。
それを聞いてカナルは頷いた。
「うん。私と一緒だね。アリアちゃんと一緒だと安心できるよ」
アリアはカナルの言葉と視線の意味を考える。それが誰に宛てたものなのか、何を思って口にしたのか。もしそれが自分に宛てたものなら、その後来るだろうアクションを待てば良い。
アリアの思考はノックの音で中断された。誰かがクレアを訪ねてきたのだろうかと考えたとき、クレアの声が扉から聞こえた。
「クレアです。入りますよ」
アリアは立ち上がり、扉へと体を向ける。他の五人も立ち上がったのを確認してから返答した。
「はい。大丈夫です」
扉を開き入って来たクレアに、アリアは一礼する。
「クレアさん、お帰りなさい」
「お待たせしましたね。ただいま戻りました」
クレアはカートを押して部屋に入って来た。六人が座っていなければ、扉を閉めることはできなかっただろう大きさだ。
アリアはカートに載ったものを見る。裁断された織物を見て、やはり裁縫の類が初仕事らしいと納得した。その上に乗せられた六つの木箱は、裁縫道具だろうと当たりをつける。
「座りなさい。裁縫をお教えします」
返礼を終えたクレアの許しを得て椅子に座る。それを見届けたクレアがカートから布と木箱を一組で六人それぞれの前に置いていった後、空いた席に布だけを置く。アリアは、布を広げればこの部屋の丸テーブルを覆い隠すだろうと目算した。
「その服と、先ほど貴女たちに渡したクロスは私たちが作ったものです。まず、貴女たちに渡した目の荒いクロスから作りましょう。箱から裁断鋏を出しなさい」
アリアは木箱を開ける。中には裁断鋏と糸切り鋏、縫い針が三本と待ち針が十本刺さった針刺し、色の違う糸が三巻き入っていた。言われた通り裁断鋏を取り出す。
クレアは自室の棚から蓋と持ち手のないバスケット取り出した。その中の裁断鋏を持ち、自分の席の前に置いた布を切る。
「二つに折って縫い合わせます。使いやすいと思う大きさで布を切りなさい」
言いながら持ち上げた布は、線も引かずに切ったというのに真っ直ぐな切り口だった。
アリアもそれに倣い、切り口が不恰好にならないよう注意して布に鋏を通す。真っ直ぐな切り口の布を切り取り終えた。
カナルとルイナは多少曲がっても気にせず切り取り、エモニは曲がらないよう注意しながらも手早く切り終えていた。
予想通り、ニウニとホズンはこの段階から苦戦しているようだ。皺の上から切ったのか、鋭角に飛び出した切り口が見える。ただ、どちらにしても内側に織り込む部分なのでこの段階での切り口がそれ程重要な訳ではない。
「ニウニさん、ホズンさん、大丈夫ですよ。慌てずゆっくりで構いません。多少曲がっていても目に付く場所ではありませんから」
「はい」
「わかりました」
目に付く場所ではないという言葉に肩の荷が下りたのか、二人は少し緊張を緩ませて裁断を続ける。
アリアはこの後の手順を考える。先に布を切ったということは、大体の大きさを決めて待ち針で留めてから糸張りに糸を通すことになるだろう。糸通しなどがあれば良いのだが、この小さな針の穴に糸を通すところでこの二人はまた苦戦するのは想像に難くない。先にこちらで糸を通して渡しても良いのなら特に問題はないのだが、そこまで手伝ってしまっては恐らくクレアの指導の趣旨に反することになる。
待つ、待たされるというのは、特に待たせる側に心的負担が掛かりやすい。幸いこの二人は周りに目を向けるまでの余裕はまだないが、だからと言って待たされている側が何も言わないとも限らない。
当然アリアはそのようなことを言うつもりはないし、人柄を見たところこの五人にもそういった者はいない。だが、この六人組から離れればどうだろうか? その頃にはそれぞれに得意な分野の仕事が割り振られていれば良いのだが、そう都合良くいくだろうか。どのような仕事でも、突発的な作業という物は発生するものだ。そこまでのカバーはできるものではない。アリアはこのことを懸念として頭に焼き付ける。
「あ、あの……」
ようやく布を切り終えたニウニが声を上げた。
「よくできましたね。次は、縫い合わせる形を決めます。二つ折りにして皺を伸ばしなさい。平織りの布です。裏表は気にしなくても構いませんよ」
クレアが布を二枚に折り、テーブルに置いて表面を撫でる。裏面にも皺がなく綺麗に伸びていることが一目で分かった。
アリアもそれに続いて布を織り、皺を伸ばす。小さな手では一度で伸ばしきれず、二度布の表面を撫でた。
アリアはニウニとホズンの様子を見る。ホズンの布は、裏側で折れていることが見て取れた。クレアに目を向けると、ニウニとホズンに気付かれないよう、クレアは小さく首を横に振る。それを見て、アリアは彼女の意図をはかった。
このまま助言をしなければ、ホズンは待ち針で布を留めるとき、一点を留め損なうだろう。それを静観させる意味を頭の中に並べた。
一つ目は、不向きを意識させるため。十二歳という年の頃であれば、得手不得手はあっても向き不向きにまで意識が及ばない者もいる。そういった者に対して不向きを教える意味は二つある。
一つは、向き不向きという面を自覚させることで、より効率的な仕事を選ばせるというもの。更に言えば、分業という考え方の根本を教える切欠として適していると言えるだろう。
もう一つは、不向きという問題に対しての自発的なアプローチや積極的なアクションを期待するというもの。状況や現状の問題点を能動的に解決するという体験を学ばせるつもりだろうか?
前者であれば苦手意識を持たせかねず、後者であれば本人のに掛かる負担が大きい。どちらを選ぶかという篩い、だろうか。
二つ目は、食堂でクレアが口にした最終確認を怠らないようにという言葉を実感させるため、だろうか。
このような些細なミスは、最終確認で手を抜きさえしなければ概ね回避することができる。特に、焦っているとき程そのようなミスは増え、そして確認するような余裕はなくなるものだ。
三つ目は、失敗した場合のリカバーを教えるため。失敗しても焦りさえしなければ失敗を取り返すことができるものもある。また、失敗しても即座に対応できれば、往々にしてそれ以上の被害を軽減することができる。
クレアが食堂で口にした言葉のもう一つ、余裕を持つということ。二つ目を含め、この言葉を思い出させる狙いがあるのだろうか。
「それでは、待ち針、頭に羽の付いた針で留めます。まず端の二点を留めて、皺がないか、長さが同じになっているか見てみなさい」
クレアは布の折り目の外側二点を待ち針で留め、持ち上げる。その長さが同じことを六人それぞれに見せた。
アリアも端の二点を留め、布が弛んでいないか確かめる。不自然な皺もないことを確認して布を置き、ホズンを見た。
「あっ……」
やはり布を留め損ねたホズンが声を上げる。ただし、今留まっている一点を持ちながら長さに注意して留めれば問題なく次に移ることができると見て取る。
「アリアさん、留まっている方はにずれはありますか?」
「ありません。そのままもう一点を留めれば大丈夫だと思います」
「そうですか。手が届きませんから、手伝ってあげなさい」
「はい」
アリアがホズンの手伝いに入る。クレアはルイナの布を見て指示を出した。
「ルイナさん、布の長さが違います。一度片側だけ外して留め直しなさい」
「わかりました」
素早く布を留め直すルイナを尻目に、アリアはホズンに指示を出す。
「一度置いて布を合わせますね?」
「は、はい……」
アリアはテーブルに置いて皺を伸ばした布の留まっていない方を摘まんで持ち上げる。
「ここで留めてください」
「うん……留まった。あの、ありがとう」
「気にしないでください」
もう少し落ち着けば失敗しにくくなるという言葉は、クレアの目と彼我の年齢差から飲み込む。
「では、この三点も同じように留めます。切り口にずれがないか、布に皺が入っていないか確認しなさい」
クレアの後に続き、それぞれに待ち針で留めていく。刺し終えて一度皺を伸ばし、更に裏返して針留めに歪みがないことを確認した。
ニウニとホズンも苦戦こそしているが、特に問題もなく待ち針を留めていく。
「次は、針に糸を通しなさい。色は布と同じもので良いでしょう」
全員の針留めを確認し終えたクレアは、バスケットから縫い針と糸を取り出して針に糸を通した。一本取りで縫うようで、端を結ぶ素振りはない。
アリアも箱から針と糸を取り出し針に糸を通す。ニウニとホズンの様子を見る。
二人にはここが一番難しいところだろうか。繰り返し、針に糸を通そうと指を動かしている。
他の三人も糸を通し終えたようで、じっと二人の様子を見守っている。
アリアはクレアを見た。クレアは首を横に振る。アリアは目を閉じる。
アリアが思考のテーマを並べていると、ふと隣から息を吐く音が聞こえた。思索に入るのを中断し、そちらに目を向ける。
ホズンがなんとか糸を通し終えたようだ。ほっとしたような表情をして、六人を見渡す。
「うぅ……」
ホズンが糸を通し終えた音で、周りが自分を待っていることに気付いたらしいニウニが僅かに喉を鳴らした。
何度も何度も糸を通そうとしていたのだろう、糸の切り口が解れてしまっている。ニウニは目に僅かな涙を溜めながらも、必死に糸を通そうとしていた。
アリアは少し強い視線でクレアを見つめる。クレアは目を閉じた。
「ニウ、貸して」
「リア……? でも」
「良いから」
アリアはニウニの手から糸と針を半ば強引に奪い取り、糸切り鋏で糸の先端を切り、針に通した。糸の端を少し長めに出してからニウニに返す。
「では、始めに端の二点を糸で縫います。アリアさん、エモニさん。ニウニさんとホズンさんの糸を通しなさい」
「承知しました」
「わかりました」
クレアは二人の返事を聞き、クレアは布に縫い針を通した。
アリアはクロスを縫いながらも思い出す。細く柔らかい針金はないか。それがあれば、急造でも糸通しを作ることができる。
アリアは考える。縫い針の穴に通る細さと、多少変形する柔軟さがあれば針金である必要はないのではないか、と。
そこから、アリアは思考を開始した。現代日本に溢れていた器具。それを完全再現する必要は無い。利便性のみがある程度再現できていれば問題ないのだ。この考えを頭の中に強く焼き付ける。
代替物の作成、まず何を作るべきか。視界の端にニウニとホズンの姿を捉える。思索の方向性が決まった。この先この二人に必要になりそうな器具、それを頭に並べていく。