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アリアの初仕事……?

 アリアは論拠の掴めない先入観を切り捨てるために思考を巡らせた。現在の主目的を拾い上げ、それぞれの方法と達成後の行動を固める。


 第一に、使用人の採用基準を探る方法を考える。

 公爵家が必要としている人材とは何か。また、将来的に必要だと考えている人物像とはどのようなものか。概ね、そういったものを調べる方法だ。

 思いつくところであれば、人事関連の資料を手に入れ、使用人の共通項から目的を洗い出すことが考えられる。ただしそのような情報媒体が本当に存在するのかすら疑わしく、付け加えるならば、今の自分の身分でそれを閲覧できるとも思えない。まさか窃盗に近い方法で盗み見たことが露見しようものなら、下手をせずとも胴と首が離れることになるだろう。

 次に考えられるのは、採用に関与する人材に取り入り情報を聞き出すことだろうか。可能性として高い人物は、目下のところクレアだろう。上手くいけば採用を担当する者の名前くらいは聞きだせるだろうし、更に都合よくいけばクレア自身が採用を担当している可能性もある。だが、この手段はあまりにリスクが高い。警戒している相手の懐に飛び込み、そうと悟らせずに意図を探る必要があるのだ。最悪を想像するのなら、よく目に付くアリアという少女の目的への使用優先度を徒に引き上げる結果に繋がりかねない。そうでなくとも、雇い主を疑うなど言語道断だなどと難癖を付けられ、処刑されないとも限らないのだ。

 結局、この目的に着手するにはあまりに情報が足りないと保留することにした。緊急性の有無は先にこの屋敷に入っているだろう四人を見つけ出してから判断しても問題はないはずだ。見つからなければ……すぐさまこの屋敷から逃げ出す算段を立てなければならないだろう。逆に、見つけられれば最低でも一月近くの猶予はあるのだと確信することができる。


 第二に、公爵家が使用人をどう扱っているか調べる方法を考える。

 採用基準を確定した後であれば、内容如何で推測することも可能だ。だが、それにはどうしても時間がかかるだろう。この手段は詰りになった場合の最終手段の一つだと認識しておく。

 能動的に調べるのであれば、この屋敷で長く働いている人物に尋ねるという手段が最も手っ取り早い。そのためにも、広く、ある程度深い交流関係の形成は欠かせない。内容も浅い部分は世話話の一つとして直接尋ねることすらできる類のものだ。リスクも低いだろう。

 最悪、待つという手段もある。手遅れにならないよう警戒する必要こそあるが、自分は今日からこの屋敷で働くのだ。自分で体験するという手段がない訳ではない。

 最後に、屋敷に入ってから現在までの扱いを思い出し、推測する。

 屋敷に入ったときに受けた簡単な館内の紹介と、部屋までの案内。宛がわれた部屋の行き届いた手入れ。その後連れられて入った大浴場。仕事服であるエプロンドレスの着用方法の説明と手伝い。夕食の時間などとうに終わっていたのに振舞われた軽食。屋敷での仕事の大まかなシステムの説明。今朝のクレアの呼びかけ。そして朝食。

 どれもこれもが使用人を相手にしているにしては懇切丁寧であり、行き過ぎた質の良さを感じさせる。特に大浴場など、使用人に振舞うにはあまりに気前が良すぎるのだ。この世界での風呂は、生前の日本ほどに手近なものではない。魔術が存在すると言っても、どうしても労力と費用がかかってしまうのだ。それがたかだか使用人のために毎日用意されているらしい。度が過ぎた待遇だからこそ、どうしても身構えてしまうのだが。

 とは言うものの、風呂に気兼ねなく入れる環境は彼女にとって有り難かった。生前は日本で生きていたのだ。毎日風呂に入るという選択肢以外、存在しないとすら断じている。そのような贅沢を、この屋敷ではむしろ推奨するというのだから驚きだ。それも、使用人の身に対してである。だが、そこに意図がないとも限らないと警戒する。いや、確実に何かしらの意図があるのだろうと確信している。

 結論としては、大事に扱われていることを肌で感じ取ることはできるが、その奥になにかとんでもない魂胆が潜んでいる気がしてならないのだ。やはり最悪の場合には備えて逃亡の手段は用意しておくべきだろうか。この懸念を強く頭に焼き付ける。


 第三に、後ろ盾を得る方法を考える。

 まずは先ほど思いついた、人望という後ろ盾を得る手段について考えをまとめる。実績を積み上げ、信頼を得ることが先決だろう。次に、困っている相手の相談に乗るのも良い。愚痴を聞く、程度でも話す方は随分楽になるものだ。だが、突出して優れているというだけでは要らぬ妬み嫉みを集める結果に繋がりかねない。嫉妬に類する感情だけは避ける必要があるだろう。マイナス方向での人との繋がりというのは存外心地良く、強い。派閥を作るつもりこそないが、有事の際にアリア派として口添えだけでもしてくれるだけの人望を集めるのだ。反アリア派を生み出すような行動は以ての外である。

 着地点としてはどのようなモデルを想定するか。言動や立ち居振る舞い、他者から見られる自分に課すイメージを選定する。

 他者から見て、果たして自分はどのように映っているのか。目が捉えるニウニの姿に、保護者という単語が飛び出した。当然協力こそ最大限にするつもりはあるが、過剰に保護するつもりは一切ない。そのような余裕もないだろうとそのイメージを切って捨てる。

 一瞬アイドルなどというノイズが脳裏に走ったが、常に偶像的に立ち回ることなど自分にはできまい。幼い間であればそれに似た境遇の形成が可能かもしれないが、それも三年と経たず消え去る特異性である。更に言えば、もて囃されたいがために好意を集めるのではない。兎に角、このイメージは切って捨てる。

 もう一つ切って捨てる感情として、畏怖の念がある。暴君になって好き勝手に振舞いたい訳ではない。特別な者として孤立したい訳でもない。そもそも、自分は孤高を気取れるような心胆など持ち合わせていない。より親しく、安心して接すことのできる人物像を目指すべきだろう。

 協力者、それが妥当だろうか。敵対者を可能な限り作らず、挙句敵対する者にすら協力して取り込んでしまうような皆の協力者である。その第一歩として、警戒心を持たせないような、毒気を抜かせるような立ち居振る舞いをイメージする。

 次に、当初想定していた特定の人物という後ろ盾についても考えを巡らせる。現在の知り合いで妥当な人物は、やはりクレアだろうか。なんにしてもクレアとの関係は良好なものを維持すべきである。

 クレアに取入る手段はあるだろうか。テーブル掃除の間、慈母の如く六人を見つめていた姿を思い返す。親交の浅い者に対してすらこの態度だ。恐らく彼女は一定の壁を幾重にも作り、壁の間に相手を置いて接するのだろうと推測する。一見近く、その実遠い。そんな印象を受けた。

 クレアに取入る、というより、クレアに認められるべきなのだろうと心のどこかで思う。思惟の中に感情が生まれる。彼女に認められたい、そのような願望が僅かに芽吹いたのをアリアは確かに感じた。生前を含め、初めて覚える感情だった。

 その感情を自覚して、取入るなどという下賎な考えを思考から拭い去る。まず、クレアにアリアという少女の価値を認めさせる。アリアはクレアに対するスタンスを決めた。

 クレアに関する思考を一度破棄し、他に該当しそうな人物はいないかと記憶を探る。その中にリノアの姿を認めた。思い返すに、彼女の傍にルームメイトの姿はなかった。リノアの立ち位置とはどのようなものなのか。軽く見当を付ける程度に考察する。

 この屋敷では珍しく、一人で行動しているリノア。この点は、クレアと共通している。だからといって同じ立場を結びつけるのは早計だ。単に、互いに不干渉を取り決めたルームメイトがいないとも限らない。可能性の一つとして留意するに留める。


 ニウニとホズンがようやくテーブルの手入れを終えたのを見て、思考を中断する。要点を数点だけ頭に焼付け、僅かに皺の寄ったテーブルクロスを整えた。

 他の三人は既に手入れを終え、手持ち無沙汰を直立に当てている。エモニは時折花瓶に目をやるが、アリアとカナルが動かないところを見てはじっと目を落としていた。

 アリアがクレアに声を掛ける。

「終わりました。いかがでしょうか」

「問題ないでしょう。ただし、ニウニさん、ホズンさん、最後の確認を怠ってはいけませんよ」

「は、はい」

「ごめんなさい」

 クレアの言葉に、ニウニとホズンは耳を垂れて返事をする。

「構いません。これからできるようになれば良いのです。それと、エモニさんはもう少し自信を持ちなさい。朝食の後は花瓶を磨かなくとも構いませんが、磨いてはいけない訳でもありません」

「はい……がんばります」

 二人の耳が半ばまで戻り、代わりにエモニが萎れた。

「不安なら尋ねれば良い。主人や客人の前では許されないこともありますが、ここにそのような人はいません。今のうちに、分からないことがあれば聞いておきなさい」

「はい」

 エモニは努めて背筋を伸ばし、頷く。クレアはそれを見届け、続けた。

「アリアさん、カナルさん、ルイナさん。よくできましたね。次からは、周りの子たちを少し気にかけてください」

「承知しました。ありがとうございます」

 アリアは言葉を返し、一礼する。カナルとルイナもそれに続き、礼をした。


 礼を終えた三人を見てクレアが口を開く。

「一度私の部屋に向かいます」

 言い終えたクレアが踵を返した。アリアは即座に掃除用具の入ったバスケットを手に取りついて行く。先ほど指摘を受けた三人が慌ててバスケットを手に取りついて行く。カナルとルイナは慌てることなく歩き出している。

「エモニさん、ニウニさん、ホズンさん。急いでいても足音を荒らげてはいけませんよ。歩幅で速さを変えなさい」

 食堂の中、質の良い絨毯の上を歩いているとはいえ駆け足などすれば音が鳴る。クレアはそれを聞いたのだろう。そして見本だとでも言うように歩幅を変え、三人が追いつくのを歩きながら待つ。

「歩調、口調は乱さず。態度には親愛と優雅と余裕を持って、けれど出すぎず。佇まいは楚楚として凛と強く涼やかに」

 振り返ることもなく言葉を紡ぐクレアに、三人は耳を(そばだ)てる。三人が追いついたことを察したのか、クレアは元の歩幅に戻して歩を進める。その足が地面を叩く間隔と強さは変わらない。真後ろから見ていたアリアは、歩く速度が変わっているなどという素振り一つ見出すことができなかった。

「私の先生の言葉です。私も、皆さんと同じくらいの頃にはよく叱られたものですよ」

 階段を上る。そのクレアの足音は変わらず同じだけの間隔、同じだけの大きさで奏でられる。

「この屋敷から出れば、後はもう誰も助けてはくれないのです。この屋敷で学びなさい。外で生きていく術を、自らを救うための術を」

 クレアの纏う空気が和らぐ。我が子に向けたような、慈愛に満ちた声色でクレアが続ける。

「皆さんになら、それができるはずです。だから、学びなさい。学び続ければきっと」

 クレアは足を止め、振り向いた。

「きっと、素敵なひとになれるわ」

 歌うように、夢見るように、あるいははしゃぎながら夢を語る少女ように言うクレアの声は、儚むように、懐かしむように、けれど宝物を見つけた少女のように笑うクレアの顔と相まって、アリアの胸を一つ強く打つ。

「はい」

 当然のように重なる六つの声は、クレアと同じように夢見るようで、歌うようで、浮つくようで、何かを深く考え込むような声にも聞こえた。

 クレアは六人を一人ひとり確かめるように眺めたあと、口を開く。

「少しお喋りが過ぎたようですね。ここが私の部屋です。入りなさい」

 本当に先ほどの声の主と同一人物なのかと疑いたくなるような、柔らかくも凛とした声でクレアが言う。

 話しながら鍵を開けたクレアに招かれ、六人は順々に部屋に入った。


 アリアはざっと部屋の中を眺める。間取りは同じ、備え付けの調度品も同じ、ただベッドは一つしかない。一人では少々広すぎるように思える部屋は、アリアの部屋にはない家具と仕事で使うのだろう様々な道具が置かれ、七人を入れるとやや手狭に感じられた。だが、そのどれもが手入れされていて、整然と並べられているからか物に溢れているという印象は受けない。

 クレアが後ろ手にドアを閉めて声を上げた。

「部屋の外では、常に誰かに見られていると思いなさい。まず、服の着方を教えましょう」

 クレアは言いながら、部屋の中央に置かれたテーブルまで足を進める。

「それでは、エプロンを脱ぎなさい」

 テーブルの前に立ち、クレアはエプロンを脱ぐ。それに倣い、アリアたちもエプロンを脱いだ。

「エプロンは一度テーブルに置いて並びなさい」

 言われるがまま、エプロンを置いて六人が並ぶ。クレアはそれを見る。

「ホズンさん、ワンピースを着た後一度着こなしを確認するようにしなさい。肩周りと首元に気をつければ整いますよ。あとは、ホズンさんはそろそろ胸周りも気にした方がいいかもしれませんね。エモニさん、慣れるまでは分かり難いところもあるので気にかけてください。引っかかっているところがないかだけ見れば問題ないでしょう」

 クレアはホズンの服を調えた後、自分の服を使って注意するポイントを二人に説明した。何年後になるかは不明だが、ゆくゆくは自分にも必要な知識だろうとアリアはクレアの説明を眺める。

「ワンピースを着た後、一度居住まいを正してからエプロンを着ること。良いですね?」

「はい」

 ホズンの返事に頷きを返してクレアは次の指示を出した。

「では、エプロンを着なさい」

 アリアはエプロンを掛け、紐を結ばず細部を確認する。ニウニはアリアに着せられた順序を思い出しながら着ているのだろう、少し難しい顔をしながらエプロンを着ようとしている。その他の四人もそれぞれにエプロンを着用していた。

 アリアは一通りの確認を終え、着方とバランスに問題がないと判断して紐を丁寧に結ぶ。その後見える範囲で問題がないか再確認してから、姿勢を正した。それが終わる頃には、五人ともエプロンの着用を終えていたようだ。

「……良いでしょう。ニウニさん、ホズンさん、その調子で最終の確認を怠らないようにしなさい」

「わかりました」

「はい」

 二人の返事を聞き、クレアが続ける。

「私は受け取りに行くものがあるので、少し席を外します。皆さんは椅子に掛けて待っていなさい」

「お手伝いできることはありませんか?」

 アリアが尋ねた。意図としては二つ、どちらも今の自分では足を踏み入れることのできない場所にいけるかもしれないという考えが根底にある。

 一つは、魔術や魔力に関連する機材が存在しないか調べたいという意図。もう一つは、その場にいるだろう人物と早めに接触を持っておきたいという意図。だがどちらも叶うことはなかった。

 クレアは微笑み、言葉を返す。

「アリアさん。構いませんよ、休んでいなさい」

「そうですか。失礼しました」

 クレアはアリアの礼に返礼し、部屋を退出した。


 クレアの退出を見届け椅子に座った後、すぐさまアリアは思索を開始する。

 食堂で受け取った掃除用具に魔力を流すといった必要もなく扱えることに着目する。マス・ミエット、十二枚のクロス、その全てにそのような特色は見て取ることができない。ただし、機材として単純なため魔術による補助などを必要としない、または想定していない可能性も考えられた。

 もう一つ、この掃除用具は使用人の私財として扱うとクレアは言っていた。つまるところ、公爵家の機密に関わる可能性のある物を(みだ)りに与えることなど考え難い。更にはそういった技術が注ぎ込まれるものの価格とは往々にして高価になりがちである。魔術、あるいは魔力を利用する機材というものがどのような位置づけにあるのかは不明だが、特別な知識や技術がなければ作成自体が不可能だと推測できる。つまり、余程重要な仕事に就かない限り目にする機会すらほとんどないという可能性もあるのだ。

 最後に、そのような機具が本当に存在しているのかすら確証を得るには至っていない。生前、婚前まではゲームや漫画といった娯楽に手を出さなかった訳ではなく、当然似た物があっても不思議ではないだろうという思い込みから違和感なく考えていたこの可能性も、実際には生前の知識によるミスリードで生まれただけだと言われても否定はできないのだ。


 体力不足、魔術に関する知識不足、魔力に関する知識不足、公爵家に対する疑念、立場に対する不安、一通りを並べ、儘ならぬものだとアリアは嘆息した。

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