アリアの初仕事?
アリアは考える。情報を収集するために、まず何をするべきか。
四人と再会するにも、どのグループに所属しているのかを調べる必要があるだろう。この屋敷で他のグループの情報を集めるためにはどうすれば良いのか、アリアは思索する。考えられる方法を並べ、評価した。
一つ目は、他のグループと合同で取り掛かる類の仕事に就くという方法。つまり、実務の全般だ。常にどこかのグループが休んでいる都合上、屋敷内のあらゆる業務には複数グループの人員が宛がわれている。
ただし、仕事を任せて問題なしと判断されるまでこの方法は取ることなどできない。クレアの指導が終わるまで、恐らく自分たちはクレアの預かりになる。クレアに指導を受ける身で他のグループと接触することはないだろう。この方法は却下する。
クレアの懐柔など真っ先に切って捨てた方法だ。自分はそれでも困らなくとも、残りの五人はどうなるか。恐らくと言わず確実に何人かは問題を起こすだろう。そうなれば、クレアの立場も悪くなる。そのスタンスこそ分からないものの、自分たちの指導者であるクレアが立場を悪くするなど避けた方が無難だ。
これだけの人数が集まる屋敷である。派閥がないなど考えられない。その矢面に立つ可能性の高い人物を擁立しようとするならいざ知らず、貶めることなど遠回りに自分の首を絞めるようなものだ。
奴隷として公爵家に買われた以上、短くとも自分を買い取るまでを見通す視点程度は持たなければならない。その場その場で最も手早い方法など選ぼうものなら、その先にどれだけの墓穴を掘るか分からなのだから。
二つ目は、個人的な時間を使い他のグループの人間との交友を広めるという方法。今朝リノアと知り合ったような方法だ。現状選べる手段としては最も危険度が低いだろう。更に、円満な関係を築くことができれば仕事がやりやすくなるだろうという副産物もある。
この方法なら、見習いに類別される今の自分の立場に関係なく取ることができる。仕事中に無駄話が過ぎるなどであれば話は別だが、個人の時間に交わされる会話を見咎める者などいないだろう。
これからの身の振り方として、個人的な交友を広めることを頭に焼き付ける。この方法には副産物が多いのだ。まず、平穏な職場環境の獲得。情報収集の機会の増加。アリアという個人を記憶する人物の増加。会話という娯楽の獲得。今回のようなこれといった目的がなくとも、これに近い姿勢は取っただろう。
アリアは一度思考の段階をまき戻し、情報収集以外の方法で四人に接触する可能性がないか思索する。
まず、自分の目と足で探し回る方法。効率が悪く、屋敷の地理を完璧には把握していない都合上リスクも発生する。時間と労力というコストも高く即座に却下する。仮に同じだけのコストを注ぐなら、人間関係の形成に力を入れた方が効率と実利の双方で勝るからだ。
次に、相手からの接触を待つ方法。そのためにはまず相手に自分の存在を知らさなければならない。あえて都合よくそれが達成される可能性を考えるなら、幼すぎる使用人見習いとして噂になる場合だろうか。
そこでふと思う。自分を知る人物の増加。一つ一つに大した意味はなくとも、数が集まればそれだけで威力を発揮する。余程の大人物でもない限り、大勢を敵に回すべきではない。逆に、大勢を味方につければどうだろうか。一言で言えば、人心を掴むということだ。
例え身分が奴隷というあまりに弱いものだったとしても、人望さえ集めてしまえば無視や軽視ができない存在になることができるのではないか? 主目的の一つ、得る後ろ盾を人望としてはどうだろうか。
生前の自分、男であった頃を思い返す。平々凡々として特に秀でたこともなく、さして劣ったところもない。人物の中心になるような人柄でなく、どちらかというと複数の人の輪を行き交っていた。どこの派閥にいても、またいなくても不自然さのない人柄だったのだ。
それと比較するに、あまりに大それたことを考えるものだと胸中で自分に呆れる。同時に、悪くない手だと要検討として頭に焼き付ける。
一度ここまでの思考を凍結し、進めていた食事の最後の一口、白身魚のムニエルにハーブのパテを乗せたものを口に運んだ。
アリアは思惟の傍ら、意識の二割程を割いてこなしていた会話の内容を整理する。
このグループのメンバーがそれぞれ、何が得意で何が不得意なのか。屋敷に移って感じている他愛もない期待や不安、そういったものだ。
ニウニが得意なのは、亜人の身体能力を活かした荷運びだ。逆に手先や頭を細かく使う類の作業や業務には向かない。
食事を痛く気に入った様子で、屋敷での生活に大いに期待を抱いている。
ホズンもニウニ同様の得手不得手と、料理の味とベッドの心地良さに期待を大きくしているようだ。
エモニは家で手伝っていたという料理と片付けの類が得意で、身分の高い相手への応対に苦手意識を持っているらしい。
更に、設えの整った部屋や食事の質に恐縮してしまい、この屋敷で働いていけるか不安がっている。
カナルはアリア同様、どの業務も不得意ではないという。
体力に不安こそあるものの、屋敷での生活や仕事自体に対する期待や不安は薄いように見えた。
ルイナは亜人に珍しく体力仕事は苦手だが、掃除ならもといた部屋で一番上手だったとカナルが語った。
どこか上の空で食事を口に運ぶルイナは、なるようになるとでも言いたげだった。
記憶の整理を終え、ムニエルを嚥下する。
「ご馳走様でした……お昼も楽しみですね」
「うん、楽しみだね!」
ニウニが答え、早くも昼食に思いを馳せる。食べきれないと判断したアリアからムニエルの四分の一とパンの一つを分けられたにも関わらずだ。
同じようにアリアが食事を分けたホズンは満足げに頷いている。
ニウニとホズン。似た二人だが、食い意地という意味ではニウニに軍配が上がるようだとアリアは判断した。
「お待たせしてすみません。食器を返しにいきましょうか」
食事を分け与えても、アリアの幼い体ではどうしても食べるペースが遅くなる。結局アリアが食べ終えるたのは、食事を小さく口に入れ、よく味わって食べていたエモニにしばらく遅れてのことだった。
それでも誰一人急かすことのなかった四人にアリアは心中で小さく感謝する。そしてもう一人、アリアが食べるのを羨ましそうに見つめていたニウニに心中溜め息を吐いていた。
アリアの声を機に、六人それぞれが空になった食器の載ったトレイを持って立ち上がる。食堂には空席ができ始めていた。食器を片付け、空いたテーブルを軽く整えている使用人の姿も見える。
「その後って、どうするんでしょうか」
エモニは不安そうな声を上げた。
「返却口にクレアさんがいます。そこで後の指示をもらえると思いますよ」
返事しながらもアリアは後のことを予想していた。まず、自分たちが使ったテーブルを整えさせ、その動きを見てどの程度働けそうかを見るつもりだろう。後は予定に合わせた教育を施しながら、それぞれの足りない部分を指摘し、直していけば良い。
考えている内に、食器の返却口へと辿り着く。クレアが手で食器の返却を指し示した。それに頷きを返し、アリアは食器の載ったトレイを返却口の台へと載せる。
「ご馳走様でした。美味しかったです」
「そうかい。昼も期待しときな」
「はい! 楽しみにしてます!」
意識して愛想よくやり取りしながら、アリアは食器を返す。続く面々も同じようにそれぞれに礼を言う。その中で、気を引く二人がいた。
「美味しかったです。サラダのあのドレッシング、ビネガーを控えめにして切り分けたレモンを添えたりしても面白いかもしれませんね」
「レモン……レモンか。確かに面白いかもしれない。ありがとう、あとで試してみるよ」
サラダのドレッシングは、確かに味は良いが少し酸味が強かったとアリアは記憶している。それにレモンを添えて好きなように調節できるようにしてはどうかとカナルが提案した。酸味や辛味という刺激の強い味は、思いの外苦手な人も多いのだ。美味しいで満足して思考を放棄したところに思わぬ指摘が入り、アリアもはっとする。
「美味しかったですけど、パテに使ってたハーブは少し旬から外れています。レンズ豆の煮込みにしてはどうですか?」
「やっぱりちょっと遅かったかな? そうだね、次からは無理せず豆の煮込みにしておくよ」
パテの状態にまでなったハーブの旬を見抜くルイナの舌にアリアは驚愕する。アリアにはそれが何のハーブかすら分からなかった。知識の上で見当をつけることはできるが、それが特定まで至ることはなかったのだ。それを味だけでルイナはやってのけた。食べている様子は興味なさげに見えたが、彼女もしっかり食事を楽しんでいたらしい。
全員が食器を返し、クレアの前へと並ぶ。
「皆さん、まずは食べ終えたテーブルを整えに行きましょう」
それだけ言って先導を始めるクレア。手にはどこから持ってきたのかバスケットが一つ提げられている。
「はい」
アリアは特に慌てることもなくついて行くが、ニウニとホズン、そしてエモニが慌てた様子で後に続いた。
カナルも予想していたように何事もなく移動を始め、ルイナは特に考えなくともついて行けば良いという顔でカナルの後に続く。
「これから毎回、食後にはテーブルの後片付けをしてもらいます。この屋敷に住まう以上、自分のことは一人で完璧に行えるようにならなくてはなりません」
返事を期待しての言葉ではないのだろう、クレアは振り返らず、返事を待たずに続ける。
「それでは、掃除用の道具をお渡しします。これは貴女たちが管理なさい。失えば、必要なものは自分で購入してもらうことになります」
アリアたちのテーブルの前で振り返ってクレアが言った。そしてバスケットの中から小さな蓋付きのバスケットを取り出し、差し出す。
「わかりました。ありがとうございます」
アリアは迷わず受け取り、テーブルの自分が座っていた場所へと移動する。トレイの上に載った食器で食べていたのだ。汚れなどない。向かい側、ニウニとその隣のホズンが座っていたところには少しパンくずが落ちているだろうか。二人とも、食い意地を張っていたにしてはものを零す、スープやソースを飛ばすという事もなく食べていた。
バスケットを一度テーブルに置き、入っているものを検める。
一つは、マス・ミエット。テーブルクロスに落ちたパンくずを集めるときなどに使うものだ。ダストパンと呼ぶ人もいるだろうか。パンくず集めや、ちりとりという意味だ。このマス・ミエットには柄などはなく、テーブルクロスに接するところを直接手で持つタイプだった。
次は、荒めのクロスが三枚。大きさはナプキンより少し大きいくらいだろうか。雑巾のように使うものだろう。
更にクロスが三枚、これは先ほどのものより目が細かい。厚みもある。用途としてはナプキンが思い浮かぶ。
最後に、ハンカチが六枚。二枚をエプロンの内ポケットへと仕舞う。
アリアは少し、ナプキンのような布について考えた。このタイミングで出てきた意図を探る。
これがナプキンだった場合、何故食事の前に渡さなかったのか。考えられる可能性として、二つ。どちらにしても服を汚させる意図が見える。
一つは、テーブルマナーや食べ方の美醜をある程度見極めるため。
もう一つは、そこで汚れた衣服を自分で洗わせ、食べ方の重要性と使用人としての自覚を叩き込むため。
少し穿って見すぎたように思えて、アリアは別の可能性も思索する。
これがナプキンでなかった場合、残念ながらアリアの知識にこの布に該当しそうな掃除用品はない。あえてこじつけるなら、金属やガラス細工を磨くための布に見えなくもない程度だろうか。
一応の可能性として、公爵家でのみ使われるような一風変わった用途があるのではないかと思うことにした。
アリアは思考を破棄する。考えている内に他の五人もバスケットを受け取り、中を改め終わったようだ。不要なものをバスケットに直し、椅子の上に退ける。
アリアはクレアを見た。特に指示を出すつもりもないようで、六人の様子を見守っている。視線を戻し、一通りテーブルを眺める。
特にテーブルクロスを交換する必要は感じない。移動中、一度だけクロスを交換しているテーブルを見たが、大きくシミを作ったクロスだったと記憶している。恐らくテーブルクロスは汚れない限り、夕食の後で一斉に交換するのだろうと推測する。
次に天井を見つめる。シャンデリアの燭台一つ一つまで丁寧に磨き上げられていることがわかる。だが、火山の火口でもない限り、陸上にダニの存在しない空間などそうそう存在しないことも理解している。微細な埃、更には目に見えていないだけの小さなパンくずが落ちていることも考えられる。
アリアはマス・ミエットでテーブルクロスを、皺ができないよう注意しながら丁寧に掬った。
アリアが掃除を始めたのを見て、五人もそれぞれに掃除を始める。特に、ニウニ、ホズン、エモニの三人はアリアがするのに倣うように時折アリアへと視線を送りながら掃除した。
「ニウ、掬ったらそのクロスの上に捨ててね」
自分のハンカチを広げ、見本を見せるようにマス・ミエットで軽く叩いた。パンくず一つ取れはしなかったが、まさか床にそのまま落とすわけにもいかない。
「うん。わかった」
アリアはニウニの声を聞き、テーブルの上の燭台を手に取った。カナルも同じことを思ったらしい。バスケットからナプキンのような布を取り出し、燭台を手にしている。
燭台を磨く。元々曇り一つなかったが、より輝きが増すようにと丹念に磨き上げる。エモニも慌ててバスケットから布を取り出した。
磨き上げた燭台を元の位置にそっと置く。花瓶は、水と花の入れ換えもある。恐らく夜に手入れし、朝に係りの者が水と花を入れるのだろうと当たりを付けたのだ。
次にバスケットの置かれた椅子へと向き直り、荒めのクロスで椅子を軽く拭く。
中腰になったアリアはふと思いつき、椅子を磨き終えた体勢のままテーブルクロスを捲った。中を覗き込む。怪しい物は見当たらなく、当然何かが落ちているなどということもない。そっとテーブルクロスを戻した。
「何かあった?」
カナルがアリアに尋ねる。
「大丈夫です。食べ物も食器も落ちてませんし、汚れてもないです」
「そう」
アリアはカナルの質問の意味を頭の中で組み立てる。恐らく、掃除が必要かという意味で聞いたのではないのだろうと考えたからだ。食事中、エモニが精霊の話題を出した際の驚愕を思い出す。彼女は自分と同等程度の警戒を抱いていると結論する。
そこでアリアの思考に一つ引っかかるものがあった。十一歳だという年齢、それだけならば覚えの早い奴隷だとでも思えば納得できる。むしろ、通常ならそうとしか考えられないのだ。だが、カナルは五人の中で最も頭も切れるように思われる。
証拠や仮定、確率など様々な要素を並べても暴論と切って捨てるような荒唐無稽な話ではあるのだが、どうしてもアリアはその思いつきを拭えない。
何故そんなことを考えたのかすら彼女自身からしても疑問ではあるが、アリアはカナルが自分と同じく転生奴隷なのではないかという仮説を立てた。
立ち上がり、テーブルの様子を見回す振りをしながら軽く頭を振る。
結論に至る道ほどすら見当たらない極論は、それでもアリアの頭からは離れなかった。