アリアの疑念
アリアは観察する。食堂の中全てを備に、見落としなど許さないという気概を込めて丹念に。魔力を計測できそうなものがないかどうかを。
食堂は広い。置かれたテーブル全てを退ければ総収容人数は恐らく千人を超えるホールである。その壁を一辺のみ抜いて調理場に繋がっているカウンターが窺える。魔力の計測という目的があるのなら、無秩序に計測できるものを配置することは考えられない。魔力の計測が必要な人材は新人のみだろう。その新人が集まる場所、または必ず通る場所で計測する方法が効率的だ。
アリアは不自然さを覚えた。何かを見落としているような感覚である。自分の思考に僅かな違和感を覚え、過程を頭に焼き付けておく。
思索を再開しながら、まずアリアは人の流れを掴むところから始めた。出入り口は二つ、複数ある出入り口での計測は考えられない。次に目を向けるのは調理場と繋がるカウンターである。そこでは食事が盛られた皿を順々に受け取る流れができている。もう少し人が増えれば、この流れは行列を形作るだろう。調理に携わる使用人ならその場を通らない可能性もあるが、カウンターを通らない新人はいない。食事に関する仕事は衛生面や周囲の信頼、本人の適性といった複数の条件を満たす必要がある職であり、新人がいきなり調理場に放り込まれることなどありえないからだ。
見たところその他に新人全てが通るという条件を達成する場所はない。計測方法として次に考えられる可能性を模索する。可能性は低いが、テーブルへの設置が考えられるだろうか。席が指定されていればそれも推測としては有力である。だが昨夜見たところではグループ毎の区画が決まっているだけで、一人ひとりの席を指定している様子など見受けられなかった。
そこでふと頭を過ぎるものを摘み上げる。
次の休暇は恐らく五日後、つまり、グループへの新人の動員は休み明けに行われるのではないかという推論。そうなれば、一日で計測すべき人間、配置する位置が六分の一に絞られるのだ。俄にテーブルへの設置という可能性が濃くなる。
「リア、どうしたの? 早く行こうよ」
ニウニの言葉で思考を中断する。カウンターとテーブル、この二つへの警戒を頭に焼き付ける。
「改めて見ると、広いなって思って」
誤魔化しながらも周囲の観察は怠らない。この容姿であれば、物珍しそうに周囲を眺めるという動作も一見微笑ましいものに見えるだろう。
「使用人全部を集めても食事できるようにしてるからね。でも、入り口で立ち止まるのは関心しないかな」
リノアの声に状況を思い出す。言われるまでもなく失態であった。リノアの耳はゆっくりと揺れている。
「ごめんなさい。えっと、あっちですよね?」
慌ててカウンターへと足を向けた。幸い自分が邪魔になっていたような人はいないようだと胸を撫で下ろす。
「そうだね。クレアさんもいるし、私は先に行ってるね?」
「はい。仕事で会ったらよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「うん。またね」
リノアは小さく手を振り、カウンターへと歩き出した。カウンターの前にはクレアがいる。クレアはアリアとニウニの姿を認め、二人に体を向けている。
「二人とも、遅れず来ましたね」
「はい。クレアさんがお声を掛けてくださったおかげです」
クレアは二人を軽く観察した後、僅かに頷く。
「身形もきちんと整っています。二人にこれをお渡ししましょう」
そう言ってクレアは二枚のプレートをアリアとニウニに手渡した。
「ありがとうございます」
「アリアが整えてくれたんですよ」
はにかむように笑いながらのニウニの言に、アリアは心中で溜め息を漏らす。
「そうですか。アリアさん、分かっていますね?」
「はい。教えておきます」
「え」
ニウニはようやく自分が何か間違いを犯したことに気付くが、その間違いが何なのかに気付くことはできなかった。アリアはニウニの素直さを好ましく思っている。だが、状況に応じた受け答えを教え込むことを頭に強く焼き付ける。それができないと分かっているからこそ、彼女に魔術のことを打ち明けられないという面もあるのだ。
「そのプレートは使用人の証です。二人の名前が入っているでしょう?」
二人がプレートに目を落とすと、確かに自分の名が書かれていることが分かる。材質は金属。アリアには何の金属なのかまでは分からなかった。ただ、軽く強いという手応えだけが冷たく手のひらに広がっている。
「公爵家の使用人たる者、常に余裕を持って行動しなければなりません。主人を待たせるなどあってはなりませんから」
そこで言葉を切り、クレアはニウニに目を向ける。
「特に、ニウニさん。常に凛として柔らかく、優雅でなくてはなりませんよ。覚えておきなさい」
「はい……」
ニウニは耳と背を丸まらせた。クレアは続ける。
「背を伸ばしなさい。すぐに自信を持てとは言いません。すぐできるようになれとも言いません。耳も表情も、感情ではなく理性で動かせるようになさい。とても愛らしいのですから、それを身に付ければきっと貴女の武器になるでしょう」
「はい!」
クレアの言葉を聞いて、ニウニは背と耳をのばした。それを見て、クレアは頷く。
「良いでしょう。プレートは失くさないようエプロンの内ポケットに入れておきなさい」
「心得ました」
「こ、こころえました?」
クレアが小さく笑いを零す。途端、アリアはそれまで少し張り詰めていた空気が柔らかく温かいものに変わるのを感じた。
「ニウニさん。いくら使用人とはいえ、常に気を張る必要はありませんよ。今は、食事を楽しみなさい」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
アリアの一礼、ニウニもそれに倣う。その礼を見届け、クレアも二人に礼を返した。身体を起こしたクレアは小さく笑みを作ったあと、食堂の入り口へと視線を向ける。それを見て、アリアはニウニの手を引いてカウンターへと歩き出した。
朝食の十分程前。アリアは手に持ったトレイに自らの手で朝食を配膳する列に並びながら不自然さが出ないよう注意して辺りを観察する。
まずパンを皿に載せる。それをトレイに乗せながら、さり気無くカウンターの材質と構造を調べる。調べる時間が足りないようなら、調理係と言葉を交わしながら時間を稼いだ。
「くるみパンですか? 私、これ好物なんですよ」
「そうかい。なら、今焼きあがったのをおまけするよ。たんと食べて大きくなりなよ」
「ありがとうございます。太らないようにしないと」
「ははは。お嬢ちゃんくらいの歳ならそんなの気にしなくても大丈夫さ」
調べ終えるなり次の場所へ。カウンターの材質は石材に木材を打ち付けた物だ。新たに置かれる皿の音から中に空洞は作られていないと判断する。
アリアは考える。魔術により土や泥から石を精製することは可能だ。ならば空洞でなくとも中に何かを埋め込むことができるのではないか? このカウンターに対する嫌疑は、裏側、調理場に出入りしてみなくては晴れないことを理解する。頭の中で調理係か食材の運搬係に辿り着く手順をシミュレートし、焼き付けた。
「これ、どんな料理なんですか?」
「ハーブを茹でてペーストにしたのにオイルを混ぜてるんだよ。塩とスパイスを入れてね。それだけだとちょっと辛いかもしれないからパンに付けてお食べ」
「わかりました。ありがとうございます」
考察しながらもカウンターを調べる動作は継続する。半分を経過して、あからさまに怪しいという箇所は見当たらない。
「ニウ、お目当てのが来たよ」
「大きいの、一番大きいのはどれかな?」
アリアは白身魚のムニエルを前に食い意地を発揮するニウニに苦笑した。
「魚、好きなのかい? 焼きたてのをあげよう、これが一番大きいだろう」
ニウニの言葉を聞いた調理係が他のものより一回り大きいムニエルを差し出した。
「ありがとうございます!」
「ニウ、良かったね」
「新しい子だろ? いっぱい食っていっぱい働きなよ!」
「はい!」
「はい」
最後にスープをもらい、テーブルへと移動する。表面上、カウンターに怪しい場所は見当たらない。
「そこの若人、ちょっと待った」
歩いていると、背後から声が掛かった。前方に立ち歩く人影はない。アリアとニウニが振り向く。
「私たちですか?」
「そうそう、君たち。三階の新しい子たちだろ? ああ、あたしはアンナ。君らの先輩。よろしく」
「アリアです。よろしくお願いします」
「ニウニです。よろしくお願いします」
食事の乗ったトレイを持っているため、二人は目礼程度の会釈で済ませた。
「こんなお辞儀ですみません、アンナさん」
「気にしない気にしない。で、新人は固まって座ることになってんの。というか、同期は大体同じテーブルなんだよ。教えてやるからついて来な」
その言葉を聞き、アリアはテーブルに魔力を計測するものが置いているという疑念を強くしながら返事をする。
「はい」
アンナの背を追いながら、アリアは各テーブルの配置物を頭に入れる。他と一致しない物があればそれが魔力を計測するものである可能性が高いからだ。
「ここがクレアさんの席。お世話になるだろうししっかり覚えときなよ」
「覚えておきます」
「わかりました」
今のところ、テーブルの上にこれといって不審なものは見当たらない。テーブルにはクロスが掛けられているため、その下に仕込まれているという可能性も否定できずにいる。可能そうであれば、食後の片付けを引き受けて確かめるべきだろうと頭に焼き付ける。
「ここがあたしの席。君らの席は二つ隣だね。カロル、食べたら叩くからね」
アンナはテーブルに自分の食事を置いて、その隣に座る垂れた犬の耳の女性に声を掛けた。
「ダメ。パテ交換してくれるなら考える」
「サラダと交換しようか?」
「……ムニエル」
「浴場の掃除替わるのやめようか」
「わかった。食べない」
アンナは溜め息を一つ吐き、カロルと呼ばれた女性を紹介した。
「こいつはあたしのルームメイト。カロル。食い意地張るようだったら水を掛けてやれば良いから」
「なんてこと教えるの?」
「ええっと、カロルさん。私はアリアと言います。これからよろしくお願いします」
放っておくといつまでも席に行けそうにないと判断したアリアは少し強引に自己紹介で割り込んだ。カロルがアリアに向き直る。
「ニウニです。よろしくお願いします」
カロルはニウニに視線を送るが、すぐにアリアへと戻した。
「小さいね」
「その分、頑張ります」
「頑張って」
カロルはアリアへの興味を失ったのか、じっとテーブルに置かれたムニエルに視線を注いだ。
「じゃ、あっちだね」
再びアンナの先導が始まる。
「椅子はどこでも良いよ。早い者勝ち。テーブルだけ覚えとけば大丈夫。後から来るから大丈夫だとか思っても、たまに間違える子もいるから気をつけなよ」
「はい」
「で、ここが君らの席だね。大丈夫? 覚えられそう?」
アリアは食堂の出入り口、シャンデリア、カウンターからの距離と同時に各方向からのテーブルの個数を記憶する。念のため頭に焼き付けた。
「大丈夫です。アンナさん、案内してくれてありがとうございました」
「ありがとうございました」
アリアはニウニと二人、食事を載せたトレイをテーブルへと置いてから一礼する。
「いいよいいよ。放っておいたら面倒になるのあたしらだしね。それじゃ、またね」
「はい、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
顔を上げた二人に手を振りながら、アンナは自分のテーブルへと戻っていった。それを見送り、二人は椅子に腰掛ける。
アリアはテーブルの上へと目をやった。長方形の六人掛けのテーブル。その上には他のテーブルと違うものなど置かれてはいない。アリアはどうにかクロスを引っくり返せないものかと思うも、考えるまでもなく後片付けまではできそうにもないと判断する。新人に任せる仕事としては丁度良いものだろう、運が良ければ確かめられるかもしれないと思うことにした。
そこでふと思いつく。もし本当に魔力の計測などしているのなら、少なくとも新人に後片付けなどさせないのではないか、と。少なくとも自分ならそんな事態は回避しようとするだろう。顔を顰めたくなる衝動を理性で押し留める。ここに来て最も濃厚になっている可能性を確かめる術がないことに気付いたからだ。状況打破の思考実験もすぐさま袋小路に迷い込む。糸口すら見当たらない。思考実験の中では比較的可能性の高い食器を落とすなどという案も、愚という判断の下却下する。
良い手が思いつかず、気晴らしに首を回す。ふと見ると、入り口で二人の少女がクレアに呼び止められている。あれが同期の新人なのだろうと納得して次に視線を飛ばす。
そろそろ食事の五分前程である。カウンターには行列ができていた。滑り込むとああなるのだろう。明日以降、クレアが呼びに来た時点で準備を整えておくと頭に焼き付る。同時に明日以降は自力での起床という可能性も視野に入れ、メモに加えておいた。
視線を後ろに向ける。私服のまま席に着く者たちの姿が目に入った。休日も、朝食は食堂で取ることができるようだ。現在の所持金と紐付け得心する。アリアを含め、無一文の人間もいるのだ。
テーブルに目を移す。向かい側の席ではニウニが落ち着きなくムニエルの様子を窺っていた。その場に適した受け答えをニウニに教え込むというメモが頭を掠めた。アリアはニウニに声を掛ける。
「ニウー、挨拶や返事は私の後についてすれば良いんじゃないんだよ?」
「う、うん。ごめん」
アリアは溜め息を漏らす。恐らく目上の相手と話したり、堅い言葉を使うことに慣れていないのだろう。
「カウンターでは良い感じだったのにね?」
「難しい、かなー。はは」
「うーん。どうしようかな」
ニウニの態度を思い返す。料理を前にした時にはリラックスできていたが周りが見えていなかったし、相手がクレアやアンナになると途端に萎縮してしまっていた。足して二で割ればまだましな状態になるかもしれないが、そう簡単にできることでもないだろう。アリアはニウニ向けのマナー講習カリキュラムを頭の中で組み上げる。
ニウニが緊張するのは何故か。それをテーマにアリアは思索を開始した。
まず例として、自分がどんなときに緊張するかを思い返す。生前から今まで、アリアが緊張を感じる場面は不安を抱えている時だった。どうすれば良いか分からない、それで良いのか分からない、成功するか分からない、受け入れられるか分からない、概ね、そういった思考が頭を掠めた際に緊張を感じた。まずそれを解消する方法を取ると同時に、ニウニが緊張する場面を観察するのが良いだろう。アリアは自分を一般的な精神の持ち主だなどとは思っていない。前世の記憶、それも対の性別を持っていた者が一般的であるはずもないと断じている。そして仮に一般的な人物を二人用意した場合にも、どうしても個人差が表れるものだと理解している。だからこそ比較的すぐにできる知識の教示と同時に、長期的に差分を取り、根本から解決すべきだろうという結論を出す。
次に、ニウニに不足した知識を羅列する。
一つは言葉遣いと語彙、そしてそれを状況と合致させる経験。
更には所作と姿勢、それが周囲に与える影響への理解。
最後に、状況と立場を正しく理解する感覚。
始めの二つは、まず無難なものを身に付けさせるところから始めれば良いだろう。よりその場に即した形を目指すためにはどうしても最後の感覚が必要になってくる。逆に、ある程度形にさえなっていれば、多少その場にそぐわなくともこれといって問題にならない場合が多いのだ。
仕事の合間か、仕事が終わってからニウニに言葉の使い方と動作の見せ方を身に付かせ、仕事の間にそれを磨かせる。その方針に決めた。
「ここが君らの席。覚えられそう?」
アンナの声に思索が中断される。得た結論を頭に焼き付けておく。見れば、二人組みの少女がアンナに連れられて傍までやってきていた。
「え、えーっと」
「多分、大丈夫だと思います」
自信の無さそうな声を出す二人。先ほどクレアと話していた二人とはまた違う。
「ダメそうだったらそこのアリアを探すと良い。覚えてるでしょ?」
「はい。ばっちり覚えてますよ」
アンナの問いに答え、ニウニに視線を送る。
「ニウ」
「うん」
ニウニに声をやって立ち上がった。
「アリアです。これからよろしくお願いしますね」
「ニウニです。よろしくお願いします」
アリアとニウニは揃って一礼する。礼を受けた二人も慌てて礼を返した。
「エモニです。よろしくお願いします」
「ホズンです。よろしくお願いします」
少し背が高いエモニと、牛のような角と耳をしたホズンが顔を上げたのを見届けてからアリアは口を開いた。
「アンナさん、もしかしてもう一組も案内するつもりですか?」
「最後はクレアさんと一緒に来るでしょ。ねぼすけの顔はばっちり覚えとくけどね」
「そうですか。私もついて行こうかと思ったんですけど、残念です」
「そんな面白いものでもないだろ? っと、もうすぐ時間だね。あたしはもう戻らせてもらうよ。またね」
「はい。それではまた」
アンナはさして慌てる様子もなく手を振り、自分のテーブルへと戻っていった。再度それを見送り、椅子に腰掛ける。
「椅子は自由だそうですよ」
アリアは礼を言い逃したて所在をなくしていた二人に声を掛ける。二人ははっとした顔をしてそれぞれ向かい合うように椅子に座った。
この二人にも相応の教育が必要そうだと考えながら、アリアは軽く辺りの様子を探った。クレアが二人の少女を伴ってこちらに歩いてきているのが見えた。
この分ではそう多くを話すこともできないだろうと判断し、ざっと思いついた話題は次の機会へとストックすべく頭に焼き付けておいた。
アリアは頭のメモから、食堂に入った時に感じた自らの思惟への違和感を拾い上げる。何かを見落としている感覚、それが姿を伴って現れた。
クレアと伴にテーブルへと歩いてくる少女を見て、アリアは一つの事実に気付く。魔力の有無だけを見るならば、そもそも何ら特別な器具など必要ないことに。
少女の肩に止まった珍しい色の精霊を盗み見る。魔力の有無を察知するには、その人物が精霊を纏っているかどうかを見ればそれだけで事足りるのだと思い至る。
アリアは自分の不覚を悟った。魔力量の計測、果たしてそれは器具が必要なものなのだろうか? そんな根本的な疑念がアリアを埋め尽くしていく。