アリアの懸念
アリアは考察する。仮に自分を召抱えたのが魔術師の資質によるものであれば、それはどの段階で選定されるだろうか。まずは、購入。魔力の量を計測できるであれば、この段階で魔力の多い者に絞ることができるだろう。採用の際にもこの基準を使い回すことができる。人の場合は、魔力を基準に。亜人であれば基準などなくても良いかもしれない。
そうして戦力としての可能性が期待できるものをあのタコ部屋に入れるのだ。そこから仕事の覚えが早い亜人を召抱える。人の場合は魔術の源となる者と交信できる素振りのある者を召抱える。
アリアは一度その思考を破棄した。魔術の源となる者と交信できる素振りとは何だ? どうやって選り分ける? 結論に到達し得ない思惟の袋小路だと断じたのだ。
前提を一つ戻して思索を再開する。魔力を持つだけで戦力としての可能性を引き伸ばすという仮説を立てた。
彼女の知る魔力。それは魔術の源へと受け渡す対価である。これまで深く考えなかった魔術とは何かというテーマで思考を開始する。
アリアはまず、魔術のメカニズムをシステムとして分解した。ある機構へと動力を注入することで発揮されるのが魔術だと仮定した場合、魔力とは燃料である。燃料を投入することでそれが持つエネルギーを取り出すのだ。
魔力が燃料である場合、魔力量の多い人材を集める価値があると考えられる推論を並べる。
一つ目は、魔力の保存及び抽出だ。魔力は概ね一日毎に総魔力量の半分程度を回復する。それを保存、抽出できるのであれば、一人の魔術師では考えられない莫大な量の魔力を扱うことができるかもしれない。この点に関しては保存の効率如何により結果が大きく変わるため結論は出せない。
この方法が最も効果的な推測としては、一定以上の保存性が確保されており、魔力を持たない存在に扱うことができる場合、だろうか。
一定以上の保存性が存在するのであれば純粋に魔力の補給用途として魔力の多い人材を使用できる。それがもし魔力を持たない存在に扱うことができるのであれば、精霊と交信できる者全てに魔術師としての資格が与えられることになる。
二つ目は、魔力を流すだけで効果のある機構の存在だ。魔術を何かしらの器具に固定し、その器具に魔力を流すだけで魔術が発動するような機構が存在するのであれば、魔力の保有者というだけで器具の数だけ魔術を使用できる魔術師と同等の価値を持つことになる。
少し思い返す。魔術の源となる存在、概して精霊と呼ばれる者たちの中でそのような機構に力を貸してくれる者がどれだけいるだろうか。上位の者になれば力の行使に魔力と対話を求める者もいる。アリア自身はそのような上位の存在を一つしか知らないが、他にもいるという話を聞いている。
自我の弱い者たち、上位者の眷属に当たる者たちであれば力を貸してくれるかもしれない。だが、彼らに力を借りた場合の変換効率は悪い。
器具を使った魔術の擬似的な行使ができるとして、それがどの程度の戦力になるかを考える。少なくとも亜人や獣人の戦士と比較すれば強い戦力とは口が裂けても言えない。魔術師はより上位の者と交信できてこそ高い戦闘能力を有すのだ。
次にアリアは、魔術での交信に着目した。一つ自己が持つ魔術への認識に懐疑を持つ。魔術とは、力ある者を呼び出す術であると仮定して思考を進める。
そう考えた場合、魔力とは路銀や贈与物になるだろうか。魔力を以って呼び出し、返礼として魔術の恩恵を受け取る。
この場合魔力を持つ者を集めるメリットを生み出すためには魔力の保存技術が不可欠だ。
一度この思考を凍結し、切り口を変更する。
魔力とは魔術の源へと受け渡す対価である。対価として機能する以上、そこに何かしらの価値が存在するはずなのだ。では、その価値とは何か。
そもそも、魔術の源たる存在は魔力を何に使っているのか。下位の精霊が持つ変換効率の低さから推測する。
恐らく、魔力とは食糧に類するものだ。この場合の変換効率は単に力を借り受ける対象の力不足に起因する。
この場合に考えられる魔力を持つ者を集めるメリットは、精霊に贈与する食糧の増加だろうか。それが起こす可能性のある事象を頭の中で組み上げる。
一つ目に、精霊の住処の作成。安定供給される食糧は周囲の精霊を集める結果を生むだろう。この場合魔力を保存する必要は無い。単に、定められた場所で魔力を開放すれば事足りる。
二つ目に、精霊の育成。下位の精霊を飼いならし、より強い力を持つものに育て上げる。この場合も同様に、魔力を保存する必要はない。
そしてこの二つは共存可能な目的だ。更に言えば、魔力の保存技術があればこの目的が達成される可能性は高まる。
思考を中断する。どれも結論を導くまでの情報が不足しているからだ。そもそも、公爵家が魔力量の多い者を集めているという確証すらない。純粋にアリア自身の能力を買って雇用されたという可能性もない訳ではないのだ。
アリアは一度凝り固まった血を流すように伸びをする。同時にここまで組み上げた推論を頭に焼き付けた。
「リアが読書中に伸びするなんて、珍しいね」
魔力量の如何についてはニウに尋ねれば結論が出るのではないか? 一瞬そんな思い付きが脳裏を駆けるが、アリアはその思考をそっと奥へと閉じ込めた。例え相手がそれなりに信頼関係を築きつつある友人であったとしても、まだ魔術のことを話すべきではないと判断したからだ。
「もうすぐ食事の時間だね」
良い返答が思いつかず、はぐらかす。事実あと五分も経てば朝食の呼びかけが来る頃だろう。何かをするにしては短い猶予にアリアは所在をなくす。
自分自身で魔力の量を探る手はないだろうか。ふとそんなことを思いつく。アリアはそれなりに珍しい程度の魔力量を保有している自分について思いを巡らせる。自分と他人との違いは何か。
部屋中を飛び交う下位の精霊にそっと目をやる。ニウニに感づかれないように。
アリアは現時点で持っている自身の武器を思考の中に並べる。
一つ目に、前世で手に入れることができた知識。
二つ目に、相当量の魔力。
三つ目に、精霊を知覚し、交信できる感覚。
四つ目は、少し頼りないが幼いなりに備えている可能性、だろうか。
「うん。多分今日は魚のムニエルがメインだね。匂いがする」
ニウニの言葉に釣られて鼻を鳴らす。精霊に匂いはない。部屋や互いの匂いにももう慣れてしまって、これといった匂いなど感じなかった。
「ははは、人の鼻じゃ嗅ぎ取れないと思うよ?」
「……だね。全然分からない」
匂い以外を考える。精霊に触れることはできない。精霊を食べることなどない。視覚と、聴覚。そう、聴覚である。
アリアは耳を澄ますことにした。目を瞑る。部屋を飛び回る精霊たちが鳴らす音を感じる。小さく鈴を鳴らすような音だ。自分から溢れ出た魔力を摂取しているのだろうか。
より遠く、部屋の外に同じ音はしないかと更に耳を澄ます。僅かだが、音がする。隣の部屋からだ。その逆の部屋からも。やはり、公爵家は魔力量の多い者を集めているのかと考える。
一つの部屋にまとめられては、この方法で調べることなど不可能だった。エントランスやタコ部屋程度の広さならアリアの魔力だけで精霊が溢れ帰るからだ。野外だったとしても、半径約五十メートルの範囲に精霊が集まってくる。そうなれば誰が魔力を漏らしているかなど判別のしようがない。
「座ったまま寝るの? もうすぐご飯だよ?」
「ちょっと考え事してただけ。うん、もう呼びに来てるね」
耳を澄ませている間に拾った情報を口にする。ニウニの耳が片方だけドアの方に向いた。
「ほんとだ。よく分かったね」
「なんとなくそんな気がしたから」
アリアはもう一度思索を巡らせる。
魔力の計測はもう完了していると見た方が良いだろう。だが、より詳細な量を測るという意味では正式に召抱えてからの方が効率的かもしれない。
もし魔力を計測している素振りを発見した場合には、魔力を持つ人間の『用途』があると考えるべきだ。この思考を強く頭の中に焼き付ける。
頭のメモを確認していると、ドアが叩かれた。
「はい。今参ります」
言いながらアリアはドアへと歩く。ドアを開くと予想通り、教育担当の使用人である婦人が立っていた。二十代の半ばを過ぎようかという齢のクレアである。
「あと三十分で朝食です。準備が出来次第食堂に向かいなさい」
クレアの柔らかい声は、素っ気無い言葉だというのに何故か温かみを感じさせた。
「承知しました。お声を掛けて頂きありがとうございます」
アリアの一礼を見届けたクレアは僅かに微笑む。
「あまり無理をしてはいけませんよ。時には歳相応に振舞うことも大事なのですから」
「はい。休日には羽を伸ばしますから、大丈夫です」
この世界では、五日働く毎に一日の休みを挟む。公爵家の使用人にもまた、その休みが与えられていた。尤も使用人全てに一度に休暇を出す訳にはいかないので、六つのグループに分けてなのだが。
使用人に宛がわれた三階建ての屋敷、それを中央で分けて六つのグループを作っている。グループ毎に休日が一日ずつずれていく。アリアとニウニは当然同じグループであり、クレアもまた同じグループである。
「そうですか。では、遅れないようになさいね」
アリアと言葉を交わし、一礼の後次の部屋へと向かうクレア。その背を少し見送り、アリアは部屋のドアを閉じる。
「ニウ、準備しようか」
「そうだね。早くご飯食べに行こう!」
好物の魚が待ち遠しいのか、いつもより少し逸る様子のニウニにアリアは苦笑する。準備と言っても着替えを済ませ、互いの身嗜みを確認しあうだけのものである。
「時間通りに行けば魚は逃げないよ。そんなことより、おかしい所がないかちゃんと見てよね?」
「うん、うん。ちゃんと見るから早く着替えて」
アリアはいつもより素早く着替えを済ます相方の様子を見て不安を覚え、給金が出たら姿見を買おうと頭に焼き付けておいた。
まず服を脱いだ。脱いだ服は洗濯籠に入れておく。今夜は洗濯物ができるだろうかと思案し、割り振られる仕事次第だと思考を切り捨てた。ベッドに腰掛けて靴を脱ぐ。朝の冷ややかな空気が心地良い。
エプロンドレスのワンピースに背から足を通し、持ち上げる。腕を通して背のボタンを留めてから靴を履きなおす。その状態で一度居住まいを正した。ワンピースは黒地のシンプルなもので、袖付きだ。特に不自然な所は無いと判断し、上から白いエプロンを掛ける。エプロンの紐を結ぶ前に再度全身を検める。着方もバランスも問題ないことを確認してから紐を少し丁寧に結んだ。
彼女も転生した直後には女物の服装に抵抗を感じた。だが、毎日着用する内に一月と経たず割り切るに至る。現在の性別は女であり、不自然な点は何ら存在しないのだ。転生したこと、そしてその性別が女だと理解した時から固めていた覚悟による部分も大きい。
目下の懸念は月のもの、だろうか。生前の妻はかなり重い方だったらしく、震えや吐き気まで催していた。それを間近で見ていた分、恐怖心も煽られるというものだ。いつ始まるのかと戦々恐々の内に日々を過ごしつつ、まだ来る気配のない初潮に何なら生涯来なくても良いとさえ半ば本気で考えている。いくら女物の服装を割り切ったとはいえ、流石に男に抱かれるということには想像すら拒絶反応を起こしてしまうのだ。この世界で子を成すつもりなど彼女にはない。
アリアは再三着こなしを確認した後、ニウニと互いの身嗜みを確認する。
「エプロン、着なおし」
早く食堂に行きたいという意思が見え隠れするような、おざなりなニウニの着こなしに容赦なく駄目出しする。
「えー? これくらい大丈夫だよ」
「ダメだよ。誰がどこを見てるかなんて分からないんだから、できるだけ完璧にしておかないと。私の方は? 大丈夫?」
その場でくるりと回りながら問題ないか尋ねた。
「うーん、悪いところが見当たらない」
「そう。なら手伝うから早くエプロン脱いで」
エプロンを脱がせ、まずワンピースの着方から正す。その後ワンピースとの双方が乱れないよう注意しつつエプロンを掛けさせ、再度エプロンの上から居住まいを整えさせた。エプロンの紐を結んで、最後に全身を確認する。
「これなら大丈夫だね。食堂に行こうか」
開いた窓から外の様子を見る。今日は雨が降りそうな様子もない。窓は開けたまま仕事に出ることにした。足をドアへと向かわせる。
「もう毎日リアが着させてくれたら良いのに」
「ならニウが私のご主人様にならないとね。多分、そんなに高くないからちょっと頑張ればなれるよ」
部屋から出て鍵を掛ける。昨日の内に、鍵はアリアが預かることに決まっていた。
「リアを雇えるくらい稼げる頃には凄く高くなってそうな気がする」
「どうだろう。そうだと良いね」
アリアの奴隷という身の上からすれば、高い給金など望みは薄い。奴隷が得られる賃金は、概ね同程度の能力の一般人と比べ半額程度になるからだ。奴隷には職業選択の自由がない。割の良い職に転職するなどできるはずもないので結果的にどうしても安い給金で働くしかなくなる。
では何が高くなるかと言えば、奴隷の売買価格だ。奴隷自身が自分を買い上げる価格というものは奴隷商から売り払われる際に契約で決まっている。ただ、それはあくまで奴隷自身が奴隷という身分から開放されるために必要な費用である。もし奴隷の所有権をやりとりするのであれば、能力や容姿などの価値に見合う市場価格が付けられる。その際、奴隷が自身を買い上げるための契約は変更されない。つまり、買ったは良いが翌日には開放することになった、という事も起こり得るのだ。奴隷をやり取りする場合、後に禍根を残さないよう取引時点での奴隷の資産額、そして奴隷自身の価格を開示するのが一般的だ。
アリアは自身を買うために必要な期間を概算してみた。約五年というところだろう。これは給金を半分ずつ貯蓄した場合に必要な期間である。途中、何度かは給金が上がることも考えられるし、急遽必要になる出費もあるだろう。そこまでを予測に組み込むことは、現時点ではできない。そのため、謂わば開放までの目標年数として捉える他には使い道のない数字だ。
足を進めている内に階段まで到達する。食堂は一階にある。水や食材を上階まで運ぶというのは現実的ではないからだ。最低限の生活用水は各階へと自分達で運ぶことになるが、重労働である。家人のためならいざ知らず、無理に利便性の低い高所での食事を楽しもうという使用人は存在しない。アリアは思考のテーマとして、水道技術の考察と頭に焼き付けておいた。
階段まで出ると、そろそろ食堂に移動している使用人たちが目に入る。数からすると、どうやら三階のもう一グループは今日が休暇らしいと当たりをつけた。当然と言えば当然なのだが、アリアたちの初めての休みは五日後なのだろうと思い至る。
「おはようございます」
アリアは声が届きそうな使用人には全て挨拶をしておくことにする。声色や態度で好意のポーズを取っておけばそう邪険にされることもない。生前学んだことではあるが、ただ好意的に挨拶するというだけで案外敵ができにくいものなのだ。敵は少ない方が良い、味方は多いに越したことはない。例え浅いものでも、交友は広げておいた方が良いだろう。
「お、おはようございます」
ニウニが慌てて追随した。
「おはよう。新しい子たちかな?」
「はい。アリアって言います。よろしくお願いしますね」
「ニウニです。よろしくお願いします」
「私はリノア。よろしくね。何か困ったことがあったら……クレアさんに聞くと良いよ」
リノアの様子からは邪険にするような素振りは読み取れない。ならば当たり障りのない話をしておくのが妥当だろう。
「クレアさんなら丁度私たちの指導をしてくださいます」
「だろうね。クレアさん、優しいけど怒らせたら怖いから注意しておいた方が良いよ」
「わかりました。ニウ、怒らせないようにしてね?」
「わかってるよぅ」
「アリアちゃん、小さいのにしっかりしてるね」
リノアは興味深そうにアリアの様子を眺めながら、ウサギのような耳を片方だけ身動ぎさせた。
「仕事も早くしっかりできるように頑張ります」
「小さいんだから無理しないようにね。同じ場所の掃除になったらいろいろ教えてあげるよ」
悪戯っぽくウィンクするリノア。同時に身動きしなかった耳が中ほどでお辞儀するように折れる。
「ありがとうございます。仕事で一緒になったらよろしくお願いしますね」
話している間に食堂へと到着した。
アリアは頭のメモを引き出し、要点を想起する。
魔力を計測する素振りがないか、まずはそれを見定める必要があるだろう。