アリアと夜会 序
アリアは上手い方法を見つけることができず、少し思考するのを保留して辺りを見回す。
アンナとカロルの姿はまだ見えない。仕事が長引いているのだろうか? この屋敷ではそういった場合に備え、夕食は二度用意される。アリアたちが食堂に入っている現在、生前で言うところの午後七時頃の食事と、その約二時間後の午後九時頃の食事だ。その都合上、夕食は温め直すだけで済む煮込み料理が多い。カウンターに人が並ぶのを見て皿に取り分けられる料理は未だに温かい。
物に魔術を込める術を体系化することができたら、皿に暖めたり冷ましたりする魔術を込められるのではないかなどと考えながら、アリアは次のテーブルに目をやった。クレアのテーブルだ。彼女は当然のように既に椅子に座っていて、微動だにせず姿勢を正している。まだエプロンドレスを着込んでいるところを見ると、夕食の後にも何か仕事があるのだろうか? 自分たち六人の評価や、今後与える仕事、仕事道具の手配、指導の経過報告、といったところだろうか。
考えながら視線を前に戻したアリアの目にリノアの姿が映る。言動には愉快犯めいた思惑が見え隠れする彼女であるが、その所作は流石と言うべきか流麗の一言だ。
リノアが座ったテーブルの位置をなんとなく頭の隅に入れながらアリアは食堂全体を見渡す。
アリアのグループのテーブルは十脚。一テーブル六人だと考えると、一グループの人数は60名ということになる。当然他のグループも同様だろう。つまり、この屋敷の総勢は360名ということだろうか。
ただ当然のように各グループに欠員もあるだろうし、調理係が厨房から出て席に着く姿は見えない。恐らく、彼女たちは厨房の奥にでもあるだろう別室で食事を取るのだろう。それは360という数字は目安にしかなりそうにないということでもある。
考えていたアリアは思いがけない人物を見つけた。自分たちより七日早く屋敷に入った知人、ミールとカテナの二人組を見つけたのだ。彼女たちはどうやらリノアと同じグループに振り分けられているらしい。
アリアは駆け出したい衝動を抑えて二人を見やる。疲れ果てた様子のミールにカテナが苦笑を浮かべていた。一週間早くこの屋敷に入っている彼女たちは、既にリノアの言っていたお楽しみの仕事に入っているのだろう。ミールの様子に反してカテナはそう疲れた様子もない。やはり次の週に控えている仕事は体力仕事のようだ。
あの二人にどう接触したものか、それを考える前にアリアは自分のテーブルに到着した。思考を切り替え、椅子に座る。今考えるべきは、エモニとホズンに何をどう教えるかだと思い直して。
「早いですね」
「この子が早く来たいって聞かなくて」
エモニがバスケットに目を落として答えた。事情を知っているアリアたちなら兎も角、傍から聞けばホズンが食い意地を張っているようにしか聞こえない言葉ではある。幸いホズンはそのことに思い当たっていないようだが。
二人を誘うにしても、食後の方が良いだろうか? 考えながら当たり障りのない言葉を返す。
「ここのご飯、美味しいですからね。私も待ち遠しいです」
周囲からの目線に温かいものが混ざるのを感じるが、アリアは気にせずテーブルの上にバスケットを置く。エモニのバスケットの横に並べた。
エモニのバスケットの中には青い精霊が入っているはずだ。クレアの部屋に残った緑の精霊はこの場に来ているのだろうか? どちらにしても四人を集めるというのは難しい。一度誰かの部屋に集まらなければならないだろう。もしくは、クレアが部屋で言ったように窓伝いに集まらせるという方法も考えられる。
「お待たせ。って言ってもまだ食べられないか」
考えていると、カナルの声が届いた。カナルもまたバスケットを他の二つと並べて置く。
「そうですね。でももうすぐですよ」
目に入ったルイナの姿に、アリアは浴場へ向かう際に交わした言葉を思い返す。今日、唐突に姿を変えた四人の精霊。それに関連しそうな伝承の話だ。食後にでも時間を取るべきだろうと考えていると、ルイナと目が合った。
意味ありげに頷くルイナを見て、アリアも頷き返しておく。エモニに話すことと、ルイナから聞くこと、どちらも落ち着いた場所で話さなければならない。とりあえず、その約束を先に取り付けておこうとアリアが口を開いた。
「夕食の後、相談したいことがあるんです。一度誰かの部屋に集まりませんか?」
「私の部屋が一番近い」
アリアの言葉に返答したのはルイナだ。近いとは階段との距離のことだろう。カナルも心得たもので、即座に補足する。
「私たちの部屋で話そう。エモニさんとホズンさんも来る?」
「はい。お邪魔でなければ」
これで場所と時間の確保はできた。そう安堵する間もなくアリアは更に考えを巡らせる。
考えている途中に食事が始まった。アリアは構わず思索を続ける。話し合いの段取りという程ではないが、どういった順番で何を話すかを決めていく。
まずはルイナから精霊の話を聞いておくべきだろう。何にしても情報が足りないのだ。先に歌の扱いを決めれば、この話によってその決定が覆る恐れも小さいがあるにはある。
次に懸念を潰しておくべきだろう、エモニに歌のことを伝える。できることなら自分と、エモニ、カナルの歌の違いを探りたいと頭の中に焼き付けておく。そう都合よく当たりを引けるとも思えないが、行動しないよりはましだ。
最後に、教育の話を持っていく。これはルイナとカナルには必要ないだろうことではあるが、わざわざ話し合いの後でもう一度集まるというのも馬鹿げているし、夜間にそういった取り組み行うということだけでも伝えておいて損はないだろう。
思考を続けながら、アリアはサラダを口に運んだ。今朝カナルが指摘した通り、少し酸味が抑えられていて隣にレモンが添えられている。これなら角切りにしたレモンを混ぜて触感を変えるのも面白いかもしれないと思い、味を想像してみる。
残念ながら思考の中ではレモンの酸味が強くなりすぎ、味を潰してしまった。厨房で料理を試作できるようなら、入れるようになり次第自分で試してみようと頭に留めておく。
次にアリアは、棚上げしていた教育の方法を頭の中で吟味する。
基本的にニウニとエモニに施すものは同様でも構わない。今日の時点で見ることのできる適性も能力も概ね一致しているからだ。少し留意する点が違う程度だろう。
問題は、エモニだ。三人を並べると、一人だけ突出して不可がない。教えるものが、技能と知識ではなく心構えを中心としたものになりそうなのだ。
単なる技能や知識であれば、覚え込ませるだけでも多少なりとも変わる。変化が見えれば、次第にそれが心持にまで影響が出るものだ。エモニにはその取っ掛かりがない。もちろん探せばあるのだろうが、今はその探す時間も機会もない。
いっそ、教える側のことを教えたほうが早そうだ。アリアはその思いつきに妙な据わりの良さを感じた。教える方法を教える。エモニに対する教育の方針が固まった。
人知れず安堵しながら、アリアは牛のワイン煮込みを口にした。思わず目を閉じて味わうことに専念する。
柔らかく、それでいて油のようなしつこさがない。深いこくと牛そのものの味が口に広がり、柔らかく解け、馴染むように消えていった。生前を含め、最も美味しいワイン煮込みだとアリアは心中断言する。
目を開くと、ニウニが探るような視線を向けていた。
「どうしたの?」
ニウニが牛やワイン煮込みを苦手としているような記憶もなく、アリアは心ともなく問いかける。
「ワイン煮込み、食べても良いの?」
アリアはその言葉の意味を探る。思い至ることは、つい先ほどワインを飲ませないと宣言したこと、だろうか。
「火を通してるのは大丈夫なんだよ。煮たワインじゃ酔わないでしょ? 酔うのがだめなの」
「そうなんだ」
アリアは思わず噴出しそうになりながら、牛を頬張るニウニを見やった。ニウニの素直な点は美徳ではあるが、無知な所も可愛げに繋がっているように思える。
「うん。おいひいね」
満面の笑みで租借するニウニに微笑ましいものを感じながらもアリアは注意する。
「飲み込んでから喋るように」
ニウニには食事の作法から教えた方が良いかもしれないとアリアは頭の中のメモの修正を検討した。
「ん、うん、ごめん」
今度はきちんと口に入れたものを嚥下してからニウニが声を上げる。
「うん、許す。次からもちゃんと飲み込んでから喋るんだよ?」
「わかった」
ニウニの僅かに垂れ下がった耳を見ながらアリアが続ける。
「そんなに美味しいなら分けてあげようか。ホズンさんもいります?」
「いいの?」
アリアの言葉にぴくりと耳を跳ねさせてホズンが問い返した。
「食べ切れませんから、できれば食べてください」
苦笑の苦みをどうにか消しながら、アリアはワイン煮込みの半分を二人に分け与える。
二人の評価が上がっていけば、メインを二皿貰うことができるようになるだろうか? アリアはそんな下らないことを考えた。今はまだ自分の胃が小さいからこそ分け与えているが、しばらくするとそれでは足りなくなるだろうと考えているからだ。
特に、彼女は起きている間のほとんどの時間を使い何かを考えている。考えるという行為は、思いの外カロリーを消費するのだ。それで常人以上、具体的に言えば成人男性程に大食いになるということはないだろうが、一般的な成人女性と同程度以上には食糧を必要とするだろう。アリアはそうなった時を懸念している。
とはいってもそこまで成長するのもまだまだ先なのだ。それに生命や身体に重大な影響を与えるような大それた問題でもないと切って捨て、ポタージュスープを口に運んだ。
食べながら、アリアは集団寝室で受けた教育を思い返す。基本的には体力作りと規則正しい生活を体に馴染ませる期間でしかなかったと記憶している。
今思えば、貴重な体力作りの期間を早々に手放してしまったことになる。それが失敗だったか、それを評価すればそれ程失敗に繋がる要素でもないと思い至った。
アリアには、今度こそ手遅れになるかもしれないという思いがある。それは自分自身の死や、彼女の故郷で起きた惨劇を再び味わうことになるのではないかという恐怖だ。親しくなった者の死、近しい者の死、それをまた味わうのかと思うだけで彼女の心はどうしようもなく急き立てられる。
それは極端に言えば保身という心の動きだ。自らの心を守るために、彼女は手の届く者、せめて親しい者だけでも守りたいと思うようになっていた。
だからこそ、体力作り以上に情報収集や行動に出られるだけの地盤固めを優先したのだ。それをするためには、まずあの部屋から抜け出さなければならなかった。失敗だと思う前に、できることを増やす行動を取るべきだろうと自らを戒めながら最後の一口のパンを口に運んだ。
アリアが食事を終えたのはやはり六人のうちで一番最後だった。五人は特に急かすでもなくアリアを眺めていた。見られると食べ難い、などと繊細を気取る気もないアリアは構わず食事を続けるのだが、食べ終えた直後だというのに羨ましそうに見つめ続けるニウニの視線だけはしばらく慣れそうにないと感じている。
食後、既に恒例になっている食器の返却とテーブルの掃除を終えて席を立つ。夕食の後には希望者に紅茶が振舞われるのだが、今日は辞退する事にした。ニウニは少しばかり気掛かりだったようだが、相談にどれだけ時間が掛かるか計り切れない今日だけはそれを無視する事に決める。明日は紅茶も楽しむことにしようと頭に焼き付けながら、アリアはルイナとカナルの部屋に入った。
さてと気持ちを切り替え、アリアはまず話すべきことを頭の中で再度整理した。
人の形をした精霊の物語、そこに何か隠されているものはないか。気構えを整えながら、アリアはルイナの言葉に耳を傾ける。