アリアの仕事上がり
今度こそ仕事上がりです。
前の回を大幅に修正しているので、この回から読まれると話の繋がりが見えないかもしれません。
ご注意ください。
アリアは一度、考えるのをやめた。無心で針を躍らせる。糸を通し、糸を絡ませて、次々に形を作っていく。念動の魔術で、ニウニとホズンの布を交互に切り取りながら糸で繋いだ。
魔術を縫い付けたクロスの作成。その作業を一旦終え、今日終わらせるべき仕事に取り掛かる。時刻は陽に赤みが強くなりだす頃である。
遅々として進まない湧水のクロスの作成にばかり感けている訳にもいかない。残りの布を全て縫い終えたら、今日の仕事は終わることになった。
仕事を終えるには少し早い時間帯だ。その後は、浴場で湯船に浸かりながらクロスの製法を整理することにした。その後には夕食である。
物作りというのは、羽休めの間にふと思いついたことが有用に働くことも多いのだ。今回はそれを期待することにした。
アリアは魔術での裁縫と共に、手作業でもクロスを縫う。もちろんその間に請われた歌を歌うことも忘れない。ただの手作業より余程早くクロスを縫い上げていく。
布の周りをぐるりと縫い進め、最後の一辺を僅かに残して裏返す。そして再度同じように一周する。次は最後まで。これでクロスの出来上がりである。
アリアが魔術を解禁したからか、凄まじいペースで消費されていく布は陽が落ちる前に底を突いた。
ニウニとホズンがそれぞれ最後の一枚を縫っているのを尻目に今後を話し合うことにした。
「アリアさん。本当にこのクロスのことを報告しても良いのですか?」
「はい。私が作ったとばれなければ大丈夫です」
「そうですか……縫い方も綺麗で、作りもしっかりしています。誰も見習いが縫ったとは思わないでしょう」
湧水の魔術を縫い付けたクロスは、やはり公爵に報告することになった。
アリアもクレアもこのクロスに魔力を流す感覚が他のクロスに魔力を流す感覚と違うことを理解してる。そして、感覚違いのクロスはそれだけではない。
そのどれにしても、この場にいる七人ではどのような変化が起きているのかすら調べる手立てがないのだ。なら、専門家に解析を依頼して結果を聞いた方が建設的である。
しかしアリアにそのような伝はない。なら、調べたがるだろう人物に渡してその情報を預かる方法を取るべきだろう。確実性は下がるものの、その方法ならリスクを分散することができるのだから。
「ちゃんと調べてくれるでしょうか?」
「ええ。この屋敷の主人ならこのクロスの価値を一目で理解されるはずです。心配はありませんよ」
クレアのその言葉に、アリアは頷きと声を返す。
「はい。私たちが持っていても仕方のないものですからね。拭き掃除には便利かもしれませんが……次もちゃんとできるか分からないですから。普段使いするなら、また作れるようになってからでないと」
アリアの言葉に、クレアは納得したように頷きを返した。
「では、この七人でこっそり作り方を調べてみましょう。このクロスを何枚も作ることができれば掃除に便利ですからね」
「ところで、この子たちはどうするのですか? 屋敷を連れ歩いては悪目立ちしてしまいますよ」
いつの間にか人の形になっていた四人の精霊を目で指しながらクレアが言った。
小さくはあるが、人と同じ姿の精霊。しかもその四人の顔はどことなくアリアに似ているのだ。アリアがこの四人を引き連れていて関係を疑わない者などいないだろう。
「そうですね……クレアさんの部屋で預かってくれませんか?」
アリアの言葉を聞いて三人の精霊が声を上げる。
「アリアのところに行きたい」
「私はカナルのところ。いつも一緒だったもん」
「エモニのところが良い」
アリア、クレア、カナル、エモニが顔を見合わせた。
「えっと、きみは?」
アリアが唯一声を上げなかった緑の精霊にどうするつもりなのか尋ねた。
「ここ」
「そう」
精霊の四人が四人、別々の人四人を気に入ったようだ。アリアは額に指を置いて溜め息を吐く。
「どうします?」
クレアが少し考え込み、そして口を開く。
「夜なら窓の外を伝って好きな部屋に行けば良いでしょう。ですが、昼にこれまで通り出歩くのは難しいですね。服か、荷物か、兎に角どこかに隠れて私たち以外に見つからないようにしなければなりません」
「そうですね。えっと、ちょっとここに入ってみて」
アリアは白い精霊を手招きしてエプロンドレスの懐にある隙間に入るよう指示した。そして三人に向き直る。
「これで、どうでしょうか」
「アリアちゃん。お腹が光って見えるよ、却下だね」
「そうなると、バスケットの中ですか?」
エモニが掲げたバスケットの中に彼女を気に入ったらしい青い精霊が飛び込んだ。
「うん、クロスで仕切っておけば見えないですね」
「浴場に行く時には隠しようがなくなります。その間は、部屋で留守番を頼みましょう」
仮に持ち物に隠していても、誤って覗かれるなどあっては目も当てられない。クレアの方針に従うことにする。
それぞれの精霊は、白はアリア、緑はクレア、紫はカナル、青はエモニがそれぞれ預かることになった。
その他、屋敷の中での細かい取り決めを決めていく余所で、アリアは故郷と言う言葉に引っかかりを覚えて記憶を遡っていた。
前世の故郷、体感時間で既に二十五年程前の記憶。生前、職に就く頃には既に取り壊された母校と、旧家への帰り道である。その跡地も、実家も、もう帰ることは叶わない。そう考えると、どうしようもなく湧いて出る哀愁というものを感じる。
生前、雨宮隆司として死亡した頃にはまだ両親は存命だった。とんだ親不孝をしてしまったものだと心中独り呟く。同時に、連れ合いには苦労をかけてしまっただろうと苦悶する。
死因は取引先への移動中に交通事故に巻き込まれたのだったか。生前の妻は、保険金を受け取ることはできただろうか。もう確かめる術すらない。まだ存命かすら知れないのだ。答えの出ない想いに蓋をするように、彼女は目を瞑り、現在に思考を戻す。
「できた!」
ニウニのようやく開放されたとでも言うような声で現実に引き戻される。
「できた」
ホズンも声を上げる。見れば、二人とも最後のクロスを縫い終わったようだ。
精霊の扱いについても粗方話が終わっている。
「それでは、今日の仕事はここまでとしましょう。夕食まで時間がありますね。浴場に向かっても、何か別のことをしながら時間を待っても構いませんよ」
「クレアさん。今日はご指導ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ思いもよらない物を拝見させて頂いてありがとうございます」
そのクレアの返答に、思わずアリアは苦笑した。思いもよらないもの、あのクロスは彼女にとってもまさにそうとしか言えないものだ。
「今日の仕事は終わりましたから、普段着に着替えて食事しても構いませんよ」
「わかりました。後片付けの手伝いはいりませんか?」
「構いません。もう少し試したいこともありますから」
「そうですか。なら、お邪魔にならないように失礼しますね」
言いながら立ち上がり、アリアはクレアに一礼した。他の五人も後に続いて頭を下げる。
「明日から少し仕事を多くします。今日はゆっくり休みなさい」
アリアが礼を終えるのを見届けてから立ち上がり、クレアも返礼した。
アリアが返事をしようとするより早く、三人の精霊がそれぞれ向かおうとしている部屋の主のバスケットへと潜り込んだ。アリアは苦笑し、クレアの部屋から退出する。
四人とそれぞれの部屋の前で別れながら廊下を歩く。アリアの部屋がクレアの部屋からも階段からも一番遠くだった。
「んー、裁縫って難しいね」
ニウニが伸びをしながら声を上げる。耳もぷるぷると反り返る。
「そうだね。でも、練習すれば上手くできるよ」
「リアは練習しなくても何でもこなすじゃん」
伸びから戻ったニウニが口を尖らせて反論する。耳が拗ねたようにゆらゆらと揺れた。
「そんなことないよ。昔、練習したことがあったから」
「……そうなんだ」
アリアの故郷の話を聞いていたのだろう、ニウニはばつが悪そうな顔で目を伏せた。気にするな、などと言っても逆効果だろうと判断したアリアは話題を変えることにする。
「ニウ。この後、お風呂にする? 他に何かしたいこととかある?」
「眠りたい。けど、今寝たら晩御飯に遅れそうだしお風呂入ろう」
「うん」
ようやく部屋の前に辿り着いたアリアが部屋の鍵を開け、扉を開く。
部屋の窓からは赤く染まった空が見えるが、西日は差し込んでおらず薄暗い。
ニウニにはもう魔術のこともばれているし問題ないだろうと判断して、ランプに魔術で火を燈した。
「便利だよねー、魔術って」
「使いすぎるとちょっと疲れちゃうけどね」
アリアの魔力量、そして魔力の回復量から言えば、縫い物で使う程度の魔力なら使う端から回復してしまうため魔力切れなど起こすはずもないのだが。
考えながらアリアは干していた洗濯物を畳んだ。ニウニの服には少し皺が寄ってしまっているのを見て、後でアイロンを作っておこうと頭に焼き付けた。
「ここがアリアの部屋?」
「うん。私とニウの部屋」
白い精霊がバスケットから顔を出し、きょろきょろと部屋中をみ渡す。
「何も無いね」
「昨日ここに来たばっかりだからね」
白は納得したように頷き、部屋に備え付けられたテーブルに腰掛けた。
クレアの部屋にあったテーブルより一回り小さいものだ。
「お風呂入ってくるから、暇になったらクレアさんの部屋に行きなよ?」
アリアは声を掛けながら着替えを取り出した。ニウニも入浴の準備をしている。
「大丈夫。ここの子たちと話してるから」
「そう。なら、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
アリアはニウニを連れて、ランプをつけたまま部屋を出た。精霊に暗いもなにもないのだが、なんとなく意思疎通できる生き物を暗がりに放っていくということに抵抗を覚えたのだ。
最悪の場合にも特に延焼するような物もないだろうと部屋の様子を思い出しながら鍵を掛ける。
「それじゃ、行こっか」
「うん」
戸締りを確認してから二人は浴場に向けて歩き出した。歩きながら、アリアは今日一日で考えていたことを思い返す。
魔力の保存技術、魔力を流すだけで魔術を利用できる器具、精霊の飼育と育成。元は公爵家の目的を考えている間に立てた仮説であるのだが、図らずも三つの内二つはアリア自身が探り当ててしまった。
魔力の保存。これに関しては、現状材質や保存方法などの検証を一切していないので確実なことはいえないが、恐らく可能ではないかと考えている。もちろん方法に心当たりがある訳ではない。高々歌を歌いながら裁縫をするだけで糸に魔力を纏わせることもできたのだ。不可能だと断言する方が難しい。
更に言えば、湧水のクロスの例を鑑みるにこの技術は魔術を込めた道具の生成に転用できるのではないかとも考えている。魔物という確かな外敵がいるこの世界で、この技術が確立されれば人の住まう街や集落の安全性を高めることができないか。今後思索するテーマの一つとして、アリアはこのことを頭に焼き付けておいた。
不意に背後から掛けられた声に思考を中断させられた。
「アリアちゃん、ニウニさん、お疲れ様。今からお風呂?」
「お疲れ様です。はい、お風呂に行こうと思ってます」
振り返った先に立っていたのはカナルとルイナだった。
「えっと、お疲れ様?」
「お疲れ」
ルイナは本当に疲れた顔をしながら答える。そんなに疲れるようなことをしていただろうか? そう考えながら、どちらかと言うと一番疲れそうなことをしていたのは自分だと思い至るアリア。なら、ルイナのこの表情はどういう皮肉だろうかと考える。もう少し手を抜けといった合図だろうかと考えていると、ルイナが耳元で囁いてきた。
「あの人の形の精霊、私の故郷に物語が伝わってる」
「……詳しく聞いても良いですか?」
ルイナは頷き、続けた。
「精霊を連れた旅人の話で、ずっと御伽噺だと思ってた。人の形をした精霊なんて見たことなかったから」
ルイナが一度周囲に目を走らせる。人が聞き耳を立てていないか確認したのだろう。
「旅の途中で、いつの間にか人の形になってた精霊とその旅人が結婚するの。そういう物語なんだけど、今度詳しく話す」
「お願いします」
顔を離したルイナはもう一度頷き、カナルの隣に戻って行った。
アリアの隣にいたニウニがルイナに声を掛ける。
「その話するとき、私も聞きに行って良い?」
「構わない」
ルイナがそれだけ告げると、カナルの手を引っ張って足早に浴場へと向かっていった。
「ルイナ、急がないでよ。二人とも、またね」
「はい。転ばないように気をつけてくださいね」
振り返って手を振るカナルに手を振り替えして、アリアは小さく零す。
「なんで私なんだろ?」
「リア、頭良さそうだからじゃない?」
ニウニほど気楽に考えられたら、多少は溜め息も減るだろうか。そう考えながらアリアは小さく溜め息を吐いた。
脱衣所で服を脱いで浴場に入る。まだ時間も早く人の姿は疎らだった。
軽く浴場を見渡すと、ルイナとカナル、ホズンとエモニの二人組みの姿がある。
どちらも人が亜人の世話をしているような状態だ。ルイナは完全にリラックスしてカナルに身を委ね、逆にホズンは少し緊張したように身を硬くしながらエモニにされるがままになっている。
ルイナは世話を受けるお嬢様、ホズンは風呂嫌いだが無理矢理洗われている妹、といった風である。
アリアも適当な場所に腰掛け、体を洗う。ニウニはアリアの隣に腰を下ろした。
手早く体を洗い流してから湯船に浸かる。そして、今後のことに軽く考えを巡らせた。
未だに払拭しきれない屋敷への疑惑。今後、どう動くべきかとアリアは思案を巡らせる。
以前も今も、不自然な接触があれば即座に逃亡すべきだろうという点は変わらない。しかし、対魔術師のための装備なり訓練を積んでいるだろう相手から本当に逃げることができるだろうかという不安は大きくなっている。
逃亡して捕まれば、そのままなんの沙汰もないなど考えられるはずもない。まずスパイの類を疑うだろうし、そうなれば尋問なり拷問なりが待っているだろう。公爵ともなれば、爵位でいえば第一位である。そういった類の輩が入り込まない訳もあるまい。幸いというべきか、魔物という人類共通の敵が存在してるためそこまで積極的にそのような行為に走る者もそれほど多くはないだろうけれど。
きな臭さという意味では、この屋敷が一番きな臭く感じる程にそういった話は聞かない。考えられる可能性としては、再度間者を送ろうなどと思わないほどに何らかの手段で徹底的に相手を叩きのめしたか、どこもかしこもそんな余裕などないか、だろうか。もし後者なら、軍事の技術と知識を開示する必要も出てくるかもしれない。
アリアは気が進まない思索を放り出して次の思考に向かうことにする。
逃亡を視野に入れている以上少し二の足を踏む内容であるのだが、ニウニ、ホズン、エモニに施そうと思っていた教育はどうするか。
逃げる前提なら、教育などと悠長なことをしている暇はない。時間の制約もそうであるし、仮に教育を始めれば情も湧く。逃げ足を鈍らせる結果に繋がりかねないのだ。
ふと目を開いたアリアの視界の先にはニウニがいた。教育を始めなくとも、ここ一月近く生活を共にしてきたニウニを捨て置いて逃亡などできるだろうか? そんな考えがアリアの頭を過ぎる。
熟考するまでもなく、無理だろう。仮にその場では見捨てる心持で逃亡できたとしても、後に思い返して後悔するに決まっている。それを考えるのなら、逃げるときにはニウニを連れて出ることになるだろうか?
それこそ無理な話である。まずどう説得したものか考えあぐねるし、逃亡後の生活にも不安が出てくる。アリア一人であれば多少過酷な環境でも生きていく術はある。ただ、ニウニを連れて逃げるのであれば、少なくとも寝泊りするような場を持たなければ話にならないだろう。何より、純正の十二歳の少女を逃亡生活に巻き込むなど気が引ける。
「リア、また難しい顔してるね」
「……そうかな?」
ニウニはアリアが思考に耽っている隙にその隣へと落ち着いていた。アリアは返事をしながら結論を有耶無耶にする。
「難しい顔してた。考え事?」
「考え事。ああでも、縫い物のことじゃないよ」
釘を刺しながらアリアはニウニの顔を見た。下手に仕事の話などさせようものなら、いつあの湧水の魔術を縫い付けたクロスのことを口走るか知れないからだ。
ニウニは顔を弛緩させるに飽き足らず、その耳まで力なく横たえている。
「ふふっ」
思わずアリアの口から飲み込み損ねた笑い声が漏れる。なんとなく、小難しく考えるのが馬鹿馬鹿しく思えたのだ。風呂はアリアにとっても数少ない楽しみの一つである。今はそれを楽しむべきだろうと考えることにした。
「どうしたの?」
「なんでもないよ」
返事を聞いてニウニが疑わしげな目でアリアを見る。
「ほんとにー?」
「ほんとほんと。ああそうだ、今日はよく頑張ったね」
話題を摩り替えるついでにアリアはニウニを褒めておくことにした。苦手な作業も途中で投げ出さずにやりとげたのだ。クレアもニウニとホズンを褒めていたが、この程度なら褒めすぎだということもないだろう。
アリアの小さな手がニウニの耳の間に置かれた。
「これ、普通逆だと思うんだけど」
照れるような、恥ずかしがるような、満更でもないような、彼女にしては珍しくはっきりとしない表情で抗議の声を上げる。
「そんなことないんじゃない? うん、頑張ったんだから気にすることじゃないよ」
アリアは更に話題を摩り替え、ニウニの頭に置いた手で左右に撫でる。ニウニの耳はアリアの手が触れるたびにぴこぴこと動き回った。
「なんだか、そうしてるとアリアちゃんがお姉さんみたいですね」
自分の体とホズンの体を洗い終えたらしいエモニがホズンの手を引きながら湯船に入ってきている。
ホズンは水もあまり得意ではないようで、体や頭を洗っている間中耳を押さえて目を瞑りながら全てをエモニに委ねていた。その光景を眺めながら、エモニをホズンの姉のようだとアリアは考えていたのだが。
「えっ? あ、違うの」
エモニの声を聞いたニウニが、少し顔を赤らめてアリアから離れた。
「エモニさんこそ、ホズンさんのお姉さんみたいでしたよ?」
アリアの声に今度はホズンが慌てる。
「あの、まだお風呂に慣れてなくて」
力なく垂れ下がっていた耳をぶんぶんと振りながら言うホズン。
アリアは、耳が髪に埋もれていることが多い分、亜人には風呂嫌いや風呂に入るのが苦手な人が多いのだろうかと推測した。ニウニも頭を洗うときだけはアリアに手伝いを頼むのだ。
更にいえば、亜人は人より耳が良いことが多いため、なおさら耳に水が入ることを嫌っているのだろう。
少し記憶を探ってみると、カロルも水が嫌いだといっていたことを思い出した。亜人には何か水嫌いになるような要素があるのだろうか?
「耳に水が入ったりするのが苦手なんですか?」
「私はそれがやだ」
アリアの言葉にニウニが肯定の声を上げ、ホズンは頷きを返した。ホズンは人見知りか口下手の気があるのだろうか、とアリアは頭の中の人柄のメモに書き足す。
もしそうなら、無理に話題を振るのも要らぬ世話になるだろうか? 考えていると、今度はエモニが口を開いた。
「それと、物を壊しちゃうんじゃないかと思ってるんですよ」
「そ、そうじゃなくて、あの……」
針に糸を通してほっとした顔をしていたのはそういう理由があったからか、とアリアは得心する。
だが、ホズンは裁縫の間で物を壊したりはしていない。強いて言えば一度糸を千切った程度だろうか。
そこまで考え、確かに糸を切るなどそれなりの力を入れなければそう起こることでもないと思い直す。それが一度で済んでいるということは、かなり集中して作業していたのだろう。
多少妙な力み方をしても糸はそうそう切れるものではない。注意が散漫になって、抑えていた力をつい込めてしまったようだ。
ホズンはそれを気にしているらしい。気にしすぎて余計に力んでしまっているのではないかとアリアには思えた。糸を切ったのは休憩の前、ニウニと共に肩に力が入りすぎていた時間帯だからだ。
かといって出すぎたことを言うつもりもアリアにはない。問題ないと判断したことだけを軽く口にするに留めた。
「お風呂、楽しまないと損ですよ。ニウも好きだよね?」
「うん。リアも手伝ってくれるし、気持ち良いよね」
ホズンは意外そうな顔でニウニを見つめた。
「私はもう上がりますね? お仕事、お疲れ様でした」
「あ、私も上がるよー。二人とも、お疲れ様」
アリアに続いてニウニが立ち上がる。
「お疲れ様です。明日もよろしくお願いしますね?」
「お疲れ様」
アリアは二人に手を振り返して脱衣所へと歩いた。エモニは知らぬ間に自分が言いそうなことを覚えていっているらしいと考えながら。
脱衣所の前で軽く体の水気を落とす。ニウニもアリアに倣って水気を落としてから脱衣所へと出た。
再度乾いたタオルのような布で体を乾かし、普段着に袖を通しながらアリアは考えた。先ほどのエモニについてである。
自発的な学習は大いに歓迎すべき態度だろう。ただし、真似るというのは学習方法としてそれ程効率的なものではない。彼女に学ぶ意思があるなら、一度しっかりと教育を施すのも吝かではない。
まだ湿った髪にタオルを当てながら、もう逃げ延びるという選択肢が前提から抜け出してしまっているなとアリアは胸中で小さく苦笑した。