第六話
ヴィルダーの言葉に、アリエラははい、と頷いて地図を取り出す。それから魔王領が灰色、人間の土地が茶色で塗り分けられているその地図を、部屋の壁に立てかける。精緻な図線で描かれたそれは、人間達が用いている技術に比べて遥かに高度な技術を用いて書かれているのか、一目見ただけでもかなり正確であることが分かる。
それは技術もさることながら、魔族の中に翼をもつものがいるだとか、そういう面もかなり大きいだろうとヴィルダーは予測した。
一口に魔族といっても、その言葉が指す幅は広い。そこには多種多様な存在が含まれるのだ。それこそ、アリエラやダーレ達のような人間と遜色ない要旨の魔族もいれば、見たまま獣である種族なども魔族に含まれる。要は赤い瞳を持ち合わせてさえいれば、全て魔族という括りだ。
要は魔族にしてみれば、赤の瞳こそが魔族の魔族たる証そのものなのであって、その他体の表面の毛だとか体の大きさだとか、そんな差異など瑣末なことなのである。
「ここが魔王城。通常魔王がいるのはこの城ですね。人間達の王城と大体同じでしょう。政務なども全てここで執り行われます」
地図の一点を指しながらアリエラはそう説明をした。魔王領のほど中央に相当する位置に立っている。どの地域を治めるのにもやりやすいのだろう、とヴィルダーはうっすら考える。城から出す伝令が大体どこへ行くのにも同じくらいの日数で到着するのだ。どこか一か所だけ異様に遠いだとかそういう事態になるより、ずっとよい。
それからアリエラがすすす、と指を動かし、森の傍を指した。地図によれば魔王領のぎりぎり外側に当たる茶色のそこを、とんとん、と指で軽く叩いた。
「因みに今私達がいるのはここです」
「ちょっと! 領地の外じゃないか!」
アリエラがさらりと口にした爆弾発言に、ついヴィルダーは突っ込みを入れた。ヴィルダーの主張も当然である。今現在、怪我で弱体化している魔王が人間の土地にいるなど、狙ってくれと言わんばかりではないか、とヴィルダーは考えたのだ。
確かにどこぞの深窓の貴族令嬢か何かのように厳重に守られるというのもヴィルダーの心境的に遠慮したいところではあるのだが、だからといってヴィルダーは今現在の自分の能力を過信している訳でもない。ただでさえ部下を守って大怪我をするほどの弱者であるらしいのに更には記憶さえもない状態で、敵対している陣営にでも放り込まれたものなら、そのままあっさりと無残な敗北を晒す以外の選択肢がないことも、ヴィルダーはよく理解していた。
そういう不安から発せられたヴィルダーの突っ込みに、安心させるようにアリエラが優しく微笑みを見せる。魔族であることは分かっているが、敢えてそれを形容するならば真逆の天使とでも形容するのが一番ふさわしそうなそれに、ヴィルダーの視線はアリエラに吸い寄せられてしまう。
「大丈夫です。こんなところに魔王がいるとは誰も思いませんから」
逆に誰も襲って来ませんから城にいるよりも安全ですよ、とそう言うアリエラに、ヴィルダーは興奮で頭に上っていた血が少し下がるのを感じた。
なるほど確かにアリエラの言うとおりだった。場所こそ知れているものの想像するだに警備の厳重そうな城を避けて、魔族領にほど近いとはいえ人間の領土に魔族が、しかも王が潜伏しているなど一体誰が思おうか。もしいると噂を聞いたところで、ガセと判断してしまい誰もわざわざこんなところへ赴くまい。それこそ偶然この場に辿りつくだとかそういうことでもない限りは、この場の安全は保障されることになる。
「そうだな」
ヴィルダーが納得すると、アリエラはでしょう? と少し自慢げな顔をした。そんな表情も全く嫌味にならず、寧ろ可愛いなぁ、と思えるものだ。ひととおり自慢をして満足をしたのか、アリエラはすっと表情を戻して地図に向き直った。ヴィルダーもアリエラから視線を引き離しがたかったが、何とか地図へと再度視線を戻すことに成功した。
アリエラが地図上に引かれている破線を指す。森より少し内側に引かれているそれに、アリエラが胸元のポケットから取り出した黒いペンで一年前、と数字を書いた。その破線が一年前の国境線ということだろう。
現在国境線が森を超えていることを考えれば、その躍進ぶりが目に見える。こんこん、とペンで地図を叩いて、アリエラはヴィルダーに説明を付け加えた。
「今も魔王領は拡大を続けています。ここ最近の魔王軍のその活躍は、特に獅子奮迅などとも言われているようですね」
アリエラの話す調子にどこか嬉しそうな調子が混じっているのは、やはり自国が勝っているからだろう。同じ戦をしているのなら、負けているよりは勝っている方が民として嬉しいに決まっている。しかも彼女は国の中枢にいるのだから尚更だ。
その後もアリエラの口からはそういった小難しい話が続いていった。ヴィルダーの集中力もだんだん切れてきて、つい睡魔に負けそうになったが、折角アリエラが必死に説明をしてくれているのだ。ここで真面目に聞かなくて一体どうするというのか。そう自身を叱咤し、ヴィルダーは出来るだけ真剣な表情を作って話を聞いていった。
ただでさえ碌に動けず迷惑をかけているというのに、そこに更にオプションで記憶も知識も全て忘却してしまっているという状態がついているのだ。ゲルトルーデからの痛い視線もあることだし、ここで少しでも汚名を雪がなければなるまい。