第五話
ヴィルダーはちらりとベッドの横に佇む美少女の顔を見上げた。ヴィルダーの視線に気がついてにこりと笑みを見せるアリエラに、つい頬が熱を持つのはいっぱしの男として仕方がないことだろう。だからそれはヴィルダーとて許容できた。
だが問題は。
「そんなに見られると食事がしにくいんだけど」
ヴィルダーの食事を食い入るように見つめてくることだった。いかに美少女であろうとも、否、そんな美少女が空いてだからこそ、単なる食事の様子をじろじろ見られるというのは気まずいものがあった。自分の食べ方は何かまずいだろうか、だとか、口の中が見えてしまわないように食べなければ、だとか余計な気遣いまでしなければならないからだ。
それは普通に会食していたところで同じはずだが、どうも自分だけが食事をしているせいで一人だけ観察対象になってしまっている、という点だとか、そもそもまだ本調子でない状態での食事はそれだけでも苦労するものがある、だとか、その辺りのせいで余計にヴィルダーの負担となってしまっている。
それがゆえ、ヴィルダーは苦言を呈した。のだが。
「気になさらないで、ヴィルダー」
「いや、あの、……はい」
アリエラはにこりと微笑んでそんなことを言う。言葉こそ丁寧だが、そこに絶対に己の行為をやめない意志表示を見出して、ヴィルダーはがくりと肩を落とした。ヴィルダーは今日もアリエラに唯一自由に動く口ですら敵わなかったのである。
ヴィルダーが部下だという二人に対面してから数日。まだまだ本調子ではなくろくに動いてくれない体ではあるが、ヴィルダーは何とかアリエラの手を借りることなく食事が出来るようになっていた。最初の頃はアリエラに全て食事を手伝ってもらっていたことから考えれば、格段に回復しているといえた。
勿論、今だってアリエラに手伝ってもらう方が早く食事も終わるだろうし、アリエラ自身もどうもヴィルダーの食事を手伝うことを所望しているようではあったのだが、そこは流石にヴィルダーが断固として拒否した。辛うじてとはいえ自分で体を動かせるというのに、こんな美少女の手を煩わせるわけにはいかないだろう。例え他ならぬ本人がそれを望んでいたとしても、だ。
食事は多少苦しくても自分で摂る。その意見を通したせいで、ヴィルダーは他のことではアリエラに余り強く出られなかった。ヴィルダーは何もさせてくれないのですね、とその赤い瞳を潤ませて問われてしまえば、ヴィルダーにはう、と息を詰まらせて最終的にアリエラの言葉を聞いてしまう以外に選択肢は残されない訳で。実際は立場を持ちだせばアリエラもすぐに引き下がってくれるのだろうが、それはそれでヴィルダーにとって抵抗のある行為だ。結局のところ、まだ魔王らしい行為の一つもしていないのに、義務を果たさずに権利だけ主張することなど、ヴィルダーはしたくないとそういうわけである。
そんな融通利かない己については、我ながら非常にまじめな性質だと、ヴィルダー自身思ってしまう。魔王なのだからその辺りも寧ろ自分がルールくらいのことを言い出すべきでは、と内なる自分が突っ込みを入れるのだが、どうしても抵抗があるのだ。流石にそれは余りにも魔王としてお粗末なので他言していないが。
だって当然である。きっとアリエラに言ったなら、ヴィルダーは心優しいのですね、などそれくらいで済みそうなものだが、あとの二人からは、というよりゲルトルーデから何を言われるものか。ヴィルダーの脳裏に、ゲルトルーデが蔑みをその顔に張り付けている様子が浮かびあがり、ヴィルダーはがくりと首を落とした。
ヴィルダーからすれば初対面、彼らからすれば再度の対面の後、日に一度顔を合わせるか否か程度の間柄であるのだが、相変わらずゲルトルーデはヴィルダーに対して本当に家臣なのかと問いたくなるほどの態度だった。
とはいえ何やら理由があるらしい。それはアリエラが、
「そのうちきっと本人の中で折り合いが付きますわ」
などと言っていたことからして、ヴィルダーの記憶喪失に関連しているらしいことが知れた。そう言われてしまってはヴィルダーもどうしようもなく、出来るだけゲルトルーデと顔を合わせなければいいなぁ、と思っている始末である。何か仲直り、というには一方的過ぎたが、関係を改善する機会があればいいのだが。
「っと、ごちそうさま」
そんな風に思考を彷徨わせているうちに食事が終わり、ヴィルダーは食器を置いた。すぐ隣でそれを見ていたアリエラも、ヴィルダーの食事が終われば当初の目的を果たす必要があり、その表情をきりと引き締めた。
そんな表情ですら、アリエラの凛とした美しさを損なわず、かえって惹き立てるだけなのだから、整った顔立ちというのは恐ろしい。凡そどんな表情でも様になってしまうなどと思いながら、ヴィルダーはアリエラの顔を見つめた。と、アリエラが振り返る。
「ヴィルダー、私の顔に何かついてます?」
普段ヴィルダーに向ける好意を隠しもしないくせ自分に向けられる好意には鈍感なのか、きょとんとした表情をするアリエラに、ヴィルダーは緩く首を振った。ではいいのですけれど、と微笑みを見せたアリエラに、万華鏡か何かのようにころころと表情が変わるものだと思いながら、ヴィルダーは先を促した。
「今日は魔王領の話だっけ?」
ここ数日、ヴィルダーはアリエラから魔王の仕事について聞き及んでいた。記憶と共にそれらの知識も丸で抜けてしまったようで、ヴィルダーは何一つ覚えていなかったのだ。このままでは魔王としての任務を何一つ果たせない。そのため、療養中に全て学びましょう、とアリエラが提案したのだった。