幕間
評価等ありがとうございます。
いつもよりちょっと長めでお送りします。
扉から二人揃って退出し、魔王の側近たちは廊下を歩く。ヴィルダーとの対面が漸く済み、これから魔王城へと戻るためだ。
現在魔王が滞在しているこちらの屋敷には、連れてきた者自体が少ないせいで、赤の絨毯の敷かれた足場の上には少なくとも彼らの見える範囲には誰の姿もない。本当にどうしてもいなくては困るような料理人や侍女等の数人しかこの場に連れてきていないので、厨房やらに行けば姿の確認は出来るだろうが。
この屋敷は魔王城でもその他の重要な施設でもなく、ただ単にヴィルダーの回復の為に滞在しているに過ぎないのだから当然といえば当然だった。
統治とて魔王国の重鎮が幾人かここにいるこの状態でもここではなく、わざわざ魔王城に戻ってから行っている。要は、ここに魔王が留まっているのはかなりイレギュラーな事態なのである。
そういった事由から人気のない廊下を歩くこと暫し。十二分に主達のいる部屋から距離を置いたと思われたところで、ふとゲルトルーデが辛うじて身に纏っていた冷静の鎧をかなぐり捨てた。この忍耐力は喧嘩っ早い彼女にしては、部屋を退出してからよくここまで我慢したものだ。彼女をよく知る者が傍にいるならば、これは褒められて然るべき程のものだろう。
「ああもうっ、腹が立つ!」
感情に任せてゲルトルーデが地団太を踏む。赤の絨毯が衝撃を多少吸収したが、それでも恐らくその絨毯の下の床には亀裂が入っていることだろう。何しろ、彼女の力は魔族とはいえ女人とは思えぬほど異常に強いのである。
「そういきり立つな、ゲルトルーデ。貴様がキレたところで何にもならん。まだ何事も起こっていないのだし、陛下の御心のままにここは」
「煩いっ!」
癇癪を起こすゲルトルーデなど見慣れているとばかりに落ち着いて諭すダーレに、ゲルトルーデの短い導火線はすぐに燃え尽きる。
がっ、と衝動のままにすぐ隣にいる男の胸元をぐいと掴み引き寄せる。彼女のそういった動作の粗野さにダーレが嘆息を漏らしたが、今はそれすらもゲルトルーデの怒りに油を注ぐのみだ。
怒りに燃える魔族の証たる赤の瞳はまさに猛る炎の如く。これがダーレでなければ、その苛烈さに為すすべもなく竦み上がっていたかもしれない。だが、ゲルトルーデとそれなりに長い付き合いであるダーレには、残念ながらそれは通用しなかった。
「陛下があの調子だというのに、何事もないと抜かすのか貴様!」
ダーレに言ったところで、彼らの主人がそうなったのはどうにもならないことだ。過去に戻れる訳もない。だが、ああだこうだ、と癇癪を起こした子供のように怒りに震えるゲルトルーデには、それが分からないのか、或いは分かっていても口にせざるを得ないのか。
そうして主君に向ける訳にも行かずゲルトルーデは己の身の内で暴れるその理不尽な怒りを、その場にいるただ一人であるダーレに向けることを選択したようだった。それに理不尽だとばかり、ダーレの表情が歪む。
確かに、ダーレとてゲルトルーデが言いたいことは手に取るように分かったし、彼女の主張とてダーレの理解の範疇に収まっている。彼らの戴く魔族の王は時に突拍子もないことをしでかし、時にはその解決に奔走させられたが、今回は特に今までのそれに比べて群を抜いているといえた。
今までこの国で起こったことのない事態に、ダーレらを除く腐った重鎮たちも当然ながら緊急会議を開いたりなんだりと忙しない日々を送っている。実際のところ彼らがいくら話し合いを重ねようと魔王を取り巻く現状が変わるわけはないのだが、そんなことにも気がつかないほどに――或いはただ気がつかないふりをしているだけなのかもしれないが――彼らもまた焦っているらしい。
彼らが手を出してくるとただでさえややこしい事態に利権がどうのとなるのが目に見えているので、ダーレ達が魔王の右腕という立場で以て重鎮らを黙らせた。だが、逆にそれで余計に重鎮たちの怒りを逆撫でしたのだともいえるこの状況下。ダーレやゲルトルーデは彼らと顔を合わせる度、ぐちぐちと嫌味の相手をさせられる。ゲルトルーデがストレスから普段以上に苛立っているのもそれを思えば道理だった。
だが、そういう事態に陥ることになったとしてもダーレ達が取るべき立場は明白だ。何せ彼らは魔王の右腕なのだから、彼らは魔王の味方であるべきだ。怒りのあまりゲルトルーデがそれを忘れているのならば、ダーレがすべきはそれを思い起こさせることだろう。
「落ち着けゲルトルーデ。特に何も問題はなかろう。現に我等が国は少しも揺らいでいないではないか」
「確かにそうだが、」
幼い子に言い聞かせるようにゆっくり噛み締めるように話すダーレに確かに、と頷きかけたゲルトルーデだったが、はっと素直にダーレの言葉に従うことになるのに気がつくと、それは癪なので返答の代わりに視線を逸らして沈黙を返した。
互いに若くして魔王の側近でありながら、ゲルトルーデはダーレという男が大嫌いなのだ。自分を差し置いて、主と呼ぶその人の右腕を務める男ともなれば、そう思うのも当然ではないか。そう彼女は思っている。その辺りには彼女が魔王の右腕となった経緯が関係している。
ゲルトルーデは魔王に評価してもらいたいがために、今まで多くの時間をかけ己を磨いてきた。如何に知識を蓄えるのに彼女が向いていなかろうとも、或いは剣術や魔術に向いていなかろうとも、魔王の側近になるためにならどんな辛い修行にも耐えることができた。生まれ持った適性などなしに、ただ努力だけを重ねてゲルトルーデはここまで伸し上がってきた。
そうして幾多の苦難の末漸く側近として取り立てられたゲルトルーデに対して、今彼女の隣に立つ男はといえば、凡そ正反対の道を歩んだのだといえる。幼少の頃から勉強をさせれば天才だ何だと称えられ、剣を握らせれば過去の魔王の生まれ変わりかと崇められ、思いつく何をさせてもダーレという男は高く評価されてきた。才能という才能が、この男にはあった。
ダーレが側近に取り立てられたのだって、ゲルトルーデが必死に努力を重ねて費やしてきた時間と比べること自体が馬鹿に思えるほど幼い時分であったし、まさにそうあるべきとばかり、未だその地位を誰にも奪われることなしに君臨しているのである。
そういうわけだから、彼女が欲しくて仕方がないその立場を易々と得たダーレを、逆恨みだと言われようが何だろうがゲルトルーデは気に入らなかったし、腹が立つものは腹が立つ、とそういったわけだった。
ゲルトルーデからそう強い敵愾心を抱かれているダーレであるが、別に彼の方はゲルトルーデの邪魔をしようとしている訳ではなく、どころか短気という欠点こそあるものの頼るべき仲間の一人と思っている辺りが皮肉だった。非常に残念ながら、彼からすれば魔王の側近というのは単に生まれ持った高い能力を持つ者の義務という認識であり、彼女の抱くような熱意は持ち合わせていない。それが透けて見えるからこそ、ゲルトルーデは余計にダーレに敵愾心を燃やすのだろう。
そんなゲルトルーデを背丈の差故僅かに見下ろしながら、寧ろ、とダーレが切り出す。
「そんなことよりも問題は、陛下がこんなところにいるのだと勇者一向に知られることの方だろう」
「……た、確かにそうだが……」
ダーレの指摘にゲルトルーデも表情を曇らせる。ダーレの指摘の通り、これが今一番大きな問題だった。
療養に向いているからとアリエラに提案されてやってきたこの屋敷は先にも述べた通り、魔王城ではないどころか魔王領ですらない。一応魔族の持ち物でこそあるがここにいる魔族も少なく、魔王の守りとしてはかなりの手薄となっている。今この状態でついうっかり勇者一行に見つかりでもしたらどうしようというのか。
勇者一行。人間達の栄えるライヒ王国の神官に神託で選ばれた勇者を中心とした、人間による魔族への抵抗軍である。魔族の中でも下等の者がいくらか、既に勇者一行と交戦しているはずなのだが、誰一人生きて戻った者がないことからどうやらその実力は本物らしい、と魔族方でも警戒を強めている。
そんな危険な敵と遭遇でもしてしまえば、此方を守る盾の少ないこの状況では、流石に滅ぼされはしないだろうが何かの弾みで魔王が怪我を負うかもしれないのだ。しかも現状での魔王を取り巻く環境はどう見てもベストではない。どうしてこう厄介事ばかりあの主人は持ちこんでくるのか。
一行とこの状況でやり合うのは、ダーレ達としては回避したかった。例え、つい先日魔王自身がやり合ったことで勇者一行の戦闘力が今なら減少しているのだとしても。
ああ、面倒な事態になっている、とダーレは大きく溜め息を吐き、ゲルトルーデはもう一度苛立たしげにつま先を何度か地に打ちつけた。
どうやら、彼らが暗躍しなければならないことは明白らしかった。