第三話
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そうして、アリエラの勘定によると怪我を負ってから半月ほど経ったその日。漸くヴィルダーは初日以来はっきりした意識を取り戻した。
ヴィルダーが目を開けば、最初に目を覚ましたときと同じ室内が目に入る。違いを挙げるとしたら、時間帯だろうか。前は覗く薄暗いが青い空から早朝と断じたが、今部屋に差し込む陽光は間違いなく午後の暖かなそれだった。
そして、そんな室内でヴィルダーの横たわるベッドの傍にやはりアリエラは腰かけていた。うつらうつらしていたようだったがヴィルダーの意識が戻ったことに気がつくとはっと我に返ったようで、アリエラは大丈夫かと顔を覗きこませて尋ねてくる。至近距離の美貌に目を奪われつつも何とか首を縦に振れば、久しぶりに見たその顔にアリエラはほっとした表情を見せた。
「今日は調子が良さそうなんですね」
「ああ、いつもは体が沈み込むみたいに重いんだが、今日は不思議と気分がいい」
言いながらヴィルダーは身を起こし、ぐっと両の腕を開いて伸びをした。寝たきりになっていたせいで強張っていた体が僅かに痛みを訴えたが、それでもここまで体が動くのは記憶がある限りでは初めてだ。滞っていた血が体勢を変えたことで巡りだしたのか、すぅと血の通う感覚が気持ちよかった。そうなると不思議と気分すら明るくなってくる。
そんなヴィルダーの回復具合を己のことのように嬉しそうにしているアリエラに、ああそうだ、とヴィルダーは気がつく。あれほどアリエラが献身的な看病をしてくれたというのに、まだヴィルダーは彼女に感謝の言葉を伝えていない。
「っていうか悪いな。大体俺が起きるといつも傍にいてくれるだろ? 面倒に思ってないのか?」
はっきり覚えてはいないが熱に浮かされた意識の中でヴィルダーがいつ目を覚ましても、アリエラはヴィルダーの手を握り、その鈴を転がすような声をかけてきてくれていた気がする。恐らくヴィルダーはあまり長くないスパンで目を覚ましていたはずだった。となれば、アリエラはほとんどずっとヴィルダーの傍にいたと考えるべきだろう。だとしたら、随分と幼く見える彼女には付きっきりの看病というのは、かなりの負担であるはずだった。
尤も、彼女が魔族なのだとしたら外見年齢が人と同じという保証はないので、もしかすると彼が判断したよりも遥かに年上という可能性も否定しきれなかったが。残念ながらヴィルダーは人間の年の数え方は知っていても、魔族の年の数え方は思い出せなかった。
ヴィルダーの言葉に、気にしないでくださいな、とアリエラは微笑んだ。
「気にするな、って……」
「ええ。だって私は好きでやっているのです。恩を着せたいわけではありませんから」
そこで言葉を切ったアリエラは、楽しげな色をその瞳に浮かべる。
「でも、どうしても何かを、というのなら、私のことを好きになってくれませんか?」
耳に入った茶化すようなアリエラの言葉が聞き間違いかと思い、ヴィルダーが彼女をまっすぐに見つめると、アリエラは惚れ惚れするような悪戯っぽい微笑を見せてくれる。そんな表情は彼女を外見相応に見せた。
「ねぇ、ヴィルダー。私だって全くの無報酬でこんなことしませんよ。あなたが好きだからやっているのです。勿論恋愛の意味でね」
「う、」
この間のようにまっすぐに好意を寄せられているのだと認識すると、自然頬が熱くなる。鏡がないことを感謝した。少なくとも自分ではその状態を認識しなくて済む。アリエラに見られている可能性は否めなかったが。
あり得らの言動の一つ一つに振り回される己に、ヴィルダーはどうやら自分はそういったものに対して余り免疫のない存在であったらしいことを知った。尤も、ヴィルダーが知っている己のことなど、アリエラが口にした範疇を出ないのだが。
硬直してしまったヴィルダーにくすくすと笑いを溢してから、あら、とアリエラは部屋の扉へと視線を向けた。ヴィルダーもそれに倣って視線をやる。廊下に繋がっているのだろう木製の扉の向こうに僅かに足音が聞こえ、それは扉の前で止まったようだった。
「忘れていました。人を呼んだのです」
「俺は邪魔?」
ヴィルダーはてっきりヴィルダーに張り付いていなければならないアリエラが相手に此処まで来てもらったのではないか、と思ったのだが、それはヴィルダーの勘違いだったようで、アリエラはおかしいとばかりに噴き出した。何かおかしなことを言ってしまったらしい。そういう風に笑われると恥ずかしくなり、ヴィルダーは少し俯いた。
「いいえ、あなたに会わせる人ですよ。そもそも魔王が邪魔ってどういう事態ですか。あなたの部下です。入ってきて下さい」
確かにそうだ。魔王が邪魔になるだろう事態などほとんどあるまい。今だヴィルダーにはその自覚は薄かったが。
その言葉の直後、扉がきぃと軋んだ音を立てて開いた。蝶番に満足に油が差されていなかったのだろう。ということはこの屋敷は普段使われているものではないのだろうか。
入ってきた二人連れに、ヴィルダーは視線を向けた。
かたや、かなり背が高く、歳の頃は人でいえば三十路くらいだろうか。麗しい容姿は最早子供ではないというのに中性的という言葉が似合い、男とも女とも取れた。どちらといわれても納得ができそうだったが、何となく男のような気がした。これは直感で根拠がない。長い銀の髪を無造作に流している。
もう片方はこれまた美しい容姿の持ち主だったが、触れれば切れるのではないかと思うような怜悧な気配を発している。銀髪よりは少し若いくらいだろうか。青の髪を頭上高くで結わえ、布越しにも見て分かる程の豊満な胸の下で腕を組んでこちらを睨んでいる。此方は女だとすぐに分かった。
二人に共通しているのは身に纏う明らかに質が良い揃いの軍服と、血のように赤い瞳だ。つまり魔族である。それ以外は何もかも、浮かべた表情すらも反対で、銀髪は淡く微笑んでいるが青髪の美女はといえば――何故かきつくヴィルダーを睨みつけていた。