幕間四
この章が全て幕間で終わってしまうような予感がしつつ。
「とんでもないです。正気ですか!」
「失礼ですよ。私は正気です」
「陛下、それでも許容できませんよ。まさか勇者を城に置くだなんて」
流石にというべきか、魔王城へと連れ帰るのはホフマンとゲルトルーデから盛大に反対されたため、アリエラはヴィルダーを国境近くの私有の屋敷へと招き入れることとした。それでも難色を示す部下達を前に、アリエラは持ち前の容姿も用いてそれだけは許してほしい、と無理やり自身の主張を押し通した訳である。
そのまま意識の戻らぬ勇者に簡単な治癒を施して、アリエラは勇者を寝かせたその隣に腰を下ろした。その姿は少女のままだ。勇者に自分が如何に愚かなことをしたのか、それを知らしめるには勇者が助けたままの姿がよかったと思ったからだ。いつ目覚めるか分からないから、とアリエラは頑なに少女の姿を取り続けていた。
助け出してから丸一日が経ったが、勇者は未だ眠ったままだ。余程あの熊から受けたダメージが大きかったらしいと思うと、もっと熊の魔族を手ひどく痛めつけてやっておけばよかったと思ってしまう。
このまま目が覚めない方が魔王としてはありがたいのに、アリエラ自身そもそもは彼を殺しに行ったのだというのに、他者からそうされるのがこれほど面白くないなど思いもよらなかった。
寝台に横たわる勇者の顔色は、森の中で彼を見たときに比べて随分と改善されていた。それも治癒のお陰である。怪我が完全に治ってはおらずとも、その身体から血が流れ出ないだけでこれほどまでに血色がよくなるのだ。
魔術にはそれぞれ属性がある。火、水、地、風、それに光と闇だ。魔族人間問わず生命には多かれ少なかれ魔力が宿り、自身に向いた魔術というのがある。その中でアリエラは闇魔術を重宝しているが、だからといって他にも使えないということはない。どころかアリエラは全ての属性に精通していた。それもまた、アリエラが今までの魔王の中で最も力あると言われる所以でもある。
魔術属性はそれぞれ有利不利があり、光と闇は互いに相手の弱点を突くようになっているが、他の四つは火が水に弱く、水は地に弱く、地は風に弱く、風は火に弱い。得手不得手があるにしろ、全ての属性の魔術が使えるということは、どんな相手の弱点をもつくことが出来る。そういうことであるのだ。
因みに治癒魔術は光属性と水属性で、勇者にそれを施したのもアリエラだった。何せ他の魔族は勇者などさっさと倒してしまえというスタンスなのだから仕方がない。頼んではみたものの、いくらアリエラの頼みであってもそれは、というような反応ばかりが返された。つまるところ、勇者を連れ帰った張本人であるアリエラが治癒魔術の行使をしなければ、運び込まれた勇者はそのまま見捨てられるしかない訳だった。
そのせいで執務を取る上で城と屋敷とを慌ただしく行き来するようになったのだが、それでもアリエラは構いやしなかった。勇者が目を覚ましたら、お前は魔王に救われたのだと精々馬鹿にしてやろうと思っていた。いや、そう思っているのだとアリエラは必死に自分に言い聞かせていた。
早く目覚めればいいのに、とそう思いながら、けれどまだ目覚めなくてよいとそう祈る己の矛盾に、アリエラは見えないように鍵をかけてしまっていたのだ。
だからアリエラ自身がそんなことを望んでなどいないと知ったのは、目を覚ました勇者の第一声を聞いたときで。
「先に説明をしなくちゃいけませんでしたね。ヴィルダー、あなたは私を助けようと自分からあの熊に突っ込」
んでいったのですよ。愚かにも魔王の私を庇って。
そう言おうとしていたアリエラは、けれどそれを言い切る前に放たれた、
「俺は、誰ですか?」
その問いかけに、勇者がどうやら記憶をまるきり失っているらしいことを知って。ふと当初の予定を取りやめて、全く違うことを思いついたのだ。
――ああそうだ。勇者が自分がどちらの立場だったのか覚えていないのなら。何もかもすっかり忘れ去ってしまったのなら。
このままこの勇者をこちらへと引き入れてしまえばいいではないか。
そんなことを。
幸いにも記憶を失った勇者にとって、魔王の容姿は魅力的であるらしかった。アリエラに見つめられて顔を赤らめる勇者を見ながら、アリエラはさてこの後どうしようかと想像を膨らませる。
人間達はアリエラの傍についた勇者を見て一体何を思うだろう。やはり黒を持って生まれたから魔族だったのだ、などと愚かしいことを言うのだろうか。勇者一行の仲間達はどんな顔をするだろうか。裏切られて絶望を顕わにするだろうか。
そもそも勇者は、いつか真実を知ったらどんな顔をしてくれるだろう。
「あなたはヴィルダー・レーマン。魔王です」
だからその日、アリエラはヴィルダーに、彼が魔王だったのだと嘘を告げた。
そんなことから始まった勇者との暮らしは思いのほか面白かった。表情の変化も乏しく、かつてはまるで人形か何かのように思えた勇者も、記憶を失ったからなのか何なのか、そんな様子はまるで見せなくて、ころころと表情が変わる。そんな様子は見ていて飽きない。
それに何より、自分が魔王だったというのなら、と口にし、強い責任感でアリエラの負担を必死に減らしてくれようとするそのいじらしさ。
だからアリエラはそれを目にしているうちに、散々引っ張り回して、絡め取って、手中に収めたいと、そう思った。思ってしまったのだ。