第二話
そうしたところでふと己の体が目に入った。
薄暗い部屋に置かれた天蓋付きのベッドに寝かされたヴィルダーの体は、アリエラが布団を避けてくれた部分を余すところなく包帯で覆われている。布団が今だ掛けられたままのところにも及ぶだろうそれだけの酷い傷を果たしてどうやって負ったのか。単に敵にやられた、という簡潔な彼女の説明では今一つ実感がないヴィルダーだ。
そもそも、魔王という世界中の人間の恐怖の対象であったくせに、こんな怪我を負うというその頼りなさに我が事ながら心配になってしまうのだが、それほどの傷だからこそヴィルダーの記憶が飛んだのだと思えば納得がいくかもしれない。
そんな風にヴィルダーは沈みかけた己を必死で励ました。尤も、それはそれで魔王が記憶喪失などという間抜けな事実を突き付けてくるので、果たして励ましになっているのか、或いはとどめの一言なのか正直怪しいところではあったが。
そんな風に己の状態を確かめるヴィルダーを、アリエラはにこにことして眺めている。ヴィルダーが目覚めるまで片時も傍を離れなかったのだとまで宣う少女は、ヴィルダーが記憶の喪失を告げた時こそ取り乱したが、すぐに我に返ったのか今のような落ち着き払った態度を見せている。
恐らくまだヴィルダーの記憶喪失に動揺しているはずだが、それを見事に押し隠すその精神力には目を見張るものがある。いっそ彼女が魔王になった方がいいのではないか、とすら思われた。それは非常にいい案のように思えて、ヴィルダーは寧ろ役目を替わってほしいとすら願ってしまう。それに、とヴィルダーは思う。男としては美少女に守られるのは少し情けない。どうせなら美少女を守る立場の方が遥かに魅力的だ。アリエラが魔王ならばヴィルダーはその身を守る部下になれるかもしれない。身を挺して王を庇ったというのなら、こんな大怪我ですらも勲章になるだろうに。
とはいえ、アリエラにこの提案が受け入れてもらえる訳もないのでヴィルダーは口にしなかったが。
それに、そんなアリエラに懐かれること自体には、見事に好意以外の何も感じないというのはどうにも居心地が悪さを覚えるものの、彼もいっぱしの男であるので悪い気はしていなかった。こんな類稀な美少女に好感を抱かれて居心地が悪いというのも、よくよく考えればどこかおかしなものだが、きっと彼女に自分が相応しいとは思えないからだろう、とヴィルダーは己の中でそう結論付けた。
それを誤魔化すように身じろぐと、やはり全身に痛みが走った。目で見ただけでも酷い怪我なのだから当たり前なのだろうが、ほんの少しの身じろぎですらここまでの痛みだとは。
「……じゃあお言葉に甘え、いッ」
「! まだ調子が悪いんですね」
一気にアリエラの表情に心配の色が広がる。それを見てヴィルダーの心に悔恨が生まれた。痛みを我慢しきれればよかったのに、声を出してしまったせいでまたも心配させてしまったらしい。あれほど精神力のある彼女の表情を変えさせてしまうほど驚かせたことが、ヴィルダーには申し訳思えて仕方がなかった。
「また来ます。ゆっくり休んでいて下さい」
言いながらアリエラは滑らかな動作で椅子から立ち上がる。それまでヴィルダー自身意識していなかった故気がつかなかったというのに、アリエラの言葉に疲れを認識したからなのか、体の重みはより一層増した気さえする。最早気力を絞り切っても指一つすら動かせなさそうとさえ思ってしまう。
ヴィルダー自身話し続けだったものだから、弱った体の限界もやってきたのだろう。アリエラが歩く度に彼女の身に纏う漆黒のドレスがゆらゆらと揺らめくのを見送りながら、ヴィルダーは己の意識が緩やかに遠のき眠りの世界へ落ちていくのを感じた。
その後は、時々傷が熱を持ったのか辛さや苦しさに意識が戻っては、熱に浮かされ曖昧な意識下でも間違いなく認識できる途轍もない痛みに苛まれた。そのまま疼痛に呻くうちに体力が尽きて意識を失う、という嫌な繰り返しが幾度となく続いた。
「ぅ、……ぁあ」
元々酷い傷を負っていたのだから、寧ろ初日にあれだけの時間意識を保てていたことの方が異常だったのだと分かってはいても、気がついてしまった痛みに苛まれるのは苦しくて堪らない。
己の記憶の欠如という事実に驚愕する余り、初日に意識せず体に無茶を強いてしまったようだったのだが、それのツケも回ってきたわけである。精神的にも肉体的にも追い詰められていたのだと体に思い知らされたわけだ。
果たして一体どんな敵と相対すればこうなるというのだか。幾度目かの疑問に意識をやって痛みをやり過ごそうとするも、まともな思考を許さないほどの激痛に、ヴィルダーの努力は無駄に帰す。
「ッ、」
ヴィルダーの曖昧な意識ではそんな日々が何日続いたのかも分からなかったが、それなりに順調に日数を重ねていったのだろう。はっきりしない意識の中でも窓の外が明るくなったり暗くなったり、意識が戻る度様子が違ったくらいはうっすらと記憶に残っていたし、彼の辛さも徐々に、というよりは極々微小ながらマシになっていったような気がするのだ。本当に回復は目が覚める度にそんな気がする、程度の曖昧なレベルでしかないのだが。
「――、――」
そして同様に、安定しない意識の中でも、ヴィルダーは息苦しさに喘ぐ彼の傍に誰かが傍にいてくれていたことは分かっている。魘されるヴィルダーの手を握り必死に声をかけてきてくれた誰か。
別に、苦しむヴィルダーの為に一瞬で痛みを取ってくれたわけでもなければ、体調をよくしてくれたのでもない。ただその人物は傍らにいただけに過ぎない。
たったそれだけのことといえばそうかもしれないが、それでもその誰かの存在が苦しい間の心の支えになっていたのは確かで。
そして、ヴィルダーの無意識はそれがアリエラだと知っていた。