第三話
そんなふうに緊張の色を見せるヴィルダーに、ダーレが元気づけるように告げる。
「大丈夫ですよ。あなたが何をしようがそこまで重大な事態にはなりませんから」
だが、それはとどめの一撃である。ダーレの意図とは反対に、ヴィルダーへと膨大なダメージをぶつけてきた。ヴィルダーの影響力がゼロと言われたに等しいからである。全く記憶がなく先に不安があるといっても、これから魔王として立とうとするヴィルダーにいきなりそれは仕方がないことだろう。ダーレがにこにこと悪気のない表情をしているのもまたヴィルダーの心を抉る。
「はは、ならいいけど」
返答をする際にも頬が引き攣ってしまったが、ダーレはええ、とだけ返してそのまま歩みを止めない。ぽかんとしている間にダーレとの距離が開いていってしまう。ダーレが角を曲がった辺りでヴィルダーは心を決めた。もうダーレの発言を深く考えるのはやめよう、と本日何度目かの決意をし、ダーレの背を追って駆け足気味に進む。
同じように角を曲がれば、廊下の少し先で立ち止まったダーレが手で扉を示している。ああ、ここに自分がこれから会う者達はいるのだと察し、ヴィルダーは緊張する。だが、先のダーレの言葉を思い出して己を鼓舞する。どうせ自分が何をやっても大勢に影響はない。なのだから何も考えずに突っ走ればいい。そう繰り返して扉の前へと立てば、ダーレが静かな動作でその扉を開けた。
室内には人影が二つあった。壮齢の男女が品定めをするようにヴィルダーを見つめてくる。本来ならば王であるヴィルダーに対してそれは無作法ともいえたが、彼らとしては記憶を無くした王など頂く必要はないということなのかもしれない。こうしてヴィルダーの方が彼らのいる部屋へと足を運ばなければならないのもそういった面の表れなのだろう。
二人分の観察という表現がこれほど相応しい表現もないというくらいに熱のない視線に晒されて一瞬竦んだヴィルダーだが、ここで押し負けるまいとヴィルダーも二人をじろじろと観察する。
ホフマンは小太りで少し背が低い男だった。年齢のせいもあってか禿げているが、眉毛などの色を見る限り元は茶色の毛を蓄えていたのだろう。怒りやすそうだな、という感想をヴィルダーは抱いた。魔族の証である赤い目にはヴィルダーを侮蔑する色が浮かんでいる。この数秒間の間にヴィルダーの位置は格下へと定められたらしかった。尖った耳が男を意地悪く見せる。
イェーガーの方はといえば、初対面でありながらヒステリックそうだなと思ってしまう。金色の髪はアリエラと同じ色をしているのに、随分とくすんで見えた。それはアリエラが放つようなあのカリスマじみたオーラがないからなのかなんなのか。こちらからはヴィルダーへの敵意は感じられなかった。
互いに相手の様子を窺っている三人を現実へと引き戻したのは、ダーレの一声だ。
「ヴィルダー様をお連れしました」
そう言って頭を下げるダーレに、ヴィルダーは二人の正面へと立つ。来るまでの間に頭は下げるなと言い含められている。ヴィルダーの方が地位は上なのだ。そのヴィルダーが部下に頭を下げることなどあってはならない。それはヴィルダーにも異論がなかったので、記憶はないがよろしく、とだけ口にする。座ったままの二人を見下ろす形となり少しの居心地の悪さを覚えるが、耐える。
「ふん」
ややあって鼻を鳴らしホフマンが顔を逸らした。どう見ても認めてもらえたのではないそれにヴィルダーは怒りを覚える。重鎮として起用しているのだ、元の自分はこの男を評価していたのだろうが、今のヴィルダーにとってはこれが初対面。間違っても友好的な関係は築けそうになかった。
「宜しくお願いしますわヴィルダー様」
それに対して、そうヴィルダーへと柔らかい態度を取ったのはイェーガーの方である。ヴィルダーとしては彼女からも同じ反応が返されるかと思っていただけに予想外の反応に少し驚くが、受け入れられる方が嬉しいのは当然である。
それから十数分の間会話を経て、ヴィルダーが初めに抱いた印象はますます強化された。ホフマンの余りのヴィルダーへの態度に、いっそこの男を政務から遠ざけてしまおうか、とヴィルダーが思ったのもおかしくない。記憶のないヴィルダーに人事権などないかもしれないが、アリエラ辺りに頼めばやってくれそうだ。
ヴィルダーはふとダーレがホフマンを優秀な人物『だった』と形容した理由を知れた気がした。この場で記憶がないとはいえ王であるヴィルダーに喧嘩を売るのが好ましくないと悟れない辺りをきっとダーレに評したのに違いない。どうしてこの男を自分の部下として起用しようと思ったのかすら、ヴィルダーには杳として知れなかった。
部屋に戻り、ダーレの退室を見送ってから、ヴィルダーは彼らとの会話の中に出てきた存在に思いを馳せる。未だ回復していないヴィルダーを慮ってか、それとも記憶がないからか政治面についての話題はほとんどあがらず、触れられたのは当たり障りのない話と。
「勇者一行ねぇ……」
人間達がそう呼称する存在は、字句通りに捉えるとすれば、勇者というのは魔王と敵対する存在に違いない。一体どのような集団なのだろうか、と己の敵であろう人間達のことを思い描こうとした。だが、記憶がないからなのかそもそもヴィルダーが彼らを知らなかったのか、ヴィルダーの脳内のキャンバスは必死の思考にも関らず、何も思い描かず真っ白なままだ。
ここ暫くで考えても分からないことは素直に思考を放棄すべきと学習したヴィルダーは、考えることを止めるとそのままぼふんとベッドに横たわる。スプリングがよく利いたそれに体が沈み込んだ。
「一体どんな奴らなんだか」
出来れば強い敵ではありませんように。祈りながらヴィルダーは目を閉じた。