幕間
アリエラ・シュルツェはその端麗な容貌に涼やかな表情を張り付けて、屋敷を出た。屋敷から少し離れたところに、竜族を呼んでいる。彼らの翼を借りて、今からアリエラは城へと向かわなければならないのだ。
現在、ヴィルダーがこちらで療養しているのに合わせて、アリエラ達も城を離れている。だが他の重鎮までもが城から姿を消している訳ではないし、魔王が城におらずとも魔王領の統治自体は以前通り城を中心に行っている。アリエラ達も城でなくとも処理できる書類は屋敷に持ち込んで片づけたりしているが、それでも時には城に行く必要というものが生じるのは当然だった。
予定より屋敷を離れるのが少し遅くなってしまったため、普通に行くと時間は少し厳しいだろうと判断して、アリエラは足早に歩き出した。勿論遅刻の原因は、ヴィルダーの勉強をゲルトルーデに頼んでいたためである。ヴィルダーがあれだけの熱意を見せてくれたというのに、それに応えないなどアリエラには選べるわけがない。
アリエラと共に勉強するときに、恐らくそういった知識を得ること自体に本人が向いていないのだろう。すぐに睡魔に負けそうになっては、必死に起きようと耐えている様を見る度、アリエラはそのヴィルダーの真面目さにほほえましさを覚えて、いつも胸がほっこりとする。そんな風に焦らなくとも、時間はあるのだから少しずつ知識を入れていけばいいというのに、生来の真面目さがそれを許さないのに違いない。
ふとアリエラは我に返る。しまった、思考に沈んでいた。これは本当に急がなければならない、と更に歩みを早める。そうすると、いかに小柄なアリエラでも肩で風を切りつつ歩くことになる。その様は酷く堂々としたものに見えた。
そうしてつかつかと歩く彼女が纏うその雰囲気は、ヴィルダーの前では決して見せないそれだ。そうしていると、彼女の印象はぐっと変化する。可愛らしい少女じみた雰囲気は薄れ、魔族らしい無邪気で残酷な一面が垣間見える。――本来のアリエラは此方だ。美しく残酷な魔族の強者である。
そうして竜族の許へと歩きながら、アリエラは口許に一本指を当て少しの間何かを思案する様子を見せる。時折視線をあちらこちらに彷徨わせながらも、足取りは確固として揺らぎがない。んー、などと声を上げているのは無意識なのだろう。そうした仕草が、元々幼い容姿の彼女を余計に幼く見せ、それをアリエラはよく自覚していた。
「ふふ」
暫くの思考の後、アリエラの中でその思考は何らかの形でひと段落ついたのだろう。一体何が楽しいのか、アリエラは鈴が転がるようなその澄んだ声で笑いを一つ零した。少しばかりはにかんだようなその表情は非常に愛らしく、すれ違う者は恐らく誰もが目を奪われることだろう。
とはいえ、魔族の魔族たる証である赤い瞳がなければ、である。如何に容姿が愛らしかろうが、すれ違った者が人間ならば魔族の姿を見て攻撃されぬうちにとさっさとその場を離れてしまうことだろう。魔族とはそれほど人間に恐れられている存在なのだ。
その人間の中で唯一魔族と対抗できるのが、人間達が縋る神を祀った神殿の選び出す勇者とその一行だ。勇者を筆頭に、その他国有数の優れた人材を集めているといわれ、アリエラは直接彼らとの戦闘を行ったが実際その能力は高かった。多くの魔族が倒されているというのも、あの実力を踏まえればよく理解できた。
「彼らも厄介ですね……」
アリエラは勇者一行の面々を思い出す。顔はまだ鮮明に覚えている。何せつい先日戦闘を行ったばかりなのだ。少人数で仕掛けたというのもあったのだろうが、実力は伯仲していた。それでも、その戦闘により自陣にかなりの痛手を負った代わりとばかりに、アリエラ達は向こうの戦力も大きく削いできた。暫くの間は、彼らも魔族への攻撃をする余裕など持たないことだろう。
「……っと」
そんな風に考えながら歩いていると、アリエラの頭上に影が落ちる。見上げれば、そこにはアリエラが訪ねるはずだった竜族がいる。余りにもアリエラが遅いものだから、彼らの方から迎えに来させてしまったらしい。しまった、と彼女にしては中々珍しい表情を浮かべながら、しかし助かったのも事実。これならぎりぎり時間内に城へと辿りつけるかもしれない。
「ありがとう、助かります」
アリエラは降下してくる竜族に優雅に礼を取ってから、感謝を述べる。それに返事をするように竜が咆哮を上げた。人間の耳には恐らくおどろおどろしいものとして聞こえるだろうそれも、アリエラの耳を介せばただの可愛らしい鳴き声としか思えない。どうして人間はこんなに可愛い子を怖がるのだろう、と思いながら、しかしそれはそれで都合はいいか、と結論付けて思考をやめる。
いい子いい子とその頭を撫ぜ、アリエラはその背へと乗る。ばさり、と翼を打って宙へと羽ばたいた竜族に、抱きつくような体勢を取りながら、アリエラは微笑んだ。
今ここに見える範囲は全て魔族の土地だ。今はまだその程度だが、いずれはこの世界を全て覆うことが出来るだろう。それはアリエラにとって確かな未来であり、確信だ。そしてそのときもアリエラはヴィルダーと並んでいられるのだろうか。
甘美な想像は考えれば考えるほどアリエラの笑みを深めていくばかりで、留まってくれそうにない。
これから城に行き真面目な会議が待っているというのに、それまでにどうしても笑みの形を取ってしまうこの口は何とか元に戻るだろうか。
アリエラはかなり真剣にそんなことを悩みながら、もう一度竜族の背を撫ぜた。竜族はやはり機嫌よく鳴き声を上げた。