拳帝の意思を継ぐ者
難産だった……!
パリン、と見上げた夜空に亀裂が入る。ここら一帯を覆っていた結界が、崩れたのだ。
術式の消滅を確認して、ぐったりしているウサギちゃんを背負い直す。腰の慣れ親しんだ重みと、背中にかかるわずかな暖かさが心地いい。
聞こえてくるのは、突如として消え去ったウサギちゃん(神)を探す住人たちの声。戦いを挑んでから大分時間が経っているようで、水平線にはわずかに朝日が顔を出している。
「ふぅ、行こうか」
目指すは、ルクレール魔法大国へと向かったシルヴィアたちとの合流だ。海岸線に沿って歩けば、定期船を出している港にたどり着けるかもしれない。
本当はここで船を調達したかったけど、この状況じゃ無理っぽいし。
……当初の目的はアーガルド王国だったのに。一体いつになったら到着することやら。
ざわつきが怒声に変わり始めた頃、僕はウサギちゃんを背負い、港町アーセナルに背を向けた。
*****
アーセナルを出発して1週間。海岸線に沿って北上していき、途中見つけた街や村で補給をしながら旅を続ける。
ウサギちゃんも3日くらいで全快し、今では元気に走り回っているよ。
欠伸をしていると、ウサギちゃんがこちらに走り寄ってくる。右拳を引き、全身を弓のようにしならせ、踏み込んだ左足で地面を砕いて……。
「だりゃあっ!!」
「虚実織り交ぜない拳打は致命的な隙だよ。もっとフェイントとか入れないと」
「え……んぎゃっ!?」
ほら、走りすぎて足が縺れてしまったみたいだねはっはっは。
………………いや、散々殴られた腹いせじゃないデスヨ?
ウサギちゃんは格闘家として、高水準の能力を持っていることが分かった。ただし、"この時代の人間にしては"という言葉がつくが。
バーンの嵐のような攻撃に比べれば、そよ風と形容してもいいかもしれない。あの時代は、そんな『超一流』と呼ばれるやつらがごろごろいた。
ということで、そのバーンから直々に格闘術の手ほどきを受けた僕は、当然ウサギちゃんよりも強いわけで。
地面に転がったまま、ウサギちゃんが恨めしそうにこちらを見ている。可愛い。
「ちっくしょう……なんで魔術師なのに格闘がこんなに強いんだよ……」
「ウサギちゃんが弱いんじゃない?」
「あたしは一応ランクBのベテランだっての!」
「ランクが高いからって、それは強さには関係ないだろうが。そんな気持ちが慢心を生むんだよ。僕なんかほら、ランクEだぜ?」
「それは"師匠"がおかしいんだよ!!」
……はい、ウサギちゃんの格闘術のお師匠をすることになりました。
僕はまだまだバーンにも勝てない錬度だけれど、さすがに今のウサギちゃんに教えられるくらいには強い、はず。
剣に魔法にと何でもありのパーティー内決戦では、勝率6割と結構強かったんだぜ。キランッ。
「でも実際、自分のランクが高いからといって驕るのは弱者の証拠だよ。ウサギちゃん、強くなりたいんなら、驕りは捨てろ。相手が自分より弱く思えても、絶対に侮ることだけはするな」
「うぐっ……分かったよ」
「よろしい。ほら、今日は終わりにしよう。晩御飯ができてるよ」
「……いつの間に作ったんだ?」
「組み手中に」
「ば、化け物だ……」
魔法でちょちょいとね。いやあ、生活密着型魔法も開発しといてよかった。時間がないときとかは、手間が省けていいね。
街道の脇にテントを張り、焚き火でスープを暖める。固めのパンと一緒に、簡素な食事を終えた。
基本的に、僕はウサギちゃんがテントで寝た後、外の見張りをしている。半分寝た状態で休み、何か起こったらすぐ覚醒出来るように訓練した僕は、見張りとしてはかなり優秀だ。
漫画の世界でもあるまいし、「はっ、人の気配!?」みたいにキュピーンと起きるなんて事はできません。だって、どんなに鍛えても人間だもの。寝ている間は無防備なのです。
ウサギちゃんを弟子に取るきっかけとなったのは、ウサギちゃんが目を覚ました日の夜。僕が月を見て、ミュールを思い出しているときのことだった。
◆◇◆◇◆◇◆
「月が綺麗だなぁ……」
「なに黄昏てんだよ」
「……う、ウサギちゃん?早く寝ないと明日も早いよ?」
「うるせぇな、あたしだってちょっと眠れないときだってあるんだよ」
やばい、黄昏てるところ見られた。超絶恥ずかしい。
ウサギちゃんは呆れた顔でテントから這い出し、僕の隣に座った。さっぱりと切った肩口までの茶髪は、月明かりにキラキラと光っている。性格をあらわすかのような釣り目気味の瞳は、眠気からかウルッとしていて、思わずドキッとしてしまう色気がある。
そのまましばらく、2人で月を眺めて。不意にウサギちゃんは、口を開いた。小柄な体躯に似合わないハスキーな声が、妙に耳元で鮮明に聞こえる。
「神を……殺したんだよな、あたしたち」
「うん、僕1人でね」
「これから追われるかもな、あたしたち」
「うん、僕1人がね」
「……それでもあたしは、神と戦い続けるぜ」
「前回戦ったのって僕だけじゃ……」
ドガッ、バゴッ、ボカッ!!
~ Take2 ~
「神を……殺したんだよな、あたしたち」
「ソウデスネ」
「これから追われるかもな、あたしたち」
「ソウデスネ」
「それでも……それでもあたしは、神と戦い続ける!あんな理不尽は、絶対に見逃せないぜ!」
「……ウサギちゃん、女優になった方がいいんじゃない?」
「だから、手を貸してくれないか?あたしたちの世界は、神なんかに好きにさせない。あたしたちの力で、神からこの世界を取り戻してやる!!」
「話を聞かないところとか、バーンみたいだよね」
ふう、と一息。本当に、なんだかこの子がバーンに見えてきた。あの脳筋のバカのろくでなしと一緒にするのはかわいそうだけど、あいつが魔王城突入前夜に語った言葉と、ウサギちゃんの語った言葉は酷似しているのだ。
『俺は今まで、自分の腕を磨くことにしか感心がなかった。ライトほどお人好しじゃねぇし、ウィンディほどみんなのためにできることはねえ。ミュールは世界のために魔王を止めるって目的があったし、俺たちの中じゃ一番弱かったリツでさえ、誰かを守るために強くなった。それに比べて俺は、自分のために、ひたすら自分のために何も考えず戦ってきたんだ。でも不思議だぜ……あんな禍々しい城を見ているとさ、別の気持ちが涌いてくんだよ。魔王なんかに、俺たちの世界を好きにさせたくないって、な。だからさ、みんな。手を貸してくれねえか?俺の、俺たちの世界を……取り戻すんだ』
口下手なバーンが、必死に紡いだ言葉だった。要領を得ない、たどたどしい彼らしい言葉だったけど。僕らの心は、1つになったんだ。
今、ウサギちゃんは世界の秘密に気付き、何とかしようともがいている。光を、その胸に抱いて。今は小さな光だけれど、これから先、大きく大きく成長していくことだろう。もっともっと、強く光っていくだろう。
ふと、この子にバーンの技術を教えたらどうだろうと思った。彼と同じ格闘家のウサギちゃんだ。僕と違って才能もある。
「……?どうしたんだよ」
突然立ち上がり、街道脇の原っぱへと歩いていく僕に、ウサギちゃんは怪訝そうな声を上げる。慌ててついてきたウサギちゃんに、僕は掌底を突き出した。
「……ッ!?」
ウサギちゃんは反応できずに、目を驚愕で見開く。僕はウサギちゃんの額の1ミリ前で、掌底を止めた。拳圧で、ぶわりと前髪が浮き上がる。
自分の置かれた状況を遅れて理解したウサギちゃんは、ドッと汗を噴出し、腰を抜かして肩で息をした。顔を蒼白にし、ガクガクと震えている。
当たり前だ。明確な死をイメージしてしまった分、恐怖はより鮮明に全身を縛り付ける。
「はっ、はっ、はっ……!」
「キミは、弱い」
あの自称神。さすがは魔王の魂の欠片。800年もの間力を蓄え続けただけはある。
事実、なぜか能力が底上げされているらしい僕でも、それなりに苦戦したのだ。もっと強い神なんてほかにもウジャウジャといるだろうし、これから戦いは苦しくなるはずだ。
そんな中、今のウサギちゃんのような中途半端な強さでは、すぐに死んでしまうだろう。
「あの神は末端の方だろう。実力的にも、強くはなかった。でも、末端の神ですらキミじゃ勝てなかった」
「……ッ(ぎりっ)」
「たしかにキミは強いほうなんだろうさ。でもね、魔術師の僕に、格闘で地に這い蹲らせられて、それで神に勝てると思ってるの?」
……笑わせるなよ。
出来る限り冷たく言ってみる。ここで心が折れるようなら、この子は戦うべき人間ではなかったのだ。
悔し涙を流しながらこちらを見上げるウサギちゃんは、歯を食いしばって僕をにらみつけた。地面に染みが広がっていく。失禁してしまったらしい。
だけど、僕は笑わないし彼女は恥じない。生命原初の恐怖を味わったんだ。当たり前だろう。
ひざをガクガクと震わせて何とか立ち、ウサギちゃんは僕に、深く深く頭を下げた。
「稽古を……稽古をつけてください…………!」
こうして、僕の最初の弟子は、屈辱と無力感と自身への怒りに燃えて、拳を握る覚悟をした。
◆◇◆◇◆◇◆
「可愛いなあもう」
「ふがっ……むにゃむにゃ」
いびきをかいてグースカ眠る愛弟子の頭を撫でながら、数日前の出来事を思い返す。旅をしながら修行をつける毎日のうちで、だんだんとウサギちゃんが妹のように思えてきてしまったのだ。
恋慕ではないが、愛情が芽生えてしまったのは事実なのでしかたない。急激に自分が老けたように感じる。
目と鼻の先には新しい港町ヴィクサス。ここ野営地点から、明るい光がキラキラと遠目に望める。ついに、この因縁の大陸から旅立つのだ。
「ぐがぁ……師匠コロス」
「ど、どんな夢を見ているんだろう」
はい、というわけです。
なんとも泥臭い、汚泥にまみれた立ち上がりを見せたウサギちゃん。
一度屈辱を味わった人間は強いですよね?いままでとはちょっと違う雰囲気にさせていただきました。