【短編】魔女のリーヴは立ち退かない
1
「災厄の魔女リーヴ! 今日という今日は、この谷から出て行ってもらいます!!」
扉が壊れそうなくらい勢いよく開けて、私リリア・ハーヴェストは彼女に向かって叫んだ。
「あ、あら……ハァ……リリア……! い、いらっしゃい。また来たの!」
だが魔女のリーヴは驚きもせず、部屋の中だというのに、奇妙な踊りをし続けていた。
陽気な音楽に合わせて背筋を伸ばしたり、腕を大きく回したりしている。
私は冷ややかな視線をリーヴに向けた。
「…………なにしているんですか?」
「な……何って……ハァ……朝の体操だよ。最近、体が……鈍ってる気が……し、してねぇ」
息を荒くさせながら体操をするリーヴ。
「リリアも……やる?」
「やりませんよ! そんなおばあちゃん臭いこと!」
「おばあ……ッ!」
さすがにショックを受けたようだ。
両腕を伸ばして体を傾けた姿勢で固まった。
「リリア。確かに私はリリアにとってはおばあちゃんかもしれない。けれどさすがに直球で言うのはよくないと私は思うなぁ」
「知りませんよ! そんなことより早く勝負してください」
リーヴの事情なんて知ったこっちゃない。
事実、彼女は私のおばあちゃんよりも、うんと歳を取っている。
二百を過ぎてから数えていないって言ってたし。
おばあちゃんと言って何が悪い。
むしろ年齢的には、その呼び方は控えめだ。
「健全な魔法は健全な体と心から、なんだよ。リリア」
「私は心身ともに健康です。それに実践魔法学演習も満点なので問題ありません」
「若いねぇ〜」
「ですからいざ勝負!」
「はぁ。まったく。じゃあ今日はお庭の手入れをしてもらおうかしら」
そう言うとリーヴは杖を召喚した。
「なんで私が負ける前提なんですか!?」
私も杖を召喚する。
「さぁ! 表に出てください! 今日こそはその微笑を崩してみせますから!」
私の挑発にリーヴは余裕そうに微笑を浮かべるだけだった。
★★★
「また負けたぁぁぁ!!」
小一時間後。
私はボロボロの体で、リーヴの庭で草むしりをしながら叫んだ。
「ふふふ。リリアはまだまだね」
リーヴも隣で草むしりをしつつ微笑んだ。
「まぁ歴代首席の子たちよりはいい線いっていたけど」
「気休めなんかいりませんよ。勝たなきゃ意味がないんですから」
八つ当たり気味に草を引っこ抜く。
いい線もなにも、私はまだ一度だってリーヴに攻撃を当てられていない。
敵にお世辞を言われるなんて勘弁してほしい。
「意識高いねぇ。さすが王立魔法学校の首席さん」
(ひとごとだと思って……)
私は横目でリーヴを睨み、草をむしった。
「それよりどうして致命傷や大怪我だけしか治してくれないんですか? 痛いんですけど」
リーヴとの勝負が終わるといつもこれだ。
ところどころについた擦り傷が痛いし、頬にこびりついた土が気持ち悪い。
これで何回目だろう。ローブがボロボロになるのは。
——勝負の内容は至極単純だ。
リーヴに傷をひとつ付ければ勝ち。逆に私が戦闘不能になれば負けだ。
この谷に張られたリーヴの結界が、致命傷や欠損などの大怪我を勝手に治してしまうのだ。
だからリーヴは容赦がない。
こちらの攻撃は掠りもしないのに、向こうは毎度殺しにかかってくる。
自分の結界に絶対的な自信があるのだろう。
だったらこういう傷も治してほしいんだけど。
「痛みは人を強くするのよ」
鼻歌まじりにはぐらかすリーヴに少しムッとする。
こっちは何の成果も得られなくて焦っているというのに。
するとリーヴは何を思ったのか、急に手を止めて私を見てきた。
「でもさすがにもう諦めた方がいいんじゃない?
期日までもうそんなに時間ないでしょ?」
「……まだ2ヶ月ありますから大丈夫です」
「そう言って、卒業できなかった学生さんをたくさん見てきたなぁ」
「私は大丈夫です!」
「ならいいんだけど」
リーヴは楽しげに草をむしった。
まるで私が落ちこぼれる瞬間を今か今かと楽しみにしているみたいに。
(ほんと性格が悪い)
私は根がはった雑草を思いっきり引っこ抜く。
「——さてそろそろ終わりにしよっか」
ある程度、雑草を取り終わった頃、リーヴが立ち上がり腰に手を当てた。
「いや。あともう少し……ここら辺抜かないと害虫が野菜につきます」
「確かに。さすがリリアね」
「はぁ? これくらい普通ですよ」
「今年の首席さんはお手入れが丁寧で、私、好きだなぁ」
「気持ち悪い冗談はよしてください」
「……ほんとのことなのに」
「なお気持ち悪いです。あとは私がやっておきますからリーヴは休んでいてください」
「えぇ~……じゃあお願いしようかな。いつも通り、お茶とお菓子用意しておくね」
そう言うとリーヴは私を残して家へと戻っていった。
ひとり残された庭で、今日の勝負を反芻しながら私は黙々と雑草を抜いていった。
——リーヴは百年前からこの谷に住み着いている魔女だ。
彼女が張った結界は致命傷を治すほかに、大人の侵入を拒む効果があった。
リーヴが住み始めた頃、私の国の王様が兵を率いて無理やり彼女を追い出そうとした過去があったからだろう。
それ以来、この谷に入れるのは、成人を迎えていない子供だけ。
だけど私たちでさえ谷を抜けて隣国側に出ることはできなかった。
だから隣国へ行くには、海から大きくまわり込むか、高く険しい山を越えるしかない。
この谷さえ自由になれば、両国の行き来はうんと楽になり、交流も盛んになる。
そういうわけで私たち——王立魔法学校の学生に白羽の矢が立ったのだ。
王立魔法学校は卒業試験として、『魔女のリーヴを隣国との国境沿いにあるこの谷から追い出す』という課題を作った。
とはいえ必ずしもこの課題を受ける必要はない。
王立魔法学校の卒業試験は自由選択制だ。
選んだ試験を受けてクリアすれば、晴れて卒業ができる。
試験の難易度はピンからキリまである。
簡単なものなら『王都近くにある森の奥に自生している、最近発見された珍しい薬草を摘んでくる』とか一日で終わる。
難しいものだと『毒を持つ九本の首を持つ蛇を倒してくる』とか『どんな病や欠損も治す万能薬の生成』とか、命にかかわったり半年以上、時間がかかる内容だったりする。
もちろん難易度に応じて成績がつけられ、成績次第ではどんなところでも就職可能だ。
そして彼女——リーヴの課題は最高難易度だった。
たいがい私のような首席学生が挑む。
今回のように勝負をしたり、暗殺を企てたり、はたまた穏便に交渉を試みた学生もいた。
だけど歴代の誰ひとりとしてクリアしたことがない。
だが成し遂げれば名実ともに歴代一の首席学生だ。
ほぼ無条件で名誉ある宮廷魔法使いになれて一生安泰。
それどころか孫の代まで養えるほどの恩賞が貰えるという噂まである。
田舎育ちで貧乏平民の私にとって、それは非常に魅力的なものだ。
今まで睡眠時間も削り、血の涙を出し、貴族が多数を占める王立魔法学校でそんな貴族を出し抜いて首席にまで上り詰めたのだ。
この卒業試験も難なくクリアして、お父さんやお母さん、それに病気がちな妹も楽させてあげるんだ。
それが私がこの試験を選んだ目的だった。
「よし。ひととおりこんなものか」
最後の草を抜いて私は立ち上がった。
家の窓からは、湯気の立つカップがふたつ見えた。
それがとても穏やかでリーヴの余裕を見せつけられているようで、悔しい。
明日こそは一矢報いてやる、と私は心に誓って家に向かった。
別にリーヴと話をしたいわけではない。
このまま帰ったらせっかく用意してくれたお菓子とお茶が勿体ないからだ。
リーヴの作るお菓子には罪はない。
別に食べたいわけではないけれど、うん、仕方がない。仕方ないよね。
私は口元の涎を拭って家の扉を開けた。
2
期限まで残り1ヶ月。
「また負けたぁぁぁあ!!」
キッチンで私は悔しさのあまり大声で吠えた。
「あ、こら。リリア。キッチンで大声はダメだよ。唾が飛んじゃうでしょ?」
リーヴはオーブンの火加減を調整しながら私に注意する。
「知らないですよ。私が食べるんですから良いでしょう?」
「……私も食べるんだけどなぁ。
ま、いっか。リリアの唾入りマドレーヌなんて貴重だし」
「うわっ。きもちわるッ! ほんとそういう冗談やめてください」
「ほんとのことなんだけどなぁ」
「なお気持ち悪いです。ほら。もう生地できましたよ」
私はボウルの中身をリーヴに見せる。
ボウルには、バターや砂糖、卵、それにレモン果汁が贅沢に入ったクリーム状の生地が入っていた。
「うん。完璧。さすがリリア。あとはこれを型に入れてオーブンで焼くだけね」
リーヴは満足そうに笑みを浮かべた。
——今日の罰ゲームはお菓子作りの手伝いだ。
私とてお菓子は嫌いじゃない。
だから手伝うのは別にいいんだけど、正直屈辱だった。
この卒業試験は、リーヴにとっては自分の居場所を賭けた真剣勝負のはずだ。
負ければ当然、百年住んだこの谷を追われることになる。
だったら私の罰として草むしりでも薪割りでも、いや、それよりも遥かに重い重労働を強いてくれた方がまだましだ。
なのに今日はお菓子作り? 罰が軽すぎる!
しかも敵を自分のキッチンに立たせるなんて。
この人は私を脅威にすら思っていないのだ。
もう期限も1ヶ月しかないというのに。
和やかな午後を、私は毎日のように強制されている。
もう本当に耐えられなかった。
——けれど。
「うん。さすがリリアね。美味しく焼けてる」
「……そうですね」
このレモンマドレーヌは美味しかった。
そんな感情をリーヴに見せたくなくて、素っ気ない態度を取る。
「ふふ……」
けどリーヴは私を見て嬉しそうに微笑んだ。
「…………なんですか?」
「いや。リリアも幸せそうだなぁって思って」
「——ッ!! うるさいですよ。この魔女め!」
「あ、私のマドレーヌ……」
私は中央の大皿に乗った最後のマドレーヌを手に取って一口で貪った。
リーヴが悲しそうな声を出したが、知ったこっちゃない。
敵に情けは必要ない。
——それよりもどうやったらこの魔女に勝てるのだろう。
一般攻撃魔法や封印魔法、結界魔法、それに最上級魔法。
あらゆる手を使ってリーヴを攻めたがまったく歯が立たなかった。
全ていなされてカウンターを決められるのがいつもの流れだった。
しかもリーヴは攻撃に低級魔法しか使っていない。それも日に1種類だけ。
2日前は雷属性で感電。
昨日は火属性で燃やされ。
今日は光属性で身体を貫かれた。
リーヴは何も言わないが、自ら縛りを課して、私との戦闘を楽しんでいる。
完全に舐められている。
いや、舐められて当然。そこまで私とリーヴとの差は圧倒的だった。
せめてそのいやらしい微笑を崩すことができればいいのだが。
「それにしてもリリアはバカ真面目ね」
「バ……ッ! バカ!?」
それは心外だ。これでも王立魔法学校の首席。
その私にバカとはどういう了見か。
「そんなに怒らないでちょうだい。そういう意味で言ったんじゃないんだから。だから杖を下ろして」
「じゃあどういう意味で言ったんですか?」
私は杖をリーヴに向けつつ冷たい口調で問い詰める。
「ふふ……だってあなた、私との勝負しかしていないじゃない」
「…………は?」
「しかも正攻法。今時珍しいよ。去年の首席さんなんて『一緒に旅行しませんか?』って交渉してきたりしたんだから。
物理的に私をこの谷から離れさせようとしていたみたい。
……まぁ『2ヶ月の準備を頂戴』って言ったら怒って攻撃してきたけど」
とリーヴは思い出したようにほくそ笑む。
「だからどうしてかなって思って」
「……だって卑怯じゃないですか」
私は即答する。
「卑怯?」
「えぇ。卑怯です。確かに歴代の首席の方の戦い方は調べましたよ。
でもほとんど卑怯な手口ばっかです」
リーヴが言うように言葉巧みに交渉で立ち退かせようとしたり、毒を使ったからめ手で倒そうとしたり、超遠距離からの狙撃で倒そうとしたり。
由緒ある王立魔法学校の首席の風上にもおけないやり口だ。
「みんな、真っ向からリーヴを倒すのは諦めてます。
そんなんじゃ胸を張って卒業できません。
将来、妹や子供に話せない手口で倒しても意味がありませんから」
「……なるほどねぇ。若いねぇ~」
「バカにしてます? バカにしていますよねぇ?」
「いやいや。立派だなって思ってね」
リーヴは私のことを微笑ましそうに見つめお茶を啜る。
「まぁリリアとなら旅行は楽しそうでいいけれどねぇ。本当に行く?」
「私は楽しくないので遠慮しておきます」
「あら。残念」
と言うもののリーヴは余裕そうな表情を見せている。
おそらく私が何を言っても動揺なんてしないのだろう。
「ところでリリアは、『どうして私がこの谷から立ち退かないのか』知ってる?」
「はい。学校の図書室で読みましたから」
私は頷く。
「この谷には、純度の高い魔鉱石があるんですよね?」
「えぇ。そう。私達魔法使いが使う杖に埋め込むための、ね」
「リーヴは谷に住み着いてその魔鉱石を——どういうわけか——占領しています。
だから私の国も隣国も他国に強く依存しています。初心者用の杖でさえ他国の10倍くらいの値段ですよ?」
「あ、もうそんなに高くなっているの? 時代ねぇ」
「そう・なん・です!!」
私はバンと机を叩き前のめりになってリーヴを睨んだ。
「せめて魔鉱石を採掘する権利くらいください。採掘する気もないんでしょ?」
これは私の試験とは関係のない交渉だ。
「ん~……無理」
「なぜですか?」
「理由はふたつかな」
リーヴはそう言うと一本の指を上げた。
「ひとつは戦争になるから」
「戦争……?」
「私がこの谷を占領した時代については、当然知っているよね?」
「……はい。戦争中だったと。リーヴがこの谷を占領したことで、結果的に戦争が終わりました」
「正確には休戦中。私という存在によって強制的に止めさせたんだから」
「でもその時に大量虐殺してますよね?」
「……んん?」
リーヴは少々怪訝そうな顔を見せて首を傾げる。
「資料では、この谷を占領する時に大量に人を殺したとありました。今でもこの谷にはその殺された人達が埋められているとか」
だからリーヴは『災厄の魔女』と呼ばれ、両国から指名手配を受けている大罪人でもあった。
「へぇ~。そんなこと書いてあったんだ」
「私はそれが許せません。いくらなんでも殺すのは間違ってます」
「でもそのおかげで戦争が止まったんだし、結果オーライじゃない?」
「でも……だったら。もう解放してもいいじゃないですか。
今、両国はとても良好な関係を築いていますよ。
この前も両国の魔法学校の交流会がありましたけど、隣国の学生も先生も優秀で穏やかな人達ばっかりでしたよ。
この関係性で戦争なんて起こるわけないじゃないですか」
その交流会で手紙を送り合う仲の友達もできたし。
もう私達の代では終戦宣言をしてもいいくらいだ。
リーヴを立ち退かせれば、私もある程度の発言力が持てるはずだ。
それについても王様に進言してもいいかもしれない。
今の王様は子供だから、正確には宰相様に、だけど。
けれどその私の発言をリーヴは微笑ましそうに頬杖をついていた。
「………………若いねぇ~」
「なんかバカにしています?」
「まさか。可愛らしいって思っているだけ」
——バカにしてるんじゃない!
「はぁ。まぁいいですけど。もうひとつは?」
リーヴは理由がふたつあると言っていた。
ひとつが——起こるはずがない——戦争回避だとして、もうひとつはまだ聞いていない。
だが。
「ん~……もうひとつ? そんなこと言ったっけ?」
「は? ふたつ理由があるって言ってたじゃないですか」
「いいえ。ひとつだけよ」
リーヴははっきりと言った。
「私は戦争を止めるためにこの谷を占領したの。それ以上でもそれ以下でもないわ」
張り付いたような笑みを見せた後、リーヴはそれ以上何も言わなかった。
3
期限まで残り2週間。
「リリア・ハーヴェスト。卒業試験の進捗を答えよ」
「…………はい。魔女のリーヴとの勝負は未だ継続中。一戦一戦リーヴとの戦闘を分析し、鍛錬をし直して挑んでいます。明日からも継続して魔女の住む谷に向かいます」
今日は王立魔法学校での進捗報告会だ。
ひとりひとり呼び出されて魔法学校の先生方に卒業試験の進捗を説明する。
もうクリアした者は免除されるが、クリアしていない者はこうして説明しなければならない。
とはいえ、期限まで残り2週間。
報告する義務がある人数はだいぶ少なくなった気がする。
報告会は毎回憂鬱だ。
私を囲むように座っている十数人の先生が厳しい目で私を見ているのだ。
それに加えて私は何も進捗がない。
リーヴを倒す算段がついていない状態なのだ。
「継続中か……」
複数人の先生から落胆を感じさせるため息が漏れた。
「今年も無理ですかね?」
「歴代最高とも言われたリリアならもしかしたら、と思っていたんだが、な」
「ふん。所詮は田舎のサルよ。こんな田舎者に手柄を立てさせるべきではない」
「今の発言はどなたですか? 差別発言ですよ」
「やはりリーヴを追い出すことは不可能か?」
魔法学校の先生方の会話で、部屋の中はざわざわとし出す。
聞こえないように囁いているつもりだが、全部聞こえている。
貴族の学生が多いこの学校では、貴族出身の教師もいる。
私が首席になったことで鳴りを潜めたが、私のことを快く思っていない先生は少なくない。
リーヴを立ち退かせることに失敗すれば、彼らからのバッシングもここぞとばかりに激しくなるだろう。
「報告は以上です。失礼します」
私はギュッと拳を握りしめて、お辞儀をする。
その後、何も言わずにこの部屋をあとにした。
進捗報告会はいつも嫌いだ。
——早く谷に行かなくては。
★★★
「待ってくれ。リリア・ハーヴェスト」
廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「げ……ドリトウさん……」
「やぁ。リリア。2年ぶりだねぇ」
嫌な人に会ってしまった。
小太りで上等な茶色の上着を着こなし、指には極太の黄金の指輪をいくつも嵌めた男——ドリトウ・ギルタールが、ニヤニヤとしながら私に手を振っていた。
「……こんなところでどうしたんですか?
ここはあなたのような金貸しが来るようなところじゃありませんよ」
「ひどいなぁ。リリアにもたっぷりと援助したじゃないか」
ドリトウさんは金貸し屋だ。
私のような田舎育ちの貧乏学生を対象に金を貸す商いをしている。
卒業した後でゆっくりと返済していけばいい、と口当たりのいい言葉をかけてくるが、この男は信用ならない。
卒業後、高額な利子をつけて返済を迫ってくるのだ。
その返済に苦しんで、破滅した人生を歩む学生も少なくない。
「はい。ですが私が首席になった時に全て免除になりましたので」
王立魔法学校の制度では、成績優秀者には学費が免除される。
加えて首席になると、入学までにかかる費用や在学中にかかる生活費や諸費用を全て援助してくれる。
借金についても全て免除だ。
私はその制度を利用してドリトウさんとの縁を完全に断ち切った。
まさか卒業前に出会うとは思わなかったけど。
「えぇえぇ。そうだったねぇ。あの時は僕も祝ったものさ。ほら。田舎者がこの学校の首席になるなんて滅多にないからさ」
「お話は以上ですか?」
ドリトウさんと世間話する気はない。
この人は信用ならないし、何をされるかわかったものじゃない。
しかも最近、宰相様の政敵の公爵様とも裏で繋がっているとか良くない噂も聞く。
「あぁ待て待て! せっかちは嫌われるよ。まったく……」
ドリトウさんはハンカチで自分の額についた脂汗を拭いた。
「リリア。君はリーヴを立ち退かせようとしているんだろ?」
「それが何か?」
「僕も一枚噛ませてくれないか?」
「はい? どういうことですか?」
「僕としてもリーヴはさっさと立ち退いてほしいんだよね。
もしリーヴが立ち退いたら、公爵様から魔鉱石の採掘権を一任されていてね。
リーヴの立ち退きに協力させてほしいんだ」
「——お断りします」
「早いな!」
私が間髪入れずに答えると、ドリトウさんは目をひん剥いて叫んだ。
「ドリトウさんとは協力しません。私は正々堂々、リーヴに勝ちたいんです」
それにドリトウさんに貸しを作ると何をされるか、たまったもんじゃない。
「でも正攻法では期限内には無理。そう考えているんじゃないか?」
「喧嘩売っていますか?」
「待て待て! 話はここからだ。だから杖を下ろしてくれ」
ドリトウさんが焦ったように両手を上げたので、私も杖を下げた。
まったく、と言いつつドリトウさんは懐から小瓶を取り出した。
「それは?」
「魔力を乱す毒薬だよ」
「————ッ!?」
「最近開発された新薬でね。なんでも数年前に発見された珍しい薬草を使っているそうなんだ。つまり百年間あの谷に引きこもっているリーヴは知らない薬だ」
それが本当ならリーヴは対処できない。
それに魔力を乱すだけで致命傷にならないのならば、結界が自動で治すこともない。
この毒薬でリーヴが一瞬でも隙を見せたのなら、私の魔法で一撃は当てられるかもしれない。
「なんでそんなものドリトウさんが?」
「公爵様に譲ってもらったんだよ。ほらあの方、薬の開発もしているだろ?
——で、どうだい? 使ってみたくはないか?」
「お断りします」
「だから早いな!」
「さっきもおっしゃっているじゃないですか。私は正々堂々と勝ちたいって」
そんな薬を使うなんてズルだ。いい加減、邪魔をしないでほしい。
「別に勝つだけが方法じゃないんだろう?」
「それは……そうですけど」
これはポリシーの問題だ。
別にそれで卒業できなくても構わない。
期限ぎりぎりまではせめて抗わせてほしい。
「はぁ……相変わらず頑固でバカ真面目だねぇ」
そんな私にドリトウさんは大きくため息を吐いた。
なんとでも言ってくれ。
私にだってプライドがあるのだ。
「こればかりは使いたくはなかったけど……仕方ない——リリア」
ドリトウさんの雰囲気がなんとなく変わった気がした。
「——妹がどうなってもいいのかい?」
「——ッ!? どういうことですか?」
妹は今、田舎で両親と暮らしているはずだ。
ドリトウさんと妹は関係ない。
「実は君の借金はまだ残っているんだよね」
「え……!?」
「確かにリリアが首席になった時、学校にかかわる全ての費用は免除になったよ。僕も国からお金を返してもらったさ——無利子のままね。
でもそれは別にいいんだ。そういう制度だから仕方がない。
けれどね。リリア。君は田舎から王都までどうやって来たのかな?」
「……え……? それはパパが交通費をくれて……——まさか……!?」
入学前の交通費は私のお小遣いで充分行ける距離だった。
だからパパには一度、その援助を断っていた。
だけど『そのお金は王都で使いなさい』と言われ、結局受け取ったのだ。
「そのまさかだよ。交通費も僕が貸していたんだ。
運が良いことに王都までの交通費は免除制度の中には入っていない」
「……そんな少額で」
「少額? あぁ。そうか。
君のパパはね、同じ証文でもう一口借りているんだよ——妹さんの薬代をね」
「そんな……パパ……」
まさかそれも借金していたとは。
しかもそれと同じ名目で妹の薬代まで?
眩暈がしそうだ。
「これまでの利子をつけて、リーヴ立ち退きによる報奨金くらいにはなる。
そして妹はその借金の担保だ」
「お願い……! 妹だけは。体が弱いの!」
「うん。そうだね。体が弱いんだよね。妹さん。
大丈夫。うちの屋敷は暖かいから。住み込みで働いてもらえれば薬代も心配いらないよ」
ドリトウさんは指輪の嵌った指で、ゆっくりと唇を撫でた。
「ドリトウさん……!」
気付けば私は頭を下げていた。
「お願いします。妹だけは。本当にお願いします」
「じゃあ僕が言いたいこと……わかるよね?」
そう言ってドリトウさんは毒薬の入った瓶を私の前に差し出した。
私は震える手でその小瓶を受け取った。
4
期限まで残り5日。
「あ、あら……リリア……い、いらっしゃい」
扉を静かに開けると、リーヴは相変わらず朝の体操をしていた。
「いつ振りかな? もう諦めちゃったと思ったよ」
そう言いながらリーヴは汗をタオルで拭った。
進捗報告会以降、私はリーヴの家に訪れることはなかった。
リーヴが「諦めた」と考えても文句は言えない。言うつもりはないけれど。
「少し……体調を崩してまして」
嘘だ。体調なんて崩していない。
「あら。そうなの? もう大丈夫なの?」
だけどリーヴは私の嘘をあっさりと信じている。
本気で心配そうな顔をして私を見つめていた。
「おかげさまで。ご心配おかけしました」
「そう? でも……じゃあ今日は勝負やめておく?」
「そんなイジワル言わないでくださいよ。期日ももう差し迫っているんですから」
「でも……体調悪かったんでしょ? まだ顔色も良くなさそうだし。
本調子じゃないのに勝負なんてして大丈夫なの?
私は別に勝負じゃなくてもいいんだよ。立ち退くかどうかは別にして」
「——やめません!!」
思わず叫んでしまった。少し不自然に思われてしまったかもしれない。
私は取り繕うように作り笑いを見せる。
「あ、いや……勝負以外で立ち退かせる方法なんて思いつきませんし、このままで大丈夫です」
「…………そっか」
リーヴは少し黙った後、少々不本意そうな表情を見せつつも杖を取り出した。
とりあえず私の思惑はバレていなさそうだ。
「なら。もう勝負を始める?」
リーヴの問いに私は首を振った。
「あ、いえ。今日はその前にお茶しませんか? ちょっと急いで来すぎたので喉がカラカラで」
これも嘘だ。本当は重い足を無理やり動かして、いつもよりもゆっくり来た。
けれどリーヴに勝つためには、この嘘が必要だ。多少不自然でも、無理やりでも。
幸いリーヴはその私の嘘も信じたようで、嬉しそうに微笑んだ。
「そう。なら今日は先にお茶をしましょ。ちょうど良い茶葉が取れたところなんだ」
そう言ってリーヴはキッチンの方を振り返った。
★★★
「——あ、リーヴ。私が持っていきます」
お茶が淹れ終わった頃を見計らい、私はキッチンへ向かった。
「助かるわ。じゃあ私はお菓子の用意をしておくね」
リーヴは私を疑う様子もなく、ティーカップが置かれたお盆を私に渡した。
私はお盆をテーブルまで運ぶと、リーヴの様子をそれとなく見る。
リーヴは今、私に背中を向けている。
信頼されているのか。それとも私を脅威とすら思っていないのか。
どちらにせよ、都合がいい。
私は懐から小瓶を取り出した。
ドリトウさんから受け取った『魔力を乱す毒薬』だ。
ドリトウさん曰く、無味無臭で、効果に時間がかかる遅効性の毒——つまりはすぐに気付かれることはない。
百年この谷に引きこもっていたリーヴには、見当もつかないはずだ。
私は震える手を抑えつつ、小瓶の栓を抜いた。
『将来、妹や子供に話せない手口で倒しても意味がありませんから』
いつか自分で言った言葉が、頭の中で木霊する。
私はその言葉を振り切るように首を振った。
妹のためだ。家族のためだ。
そう言い聞かせて、私は毒薬をリーヴのカップに静かに垂らした。
「——リリア」
「——ッ!!」
毒薬を懐に戻した瞬間、リーヴが後ろから私に声をかけた。
私はビクッと体を強張らせる。
——まさか毒薬を入れていたところを見られた?
恐る恐るリーヴの方を振り返る。
だが、リーヴは何も疑っていないような朗らかな笑みを向けていた。
その両手にそれぞれミルクポットとレモンシロップが入った瓶を掲げて。
「忘れてた。ミルクとレモン……どっちがいい?」
「……ミルクください」
「りょーかい。じゃあ私もミルクで」
そう言うとリーヴはお菓子の皿が乗ったお盆にミルクポットを乗せた。
「じゃあお茶にしましょうか」
「……はい」
——これでリーヴがお茶を飲みさえすれば……。
私はゴクリと唾を呑み込んだ。
★★★
「さて。それじゃあもう始めようか」
「お願いします」
しばらく経った後、私とリーヴはいつものように谷の奥に来ていた。
その場所にはすり鉢状の窪地があり、私達はいつもそこで勝負を繰り広げている。
お互い杖を出し、臨戦態勢は整っている。
いつ攻撃を仕掛けられても対応できる。
結局、リーヴはいつもと同じように、美味しそうにお茶を飲み干した。
私もお茶を飲んだが、いつもより味が薄く感じた。
お菓子も何を食べたか、正直覚えていない。
「——今日は〝水〟にしよう」
リーヴはそう宣言すると、突然、私の真上に大質量の水球が出現した。
「くっ!!」
私はすぐに水球に杖を向け、閃光魔法を放つ。
閃光に貫かれた水球は破裂し、辺り一面に豪雨のように降り注いだ。
その様子を見て、リーヴは杖で作った傘を差しながら不敵な笑みを浮かべる。
「さすがリリアね。あの水球を一瞬にして破裂させるなんて」
「一応、これでも病み上がりなんですけど。水属性って……風邪がぶり返したらどうしてくれるんですか?」
私はリーヴを睨む。
リーヴは私との勝負では、一種類の低級魔法しか使わない。
水にする——つまり今日は水属性の魔法を使うということだ。
だが、あの水球はどう見ても低級レベルではない。
リーヴの手にかかると低級魔法も一気に災害レベルだ。
「あっはっはっ。ごめんごめん。でももう決めちゃったから」
リーヴは悪びれもせずに大笑いする。
相変わらず容赦がない。
その容赦のなさで私は辛酸を舐めてきた。
だが、今回は違う。
「そっちがそのつもりなら。私にだって考えがあります」
私は足元に広がった水たまりに杖を向けた。
水球が破裂したことで散らばった水を一瞬で凍らせ、氷の壁をいくつも作り隠れる。
「あら。隠れちゃった……?」
とは言うものの、リーヴは迷わず水球を私が隠れた氷の壁に当て破壊する。
砕けた氷の破片が私の頬を掠めた。
「リリア。みーっけ」
「くっ……」
私は顔を歪ませて、また別の氷の壁に逃げる。
だが、その壁もすぐに破壊される。
私はまた別の氷の壁に逃げ隠れた。
「無駄だよ。そんなことしても」
リーヴが水球を何個も周囲に浮かべ——弾く。
水球は氷の壁を貫き、全て破壊する。
「——イッ……!」
しかもそのひとつに隠れていた私の肩をも貫いた。
血が噴き出し、鋭い痛みに気を失いそうになる。
「くぅぅ……ッ!」
だが、私はめげずにまた氷の壁をいくつも作って、隠れた。
「うーん? 時間稼ぎのつもり? 何か考えがあるのかな?」
リーヴは首を捻っているが、まだ私の考えには気付いていないようだ。
「ま。でも全て破壊すれば問題ないよね」
とリーヴはまた氷の壁を破壊しようと、水球を召喚しようとする。
だが。
——ポチャン……。
「……あれ?」
リーヴの周囲に浮かんでいた水球のひとつが力を失ったように地面に落下した。
(——来た!)
私はすぐさまリーヴの前に姿を現し、杖を向け閃光魔法を放つ。
閃光魔法は数ある魔法の中で最も速い。
さすがのリーヴも反応し、防御魔法を展開しようとする。
だが。
「あれ?」
防御魔法が発動しない。
毒が効き魔力が乱れた証拠だ。
それでもさすがはリーヴだった。
魔法が出なくて戸惑っているはずなのに、すぐに体を動かし閃光から逃れようとしていた。
だが、間に合わなかった。
「——……ッ!!」
閃光がリーヴの手を掠め、握っていた杖が弾き飛ばされた。
白い手の甲に、一筋の紅い線が走った。
私はようやく、とうとうリーヴに一発当てることができた。
この瞬間をずっと夢見ていたはずだった。
だが、体の芯が一気に冷たくなったのを感じた。
★★★
「当たっちゃった……」
「そうですね。私の勝ちです」
「うーん……なんだか変な感じだけど」
リーヴは怪訝な顔で杖を見ていたが、すぐに私の方を見て少し切なそうに微笑んだ。
「おめでとう。リリア。あなたの試験はクリアよ。約束通り私は立ち退くわ」
その言葉を聞いて肩の力が抜けたのと同時にズキッと胸が痛んだ気がした。
「あれ?」
そんな私の様子に違和感を持ったのか。
リーヴは不思議そうに首を傾げた。
「嬉しくないの?」
「いえ……嬉しいですよ」
それは本当の気持ちだ。
今まで手さえ出せなかった災厄の魔女——リーヴに私は一矢報いることができたのだ。
嬉しくないわけはない。
——姑息な手を使ったことを除けば。
「これで私は名実共に歴代一の首席になりました」
「そう。ならよかった……でもこれからが大変だね」
「どうしてですか?」
「まずは戦争を止めなきゃね」
「前も言いましたが起こりませんよ。そんなこと。リーヴは心配性ですね」
「ふふ……ならいいんだけど。まぁでも何か助けが欲しかったら呼んで頂戴」
リーヴはゆっくりと浮かび上がった。
「これも何かの縁。リリアの呼びかけにはいつでも耳を傾けておくわ————」
そう言った瞬間、リーヴはその場から消え、谷に張られた結界も消失した。
結界が消えた谷には、リーヴの家だけが残された。
草をむしった庭も、食べかけのお菓子も、そのままに。
5
「卒業生代表リリア・ハーヴェスト」
「はい!」
先生の呼びかけに私は堂々と立ち上がる。
王立魔法学校の濡れ羽色のガウンを翻し、私は壇上へと上がった。
「あの子がリリア? 歴代一の首席の?」
「彼女が、誰も成し遂げられなかった災厄の魔女——リーヴを立ち退かせた英雄か」
「国の誇りだな」
演台の前に立つと、背中からざわざわと私を称賛する声が聞こえた。
どの声も、私の名前を呼んでいる。
進捗報告会で私に侮蔑の視線を送っていた先生でさえ、鼻高々にして胸を張っていた。
前にいる校長もどこか誇らしげな顔だ。
校長はゆっくりと私に卒業証書を渡した。
「おめでとう。私は君のことを信じていたよ」
「……ありがとうございます」
校長が手を差し伸べてきたのでそれに応じると、会場は大きな拍手で包まれた。
★★★
リーヴが去った後、学校に報告をすると、すぐに王都中で騒ぎとなった。
先生たちは慌てふためいて、事実確認と国王への報告に奔走し、やがてそれが事実だと判明すると、手のひらを返したように私を称賛した。
だけど私はその称賛を浴びても、あまり満たされることはなかった。
どこか胸にぽっかりと穴が空いた感じで、達成感もない。
試験が終わって少し燃え尽きたのかもしれないし、毒を使ってしまったというのが引っ掛かっているのかもしれない。
ただ私を田舎のサルと呼んだ先生でさえ「さすが私が教えただけはある!」と言っていたのは少し笑えたけど。
「——やぁ。リリア・ハーヴェスト。首席おめでとう」
卒業式が終わり廊下を歩いていると、会いたくなかった人に声を掛けられてしまった。
「……ドリトウさん。ありがとうございます」
私は事務的にお辞儀をした。
「僕が渡した毒薬はうまく効いたんだね」
「…………えぇ。おかげさまで。リーヴを立ち退かせることができました。
これで妹の件はなかったことになりますね?」
「うん。期日までに支払ってくれればね。
可愛らしい妹だったから非常に残念だけど、まぁ仕方ない」
ドリトウさんはニヤニヤと笑みを浮かべつつ大袈裟に肩を落とした。
「そうですか。よかった。では報奨金が支払われたら、すぐに払いにいきますね」
「ん? 支払われたら? まだ貰っていないのかい!?」
「? はい。支払いはもう少し待ってくれと言われましたので」
「あぁ。なんということだ。リリア。それはまずいねぇ」
「どういうことですか?」
するとドリトウさんは準備していたように懐から証文を取り出すと私に見せつけた。
「期限はね。〝明日まで〟なんだよ」
「え!?」
私は慌ててドリトウさんの証文を掴んだ。
確かに明日が期日だとサインの横に記されていた。
「あぁ~。これは困ったねぇ。返済がないと」
「……なんとかなりませんか?」
「ん? いや。遅れても支払ってくれれば問題ないよ」
ドリトウさんの言葉に私は半ば安堵の息を吐く。
だが——。
「ただ担保は担保。遅れる分、仮押さえはさせてもらうよ」
「え……?」
「それに遅れる場合、その分、利子も上乗せだ。当然だよね?」
「ま、待ってください。ということは妹は?」
「残念だけど、期日までに支払えない以上、君の妹は引き取らせてもらうよ。
なに預かるだけさ。君が払ってくれればすぐに返すよ。
それまで僕の屋敷で大事に面倒を見てあげるからね」
「そ、そんな……!?」
私はドリトウさんの両腕をガシッと掴んだ。
「お願いです。なんとかなりませんか? お金は必ず支払いますから。ですから妹だけは!」
「ダメダメ。こっちだって商売なんだ。それに支払うって言ってるけど、本当に報奨金なんて出るの?」
ドリトウさんが勝ち誇ったように私に向けて口角を吊り上げる。
「噂によると、これから戦争が始まるそうじゃないか」
「…………え?」
——まずは戦争を止めなきゃね。
リーヴが去る前に言い残した最後の言葉が頭の中で鳴り響いた。
★★★
「嘘……」
ドリトウさんの話を聞いてすぐにリーヴの谷に向かい、谷を見渡せる崖に着くと、
「もうこんなにも兵が……?」
既に谷を挟んで両国の兵が睨みあっていた。
兵士たちはまだ谷に立ち入っていない。
お互いに牽制し合っていて、戦争の合図を今か今かと待ち受けていた。
そのため幸いリーヴの家もリーヴと戦った窪地もまだ被害は出ていない。
だが、それも時間の問題だろう。
『魔女の谷には、純度の高い魔鉱石が採れる。両国はそれを独占したいわけだから当然だよね』
去り際、ドリトウさんが言い放った言葉を思い出す。
『戦争が始まるなら、大量に金がいる。田舎娘ひとりの報奨金なんていつ出るものやら』
——だからか。
報奨金を待ってくれと言われたのも。
しかもドリトウさんがあんなにも余裕そうで、演技臭かったのも。
上の人はみんな知っていたのだ。
『君がリーヴを立ち退かせたせいだよ』
「——私の……せい?」
膝から力が抜けて、その場に崩れ落ちた。
「だってあんな皆……仲良くしてたじゃない……」
魔法学校の交流会で隣国の学生たちと笑い合ったことを思い出す。
手紙をくれたあの子も、戦争が始まることを予期していたのだろうか。
あんなにも仲良くしていたのに。
『仲が良くても、戦争は始まるんだよ』
「くそ……くそ……」
爪の間に土が入る。
それでもかまわずに私は土を抉った。
——戦争は起こらない。
そう楽観視していた私がバカだった。
それにドリトウさんに騙されていたのも情けない。
もっと警戒していれば。もっと考えていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
結局、私はどこまで行っても田舎のバカ娘なのだ。
——————。
突然、戦いの角笛が鳴り響いた。
「「「うぉぉぉぉおおおおお!!!!」」」
殺気立った兵の雄叫びがその合図に合わせて轟いた。
「ま、待って……! やめて……!」
無駄だとわかりながらも、私は叫んでしまう。
当然、私の声なんて兵達には届かない。
「私がバカだった。だからこんな戦争……!」
『助けが欲しかったら呼んで頂戴』
ハッとした。
あの人はそう言ってくれた。
毒を盛った卑怯な私に。
——呼べるわけがない。
けれど。
私にはもうそれしか残っていなかった。
「——リーヴ……!」
「あ~ぁ。だから言わんこっちゃないね」
「————ッ!」
そんな声が聞こえたのと同時に、周囲が光に包まれた。
6
眩い閃光と爆音が谷の真ん中で炸裂し、両国の兵士たちを巻き込んだ。
谷を遠くから見つめていた私はその閃光からいち早く回復し、周囲を眺めた。
耳を押さえている兵士もいれば、目をゴシゴシと擦っている兵士もいた。
その隙にひとりの女が谷の真ん中に降り立った。
——リーヴだ。
「まったく。いつの時代もみんな戦争が好きだねぇ」
リーヴが杖を振ると、リーヴの周りに光の結界が出現する。
その結界はゆっくりと大きくなり、ぶつかった兵士は谷の外に押し返された。
そして全ての兵士を谷の外に追い出すと、また誰も寄せ付けない結界が出来上がった。
「魔女のリーヴ! 貴様、立ち退いたんじゃないのか!?」
ひとりの兵士が怒声を上げた。
「えぇえぇ。立ち退いたわよ。でも戻ってこないとは言っていないわ」
「くそぉぉおお!」
リーヴを攻撃するかのように剣を振り上げる。
だが、この結界は剣も槍も、それに魔法も防いでしまう。
ガキンという金属音を奏でて、剣が弾かれた。
それでも両国の兵士たちは結界を叩き続けた。
時には魔法を放った。
だが結界は壊れることはなく。
しばらく攻撃を続けていたが、やがてひとりひとり疲弊していき——結局、撤退を余儀なくされた。
★★★
「さて。リリア。終わったわよ」
両国の兵士が立ち去った後、いつの間にかリーヴは私の目の前に立っていた。
「……どうして来たの?」
「リリアが呼んだんじゃない」
——確かに呼んだけど。
「来てくれるとは思ってなかったから」
「それって……リリアが毒を盛ったから?」
私はコクリと頷いた。
(やっぱり気付いていたんだ……)
私はリーヴに卑怯な手を使って勝った。
戦いの後、リーヴも不可解と言わんばかりに首を傾げていた。
二百年以上も生きて、百年間この谷から立ち退かなかった魔女だ。
気付いていてもおかしくはない。
なのにもかかわらず、リーヴには私を責めようという雰囲気がなかった。
——むしろ。
「あら。本当に使ってたの?」
「え……?」
本気で驚いている様子だった。
「まさか……カマかけたんですか?」
「いやぁ。おかしいとは思ったんだよね。リリアの出した氷の壁もちょっと歪だったし。
ほら健全な魔法は健全な体と心からでしょ?
体調が良くなかったって言ってたからそれかなぁ? って思ったんだけど、まさか本当に毒を使っていたとは」
リーヴは自分で納得したようにうんうんと頷いていた。
「それで戦う前からちょっと様子がおかしかったんだねぇ。リリアはほんと真面目だねぇ」
リーヴはそう言うと、カラカラと笑った。
私は顔が熱くなるのを感じてそっぽを向く。
「……うるさいですよ」
「で? そんな真面目なリリアに卑怯な手を教えたのってコイツ?」
とリーヴの横に出現したのは、ドリトウさんだった。
「ん〜!! ん〜〜〜!!」
体を縄で捕縛されて、猿ぐつわをされていた。
「ド……ドリトウさん!? どうして?」
「偶然だよ。偶然、リリアを虐めてるのを見かけてね。連れてきちゃった」
リーヴはそう言うと、杖を振りドリトウさんの猿ぐつわを外した。
「リ、リリア。助けてくれぇ。私が悪かった……!」
ドリトウさんは脂汗で顔がぐちょぐちょになっていた。
「だーめだよ。あなたには私の大切なリリアを虐めたっていう罰があるんだから」
「ひ、ひぃぃい……」
リーヴが杖をドリトウさんに向けると、彼は恐怖で顔を歪めた。
「き、貴様! そんなことしてどうなると思う! コイツの妹がどうなってもいいのか?」
「…………ふーん。あなた、リリアの大事なものを奪うつもりだったの?」
「……ヒュッ……」
リーヴの周りの温度が一気に下がった気がした。
その雰囲気にドリトウさんも息を呑む。
リーヴはおもむろに杖でドリトウさんの頭を優しく叩く。
するとドリトウさんの頭から白い光の塊が浮かび上がった。
「ふーん……借金の担保にねぇ。リリアの妹を……そういうこと」
記憶を読み取る魔法だ。
さっきの白い塊からドリトウさんの記憶を読み取ると、リーヴは更に冷たい視線をドリトウさんに向けた。
「どうやらあなた——ドリトウ・ギルタールには相応の報いが必要なようね」
「ち……ちょっと待ってくれ……! どどどうするつもりだ? あれは正式な手続きの元で行った! 私に罪は——」
「だまれ」
その一言にドリトウさんの顔は恐怖で歪んだ。
内臓を鷲掴みにされたような緊張感。
それほどまでにリーヴの瞳は冷たく人の姿に似た怪物のように見えた。
「リリアを貶めようとした罪は大きい。あなたには一生リリアに……いいえ。人間にすら近づけないようにしましょう」
するとリーヴは杖をドリトウさんに向けた。
ドリトウさんの体がどんどんと小さくなっていく。
「これは古の時代にあった呪い。現代の魔法ではそう簡単に解くことができないよ」
「ま……待て……あぁぁぁ……」
体の形を変え、体が更に小さく、体表も黒くなる。
そして足が6つに増え、ドリトウさんは虫の姿になってしまった。
しばらく放心するように動きを止めていた虫。
だが、リーヴが杖で地面を叩くと、慌ててカサカサと逃げ出した。
残された服の中から、証文が滑り落ちた。
リーヴはそれを拾い上げると、指先で出した青い炎で瞬く間に灰にした。
私や私の家族を縛りつけたものはもう全て無くなった。
「これでもう安心ね」
リーヴは私にそう笑いかけた。
さっきの冷たい表情とは打って変わって、暖かい笑顔だった。
★★★
「私にも妹がいたんだよね」
リーヴと共に谷を歩いていると、リーヴは不意にそう口を開いた。
「妹は騎士でね。いつもバカ真面目に『国のために』って言って戦争に出ていた」
リーヴは谷の中央で立ち止まる。
「そして妹はここで戦死した。隣国との戦いで部下を護ってね」
そう言うとリーヴは寂しそうに地面を見つめていた。
「けれどそれでも戦争は止まることはなかった。だから私はこの谷を占領したの。妹を弔いたかったのもあるしね」
その言葉で私は察した。
リーヴの妹はこの谷の中で眠っているのだ。
だからリーヴは頑なにここを立ち退こうとしなかった。
魔鉱石の採掘や隣国との再戦で、この場所が荒らされるのがわかっていたから。
「けどどっちの国も諦めが悪くねぇ。だから両国の兵糧を全てダメにしたの。
補給がなくなって兵が飢餓で苦しみ、バタバタと倒れて、士気を失って。
それでようやく撤退したわ」
それがリーヴが大量虐殺した、と言われた真相だ。
リーヴは直接、人を殺してはいなかった。
大量虐殺したのは、往生際の悪い当時の国の方だったのだ。
「リーヴ……」
「なに?」
「私、もう帰るところがありません」
リーヴがこの谷に舞い戻ってきたことは、すぐに伝わるだろう。
すると、私の卒業も取り消し、報奨金も出なくなるだろう。
もしかすると、リーヴを立ち退かせたと嘯いた戦犯として私も追われる立場になるかもしれない。
けど私の努力を無下にして、戦争をしようとした国にこれ以上、尽くしたいとは思わない。
リーヴは私の顔をじっと見つめると、優しく微笑んでくれた。
「なら。ちょうどお庭の手入れしようと思ってたんだ。一緒に手伝ってくれる?」
「……ッ! はい!」
そう返事をすると、私はリーヴの元に駆けていく。
もう魔女のリーヴを立ち退かせない。
私はリーヴの後を追った。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今後の励みとなりますので、少しでも面白かったと感じていただけましたら、是非ブクマと↓の☆☆☆☆☆から評価いただけましたら幸いです。
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