第73話:皿の上で艶やかに揺れる黄色いゲル(と、甘みと苦みの二重罠で人間を精神的廃人にするプリン・オブ・バニッシュ)
「……アリス、聞こえる? 私たちの胃袋、おでん(第72話)とチャーハン(第71話)で限界まで膨らんでいるはずなのに、大脳新皮質の『別腹中枢』が、今まさに恐るべき空腹アラートを最大音量で鳴り響かせているわ……」
「聞こえるわエレン。というか、共有されている私の脳内糖分メーターも、完全に砂漠のオアシスを求めて干からびかけているわ。お肉や炭水化物の塩気を堪能した後に必要なのは、そう、あの前世の純喫茶で愛した、スプーンを押し返すほどのしっかりした弾力がありつつ、お口の中でなめらかにとろける『王道のカスタードプリン』と『ほろ苦焦がしカラメルソース』よ!」
シルバーストーンQOL巨大観光特区のリビング。
おでんでポカポカに暖まったコタツ(冷却送風モード)の中で、双子の姉妹は脳内の専用回線をかつてない「糖分渇望熱」で同期させていた。
前世は三十代の理科教師、成瀬健一。
甘いデザートまで完璧にハックしてこそ、真のQOL(生活の質)の完成である。
「いい、エレン? プリンの滑らかな弾力はね、高分子化学におけるタンパク質の『熱凝固温度の差』をハックすることで生まれるのよ。卵白(主にオボアルブミン)の凝固温度は60~80℃、卵黄の凝固温度は65~75℃。つまり、正確にその中間の『 78℃』を維持して湯煎すれば、卵白の網目構造が程よく水分を抱え込み、スプーンを跳ね返す弾力と、とろける舌触りが完璧に同居するわ!」
アリス(理論・設計・分子計算担当)が脳内の黒板に卵タンパク質の変性曲線を描き出し、共有視界に投影する。
「さらに、カラメルソースは炭水化物化学(糖化反応)のドラマよ! 砂糖を100℃以上の定温で熱分解させ、水分を蒸発させて脱水縮合(カラメル化反応)を起こすの。焦がし加減をコンマ数秒、数度単位で制御して、至高の苦味と甘みの黄金比を作り出すわよ!」
「最高よアリス! 設計図ロックしたわ。78℃の定温湯煎、そして180℃のカラメル化反応ね。私の『魔力サーモスタット・微小熱対流モード』で、1秒のズレもなく完璧に熱制御してあげる!」
エレン(実技・精密加工・物理演算担当)の指先から、バチバチと繊細な魔力火花が散る。
一人が「高分子・炭水化物化学シミュレーター(ソフト)」、一人が「精密魔力熱電センサー&超高速ホイップ(ハード)」。
双子の超絶同調により、台所のコンロの上で、驚異の温度管理によるプリンDIYが開始された。
エレンは、魔の森の牛乳(第15話仕様)と卵、黒砂糖をボウルに入れ、毎分 3,600 回転の神速攪拌で「気泡を一切入れない」滑らかな液(プリン液)を生成。
アリスが脳内で(エレン、鍋の底部の水温が78.2℃に上がったわ。魔力を0.2W絞って!)とナビゲートすると、エレンが瞬時に熱量を引き受け、湯温をピタリと78.0℃ でキープ。
さらに、別の小鍋では、砂糖が熱分解を起こし、琥珀色からダークブラウンへと変化する瞬間を、エレンが「182℃」の定温で固定し、絶妙なタイミングで少量の水を投入(色止め)して、香ばしいカラメルソースを完成させた。
数時間後。
第7話の「魔法冷却箱」でキンキンに冷やされたプリンが、お皿の上にパカッとひっくり返された。
ぷるん……ぷるんぷるん……。
お皿の上で、息をのむほど艶やかに、そして不気味なほど完璧な弾力で揺れる黄色いカスタードのゲル。その頂部から、漆黒の琥珀色をしたほろ苦いカラメルソースが、とろりと美しく流れ落ちていく。
◇
「……な、何なのだ、あの不気味に揺れる黄色い物体は……!?」
コタツからから揚げ(第67話)とおでん(第71話)を貪り、すっかりQOLの虜となっていた王都特務監察官イゾルデ。彼女は、コタツのテーブル中央に置かれたそのぷるぷる揺れるゲルを見て、恐怖で顔を引きつらせ、脳内で最大警戒アラートを鳴り響かせた。
彼女の歪んだエリート脳は、アリスの言っていた「高分子化学」「脱水縮合」という理系用語を、世界の終焉を告げる暗黒呪術としてコンパイルしていた。
「見つめるだけで脳の視覚皮質をトランス状態(催眠)に誘う、あの艶やかな揺らめき……! そして、底に湛えられた、甘みと苦みの二重の罠で人間を精神的廃人にする、禁忌の誘惑ゲル――『プリン・オブ・バニッシュ』だ……!!! あの恐ろしい球体を一口でも脳に流し込まれたら最後、私の聖騎士としての魂は完全に消滅し、あの子たちの従順な木製人形(第36話)にされるのだわ……!!」
「こら、イゾルデ。また変な妄想をしてないで、早く食べなさい。別腹は待ってくれないわよ」
「あーーーんして、イゾルデ! お口の中に、とろける幸せをシュート!」
アリスがスプーンでぷるぷるのプリンをすくい、イゾルデの口に強引に放り込んだ。
「ひぃっ!? 精神破壊ゲルの直撃……くっ、私は屈しない……、ハフ……っ!?」
イゾルデが、プリンを口の中で転がした。その瞬間。
――フワァァァァァァァッ!!!
「甘美なる神罰(QOL)があぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!???」
イゾルデの口から、およそ王都の特務監察官とは思えない、魂の底からとろけた奇怪な絶叫が漏れ出た。
「な、何これぇぇぇ! スプーンを押し返すほどのしっかりした弾力があったはずなのに、お口に入れた瞬間、体温でタンパク質の網目構造が優しくほどけて、なめらかに、まるでシルクのようにお口の中でとろけて消えていくわ! そして、このカラメルソース……! 黒砂糖の重厚な甘みの奥から、焦がし温度182℃による『至高のほろ苦さ』が追いかけてきて、甘みと苦みのマリアージュで脳の神経伝達物質が完全にメルトダウンするぅぅぅ!!」
あまりの美味しさと多幸感に、イゾルデは涙とよだれをダラダラと流し、コタツの上にへなへなと崩れ落ちた。
「もうダメ……。私の公爵家としてのプライドも、王都への忠誠も、この黄色いゲルの前にはただの塵よ……。アリス様、エレン様……、我がアストレア公爵領の全財産、および全土地の権利書を今すぐ双子様に譲渡します……。だから、私をこのコタツの永久住民にして、毎日このプリンを食べさせてくださいぃぃぃ……」
イゾルデはコタツの布団をギュッと抱きしめ、うっとりとした表情で白目を剥いて完全にQOL完全降伏(昇天)した。
こうして、アストレア公爵領の財政と権利は、プリン一個で完全にシルバーストーン特区へと無償譲渡されたのである。
「おや、アリス、エレン。この『ぷるぷる』、大人のほろ苦さがあって、コーヒー(第10話)とも抜群に合うねえ」
「本当にねえ、エドワード。お口の中で一瞬で消えてしまうのが、なんだか切なくて、無限におかわりしたくなっちゃうわ」
「お嬢様、このプリンのカラメル、ビールのホップの苦味とも最高にマッチしてやすぜ! QOL最高!」
父エドワードと母レイラ、そしてサウナハットを被ったアルドも、嬉々としてスプーンを往復させ、コタツの上の「別腹スイーツ」を満喫していた。
「「ふふふふ……」」
お互いのツルツルキューティクル(第40話)の髪を揺らしながら、大はしゃぎでハイタッチを交わす小さな双子。
窓の外では、月明かりの下、ガシャガシャと走る木製のお掃除ロボ(第36話)が、静かに庭の雪を掃き清めていた。
領内には、目に見えない「極限の高分子化学・炭水化物熱分解技術」と、隣領の貴族たちを「一口食べるだけで全財産を投げ出してコタツの奴隷にされる、恐るべき精神破壊プリンの噂」が、優しく、そして最高にお気楽に広がり続けるのだった。




