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婚約破棄ですか? 喜んで「横領の証拠」ごと借金まみれの領地をお返しします。私は冷徹公爵様に引き抜かれたので、あとはお二人でお幸せに

作者: 夢見叶

シャンデリアの光が降り注ぐ王宮の夜会ホール。

 その中心で、ヒステリックな声が響き渡った。


「リデル! 君のような可愛げのない、陰気な女とは婚約破棄だ!」


 音楽が止まり、数百人の視線が私たちに突き刺さる。

 声の主は、私の婚約者であるバリオス伯爵令息。

 ……正確には、私の生家であるアークライト伯爵家へ入り婿する予定の、叔父の息子だ。


 彼の腕の中には、ピンク色のふわふわとしたドレスを着た少女――私の義妹、ミナがしなだれかかっている。


「お義姉様、ごめんなさいぃ……。でも、バリオス様と私は、真実の愛で結ばれているの」

「そういうことだ。ミナは君と違って純粋で、俺を癒してくれる。数字ばかり見ている君とは大違いだ!」


 バリオスが勝ち誇ったように鼻を鳴らす。

 周囲からは、好奇と、わずかな憐憫の色が混ざったさざめきが聞こえてきた。


「あらあら、アークライト伯爵家の……」

「また婚約破棄? 最近多いわね」

「でも、あのバリオス様でしょう? リデル様の方が優秀だと聞くけれど……」


 私はゆっくりと扇を閉じ、二人の顔を見つめた。

 怒り?

 悲しみ?

 いいえ。


(――計算通りだわ)


 扇の下で、私の唇は自然と弧を描いた。

 心の中で、カチリと音を立ててストップウォッチを押す。

 タイムリミット、到達。


 私は一歩前に進み出ると、静まり返ったホールによく通る声で告げた。


「承知いたしました、バリオス様。その婚約破棄、謹んでお受けいたします」


「は……?」


 バリオスが間の抜けた声を上げる。

 私が泣いて縋るとでも思っていたのだろうか。あるいは、激昂して見苦しく喚くとでも?

 残念ながら、私にとって彼は「不良債権」以外の何物でもない。


「ま、待て! それだけか!? 悔しくないのか!」

「悔しい? まさか。お二人の真実の愛、素晴らしいと思いますわ」


 私は従者が控えている壁際へ目配せをした。

 あらかじめ待機させておいた私の腹心――といっても、屋敷で唯一私に従う初老の執事だが――が、恭しく銀の盆を持って歩み出る。


 盆の上には、一束の書類。


「これは……なんだ?」

「婚約解消の同意書と、それに付随する『資産譲渡契約書』です」


 私は羽ペンを取り、さらさらと自分の署名を済ませると、盆をバリオスに差し出した。


「私はこの婚約破棄に異存はありません。慰謝料もいただきません。その代わり、この場で関係を清算させていただきたいのです。……ほら、私の未練を断ち切るためにも」


 しおらしく小首を傾げてみせる。

 「未練」という単語に、バリオスの自尊心がくすぐられたのが分かった。


「ふん、強がりを。まあいい、サインすればいいんだな?」

「ええ。この書類により、アークライト伯爵家の現当主代理としての権限、及び『現在伯爵家が保有する全ての資産と管理責任』を、次期当主であるバリオス様に完全移譲いたします」


「管理責任? よく分からんが、つまり家の金は全部俺が自由にできるということだな?」

「はい、左様でございます」


 嘘は言っていない。

 資産も、負債も、全てひっくるめて「資産」なのだから。


 バリオスはミナに「見てろよ、これで俺たちが正式な当主夫妻だ」と囁き、躊躇なくペンを走らせた。

 私の名前の横に、彼の下手な署名が並ぶ。


 インクが乾いた瞬間。

 私の中で、重たい鎖が千切れ飛ぶ音がした。


(完了。……さようなら、私の地獄)


 私は執事から書類を受け取ると、それを丁寧に二部作成し、一部をバリオスに手渡した。


「これにて契約成立です。おめでとうございます、バリオス様、ミナ。……アークライト伯爵家の『全て』は、貴方たちのものです」


「ふはは! 最初からこうしていれば可愛げもあったものを! さあ、消え失せろ!」


 バリオスの罵声。

 普段なら俯いて耐えていた。けれど、もうその必要はない。


「ええ、失礼いたします。――ああ、それと」


 私は踵を返す直前、最後の慈悲として情報を一つ置いていくことにした。


「明日、王宮の監査局の方々が屋敷にいらっしゃると思います」

「あ? 監査? なんだそれは」

「定期監査ですよ。……ただ、今回は少し規模が大きいかもしれません。先ほどの書類で、全ての管理責任者はバリオス様になりましたので、対応をお願いいたしますね」


「ふん、脅しか? 俺が伯爵家の主だ、文官風情に何ができる」


 彼は何も分かっていない。

 伯爵家が今、火の車であることも。

 彼が「経費」として使い込み、ミナに買い与えた宝石やドレスの代金が、領地の治水予算から抜かれていたことも。

 私が必死に私財を投じて穴埋めをし、帳簿上の辻褄を合わせていたことも。


 そして何より、私が「帳簿の穴埋め」を今朝で止めたことも。


(横領の証拠、粉飾決算の記録、そして貴方の直筆サイン入りの全責任引受書。……監査局への通報は、昨日のうちに済ませてあります)


 もう、私の知ったことではない。


 私は優雅にカーテシー(礼)をした。

 これ以上ないほど完璧で、これ以上ないほど冷淡な礼を。


「それでは、ごきげんよう」


 背を向け、出口へと歩き出す。

 ざわめきが大きくなる中、私は自由の味を噛み締めていた。

 どこへ行こうか。

 手持ちの資金は少ないけれど、私には計算能力がある。どこかの商会で雇ってもらえば、食べていくくらいは……。


「――待て」


 不意に、ホール全体を凍らせるような、低く威厳のある声が響いた。

 バリオスの喚き声とは違う。

 空気が振動するような、絶対者の響き。


 心臓が跳ねる。

 足が止まる。


 カツ、カツ、カツ。

 硬質な靴音が、人波を割ってこちらへ近づいてくる。

 人々がモーゼの海割れのように左右へ退き、道を開ける。


 現れたのは、夜の闇を溶かしたような漆黒の髪に、氷河のような青い瞳を持つ長身の男。

 身に纏うのは、王族のみに許された最上級の黒の礼服。


 ゼイン・アッシュフォード公爵。

 国王陛下の甥にして、国一番の冷徹さと恐れられる「氷の公爵」。

 そして、国家の財政を監視する監査局のトップ。


(な、なぜゼイン様がここに? 監査は明日のはず……!)


 私の計算外の事態に、初めて冷や汗が流れた。

 バリオスも顔を青くして固まっている。


 ゼイン公爵は私の目の前で足を止めると、その凍てつく瞳で私を見下ろした。

 視線が合う。息が詰まる。

 処刑宣告でもされるのだろうか。


「リデル・アークライト」


 名前を呼ばれた。

 私の名前を知っている?


「は、はい。閣下」

「……仕事が早いな」


「へ?」


 思わず間の抜けた声が出た。

 ゼイン公爵は、私の手にある書類――先ほどバリオスとの契約を交わした控え――に視線を落とし、わずかに目を細めた。

 それは、獲物を見つけた肉食獣のような、けれどどこか愉悦を含んだ表情だった。


「アークライト家の不正会計に関する内部告発状。差出人は匿名だったが……筆跡と計算式の癖で、君だと分かっていた」


「……っ!」


 バレていた。

 匿名で送ったはずの書類。けれど、数字の扱いは指紋のようなものだ。専門家が見れば分かってしまう。


「監査は明日予定だったが、君が今日、この場で動くと踏んでな。迎えに来た」

「む、迎え……?」

「そうだ」


 ゼイン公爵は、突然、私の手を取った。

 大きな手。けれど驚くほど温かい手が、私の冷え切った指先を包み込む。

 そして、彼はそのまま私の手の甲に口付けたのだ。


 ホール中から、悲鳴にも似た吸気が漏れる。

 あの「氷の公爵」が? 女嫌いで有名な彼が?


「リデル。君の計算能力、危機管理能力、そして何より……その潔い決断力。以前から欲しくてたまらなかった」

「ほ、欲しい……?」

「ああ。私の補佐官として、いや――」


 公爵は顔を上げ、至近距離で私の瞳を覗き込む。

 その青い瞳には、先ほどまでの冷たさはなく、蕩けるような熱が宿っていた。


「私の妻として、アッシュフォード公爵邸に来てほしい」


「――はあぁ!?」


 私の叫び声は、周囲のざわめきにかき消された。


「な、なんだそれは! ゼイン公爵、その女は俺が捨てた古着だぞ!?」


 バリオスが空気を読まずに叫んだ。

 瞬間。

 ゼイン公爵が振り返る。

 その視線は、私に向けていたものとは真逆の、絶対零度の軽蔑に満ちていた。


「黙れ、汚物が」


「ひっ」


「古着? 貴様は宝石を泥で塗り固めていただけだ。……まあいい。貴様には礼を言うぞ、バリオス」

「れ、礼……?」

「ああ。君が愚かにも婚約破棄をしてくれたおかげで、私はこうしてリデルを合法的に手に入れることができた。彼女はあまりに責任感が強すぎて、自分からは婚約を破棄しなかったからな」


 ゼイン公爵は、腰に佩いた剣の柄に手をかけながら、さらに一歩バリオスへ近づく。

 その威圧感だけで、バリオスは腰を抜かしてへたり込んだ。


「さて、バリオス・アークライト新当主。及びその婚約者」

「は、はい……」

「先ほどの契約書により、貴様らはアークライト家の全責任を負ったわけだが……知っているか? 横領と脱税は、我が国では重罪だ」


「お、おうりょ……?」


「証拠は全て揃っている。リデルが長年、必死に食い止めていた堤防が決壊したのだよ。……明日を楽しみにしていろ。地獄の底まで取り立ててやる」


 バリオスの顔から血の気が引いていく。

 ミナも状況を理解し始めたのか、震えながらバリオスから離れようとしているが、もう遅い。

 彼らは「真実の愛」で結ばれた共犯者なのだから。


 ゼイン公爵は彼らに背を向け、再び私に向き直った。

 その表情は、甘く、優しく、独占欲に満ちている。


「行こう、リデル。君の新しい職場であり、家だ」

「あ……あの、ゼイン様。妻というのは……」

「契約結婚でも構わない。だが、私は計算高い男でね」


 彼は私の腰を抱き寄せ、耳元で囁いた。


「一度手に入れた優秀な逸材を、手放すつもりは毛頭ない。……覚悟しておけ」


 その言葉は、命令というよりは、甘い誓いのようだった。

 私の計算機が弾き出した「今後の予測」は、エラーを起こして停止した。

 代わりに、胸の奥で温かいものが溢れ出してくる。


 私は彼の手を握り返した。


「……はい。よろしくお願いいたします、閣下」


 背後で響くバリオスの絶望の叫び声をBGMに、私は「氷の公爵」にエスコートされ、光の中へと歩き出した。

 私の計算外の、けれど最高に幸せな未来へ向かって。

最後までお読みいただきありがとうございました!

リデルの冷静な逆転劇を楽しんでいただけたら嬉しいです。

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