第54話 黄昏の港町アジールと強盗紳士の流儀、あるいはリスクとリターンの天秤
ダンジョン探索において、レベル46という数字は一つの分水嶺だ。
多くの探索者がこの壁の前で足踏みし、あるいは挫折する。
だが、俺たちアルカディアの精鋭部隊にとって、それは通過点に過ぎない。むしろ、ここからが「本当のゲーム」の始まりだと言ってもいい。
B級ダンジョン『水没都市』の深層エリア。
薄暗い水中神殿のような通路で、俺は剣についた体液を払いながら、集まったメンバーたちに向き直った。
「よし、全員レベル46への到達を確認したな。おめでとう。これでやっとアレのドロップ判定枠に入れる」
「アレですか?」
問い返してきたのは、軽戦士装備に身を包んだリンだ。
彼女は短剣を弄びながら、小首を傾げている。
最近の彼女の成長は目覚ましい。特に俊敏性とクリティカル補正に関しては、俺のビルド構築論を忠実に守り、今やチーム随一の火力を叩き出すアタッカーに成長していた。
「ああ。レベル46以降の深層モンスターから、稀にドロップする特殊な招待状だ」
俺はタブレット端末を取り出し、あらかじめ用意しておいた資料画像を共有モニターに映し出した。
「これだ。『盗賊の証』」
画面に映し出されたのは、古びた銀貨のようなアイテムだ。
片面には鍵とダガーが交差する意匠が、もう片面には夕暮れに染まる港町の風景が刻まれている。
「これとセットで『計画書』というアイテムも落ちるようになる。見つけたら絶対に捨てるなよ。即座に俺に連絡してくれ」
「計画書……? 何かの設計図ですか?」
「似たようなもんだ。だが、作るのは建物じゃない。作り出すのは『犯罪計画』だ」
俺はニヤリと笑った。
メンバーたちが怪訝な顔を見合わせる。
無理もない。彼らはまだ、ダンジョンが単なる狩場ではなく、異界の文明圏と接続している可能性について、実感を持っていないのだから。
「ま、百聞は一見にしかずだ。まずは狩るぞ。ドロップ率はそう高くないが、今の俺たちの殲滅速度なら、今日中には出るはずだ」
◇
予言通り、それは落ちた。
数時間の周回の後、リンが瓦礫の山から何かを拾い上げ、声を上げたのだ。
「社長! これ、例のコインじゃないですか?」
駆け寄ると、彼女の手のひらには鈍い銀色の輝きを放つコインが乗っていた。
手に取ると、ひんやりとした金属の感触と共に、遠い潮騒の音と市場の喧騒のようなざわめきが、微かに聞こえてくる。
名前:盗賊の証
レアリティ:特殊 / フラグメント
種別:ポータル生成アイテム / キーアイテム
要求レベル:46
効果:一定時間、異空間【黄昏の港町アジール】へのポータルを生成する。
「ビンゴだ。よくやった、リン」
「あと、なんか丸まった羊皮紙みたいなのも落ちました。『強奪計画書:バンカー』って書いてありますけど……」
「完璧だ。セットで落ちるとは運がいい」
俺は全員に集合をかけた。
この場にいるメインメンバーは6人。全員が条件を満たしている。
「よし、じゃあ行くか。新しい拠点、そして新しい稼ぎ場へ」
俺は『盗賊の証』を空中に放り投げた。
コインは重力を無視して空中で静止すると、回転しながら光を放ち始める。
空間がコインを中心に渦を巻き、赤錆色と黄金色が混じり合ったような奇妙な色のポータルが形成された。
「行き先は『黄昏の港町アジール』。戦闘準備は解除しなくていいが、向こうは中立地帯だ。いきなり異世界人を斬りつけるなよ」
俺を先頭に、メンバーたちが次々とポータルへ飛び込んでいく。
視界が反転し、潮の香りが鼻孔をくすぐった。
◇
ポータルを抜けた先には、息を呑むような光景が広がっていた。
「うわぁ……」
誰かが感嘆の声を漏らす。
そこは永遠の黄昏に包まれた巨大な港町だった。
空は燃えるようなオレンジと紫のグラデーションに彩られ、太陽は水平線に沈みかけたまま凍りついている。
木造と錆びた鉄骨が入り混じった無骨な桟橋。
蒸気を吐き出すパイプライン。
そして様々な種族――人間、ドワーフ、獣人、あるいはもっと異形のものたちが酒を飲み、笑い、何やら怪しげな取引を行っている。
「ここがアジール……」
リンが周囲をキョロキョロと見回している。
すれ違う男たちの会話が、自然と耳に入ってきた。
『おい、昨日のヤマはどうだった?』
『シケてたよ。警報レベルが上がりすぎて、ズラかるのに苦労したぜ』
「……あれ? 私、ここの言葉なんて勉強したことないのに、意味が分かります」
「それが、この街の特性だ」
俺は解説した。
「【黄昏の港町アジール】にいる間は、あらゆる言語を理解し、読み書きできるようになる。翻訳魔法が常時発動しているようなもんだ」
これは探索者にとって革命的な機能だ。
未知の魔導書や異界の言語で書かれたスクロールも、ここに持ち込めば解読できる。
だが、この街の真価はそこではない。
「さて、観光は後だ。仕事をするぞ」
俺は桟橋の一角にある巨大な円形テーブルのような施設へ向かった。
そこには『ポータル・デバイス』と呼ばれる装置が鎮座している。
「これからやるのは『強奪』だ」
「ハイスト……強盗ですか?」
真面目な田中が、少し引いたような顔をする。
「人聞きの悪いことを言うな。あくまでダンジョン攻略の一環だ。
いいか、この『計画書』を使って、ここからさらに別の亜空間にある施設へ侵入する。
そこは厳重な警備システムと罠で守られた宝物庫だ」
俺は計画書をヒラヒラとさせた。
「目的は最深部にある『メイン・ターゲット』を奪取して生還すること。
成功報酬はドロップ品として得られる大量の魔石やアーティファクトだ。
今回のターゲット予想額は……現在のレートでB級魔石2個分。つまり1000万円ってところか」
「いっ、一回で1000万円!?」
メンバーたちの目の色が変わる。
一度の潜行で得られる額としては破格だ。
だが、リスクも当然ある。
「ルールを説明する。よく聞け。
このミッションは1人1回までしか実行できない。
そして最大の特徴は――『欲をかくな』ということだ」
俺は指を立てた。
「道中には小さな宝箱がたくさん置いてある。
開ければ中身は手に入るが、開けるたびに画面上の『アラートレベル(警戒度)』が上昇していく。
もし最深部に着く前にアラートがマックスになったら?
即座に警報が鳴り響き、施設が封鎖され、無限に湧き出る警備兵に圧殺されることになる」
ゴクリと、誰かが喉を鳴らした。
「だから基本方針はこうだ。
『道中の宝箱は無視しろ』。
小銭に目をくらませるな。狙うのは最深部のメイン・ターゲットのみ。
それを確保して脱出するまでが仕事だ。
アラートが鳴るのは、最深部のケースを割った瞬間だけでいい」
俺はリンを見た。
「リン、お前が一番適任だ。まずはソロで行ってこい。
中のダンジョンの理が派遣した人物が相棒として同行してくれる。仕組みを説明してくれるから、それに従え」
「了解です! 隠密と早駆けなら任せてください!」
リンは自信満々に胸を叩くと、計画書を受け取り、ポータル・デバイスにセットした。
装置が唸りを上げ、新たな次元の裂け目が開く。
「行ってきます!」
彼女は軽やかにポータルへと飛び込んだ。
◇
リンの視界が歪み、次の瞬間、彼女は冷たい石造りの通路に立っていた。
湿った空気。遠くで響く機械の駆動音。
そこは『バンカー』と呼ばれる地下要塞のような場所だった。
「よう、お前が今回の雇い主か? ひょろっとした嬢ちゃんだな」
背後から野太い声がした。
振り返ると、そこには薄汚れた革鎧を着た熊のような大男が立っていた。
無精髭に片目の眼帯。いかにも「裏社会の住人」といった風貌だ。
「私はリン。よろしくね」
「俺はガフだ。爆破と解錠が専門だ。よろしくな」
ガフと名乗った異世界人は巨大なハンマーを担ぎ上げた。
まるで人間と会話しているかのようにスムーズだ。これが『アジール』の翻訳効果なのだろう。
「ギルマス(社長)から説明を聞けって言われてるの。色々教えてくれる?」
「おうよ。基本はシンプルだ。
俺たちは今から、この施設の最奥にある『保管庫』を目指す。
だが、ここは警備が厳しい。監視カメラ、魔法センサー、巡回するオートマトン……真正面からやり合えば蜂の巣にされる」
ガフは通路の先を指差した。
「だから、こっそり行くんだ。見つからずにな。
お前さんのその装備、隠密向きだろう? 足音を立てるなよ」
「OK。ステルス・モードね」
「それとな、道中に旨そうな宝箱があっても、むやみに触るなよ。
セキュリティ・レベルが上がっちまう。
最深部のお宝は魔石がたっぷりだぜ?
そこに着くまでに欲を張って小銭を拾って、アラートを上げたら元も子もねえ。
追い出されたら、その時持ってた物は全部没収だ」
社長の言っていた通りだ。
リンは気を引き締めた。
「了解! じゃあ行きましょう、相棒!」
二人は通路を進み始めた。
リンはスキル【消音歩行】を発動し、影のように移動する。
ガフも巨体に似合わず、足音を殺してついてくる。
道中、誘惑は多かった。
部屋の隅に置かれた金色の装飾が施された宝箱。
棚に並べられた高価そうなアーティファクト。
それらが「開けてくれ」と言わんばかりに輝いている。
(……開けたい。ちょっとだけなら……)
探索者の本能が疼く。
だがリンは首を振った。
視界の端に表示されている『警戒ゲージ』は、まだゼロのままだ。
ここで宝箱を開ければ、これが上昇し、敵の配置が増えたり、扉がロックされたりするのだろう。
(我慢、我慢。狙うは1000万円!)
閉ざされた扉の前に来ると、ガフの出番だ。
彼は手際よく配線を切断したり、時には物理的に(静かに)錠前を破壊したりして、道を開けていく。
「やるね、ガフ」
「これぐらい朝飯前だ。さあ、次だ」
数々の罠を潜り抜け、巡回する機械兵の背後をすり抜け、二人はついに最深部へと到達した。
重厚な扉の向こうには、厳重なガラスケースに守られた台座があった。
その上に、紅蓮の光を放つ宝石が鎮座している。
「着いたな。あれがターゲットだ」
ガフがニヤリと笑う。
「さあやるぞ、リン。あのケースを割ればセキュリティが一斉に作動する。
そこからはステルスなんて関係ねえ。死ぬ気で走れ!」
「分かった!」
リンは深呼吸をすると、ダガーを構えた。
そして一瞬の踏み込みでガラスケースを粉砕する。
破片が飛び散る中、彼女は素早く中身を掴み取った。
手の中で宝石が光の粒子となって崩れ、二つの結晶へと変わる。
間違いなくB級魔石が2個だ。
「わーお。本当に1000万円分の魔石だ!」
その瞬間。
ウウウウウウウウウッ――!!
施設全体に耳をつんざくような警報音が鳴り響いた。
赤い回転灯が激しく明滅する。
「驚いてる場合じゃねーぞ! 『ロックダウン(封鎖)』が始まる! 早く逃げるぞ!」
「了解!」
来た道を引き返す。だが状況は一変していた。
通路の壁が開き、武装した警備兵(人間型モンスターや戦闘用ゴーレム)が次々と雪崩れ込んでくる。
『侵入者発見! 排除セヨ!』
前方を塞ぐ全身鎧の騎士タイプ。
その巨大な盾が通路を完全に遮断している。
「チッ、邪魔だ!」
ガフがハンマーを構えるが、リンの方が早かった。
彼女は床を蹴り、壁を走るようにして騎士の頭上へ躍り出る。
「通さないなら、死んでもらうだけ!」
空中で体を捻り、二本の短剣を交差させる。
発動するのはアサシン系上位スキル。
「――毒蛇の噛みつきッ!」
紫色の閃光が走った。
刃が鎧の隙間――首筋と脇の下へ正確に突き刺さる。
物理ダメージに加え、猛毒による継続ダメージが瞬間的に炸裂する。
騎士のHPバーが一瞬で消し飛び、巨体が音を立てて崩れ落ちた。
「おらぁっ!」
さらにガフが、その死体をハンマーで殴り飛ばし、後続の敵を巻き込んで吹き飛ばす。
「驚いたな。お前、見た目によらず強いな」
「でしょー? 社長に鍛えられてるからね!」
リンは不敵に笑うと、着地する間もなく駆け出した。
背後から魔法弾が飛んでくるが、全て紙一重で回避する。
行き止まりになっていた隔壁も、ガフが爆薬で強引にこじ開ける。
爆音、悲鳴、そして警報音。
それらをBGMに、二人は嵐のように施設を駆け抜けた。
「出口だ! 飛び込め!」
視線の先に、アジールへ繋がるポータルの光が見えた。
リンは追っ手の群れに別れの手裏剣を投げつけると、光の中へと身を躍らせた。
◇
気がつくとリンは、再び『黄昏の港町』の桟橋に立っていた。
隣にはガフもいる。
彼は肩で息をしながら、満足げに親指を立てた。
「いい仕事だったぜ、相棒。分け前(報酬)は、きっちり懐に入ってるはずだ」
「ありがとう、ガフ。楽しかったよ」
「ああ、またな」
ガフは短く挨拶すると、港の雑踏の中へと消えていった。
リンは慌てて自分のアイテムボックスを確認する。
そこには、まばゆいばかりの黄金色に輝く『B級魔石』が2個、鎮座していた。
「やった……! 本当に持って帰れた!」
リンは満面の笑みで、待機していた俺たちのもとへ駆け寄ってきた。
「社長! 大成功です!」
「お疲れ様。モニターで見てたぞ。鮮やかな手際だったな」
俺は彼女の頭をポンと叩いた。
他のメンバーたちも興奮した様子で、リンを囲む。
「すげぇ……本当に行けちゃうんだ」
「次は俺の番だな!」
その後、メンバー全員が交代でポータルに入り、それぞれの『計画書』を消化していった。
タンク職の者は強行突破で、魔法職の者は遠距離から罠を破壊して。
多少のトラブルはあったものの、全員が無事に生還し、1000万円相当の報酬を手に入れた。
◇
全員のミッションが終わる頃には、アジールの空の色も……変わらず黄昏のままだった。ここは時間が止まっているのだ。
俺たちは港にあるオープンテラスの酒場に陣取っていた。
テーブルの上には、見たこともない料理が所狭しと並べられている。
巨大な海獣のステーキ、虹色に光るフルーツの盛り合わせ、そして琥珀色のエール。
「さあ食え、食え。ここの飯は美味いのに、全部無料だぞ」
俺が促すと、メンバーたちは恐る恐る料理に手を伸ばした。
「……うまっ!? なんだこれ、口の中で溶けるぞ!」
「この酒、魔力回復効果があるんじゃないか? 疲れが吹き飛ぶ!」
アジールは強盗たちの休息所だ。
ここでは金銭のやり取りは発生しない。
成功した強盗には、惜しみない賞賛と美食が振る舞われるのが掟なのだ。
俺はエールのジョッキを傾けながら、夕日を見つめた。
「ここは単なる稼ぎ場じゃない。
言葉も文字も全員に通じる。
つまり世界中の――いや、異世界の探索者とも交流ができる場所になる」
俺はメンバーたちを見渡した。
「今はまだ俺たちしか知らないが、いずれレベル46に到達した探索者たちが集まってくるだろう。
ここは『探索者の楽園』になる。
情報の交差点であり、最強の装備や魔石が集まる巨大なマーケットになるはずだ」
そして、その「元締め」のポジションを、俺たちが先行して握る。
この『強奪ミッション』は1日1回しか潜れないが、その1回が世界経済を揺るがすだけのリソースを生み出すのだ。
「へー、凄いですね……。社長の頭の中には、どこまでの未来が見えてるんですか?」
リンが呆れたように、しかし尊敬の眼差しで言った。
俺は肩をすくめる。
「さあな。とりあえず今は、この勝利の美酒を味わおうじゃないか」
俺はジョッキを高く掲げた。
「アルカディアの更なる飛躍と、我らが『強盗紳士』としてのデビューを祝って!」
「「「乾杯!!!」」」
黄昏の空に、高らかな唱和が響き渡る。
新たな資源、新たな拠点、そして莫大な富。
俺たちの快進撃は、まだ始まったばかりだ。
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