第8話 生存のバイブルと見えざる誘導
オークションでの「錬金術」が軌道に乗り始めた頃、俺はふと手を止めて、モニターの片隅に映るニュースサイトに目を向けた。
『未帰還者、本日で累計百名を突破』
『F級ダンジョンでの死傷事故、後を絶たず』
無機質な数字が並んでいる。
だが、その背後には確実に「死」がある。
俺はコーヒーカップを置き、深く息を吐いた。
「……ペースが早いな」
『ダンジョン・フロンティア』の歴史において、黎明期の混乱が収束した後、年間の死者数は「三〇〇〇人」前後で推移するとされていた。
多いように見えるが、世界中で発生する交通事故やその他の労働災害と比べれば、ある種「許容範囲」として社会に受け入れられていく数字だ。
だが、それはあくまで「攻略法」が確立された後の話だ。
今のこの時期――誰もが手探りで、武器の使い方も、スキルの仕様も理解していない「黎明期」においては、死者数は桁違いに跳ね上がる。
「原因は明白だ。みんな『攻撃』ばかり見ている」
RPGのセオリーだ。
まずは強い武器を買う。攻撃力を上げる。敵を早く倒せば、それだけ被害を受けない。
普通のゲームならそれでいい。
だが、この世界は違う。
敵の攻撃力が、こちらの防御力を容易に上回るバランスになっているのだ。
一発耐えられれば回復薬で立て直せるが、一撃で即死してしまえば、回復する暇もない。
現状、多くの探索者は「紙装甲の特攻野郎」だ。
鉄パイプや拾ったばかりのノーマル剣を振り回し、防具はジャージや作業着。
ステータスポイントは「筋力」や「知力」に全振り。
これでゴブリンの集団に囲まれれば、袋叩きにされて終わる。
「……そろそろ教科書を作るか」
俺がオークションに流している「HP+30」「耐性+10%」の装備。
あれがなぜ高いのか、なぜ必要なのか。
その理論的背景を理解させなければ、市場は育たない。
それに、何より顧客(探索者)が死んで減ってしまうのは、商売あがったりだ。
俺はブラウザで以前立ち上げた「攻略Wiki」の管理人ページ……ではなく、新しく開設した個人の技術ブログ『八代匠のビルド・ラボ』の編集画面を開いた。
Wikiは集合知だが、ブログは俺個人の「提言」を発信する場だ。
ここで、この世界の「常識」を定義する。
俺はキーボードに指を置いた。
タイトルはシンプル、かつ扇動的に。
『【必読】死にたくなければ読め。ダンジョン攻略の「生存基準」について』
◇
【はじめに:なぜあなたは死ぬのか】
ダンジョン開放から数週間。多くの探索者が挑み、そして帰ってこなかった。
彼らは弱かったのか? いや違う。
彼らは「ビルド(構成)」を間違えていたのだ。
多くの人間はレベルアップすると、嬉々として「攻撃力」や「魔力」を上げる。
スキルツリーで「剣のマーク(攻撃アップ)」や「杖のマーク(魔法ダメアップ)」を真っ先に取得する。
はっきり言おう。それは自殺行為だ。
ダンジョンにおいて最も重要なステータスは、DPS(秒間火力)ではない。
EHP(実質耐久値)だ。
死んだらDPSはゼロになる。
生きてさえいれば、泥臭く殴り続けて勝てる。
この基本原則を忘れた奴から死んでいく。
今日はF級ダンジョンを安定して攻略し、生きて帰るための「最低ライン」を提示する。
これを満たしていない奴は、ダンジョンに入る資格がないと思え。
◇
【鉄則1:レベルが上がったら「ライフ」を取れ】
ステータス画面を開き、スキルツリーを見てみろ。
派手な攻撃スキルの横に、地味な「ハートのマーク」や「盾のマーク」があるはずだ。
まずはそれを取れ。
「攻撃は最大の防御」という言葉があるが、この世界では嘘だ。
初期のゴブリンですら、クリティカルが出れば、こちらのHPの半分を消し飛ばしてくる。
もし二匹に同時に殴られたら?
その時点で「死」だ。
目指すべき基準はこうだ。
レベルアップ時のパッシブポイントは、最初の10ポイントまでは全て「最大HP増加」や「防御力上昇」に振るくらいの気持ちでいい。
攻撃ノードを取るのは、死なない体ができてからだ。
【装備基準:全身でHP+100を目指せ】
裸で戦うな。ジャージで戦うな。
オークションやドロップ品で装備を整えろ。
その際、見るべきは「防御力」の数値だけではない。
「最大HP+〇〇」という追加効果(Mod)だ。
・頭:HP+20
・胴:HP+30
・手:HP+20
・足:HP+20
全身の装備を、一箇所につき「HP+20~30」程度で固めろ。
これだけで、素のHPと合わせて200近くになる。
こうなればゴブリンの一撃(約20ダメージ)を10発耐えられる。
「10発耐えられる」ということは、焦らずに対処できるということだ。
パニックにならず、ポータルを使う猶予も生まれる。
俺がオークションに出している装備が高値で取引されている理由は、ここにある。
あれは「お洒落着」じゃない。
「追加の命」を売っているんだ。
◇
【鉄則2:「全耐性+25%」が生存の分かれ目】
F級ダンジョンの奥に進むと、魔法を使う敵や、属性攻撃(火氷雷)をしてくる敵が現れる。
「フロストバット」の氷の息。
「ファイアビートル」の爆発。
これらは物理防御力では防げない。
直撃すればHPが満タンでも蒸発する。
ここで重要になるのが「属性耐性」だ。
ステータス画面の「防御」タブを見ろ。
「火炎耐性」「冷気耐性」「稲妻耐性」。
ここが「0%」になっていないか?
0%は「裸」と同じだ。
今の段階での目標値は「全属性耐性+25%」。
これを基準に考えろ。
装備品には「火炎耐性+10%」などの効果が付いているものがある。
指輪で+10%、盾で+15%。
パズルを組み合わせるようにして、全ての耐性を25%以上にしろ。
そうすれば敵の魔法ダメージを4分の3に抑えられる。
この差が生死を分ける。
「攻撃力を下げてでも耐性を盛れ」。
これが第二の鉄則だ。
◇
【鉄則3:火力の出し方を知れ~スキルジェムの育成~】
防御を固めたら、次は攻撃だ。
だが、ここでも勘違いしている奴が多い。
「強い武器を持てば強くなる」と思っている。
半分正解で、半分間違いだ。
この世界の火力の源は、武器そのものではなく「スキルジェム」にある。
「ヘヴィストライク」や「ファイアボール」。
これらのジェムには「レベル」があるのを知っているか?
ジェムを装備した状態で経験値を得ると、ジェム自体も成長し、レベルアップする。
レベル1のファイアボールと、レベル5のファイアボールでは威力が倍近く違う。
そして、もっと手っ取り早くレベルを上げる方法がある。
「魔石」を食わせることだ。
ドロップ品の「魔石」。
あれは、ただの換金アイテムじゃない。
凝縮された魔力の塊だ。
ステータス画面で、スキルジェムに対して魔石を使用(ドラッグ&ドロップ)してみろ。
ジェムが経験値を得て、レベルが上がるはずだ。
武器を買い換える金がないなら、魔石を集めてジェムを育てろ。
錆びた剣でも、レベル10のスキルを使えば岩をも砕ける。
これが最もコストパフォーマンスの良い強化法だ。
◇
【職業別アドバイス:魔法職の罠】
特に注意が必要なのが、魔法職(魔術師、ウィザード系)を選んだ奴らだ。
魔法は強い。
近接職の1.5倍近い火力を、遠距離から叩き出せる。
「俺TUEEE」ができると思って選んだ奴も多いだろう。
だが警告しておく。
魔法職は最も死に近い。
理由は二つ。
1.物理耐性がない。
魔法職の装備は物理防御が低い。
敵に接近されたら紙のように引き裂かれる。
常に「安全圏」を意識しろ。
敵に触られた時点で負けだと思え。
2.マナ切れ=死。
魔法を撃つにはマナが必要だ。
調子に乗って連発していると、肝心な時にマナが尽きる。
マナが切れた魔法使いは、ただの案山子だ。
杖で殴り合って勝てると思うな。
常にマナ残量を50%以上に保ち、ポーションをガブ飲みする覚悟を持て。
◇
【ビルド例:序盤のゴールデン・パターン】
最後に、俺が推奨するスキルツリーの振り方の一例を載せておく。
迷ったら、これを真似しろ。
<近接職向け:鉄壁の戦士ビルド>
1.スタート地点から「最大HP増加」ノードを3つ取る。
2.「物理防御力上昇」ノードへ進む。
3.「近接物理ダメージ増加」はその後だ。
4.装備で「HP」と「火炎耐性」を優先して確保。
<魔法職向け:マナタンク・ビルド>
1.「最大マナ増加」と「マナ再生率上昇」を取る。
2.「エナジーシールド(ES)」関連のノードを取る。
3.「スペルダメージ増加」は後回し。
4.装備で「移動速度」と「冷気耐性」を確保し、逃げ撃ち(引き撃ち)を徹底する。
【結論】
相手の攻撃を食らっても、HPバーが1割しか減らない状態。
これが「適正防御」だ。
半分減るなら、その階層はまだ早い。撤退しろ。
即死するなら論外だ。
生きてこそ、ドロップ品を拾える。
死ねば、その装備は次の誰かのドロップ品になるだけだ。
賢く生きろ。
◇
書き終えた記事を読み返す。
完璧だ。必要な情報は全て詰め込んだ。
特に「HP装備の重要性」と「耐性装備の必須化」を説いた点は大きい。
これを読んだ探索者は、こぞってオークションで「HP付き」「耐性付き」の装備を探し始めるだろう。
そして、そこには俺が出品した装備が並んでいるという寸法だ。
「……我ながら、悪徳商人だな」
いや、ウィン・ウィンだ。
彼らは命を買い、俺は金を得る。
それに、スキルジェムに魔石を食わせるというテクニックも公開した。
これで市場における「魔石」の需要も爆上がりする。
換金用アイテムとしての価値しかなかった魔石が、育成素材としての価値を持つようになる。
経済が回る音が聞こえるようだ。
「よし、投稿」
【公開】ボタンをクリックする。
記事がネットの海に放流された。
続いて拡散作業だ。
俺はXの画面を開き、告知ツイートを作成した。
『@Takumi_Yashiro
ブログ更新。
【必読】死にたくなければ読め。ダンジョン攻略の「生存基準」について
F級ダンジョンで死人が出ているのは、ビルドが間違っているからだ。
攻撃力を上げる前にやるべきこと。
装備選びの基準(HPと耐性)。
そしてスキルジェムの正しい育て方。
全てまとめた。
これを読まずに潜るのは、命綱なしでバンジージャンプするようなもんだ。
拡散希望。
http://yashiro-build-lab.com/entry/001』
送信。
スマホを置く。
すぐに通知音が鳴り始めた。
最初はポツポツと、やがて激しい雨のように。
『読んだ。目からウロコだった』
『HP+20の帽子、ゴミだと思って捨ててた……死にたい』
『耐性25%とか無理だろと思ってたけど、指輪二個でいけるのか!』
『魔石ってジェムに食わせるもんだったのか! 換金しちゃったよ!』
反応は上々だ。
これで明日からのオークション相場は、間違いなく変動する。
「HP付き装備」と「耐性付きアクセサリ」の価格が高騰し、逆に「攻撃力だけの武器」は値下がりするだろう。
俺は倉庫にある在庫リストを思い浮かべ、ニヤリと笑った。
すでに「HP盛り盛り」の装備は量産済みだ。
「さあ、相場を動かすぞ」
俺はデスクを離れ、窓の外を見下ろした。
夜の東京。
その無数の光の下で、何千人もの探索者たちが俺の記事を読み、装備を見直している姿が目に浮かぶ。
俺の手のひらの上で、世界が少しずつ、しかし確実に「最適解」へと向かって動き出していた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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