番外編 ダンジョン経済勉強編:1億総探索者時代の「家計簿」と「皮算用」
港区、ミッドタウン・タワー、ギルド「アルカディア」のマスターオフィス。
窓の外には、欲望と魔素に塗れた東京の夜景が広がっている。
俺、八代匠は、最高級のレザーチェアに深々と身を沈めながら、タブレット端末に表示された一つのニュース記事に目を通していた。
画面に映し出されているのは、日本最大手の経済メディア『東洋経済オンライン・ダンジョン特別版』の特集記事だ。
タイトルは『徹底試算! ダンジョンは本当に儲かるのか? ~F級からC級まで収支バランスの完全ガイド~』。
「……ほう。ようやくマスコミも、感情論ではなく『数字』でダンジョンを語り始めたか」
俺は口元を歪めた。
これまでメディアが報じてきたのは、「一攫千金の夢」や「モンスターの恐怖」といった情緒的な側面ばかりだった。
だが市場が成熟し、300万人もの労働人口がダンジョンに流入した今、求められているのは冷徹な「事業計画書」だ。
俺はこの記事をスクロールしながら、その内容の精緻さに感心した。
装備の減価償却、消耗品のコスト、そして日米政府による魔石買取価格の変動リスクまで織り込んで計算されている。
これを読めば、借金をしてでも装備を整えるべき理由が、猿でも分かるように解説されていた。
「悪くない。これは俺の商売(装備販売)にとっても、最高の販促資料になる」
俺は迷わずシェアボタンを押し、自身のX(旧Twitter)アカウントで引用リポストを行った。
『@Takumi_Yashiro この記事は必読だ。
「装備が高い」と文句を言う前に、電卓を叩け。
投資対効果(ROI)を理解できない奴は、ダンジョンでもビジネスでも死ぬだけだ。
自分の命と稼ぎを天秤にかけろ。
答えはここにある。』
送信完了。
さて、俺が拡散したその記事の中身――現代日本における「職業:探索者」の衝撃的な収支決算書を、じっくりと読み解いていこう。
◇
【特集】ダンジョン経済白書 ~なぜ医師や弁護士がツルハシを握るのか~ (文・経済アナリスト 財前守)
「探索者になれば億万長者になれる」。
そんな噂が街を駆け巡り、会社を辞める若者が後を絶ちません。
しかし、その実態はどうなのでしょうか?
初期投資は?
ランニングコストは?
そして本当に回収できるのか?
本誌編集部では、現役探索者への徹底取材と、ギルド「アルカディア」が公表している装備相場、そして政府の魔石買取データを元に、各ランク帯における詳細な収支モデルを算出しました。
比較対象として、現代日本の「高年収職業」のデータを提示しておきます。
・勤務医の平均年収:約1,400万円
・弁護士の平均年収:約1,000万円
・上場企業サラリーマンの生涯賃金:約2億5,000万円
これらの数字が、ダンジョンの前ではいかに「誤差」に過ぎないか。
数字の暴力をご覧に入れましょう。
なお計算は全て、「基本報酬(魔石ドロップ)」のみで行っており、一攫千金の「レアドロップ」は含んでいません。
つまりこれは「最低保証」の数字です。
F級ダンジョン(入門・ボーナスステージ)
~誰でも参入できる「現代のゴールドラッシュ」~
適正レベル: Lv 1 ~ 10
魔石単価: 30,000円(※日米協定による固定価格)
収集効率: 3個 / 時間
時給換算: 90,000円
日給換算: 540,000円(実働6時間計算)
初期投資(装備コスト):
1部位:30万円
全身総額(10部位):300万円
投資回収期間: 約6日
【解説:コンビニバイト感覚で年収1億越え?】
まず驚くべきは、このF級ダンジョンの異常な収益性です。
時給9万円。
日給54万円。
週休2日で真面目に働いた場合、月収は約1,100万円。
年収換算で1億3,000万円を超えます。
比較してみましょう。
日本人の平均年収は443万円です。
F級探索者は、わずか8日間で一般的な日本人が1年かけて稼ぐ金額を稼ぎ出します。
医師が過酷な当直と勉強を重ねて手にする年収1,400万円も、探索者にとっては「半月の稼ぎ」に過ぎません。
「でも装備が高いんでしょう?」という声があります。
確かにアルカディア製や大手メーカー製の「F級標準装備(HP+30)」は、一箇所30万円。
全身揃えれば300万円という高額商品です。
新車が買える値段です。
しかし回収期間を見てください。
「約6日」です。
たった一週間、真面目にゴブリンを叩くだけで初期投資は全額回収できるのです。
その後は経費(メンテナンス費)を除いても、毎日50万円近い純利益が手元に残ります。
【リスク分析】
「装備が壊れたらどうするんだ?」という懸念がありますが、F級に限って言えばその心配は無用です。
出現するモンスターは、ゴブリンやスライムといった最弱種。
彼らの攻撃力で30万円クラスのマジックアイテムを破壊することは、物理的にほぼ不可能です。
八代匠氏が提唱する「武器と胴体だけでもいいから装備しろ」という教えを守り、HPを底上げしていれば死亡リスクも極めて低い。
ドロップ品に関しては、F級では期待できません。
錆びた剣やボロボロの皮鎧が落ちますが、これらは市場価値がほぼゼロです。
稀に「低級ユニークアイテム(相場300万円前後)」や「変成のオーブ」が落ちますが、それはあくまでボーナス。
ここは「魔石」という確実な現金を拾い集めるための巨大な作業場です。
【結論】
借金をしてでも装備を買い、今すぐ潜るべきです。
これほどローリスク・ハイリターンなビジネスは、人類史上存在しませんでした。
E級ダンジョン(脱初心者・安定期)
~「新人類」への進化と医師・弁護士を超える日常~
適正レベル: Lv 10 ~ 20
魔石単価: 100,000円
収集効率: 3個 / 時間
時給換算: 300,000円
日給換算: 180万円
初期投資(装備コスト):
1部位:100万円
全身総額(10部位):1,000万円
投資回収期間: 約6日
【解説:日給180万円の世界】
F級を卒業し、レベル10を超えた探索者が挑むのがE級ダンジョンです。
ここで経済規模は、さらに跳ね上がります。
魔石単価は3倍強の10万円。
ドロップ率は変わらず。
結果、時給は30万円に達します。
日給180万円。
月収換算で約3,600万円。
年収換算で4億3,000万円。
もはや比較対象が「プロ野球選手」や「外資系企業のCEO」レベルになってきます。
しかし彼らが一握りの才能あるエリートであるのに対し、E級探索者は「真面目にレベル上げをした一般人」なら誰でも到達可能です。
男女差もありません。
ステータスは平等に上昇します。
小柄な女性が巨大なオークをハンマーで殴り倒して日給180万を稼ぐ。
これが新しい日本の日常です。
装備コストは跳ね上がります。
一箇所100万円。
全身で1,000万円。
地方なら一軒家が買える金額を身に纏って戦うことになります。
しかし回収期間はF級と同じく「約6日」。
日給180万円のパワーがあれば、1000万円の借金など住宅ローンどころかカードローンの感覚で返済可能です。
【リスク分析】
ここから敵の攻撃が激化します。
オークやコボルトリーダーといった「殺意の高い」モンスターが出現するため、装備の耐久値が削られるリスクが発生します。
しかし仮に装備が一つ壊れて100万円の損失が出たとしても、それは「半日の労働」でカバーできる範囲です。
致命的な損失にはなりません。
またこのランク帯から、探索者は生物としての枠組みを超え始めます。
レベル15を超えたあたりから筋力や反射神経がオリンピック選手を凌駕し始め、「新人類」と呼ばれる領域に入ります。
病気になりにくくなり、睡眠時間が短くても活動できる。
生活の質そのものが向上するのも、隠れたメリットと言えるでしょう。
ドロップ品にも夢が出てきます。
有用なMOD(追加効果)がついたアイテムが落ちれば、それだけで100万円の値がつきます。
「今日は魔石だけで180万稼いだけど、ついでに拾った剣が100万で売れたわ」という会話が居酒屋で普通に交わされる世界です。
D級ダンジョン(中級者・停滞の壁)
~魔のD級。効率の悪化と迫られる「選択」~
適正レベル: Lv 20 ~ 30
魔石単価: 150,000円
収集効率: 2個 / 時間(※敵の強化により討伐速度低下)
時給換算: 300,000円
日給換算: 180万円
初期投資(装備コスト):
1部位:250万円
全身総額(10部位):2,500万円
投資回収期間: 約14日
【解説:なぜD級は「魔の領域」なのか】
順調に右肩上がりだった収益カーブが、ここで初めて「停滞」します。
魔石単価は1.5倍の15万円に上がっていますが、モンスターの強さが劇的に向上するため討伐数が減少し、結果として時給・日給がE級と変わりません。
収入が変わらないのに、コストだけが跳ね上がります。
D級で生き残るための装備は一箇所250万円。
全身で2,500万円。
高級マンション一室分の投資が必要です。
その結果、投資回収期間はこれまでの倍以上の「14日」に延びます。
たかが14日と思うかもしれません。
しかしここでの戦闘は過酷です。
敵の攻撃は重く、装備の摩耗が激しい。
もし250万円の鎧が破壊されたら?
修理費や買い替えコストが利益を圧迫し始めます。
「稼いでも稼いでも装備代に消えていく」。
そんなジレンマに陥り、多くの探索者がここで借金を背負うか、安全なE級への「出戻り」を選択します。
【リスク分析と打開策】
ここで重要になるのが「装備ドロップ」と「オーブ」の存在です。
D級からは市場価値の高い「レア装備(良OP付き)」や、高位のクラフト素材であるオーブが現実的な確率でドロップし始めます。
魔石収入だけ見ればE級と同じですが、ドロップ品を含めたトータル収支では平均して一日500万円程度の上乗せが期待できます。
つまりD級は「安定した給料(魔石)」で稼ぐ場所ではなく、「ボーナス(ドロップ)」で稼ぐ場所へとシフトする転換点なのです。
ここで運を掴めるか、それとも装備を壊されて破産するか。
探索者の「運」と「経営手腕」が試される、最初のふるい落としゾーンと言えるでしょう。
C級ダンジョン(上級者・選別)
~トップ層の戦場。家一軒を着て戦う億万長者たちの修羅場~
適正レベル: Lv 30 ~ 40
魔石単価: 300,000円
収集効率: 1~2個 / 時間(※上振れ要素あり)
時給換算: 30万円 ~ 60万円
日給換算: 180万円 ~ 360万円
初期投資(装備コスト):
一般流通品(企業製など):一箇所500万円 / 全身5,000万円
八代ブランド(理論値品):一箇所1,000万円 / 全身1億円
投資回収期間:
一般装備:約14~28日
八代装備:約28~56日
【解説:個人で到達できる「天井」】
現在人類の最前線である「アルカディア」や日米軍の精鋭を除けば、一般のトップ探索者が到達できる限界点が、このC級ダンジョンです。
魔石単価は30万円。
運良く1時間に2個拾えれば、時給60万円。
日給360万円。
ここまで来れば、年収換算で10億円プレイヤーの仲間入りです。
しかしその代償となる「入場料(装備コスト)」は常軌を逸しています。
最低限の生存を保証する「一般C級装備」でさえ、全身揃えれば5,000万円。
都内の新築マンションを身に纏って戦うようなものです。
さらに絶対的な安全と高性能を誇る「八代ブランド(HP+100耐性+30%等の理論値品)」に至っては、全身で1億円。
これを個人でポンと出せる人間はいません。
そのためC級攻略の主役は「企業ギルド」や「公的機関(自衛隊・警察)」となります。
彼らは組織の資金力で装備を整え、社員(隊員)に貸与する形で攻略を進めます。
例外的に個人でここに到達している猛者もいます。
最近アルカディアに加入したネットで話題の『借金まみれのタカシ』氏などがその筆頭でしょう。
彼のように死ぬ気で稼いだ金を全て装備に再投資し、自転車操業の果てに「億の装備」を手に入れた狂人だけが、個人のままこの領域に立つことができます。
【リスク分析と「夢」】
C級ダンジョンの最大の特徴は、収入の構造変化です。
日給の半分以上が「ドロップ品依存」になります。
魔石収入はあくまで「経費(修理費)」を賄うためのものであり、利益の本体はドロップ装備です。
C級で落ちる良いMOD装備は、500~1000万円で取引されます。
運良く「ユニークアイテム」を拾えば、一発で数億円~数十億円。
先日のオークションで「300億円」の値がついた杖も、このランク帯(あるいはその奥)から産出されたものです。
装備コストの回収期間は「1~2ヶ月」と長期化しますが、一度「当たり」を引けば、その瞬間に借金は消滅し、一生遊んで暮らせる富が手に入ります。
まさに人生を賭けたギャンブル。
それがC級ダンジョンの正体です。
まとめ:あなたはどこで戦うか?
以上が現在のダンジョン経済の全貌です。
F級: 誰でも稼げるボーナスステージ。年収1億コース。
E級: 最も効率の良い安定期。年収4億コース。
D級: 装備コストが跳ね上がる「魔の停滞期」。ここを耐えられるかが分かれ道。
C級: 企業と狂人の領域。ハイリスク・超ハイリターン。
八代匠氏は言いました。
「自分の適性を見極めろ」と。
それはビルドの話だけではありません。
経済的なリスク許容度、資金力、そして「どこまで上を目指すか」という覚悟。
それらを冷静に電卓で計算し、自分に合った戦場を選ぶことこそが、この大ダンジョン時代を生き抜くための「最適解」なのです。
さあ、電卓を叩いてください。
そして覚悟が決まったら――ツルハシを買って、ゲートへ向かいましょう。
そこには間違いなく、現代最強の「錬金術」が待っています。




