第44話 無法地帯の労働基準法、あるいは命の値段と三〇〇〇万円の足切りライン
【試練の塔】という名の運営からのボーナスステージ兼集金イベントが終わった。
アルカディアとしては、他を寄せ付けない圧倒的な攻略進度で成果を総取りし、俺個人としても懐が温まる――どころか、国家予算規模の資産が積み上がる結果となったわけだが。
そんな祭りの余韻に浸る間もなく、俺のもとには一通の招集状が届いていた。
差出人は、内閣府・ダンジョン対策室。
要件は『企業による探索者活動に関する緊急有識者会議への出席依頼』。
要するに、
「最近、企業がダンジョンで好き勝手やりすぎているから、どう規制すべきか知恵を貸してくれ」
という泣きつきである。
◇
霞が関某合同庁舎。
重厚な会議室の空気は、紫煙と怒号で白く濁っていた。
「――ですから! 『自己責任』で済ませられる問題ではないと言っているんです!」
バンッ! とテーブルを叩いたのは、厚生労働省から出向してきている役人だ。
額に青筋を浮かべ、対面に座る企業連盟の代表たちを睨みつけている。
「ダンジョン内での業務中に発生した死亡事故に関して、労災が適用されないどころか、遺族への補償金すら支払われていないケースが多発している。
『異次元だから日本の法律は適用外』だなんて、そんなふざけた理屈が通ると思っているんですか!」
役人の怒りはもっともだ。
だが、責められている側の企業代表――大手商社や人材派遣会社の役員たちは、どこ吹く風といった様子で薄ら笑いを浮かべている。
「いやいや、〇〇さん。落ち着いてくださいよ。
我々も別に、人の命を軽んじているわけではありません。
ですがね、ダンジョンというのは『未知の領域』です。
そこでの活動は、本質的に『冒険』なんですよ」
代表の一人、恰幅の良い男が揉み手をしながら言う。
「彼らは雇用契約ではなく、あくまで『業務委託』の個人事業主として契約しています。
リスクを承知で一攫千金を夢見て潜っている。
契約書にも『死亡時の責任は負わない』と明記してあり、彼らはそれに同意してハンコを押しているわけです。
それを後から『金を出せ』と言われましても、株主への説明がつきませんよ」
「その契約自体が、公序良俗に反していると言っているんだ!」
平行線だ。
俺は末席で出された温いお茶を啜りながら、この不毛なやり取りを冷めた目で眺めていた。
現状、日本のダンジョン産業は「カオス」の一言に尽きる。
魔石という新たなエネルギー資源、そしてドロップアイテムという宝の山。
そこに群がったのは、金に目がない有象無象の企業たちだ。
彼らの論理はこうだ。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。
一社だけがブラックなことをすれば叩かれるが、業界全体が「ダンジョンとはそういう場所だ(無法地帯だ)」と開き直ってしまえば、それがスタンダードになる。
特に酷いのが「労基法無視」のロジックだ。
「ゲートの向こうは日本国外、いや異世界である。よって日本の労働基準法は適用されない」。
小学生でも呆れるような屁理屈だが、法整備が追いついていない現状では、このグレーゾーンを突いて暴利を貪る連中が後を絶たない。
「……八代さん。どう思われますか?」
議論に行き詰まった役人が、助け舟を求めるように俺に視線を向けてきた。
会議室の全員の視線が俺に集まる。
「日本最強の探索者」にして、ギルド「アルカディア」の代表。
現場を知り尽くした俺の言葉なら、この場を動かせるかもしれないという期待と、余計なことを言うなという企業側の牽制が入り混じっている。
「どうと言われましてもね」
俺は茶碗を置き、ゆっくりと口を開いた。
「企業側の言い分も、役人さんの怒りも、どっちも分かりますよ。
ただ一つだけ確かなのは……今の企業参入モデルは、『クソほど儲かる』ってことでしょう?」
俺の直球な物言いに、企業側の役員たちがピクリと眉を動かした。
「探索者一人をダンジョンに送り込む。
彼らが命がけで拾ってきた魔石やドロップ品の、平均して『2割』を上納させる。
これ、とんでもない利益率ですよ」
探索者ビジネスの基本構造は、極めて単純な「ピンハネ」だ。
場所はタダ。
資源(魔石)もタダで湧いてくる。
企業が用意するのは、最低限の窓口と多少の初期装備の貸し出しのみ。
あとは探索者が勝手に稼いでくるのを待つだけで、売上の20%が懐に入る。
「しかも、使い捨てができる。
死んだら装備を回収して、次の新人に貸し出せばいい。
退職金も要らない。社会保険料の負担もない。
『個人事業主』という名目で、全てのリスクを現場に押し付けている。
そりゃあ、笑いが止まらんでしょう」
俺の指摘に、役員の一人が顔を赤くして反論した。
「人聞きの悪いことを言わないでいただきたい!
我々は彼らに『機会』を提供しているんだ!
それに大手は、ちゃんと安全管理もしている!
装備だって最新のものを支給しているんだぞ!」
「ええ、知ってますよ。
だからこそ、『死人』の内訳を見ると面白いことが分かる」
俺は手元の資料をペラペラと捲った。
そこには、過去半年間のダンジョン内死亡事故の統計データがある。
「大手企業の契約探索者の死亡率。これは意外と低い。
なぜなら、おっしゃる通り装備が良いからです。
リーダー級の引率もついている。
死ぬ奴は、指示を無視して勝手に突っ込んだ馬鹿か、運が悪かった奴だけだ」
大手にとって探索者は「金の卵を産む鶏」だ。
むざむざ殺すよりは、生かして搾取し続けた方が長期的には儲かる。
だから最低限のラインとしての「生かさず殺さず」の安全管理は徹底している。
「問題なのは……こっちだ」
俺は別のグラフを指差した。
死亡事故の7割以上を占めている赤い帯。
「中小企業。
あるいは流行りに乗っかって参入しただけの、ノウハウのないベンチャー企業。
こいつらが雇った探索者が、ゴミのように死んでいる」
会議室が静まり返る。
誰もが薄々気づいていたが、口に出さなかった事実だ。
「資金力のない中小企業は、高い装備を用意できない。
ホームセンターで買った作業着と鉄パイプのような武器を持たせて、『行け、宝の山だ』と背中を押す。
教育も訓練もない。
そんな状態でE級やD級に放り込まれれば、どうなるか?
……虐殺ですよ」
魔石の需要がある以上、政府としても供給を止めるわけにはいかない。
「人命か経済か」という二元論で語られがちだが、現実はもっとシビアだ。
「魔石は欲しい。だが無能な企業に殺される命は無駄だ」というのが本音だろう。
「八代さんのおっしゃる通りです」
役人が重々しく頷いた。
「我々も中小企業の参入規制を検討しました。
しかし『大企業優遇だ』『中小叩きだ』という批判が怖くて、踏み切れずにいるんです。
『職業選択の自由』や『経済活動の自由』を盾に取られると、どうしても……」
弱腰だ。
だが、それが行政というものだ。
明確な理由がなければ、規制の斧は振るえない。
「なら、基準を決めればいいんですよ」
俺は提案した。
感情論ではなく、もっとドライで誰も反論できない「金」のルールを。
「『保証金』の話をしましょう」
「保証金……ですか?」
「ええ。
日本の交通事故の死亡賠償金。
相場は、だいたい3000万円くらいですよね?」
俺の言葉に役人が頷く。
「ならば、それをダンジョン産業にも適用するんです。
『業務中の死亡事故が発生した場合、企業は遺族に対して即座に最低3000万円の補償金を支払わなければならない』と法制化する」
ざわっと、企業側の席が揺れた。
「さ、三〇〇〇万!?
無茶だ!
そんな大金を一件の事故ごとに払っていたら……!」
「払えないなら、事業をする資格がない」
俺は冷たく言い放った。
「人の命を使って金儲けをしているんでしょう?
なら、その命の値段くらい、あらかじめ経費に組み込んでおくのが経営者の責任だ。
それができない自転車操業の会社は、最初から参入すべきじゃない」
俺はホワイトボードに向かい、マーカーで線を引いた。
「とはいえ、いきなり全廃しろとは言いません。
段階を設けましょう。
『F級ダンジョン』。ここは初心者向けで、適切な装備があれば死ぬことは稀です。
ここは、規制緩めでいい」
F級はスライムやゴブリンが出る程度だ。
ヘルメットと防刃ベスト、それに警棒があれば素人でもなんとかなる。
ここでの死亡事故は、よほどの不運か慢心だ。
「問題は『E級』以上です。
ここからは本格的なモンスターが出る。装備の質が生死を分けます。
だから、ここで『足切り』をする」
俺はE級の上に、太い横線を引いた。
「『E級以上のダンジョン業務契約を結ぶ企業は、従業員一人あたり3000万円の供託金、もしくは同等の支払能力を保証する保険への加入を義務付ける』。
これをクリアできない企業は、F級のみの操業とする。
どうです?」
大手企業の代表たちは顔を見合わせ、やがてニヤリと笑った。
彼らにとって3000万円は、払えない額ではない。
むしろ保険会社と包括契約を結べば、スケールメリットで安く済む。
この規制が導入されれば、ライバルである中小零細企業が一掃され、市場を独占できる。
彼らにとっては「渡りに船」だ。
「……なるほど。
安全管理の徹底された優良企業のみが深層へ挑める。
理に適っていますな」
大手の代表が賛意を示す。
役人も、これなら「中小叩き」ではなく「労働者保護」という名目で通せると計算したようだ。
「し、しかし!
それでは我々中小企業は……!」
反対したのは、やはり中小の代表たちだ。
一人3000万の保証など、逆立ちしても用意できない。
保険に入ろうにも、事故率の高い彼らの保険料は天文学的な数字になるだろう。
つまり事実上の「E級以上への参入禁止」宣告だ。
「F級で頑張ればいいじゃないですか」
俺は彼らに、慈悲のない言葉を投げかけた。
「F級でコツコツと魔石を集めて、資金を貯めて、安全装備を揃えて、実績を作れば保険会社も契約してくれるようになりますよ。
それが『経営努力』ってやつでしょう?
今までみたいに鉄パイプ一本で新人をオークの群れに突っ込ませるような商売は、もう終わりです」
ぐぬぬ、と彼らは押し黙るしかなかった。
反論すれば「金がないから、人の命を安く買わせろ」と言っているのと同じになる。
この場にはメディアはいないが、議事録に残れば社会的に抹殺される。
「……決まりですね」
役人が、安堵と決意の混じった表情で締めくくった。
「直ちに法案の作成に入ります。
『ダンジョン労働者安全確保法(仮)』。
補償金の下限設定と、ランク別の参入規制。
八代さん、ご協力感謝します」
「いえいえ。
これで少しは、ダンジョンの中も綺麗になるでしょう」
俺は席を立った。
これは単なる人助けではない。
市場の健全化だ。
無謀な特攻で死ぬ探索者が減れば、それだけ熟練した探索者が増える。
彼らが生き残り、稼げるようになれば、俺の作った高級装備を買ってくれる「優良顧客」に育つ。
逆に金払いの悪いブラック企業が潰れれば、焦げ付きリスクも減る。
そして何より、大手企業が「保険料」や「安全対策費」でコスト増になれば、相対的に俺たちアルカディアの利益率の高さが際立つ。
まさに三方よし。
いや、俺だけが一番得をする「俺よし」の提案だ。
会議室を出ると、廊下の窓から東京の景色が見えた。
そこには無数のダンジョンゲートが口を開け、今日も多くの人々が吸い込まれていく。
明日からは、その入り口に「命の値段」という見えないゲートが一つ増えることになる。
3000万円。
それが高いか安いかは、潜る本人と送り出す企業の覚悟次第だ。
少なくとも「タダで死ねる」時代は、終わったのだ。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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