第37話 三倍界王拳の経済学、あるいは協調的寡占による錬金術
アメリカ合衆国大統領による、あの狂気じみた「魔石買取価格3倍宣言」。
その衝撃波が太平洋を越え、日本列島に到達するのに、一日もかからなかった。
港区ミッドタウン・タワー、ギルドマスター室。
眼下に広がる東京の街は、これまでとは質の異なる熱狂――いや、発熱に近い興奮に包まれていた。
俺、八代匠は、複数のモニターに映し出される経済ニュースと為替チャート、そして政府の緊急会見の様子を眺めながら、極上のブランデーをグラスの中で揺らしていた。
「……まあ、そうなるよな」
モニターの中では、顔面蒼白になった日本の財務大臣と経産大臣が、悲壮な決意を込めて記者団に語りかけている。
『――我が国としましても、エネルギー安全保障の観点、および探索者の皆様への適正な利益還元の観点から、魔石の公定買取価格を見直すことといたしました。
本日正午より、F級魔石の買取価格を従来の1万円から……3万円へと引き上げます』
会場がどよめき、フラッシュの嵐が大臣たちを焼く。
当然の帰結だ。
アメリカが「3万円で買う」と言っているのに、日本が「うちは1万円です」などと寝言を言っていれば、どうなるか。
答えはシンプルだ。
国内の魔石という魔石が、すべて海外流出する。
探索者たちはこぞってアメリカ系のバイヤーに石を売り、日本のエネルギー備蓄は枯渇し、魔導産業は干上がって死ぬ。
日本政府に選択肢などなかった。
アメリカのインフレ攻撃に追随し、自国の通貨を刷りまくって対抗するしか、生き残る道はなかったのだ。
「3万円。F級の小石っころ一つが、新卒の初任給の1割強か」
俺は口元を歪めた。
バブルだ。
それも実体経済を無視した、官製相場による超弩級のバブル。
だが、この波に乗らない手はない。
俺の手元のタブレットが、短い通知音を鳴らした。
表示されたのは、アメリカ大使館のウィリアムズ大佐からの暗号化されたメッセージだ。
『Mr.ヤシロ。約束のブツは?』
俺はニヤリと笑い、返信を打ち込む。
『準備完了だ。
我がギルドの倉庫に眠っていたF級魔石の在庫、および先日のイベントで回収した分を含め、計10万個。
すべて「裏ルート」で、貴国の輸送機に引き渡そう』
10万個。
俺がこれまで、1個100円~1万円の時代にアメ横やギルドメンバーから安値で買い集め、あるいは「0秒通勤」で乱獲して溜め込んでいた在庫の山だ。
平均取得単価は、数千円といったところか。
それを今、アメリカ政府の「3倍買取キャンペーン」に乗じて、さらに色を付けて売りつける。
3万円×10万個=30億円。
……ではない。
裏取引だ。
公式レートにさらに「優先供給手数料」と「品質保証料」が上乗せされる。
単価は4万円近い。
しめて40億円のキャッシュが、右から左へ動くだけで転がり込んでくる。
「安い時に仕入れて、高い時に売る。
商売の基本だが、規模が大きくなると笑いが止まらんな」
俺はブランデーを飲み干した。
だが、これは俺だけの利益ではない。
この「3倍バブル」は、日本社会そのものを劇的に変質させようとしていた。
◇
街の風景が変わった。
これまで「危険だから」とダンジョンを敬遠していた層が、雪崩を打ってゲートへと押し寄せているのだ。
無理もない。
F級ダンジョンの浅い階層でゴブリンを一匹倒して魔石を拾う。
それだけで3万円だ。
時給ではない。
一瞬の労働対価が3万円。
もし1時間に3匹狩れれば、時給9万円。
4時間働けば36万円。
10日働けば360万円。
年収が10日で稼げる世界。
「働いたら負け」という言葉があるが、今の日本では「潜らない奴が負け」という空気が支配的になりつつある。
サラリーマンは有給を取り、学生は授業をサボり、フリーターはバイトを辞めて、皆一様にツルハシと安物の武器を持ってゲートを目指す。
遅れてきた参入者たち。
彼らの目は「円」のマークになっていた。
だが、そこで発生するのが「装備不足」という深刻なボトルネックだ。
「マスター、大変です!
オークションの相場、また壊れました!」
事務作業をしていたリンが、悲鳴のような声を上げた。
モニターを見れば、以前俺が大量放出した「初心者セット」の転売価格が、天井知らずに高騰している。
「中古の鉄の剣が10万円!?
ただの革鎧が15万円!?
ボッタクリにも程がありますよ!」
「需要と供給だ、リン。
魔石を掘りたい人間が100万人増えたのに、武器の数は変わっていない。
当然、奪い合いになる」
俺は冷静に分析する。
今の市場は、ツルハシを持たないゴールドラッシュの群衆で溢れかえっている。
彼らは魔石を拾えば元が取れると知っているから、初期投資に糸目をつけない。
30万の装備でも、4日で回収できるなら安いと判断するのだ。
この状況に、日本政府と財界も指をくわえて見ているわけではなかった。
彼らは俺が教えた「神話級アーティファクト」の使い方を、早速実践し始めていたのだ。
ニュース画面が切り替わる。
経済産業省と経団連の共同記者会見だ。
『――魔石採掘の効率化、および探索者の安全確保のため、政府は国内の主要メーカーに対し、特殊な「生産設備」の貸与を開始いたしました』
画面に映し出されたのは、無骨なデザインのハンマーとノミのセットだ。
だが俺の【鑑定】眼には、その正体がはっきりと見えていた。
【量産型・幸運の鍛冶槌】
効果:Dランク以下の「クラフトスキル」が一時的に付与された工具。
一日100回限定で、使用者は「ラッキー・クラフト(低確率で良質なMODが付与される製造)」を行うことができる。
あの『偽りの鍛冶場』を使って量産された、スキル付与アイテムだ。
政府はこれを、多額の政治献金を行っている大手企業――三菱、トヨタ、日立といった重工業メーカーの系列ギルドに、優先的に配布したのだ。
(やるじゃないか、政府の古狸たちも。
俺一人に市場を独占させるのが癪だから、身内の企業に「製造権」を配って対抗馬を作ったわけか)
俺は感心した。
正しい判断だ。
独占は停滞を生む。
競争相手がいてこそ、市場は健全に拡大する。
そして、その結果がどうなったか。
アメリカの演説から10日が経過した今日、大手メーカー各社から一斉に新商品が発表された。
『MHI(三菱重工)製・探索者用コンバットスーツ(量産型)』
『トヨタ・ダンジョンギア・スタンダードモデル』
カタログスペックを見る。
物理防御力:低
追加効果:最大HP+20~30、単体属性耐性+10%前後
価格:一律300,000円(税別)
「……30万円か。
絶妙なラインを突いてきたな」
俺は唸った。
性能は俺が以前作った「D級セット」より少し劣る程度。
「ラッキークラフト」によるランダム生成品なので、当たり外れはあるが、最低限のHPと耐性は確保されている。
F級ダンジョンを周回するには、十分すぎる性能だ。
そして価格の30万円。
高いと思うかもしれないが、今の「時給9万円」の相場からすれば、4時間でペイできる金額だ。
1日働けば黒字。
あとは永久に丸儲け。
初心者探索者にとっては「実質タダ」に見える、魔法の価格設定だ。
「マスター、どうします?
大手企業が参入してきたら、ウチの装備が売れなくなっちゃいますよ?
価格競争(値下げ)を仕掛けますか?」
リンが対抗心を燃やして聞いてくる。
だが俺は首を横に振った。
「馬鹿を言え。
ここで値下げをして、どうする?
向こうは国策企業だぞ。資金力と組織力で喧嘩を売っても、泥沼の消耗戦になるだけだ。
それに安売りすれば『安かろう悪かろう』のレッテルを貼られかねない」
俺は立ち上がり、オフィスの窓から見える大手町方面のビル群を見据えた。
あそこの役員室では今頃、お偉いさんたちが「これでアルカディアのシェアを奪える」と祝杯を挙げているかもしれない。
「敵対する必要はない。
むしろ、ここは『協調』すべき局面だ」
「協調……ですか?」
「ああ。
向こうが30万で売るなら、俺たちも30万で売る。
これが『市場価格』だと世間に定着させるんだ」
これを経済学では「協調的寡占」あるいは「価格の硬直性」と呼ぶ。
トップシェアを持つ企業同士が暗黙の了解で価格を維持し、互いの利益を最大化する戦略だ。
もし俺がここで「ウチは10万で売ります!」と言えば、企業側は激怒し、政治的な圧力をかけてくるだろう。
逆に「30万」に合わせれば、彼らは俺を「話の通じるビジネスパートナー」として認識する。
「それに30万でも十分にボロ儲けだ。
原価はゴミ装備とオーブ数個、数百円の世界だぞ?
利益率99.9%の商品を、わざわざ安売りする理由はどこにもない」
俺は悪党の笑みを浮かべた。
企業が一生懸命、政府から借りたハンマーでカンカンと装備を作っている横で、俺は【万象の創造】を使って一瞬でリロールし、同等以上の性能の装備を量産する。
生産効率で言えば、俺の方が圧倒的に上だ。
「よし、工場へ行くぞ。
久しぶりに本気で『ゴミ拾い』と『リサイクル』をやる」
俺はメンバーに号令をかけた。
◇
アルカディアの作業場は、再び熱気に包まれていた。
今回の素材は、アメ横やオークションのジャンクコーナーでキロ単位で買い叩いてきた「本当のゴミ装備」たちだ。
穴の空いた革鎧、刃こぼれした剣、錆びついた兜。
本来なら廃棄処分されるべき、産業廃棄物の山。
だが今の俺には、これが30万円の札束に見える。
「作業開始だ。
目標生産数、とりあえず1000個」
俺は作業台の前に立ち、次々とゴミを手に取った。
スキル発動。【万象の創造】。
イメージするのは、企業の製品スペックに合わせた「標準モデル」だ。
『ライフ+30』。
『単体属性耐性+10%』。
それ以上でも、それ以下でもない。
あえて性能を抑える。
強すぎる装備を安く売れば市場が壊れるし、弱すぎればクレームになる。
企業の製品と「同等」でありながら、俺のブランド力で「少し良く見える」絶妙なラインを狙う。
シュゥゥゥ……カッ!
俺の手の中で、錆びた鉄屑が光を放ち、実用的な量産型装備へと生まれ変わる。
所要時間3秒。
企業の職人が汗水垂らして10分かけて作るものを、俺は鼻歌交じりに数秒で生み出す。
「はい、一丁上がり。次」
「これもリロール。……よし、火炎耐性が付いた。次」
「これはHPの付きが悪いな。もう一回……よし、合格」
流れ作業。
単調だが、脳内ではチャリンチャリンと金貨の落ちる音が鳴り響いているため、苦痛ではない。
1個作るたびに30万円の利益。
10個で300万。
100個で3000万。
時給換算すれば、数億円の世界だ。
「マスター、すごいペースですね……。
私たちがダンジョンで必死に稼ぐのが、馬鹿らしくなってきます」
横で完成品を箱詰めしていた田中が、呆れたように呟く。
「勘違いするなよ、田中。
これは『ダンジョンがあってこそ』の商売だ。
現場で石を拾う人間がいなければ、この装備はただの鉄屑だ。
俺たちは彼らに『ツルハシ』を売っているに過ぎない」
俺は手を休めずに答えた。
ゴールドラッシュで一番儲けたのは、金を掘った人間ではない。
ジーンズとツルハシを売った商人だ。
歴史は繰り返す。
今回は「魔石」と「ライフ+30の鎧」に変わっただけだ。
「それに企業とも足並みを揃えることで、余計な摩擦を避けられる。
『アルカディアさんも30万で売ってますよ』と言えば、企業の連中も顧客に対して『これが適正価格なんです』と胸を張れるだろう?
俺たちは彼らの価格設定に『正当性』というお墨付きを与えてやっているんだ」
「……なるほど。
共犯関係を作るわけですね」
雫が納得したように頷く。
彼女はこういうドライな戦略を好む。
「そういうことだ。
敵対するのは簡単だが、利用する方が賢い。
彼らが市場を広げ、広告を打ち、探索者を増やしてくれれば、巡り巡ってウチのハイエンド商品の客も増える。
今は仲良く、甘い汁を吸い合おうじゃないか」
数時間後。
作業場の床は、新品同様に再生された1000個の装備品で埋め尽くされた。
総売価3億円。
これをオークションに流せば、飢えたピラニアのような新規探索者たちが、瞬く間に食い尽くすだろう。
「よし、出荷だ。
商品名は『アルカディア・スタンダードモデル』。
キャッチコピーは『プロも認める信頼の品質。30万円で安心を買おう』だ」
「うわぁ、胡散臭い……」
リンが笑う。
「事実は事実だ。
これを着ていればF級で死ぬ確率は激減する。
彼らは命を拾い、魔石を持ち帰り、借金を返し、そしてまた新しい装備を欲しがる。
完璧なエコシステムだ」
俺はPCの前に座り、出品作業を開始した。
画面の向こうでは、すでに企業の製品が飛ぶように売れている。
そこに俺の商品が投下される。
価格は同じ30万円。
だが「八代匠」のネームバリューがある分、こちらの方が早く売れるかもしれない。
エンターキーを叩く。
『出品完了』の文字。
直後、通知音が鳴り止まない。
『落札されました』
『落札されました』
『落札されました』
秒速で在庫が溶けていく。
日本中の「遅い参入者」たちが、親の遺産や退職金、あるいは学生ローンを握りしめてクリック戦争に参加しているのだ。
「……チョロいもんだ」
俺は背もたれに体重を預け、天井を見上げた。
バブル。
それは泡のように儚いものだが、弾けるまでは黄金の輝きを放つ。
この狂乱が続く限り、俺の錬金術は終わらない。
アメリカがドルを刷り、日本が装備を作る。
探索者が石を拾い、俺がすべてを回収する。
世界は今、俺のために回っていると言っても過言ではなかった。
俺は満足げに目を細め、次なる「仕掛け」について思考を巡らせ始めた。
資金は無限に増えていく。
ならば次は、もっと大きな――国そのものを動かすような買い物をしてもいい頃合いかもしれない。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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