第25話 神話級アーティファクト、あるいは「通勤時間0秒」という物流革命
世界が300億円の杖『凍てつく思考』の衝撃に揺れている頃。
ネットニュースもワイドショーも、SNSのタイムラインも、全てが「ダンジョンの底には国家予算が眠っている」という話題で持ちきりだった。
だが、当の震源地である俺――八代匠は、港区のオフィスの奥にある「特別保管庫」で、冷ややかな視線を一対の「杭」に向けていた。
「……300億? フン、安いもんだ」
俺は鼻で笑った。
世間が騒いでいる、あの杖は確かに強力だ。10年後も使えるし、インフレにも対応している。
だが、所詮は「武器」だ。
敵を倒す速度が数倍になるだけの道具に過ぎない。
だが目の前にあるこれは違う。
これは「武器」ではない。「インフラ」だ。
世界そのものの理を書き換え、俺たち『アルカディア』という組織の生産性を、次元の違う領域へと押し上げる「特異点」だ。
「リーダー、それ……この前の『迷わずの森』の宝物庫から出たやつですよね?」
背後から乃愛がおずおずと声をかけてきた。
彼女の後ろには興味津々のリンと、何やら不穏な気配を感じ取っている田中が控えている。
「ああ、そうだ。
鑑定せずに寝かせておいたが……そろそろ『解禁』する時が来た」
俺は、錆びついたようにも、あるいは宇宙の深淵を固めたようにも見える、奇妙な質感の「二本の楔」を手に取った。
『ダンジョン・フロンティア(ダンフロ)』というゲームには、通常のドロップ品とは一線を画す、特別なカテゴライズのアイテムが存在する。
それが【アーティファクト(遺物)】だ。
通常のユニークアイテムは確率は低いものの、何度もドロップする可能性がある。
300億円の杖も、運が良ければ2本目、3本目が出る。
だが、アーティファクトは違う。
これは世界各地のダンジョンの「隠しエリア」に、たった一つだけ配置されている「一点物」だ。
全世界で一つ(ユニーク)。サーバーに一つ。再入手はある特殊な特定の条件を満たした時のみ。
その効果は戦闘数値を上げるようなチャチなものではなく、システムの根幹に干渉する「ルールブレイカー」であることが多い。
「見ていろ。これが俺たちがB級ダンジョンを、そしてその先の世界を支配するための『鍵』だ」
俺は【SSS級鑑定】を発動させた。
視界に金色の文字が浮かび上がる。
それは神々しさすら感じる情報の羅列だった。
◇
「名前:次元の楔、空間接続の標(じげんのくさび、ウェイポイント・ビーコン)
(The Wedge of Dimensions, Waypoint Beacon)
レアリティ:神話級(Mythic-tier)
種別:設置型アーティファクト(Placeable Artifact)
効果:この一対の楔が打たれた二点間には、物理的距離と空間の法則を無視した恒久的な「次元の回廊」が穿たれる。
その距離が数千キロメートルであろうと、あるいは異なる次元の最深部であろうと、扉を開けるごとき容易さで行き来が可能となる。
この回廊はいかなる外部干渉も受け付けず、所有者が閉ざすまで永遠に口を開け続ける。
フレーバーテキスト:
距離とは、神が人に与えた最大の枷である。
山々が、大洋が、そして無限の迷宮が、人々の願いを物理的に隔ててきた。
だがこの楔は、その理を根底から否定する。
世界という地図を折り畳み、出発点と到達点を「回廊」で縫い合わせるのだ。
これを手にした者にとって、もはや「彼方」という言葉は意味をなさず、世界はただ一つの部屋となる。」
◇
「……神話級!?」
乃愛が素っ頓狂な声を上げた。
リンと田中も言葉を失って、そのテキストを見つめている。
「距離とは、神が人に与えた最大の枷……。
世界は、ただ一つの部屋となる……」
田中がフレーバーテキストを反芻し、ごくりと唾を飲み込んだ。
彼は元社畜だ。物流や移動コストというものが、ビジネスにおいてどれほどの「枷」であるか、骨身に染みて理解しているのだろう。
「リーダー、これってまさか……『どこでもドア』ですか?」
リンが震える声で聞いた。
「正解だ。……ただし、もっとタチが悪い」
俺はニヤリと笑った。
「どこでもドア」は行きたい場所に行けるが、これは「二点間を固定する」。
不便に見えるか? 逆だ。
「固定された回廊」こそが、安定した物流ラインを生むんだ。
「さあ、実験といこうか」
俺は二本ある楔のうちの一本……『始点の楔』を、この保管庫の床に突き立てた。
ズブリ、と硬いコンクリートの床に、まるで豆腐のように楔が吸い込まれていく。
瞬間、空間が歪み、青白い光の粒子が渦を巻き始めた。
「これで『始点』は設置完了だ。
この部屋は今日から、ただの倉庫じゃない。
『世界のどこへでも繋がる玄関』になる」
俺はもう一本……『終点の楔』を手に取り、腰のベルトに装着した。
「行くぞ。
行き先はC級ダンジョン『迷わずの森』。
最深部のボス部屋前だ」
◇
数時間後。
俺たちは千葉県の山奥にあるC級ダンジョン『迷わずの森』の深層にいた。
「はぁ……はぁ……。やっぱり、何度来ても遠いですね、ここ」
乃愛が肩で息をしている。
無理もない。C級ダンジョンともなれば広さは東京ドーム数百個分。
入り口から最深部まで最短ルートを突っ切っても、徒歩で片道3時間はかかる。
道中にはモンスターが湧き、足場は悪く、精神的にも肉体的にも消耗する。
「見てみろ、あそこ」
俺は木陰からボス部屋前の広場を指差した。
そこには自衛隊の精鋭部隊と、米軍の小隊がキャンプを張っていた。
彼らの顔には色濃い疲労が滲んでいる。
泥にまみれた装備。簡易テントで仮眠を取る兵士たち。
レーション(戦闘糧食)を味気なさそうに齧る指揮官。
「……キツイな。補給線が伸びきってる」
田中が同情するように呟く。
「そうだ。ダンジョン攻略の最大の敵はモンスターじゃない。
『移動』と『補給』だ」
俺は解説した。
彼らはここまで来るのに3時間かけ、戦闘で消耗し、帰るのにまた3時間かける。
1日の活動時間の半分以上を「移動」に費やしている。
荷物いっぱいにドロップ品を詰んだら撤退。怪我人が出れば撤退。腹が減れば撤退。
そのたびにまた、入り口からやり直しだ。
「300億円の杖を持っていても、腹は減るし眠くもなる。
彼らは『遠征』をしているんだ。
だが俺たちは違う」
俺は自衛隊のキャンプから死角になる岩陰に移動した。
そこはボス部屋(霧のカーテン)から目と鼻の先。
本来なら決死の覚悟で挑む「最前線」だ。
俺は懐から『終点の楔』を取り出した。
「ここをキャンプ地とする」
俺は楔を地面に突き立てた。
カッ! 空間が裂ける音がした。
岩陰の空間がねじれ、青白い光の渦が形成される。
それはオフィスの倉庫にあったものと同じ輝きを放っている。
「……嘘でしょ?」
乃愛が目を疑っている。
「これ、本当に繋がってるんですか?
ここ、千葉の山奥のさらに地下深くの異界ですよ?」
「試してみればいい」
俺は光の渦……『次元の回廊』に向かって、何気なく手を伸ばした。
そして、その向こう側にある「何か」を掴んで、こちら側に引き抜いた。
ズルッ。
俺の手には、冷えた缶コーヒー(微糖)が握られていた。
「……あ」
リンが口を開けて固まる。
「オフィスの冷蔵庫から取ってきた。
まだ冷えてるぞ」
俺はプシュッとプルタブを開け、コーヒーを一口飲んだ。
その音が、静寂の森に響き渡る。
「……狂ってる」
田中が呻いた。
「物理法則とか距離とか、そういう概念が壊れてます。
ここからオフィスまで、徒歩0秒……?」
「そうだ。
これより我がギルド『アルカディア』は、新たな作戦行動に移行する」
俺は宣言した。
「名付けて『定時退社・自宅通勤・無限周回』作戦だ」
◇
その日、俺たちがやったことは、歴史の教科書には載らないが、探索者の常識を破壊する行為だった。
まずボス部屋に突入する。
C級ボス「フォレスト・ガーディアン」を、理論値装備と連携でボコボコにして倒す。
ドロップ品(魔石や素材)を回収する。
通常なら、ここで「帰還」の選択肢が頭をよぎる。
荷物がいっぱいだし、MPも減ったし、疲れたからだ。
来た道を3時間かけて戻らなければならない。
だが俺たちは違った。
「よし、一周終わり。
一旦戻って休憩するぞ」
俺たちは『次元の回廊』をくぐる。
一歩踏み出せば、そこは空調の効いた快適なオフィスだ。
「ふあー! 涼しい!」
リンがソファにダイブする。
「トイレ行ってきまーす!」
「私はコーヒーのおかわりを淹れますね」
乃愛が給湯室へ向かう。
「ドロップ品、倉庫に放り込んでおきます」
田中が重いリュックの中身を空にする。
所要時間15分。
トイレ休憩、水分補給、荷物整理、装備のメンテナンス。
全てが「自宅」の環境で行われる。
MPの自然回復も、安全なベッドで寝転がって待てばいい。
「よし、休憩終わり。
二周目行くぞ」
俺が声をかけると、全員が元気いっぱいに立ち上がった。
数秒後。
俺たちは再び、千葉の山奥の最深部に立っていた。
「……これ、チートすぎませんか?」
乃愛が呆れたように笑う。
「チートじゃない。効率化だ」
そこからは、ただの作業だった。
ボスがリポップ(再出現)するまでの時間を、オフィスで漫画を読んで潰し、湧いた瞬間に現場へ直行して殺す。
自衛隊員たちが泥にまみれて野営し、カップ麺を啜っている横(の亜空間)で、俺たちは宅配ピザを食いながら周回を重ねた。
一日が終わる頃には、倉庫はC級素材の山で溢れかえっていた。
通常の探索者が一ヶ月かけて稼ぐ量を、たった一日で、しかも「無傷」で稼ぎ出したのだ。
◇
その日の夜。
オフィスに戻った俺たちは、高級寿司の出前を取って祝勝会を開いていた。
「いやー、あの楔はやばいッスね」
リンがウニを頬張りながら言う。
「自衛隊の人たちに見せたら、発狂して死ぬんじゃないですか?」
「絶対に見せるなよ。
あれがバレたら、国連軍が攻めてくるレベルだ」
俺は釘を刺した。
300億円の杖? あんなものは可愛らしいおもちゃだ。
この『次元の楔』の価値は、金銭では換算できない。
例えば、アメリカ軍がこれを手に入れたらどうなる?
ワシントンと敵国の首都の真ん中に楔を打ち込めば、一瞬で軍隊を送り込める。
兵站という概念が消滅する。
まさに、神話級の戦略兵器だ。
「でも、これで準備は整いましたね」
田中が真剣な表情で言った。
「C級ダンジョンの素材は、もう腐るほど集まりました。
資金も、ドロップ品を小出しに売れば無限に湧いてきます。
装備の強化も完璧です」
「ああ。
これで、いよいよ本番だ」
俺は寿司を飲み込み、窓の外を見た。
東京の夜景の向こう。
次なるターゲット――B級ダンジョンのゲートがある方角を睨む。
B級ダンジョン。
そこは「環境デバフ」という初見殺しの理不尽が支配する領域だ。
多くのエリートたちが挑み、門前払いを食らっている難攻不落の要塞。
だが今の俺たちには「理論値装備」がある。
「無限補給(0秒通勤)」がある。
そして何より、俺の頭の中にある「攻略チャート」がある。
「準備が出来たら今度はB級ダンジョン『紅蓮の火山』へ行く。
……もちろん、通勤スタイルでな」
「えっ、火山にも楔を打つんですか?」
乃愛が聞く。
「当然だ。
まずは入り口に打つ。
そうすれば毎日、家から火山へ直行できる。
温泉旅行気分で攻略してやるさ」
俺は不敵に笑った。
神が定めた距離という枷。
それを破壊した俺たちにとって、世界はもう「ただ一つの部屋」に過ぎない。
火山の火口も、深海の底も、俺のオフィスの延長線上にある「別室」だ。
「さて、世界を驚かせに行こうか。
300億の杖を持った奴らが泥んこになって行軍している横を、涼しい顔で通り過ぎてやる快感……。
想像するだけでゾクゾクするだろう?」
俺の言葉に、メンバーたちは共犯者の笑みを浮かべた。
アルカディアの進撃は、もう誰にも止められない。
物理的に止めようがないのだから。
最後までお付き合いいただき感謝します。
もし「続きが読みたい」「ざまぁが見たい」と思われた方は、ページ下部よりブックマークと評価をお願いします。
アメ横の闇市よりも、政府の買取よりも、なろう読者の皆さまの「いいね」こそが、最も信頼できる通貨です。
↓↓↓ 応援、ここでお待ちしています ↓↓↓




