第19話 確定申告という名のラスボス、あるいは霞が関の迷宮
ダンジョンゲートが世界に出現してから、早三ヶ月が経過した。
季節は巡り、カレンダーの数字が変わるにつれて、ある「恐怖」が探索者たちの足元に忍び寄っていた。
それはモンスターでも、トラップでもない。
現代日本社会において、何人たりとも逃れることのできない絶対的なシステム。
そう、「税金」である。
さて読者の皆様は、疑問に思っているかもしれない。
「八代はオークションや魔石取引で数億円、あるいは数十億円を稼ぎ出しているが、税金はどうなっているんだ?」と。
「まさか異世界からのドロップ品だから無税、なんて都合のいい話があるのか?」と。
結論から言おう。
『ダンジョン・フロンティア(ダンフロ)』というゲームの10年後のシナリオ(完成された世界)においては、探索者は「ほぼ無税」である。
正確には、確定申告をして所得税を納める、という面倒なプロセスが存在しない。
その代わり、政府公認のオークションや買取所を利用する際に「取引手数料」として一律5%が天引きされるシステムになっている。
たった5%? 安すぎないか?
いや、これでいいのだ。
なぜなら、10年後のダンジョン市場の流通額は「京」の単位に達する。
その5%が自動的に国庫に入るだけで、日本政府には毎期数十兆円という、消費税や法人税が霞むほどの莫大な税収が転がり込んでくる。
探索者は面倒な計算から解放され、政府は取りっぱぐれなく徴収できる。
まさにダンジョンバブルが生み出した、究極の効率的税収システムだ。
だが。
それはあくまで「10年後」の話だ。
今はまだ黎明期。
法整備なんて影も形もない、カオスな現代日本だ。
つまりどういうことか?
「……ガッツリ取られるんだよなぁ、現行法だと」
港区のオフィスで俺は、税理士から渡された試算表を見て、天を仰いだ。
所得税、住民税、個人事業税、復興特別所得税。
これらが合わさり、最高税率は驚異の55%。
さらに消費税の納税義務まで発生する可能性がある。
稼げば稼ぐほど、その半分以上を国に持っていかれる。
これが「累進課税」という名のモンスターだ。
「キャッシュはいくらあっても困らないって言ったけど、半分消えるとなると話は別だぞ……」
もちろんゲーム知識的には「2年後」に大規模な税制改正イベントが発生する。
そこで「ダンジョン税制」が施行され、過去に遡って過払い分は還付される(戻ってくる)ことになるのだが……。
「2年後に返します」と言われても、「今、金が必要なんだよ!」という話だ。
成長期のベンチャー企業にとって、手元のキャッシュが半分になるのは死活問題だ。
2年後の10億円より、今の1億円の方が価値がある。
『ダンフロ』というゲームは「リアルなダンジョン社会」を目指した結果、こうした日本社会特有の「ややこしい税制」や「役所の手続き」まで完全再現していた。
開発者はドMなのか、それとも元国税局員なのか。
おかげでプレイヤーはゴブリンを倒す合間に「青色申告承認申請書」の書き方を勉強させられる羽目になったわけだが……まさか現実でも同じ苦労をするとはな。
「社長、そろそろお時間です」
事務員が声をかけてきた。
俺は重い腰を上げた。
今日はダンジョン攻略ではない。
もっと陰湿で、出口の見えない迷宮への招待状が届いているのだ。
場所は霞が関。
財務省主税局。
今日のクエスト名は『ダンジョン関連収益における課税区分の検討会』だ。
◇
財務省の会議室は、澱んだ空気に包まれていた。
磨き上げられた長テーブルを挟んで、財務省、国税庁、総務省の官僚たちがズラリと並んでいる。
対面には俺を含めた数名の「有識者」と、大手税理士法人の代表たち。
「……えー、それでは議題に入ります」
司会の官僚が、抑揚のない声で進行を始めた。
今日のテーマはシンプルにして最悪だ。
「探索者が稼いだ金は、何所得になるのか?」
「現行法に照らし合わせれば、『雑所得』とするのが妥当かと考えられます」
国税庁の担当者が口火を切った。
その瞬間、俺の眉がピクリと動く。
雑所得。
副業や年金などが該当する区分だが、これの何が最悪かと言えば、「損益通算ができない」ことと、「控除が少ない」ことだ。
そして何より、累進課税の対象となり、最大税率が適用されやすい。
要するに「一番ガッツリ取れる区分」だ。
「待ってください。探索は継続的な経済活動です。
当然、『事業所得』として認めるべきでしょう」
税理士法人の代表が反論する。
事業所得なら青色申告特別控除が使えるし、赤字が出れば他の所得と相殺できる。
「しかしダンジョン探索は投機的側面が強い。暗号資産(仮想通貨)と同様の扱いとすべきでは?」
「いや、ドロップ品は『拾得物』に近い。一時所得の性質もあるのでは?」
「消費税はどうする? モンスターからドロップした剣は『資産の譲渡』に当たるのか? 仕入れ税額控除は?」
議論が紛糾する。
俺は配られたクソ不味いお茶を啜りながら、心の中で溜息をついた。
(……飛ばしてぇ。スキップボタン、ねえのかよ、このイベント)
ゲームの中なら、この手の政治パートは「×ボタン」連打で飛ばせる。
あるいは選択肢だけ選んで、結果だけ見ることができた。
だが現実はそうはいかない。
早送りの出来ない会議を、一言一句聞かされる身にもなってほしい。
目の前で繰り広げられているのは、日本の未来を決める崇高な議論ではない。
既存の法律というツギハギだらけの布を、無理やりダンジョンという規格外の巨人に着せようとする、滑稽な試着会だ。
「八代さん。現場の意見としてはいかがですか?」
不意に話を振られた。
財務省の主計官が、値踏みするような目で見ている。
「お前ら探索者は濡れ手で粟の大儲けをしてるんだから、税金くらい黙って払えよ」という本音が透けて見える。
俺はゆっくりとマイクを引き寄せた。
「現場の意見……ですか。
そうですね。結論から言えば、『今のままでは日本から探索者が消えますよ』とだけ」
「消える? どういうことですか?」
「簡単な話です。命がけでゴブリンと殺し合い、泥だらけになって持ち帰った3万円の魔石。
そこから税金で1万5千円持っていかれるとしたら、誰がやりますか?」
俺は周囲を見渡した。
「今、アメ横などの闇市が活発化しているのはご存知でしょう?
あそこなら消費税も所得税も関係ない。現金手渡しで足もつかない。
税率が高すぎれば、真面目な探索者ほど馬鹿らしくなってアングラに潜るか、あるいは……」
俺は言葉を切った。
「海外へ逃げますよ。
例えばアメリカ。
あちらはすでに登録探索者に対する『特別免税措置』を発表しています。
国防に寄与する準軍属扱いとして、所得税を大幅に優遇する法案が通ったそうです」
「なっ……! アメリカが?」
官僚たちがざわめく。
嘘ではない。先日のウィリアムズ大佐との密約の際、小耳に挟んだ情報だ。
(半分くらい俺が盛ったが)
「優秀な探索者は、言葉も通じない異国へ行くか、あるいはヤクザの経営する闇買取所に並ぶか。
どちらにせよ日本の国税庁には、一円も入らなくなります。
『ゼロに55%を掛けてもゼロ』です」
俺は冷徹な事実を突きつけた。
「私が提案したいのは、将来的なビジョンです。
個人の所得を捕捉して課税するのは諦めてください。無理です。
ダンジョンの中で誰が何を拾ったか、税務署員がついて回るわけにはいかないでしょう?
代わりに出口を押さえるんです。
政府公認のオークションと買取所。
ここを通す取引に関しては、一律5%~10%の『手数料(源泉分離課税)』のみで完結とする。
確定申告不要。
そうすれば闇市に流れていた物資も、全て表に出てきます」
「源泉分離……5%……?」
「低すぎる! それでは富の再分配が……」
「しかし捕捉率100%なら、トータルの税収は……」
官僚たちが電卓を叩き始める。
そう、これこそが「ダンフロ」の正史における税制だ。
薄く広く、確実に取る。
これに行き着くのに、ゲーム内の歴史では最短で2年。
プレイヤーが介入に失敗すれば、5年はかかった。
「法改正が必要です。それも税法の根幹に関わる大改正が」
主税局の男が頭を抱えた。
「租税公平主義の観点から、探索者だけを優遇するわけにはいかない。世論が納得しませんよ」
「世論なら、私が作りますよ」
俺は言い放った。
「『探索者は日本のエネルギー資源を守る英雄だ』とね。
それに彼らが稼いだ金は、結局は国内で消費されます。
高級車を買い、家を建て、高い飯を食う。
経済を回すんですから、そこから消費税を取ればいい」
もっともらしい理屈を並べる。
だが彼らの顔色は優れない。
「前例がない」「縦割りの弊害」「省庁間の調整」……。
彼らの脳内には、できない理由が無数に浮かんでいるようだ。
(……チッ、やっぱりダメか。頭が固すぎる)
俺は心の中で舌打ちした。
この会議で一発逆転、明日から無税!とはいかないことは分かっていたが、ここまで反応が鈍いとは。
やはり「2年」という歳月は、この国の巨大な官僚機構が方向転換するために必要な、最低限の助走期間なのだろう。
「……検討しましょう。ですが今年度の申告については、現行法に従っていただくしかありません」
座長が締めくくった。
結局、振り出しに戻っただけだ。
「つまり今年も来年も、俺たちは領収書の山と格闘し、ガッツリ税金を払えと?」
「法治国家ですから」
「……へいへい、分かりましたよ」
俺は投げやりに答えた。
まあいい。想定内だ。
払った分は2年後の法改正のタイミングで「過払い金」として取り戻す。
あるいはアメリカ大使館を使って、資金繰りをショートさせないように立ち回るだけだ。
会議は続く。
「魔石は棚卸資産か?」
「ポーションの経費計上は?」
といった、さらに細かい各論に入っていく。
俺は時計を見た。
まだ開始から一時間しか経っていない。
あと三時間は拘束されるコースだ。
窓の外には、夕暮れの東京の空が広がっている。
あそこには自由がある。
ダンジョンの中には理不尽なモンスターはいても、理不尽な税務署員はいない。
ある意味、ダンジョンの中の方がよほど健全な「実力主義社会」かもしれないな。
「……あーあ。帰ってゴブリン殴りてぇ」
俺の小さな呟きは、官僚たちの熱い議論の声にかき消された。
日本の夜明け、そして「無税の楽園」への道のりは、まだまだ遠い。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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