第75話 確定申告という名のラグナロク、あるいは税務署崩壊前夜の密約
世界を揺るがしたダンジョンゲートの出現から、十二ヶ月と少しが経過した。
スタンピードという名の「世界同時多発ボーナスステージ」を経て、人類は滅亡の危機を回避しただけでなく、未曾有の資源バブルに沸いていた。
街は復興し、探索者は英雄となり、経済はかつてないほどの活況を呈している。
だが、どんなに熱狂的な祭りであろうとも、終わった後には必ず冷徹な「精算」の時間が訪れる。
二月。
日本という法治国家において、ある意味でダンジョン深層よりも恐ろしく、そして絶対に逃れることのできない魔物が口を開ける季節。
――確定申告である。
◇
霞が関、財務省本庁舎。
その地下深くにある特別会議室は、まるで霊安室のような冷気と静寂に包まれていた。
空調が効きすぎているわけではない。
円卓を囲むエリート官僚たちの顔面が、物理的に室温を下げるほど蒼白だからだ。
集まっているのは、財務省主税局、国税庁、そして内閣府ダンジョン対策室の面々。
そして唯一の民間人アドバイザーとして招集された、俺、八代匠。
「……八代さん。単刀直入に伺います」
国税庁の長官が、砂漠のように乾ききった唇を舐めながら、重い口を開いた。
その目の下には濃い隈が刻まれ、ここ数日まともに眠っていないことを如実に物語っている。
「探索者たちの納税状況についてですが……そろそろその時期です。
法律に基づき、前年度の所得に対する確定申告を行ってもらわねばなりません。
貴方のギルド『アルカディア』および提携クランの方々は、問題ないのですよね?」
「ああ、うちは大丈夫ですよ」
俺は出された渋茶を啜りながら、他人事のように涼しい顔で答えた。
「うちは法人化していますし、優秀な税理士チームを雇って帳簿も完璧です。
魔石の売上、装備の減価償却、経費計上。
すべて法に則って処理し、納めるべきものは納めます」
「そ、そうですか。それは重畳です……」
長官が安堵の息を漏らす。
だが、すぐにその表情は曇天のように陰った。
彼が本当に聞きたいこと、そして本当に恐れていることは、俺たちのような一部の優良納税者のことではないからだ。
「問題は……『それ以外』の探索者たちです。
フリーランス、中小ギルド、そしてブームに乗って参入した数百万人の一般市民たち。
彼らの大半が、帳簿などつけていないという報告が上がっています」
俺は肩をすくめた。
「他の探索者は知らないですけど、まあ、そうでしょうね。
彼らにとって魔石は『拾ったお金』みたいな感覚ですから。
財布に入れたら、それはもう自分のお金だと思っている。
税金のことなんて、1ミリも頭にないでしょう」
長官の顔色がさらに悪くなる。
彼は震える手でハンカチを取り出し、額の脂汗を拭った。
「ですよね……。
今のままだと、暴動起きちゃいますね」
その言葉に、会議室の全員がビクリと肩を震わせた。
「暴動」。
その二文字が持つ意味は、かつてとは比較にならないほど重い。
暴れるのは竹槍を持った農民でもなければ、プラカードを持ったデモ隊でもない。
レベル30を超え、ドラゴンすら屠る力を持ち、魔導兵器で武装した「超人集団」なのだ。
「起きますね……」
俺は淡々と肯定した。
「彼らは命がけで稼いだんです。
モンスターと殺し合い、泥水をすすって手に入れた金だ。
それを安全な場所でふんぞり返っていた国が、『半分よこせ』と言ってきたら?
間違いなく、キレますよ」
シーンと静まり返る会議室。
誰もが想像し、そして恐れていた最悪のシナリオ――。
物理攻撃や魔法によって「更地」にされる税務署の光景が、彼らの脳裏をよぎる。
「ど、どうしたら……」
主税局長が頭を抱える。
「でも、放置してたのに、日本政府じゃないですか……。
法治国家として、法律で決まっている以上、『怖いから税金取りません』なんてことが許されるわけがない。
そんなことをすれば国の威信に関わりますし、公平性を欠くとして一般国民からの批判も免れない……」
「いや、ですがね……」
別の役人が口を挟む。
「取り立てに行けますか?
相手はモンスターを殴り倒すような連中ですよ?
督促状を持っていった職員が、玄関先で消し炭にされる未来しか見えませんが」
議論は堂々巡りだ。
取るも地獄、取らぬも地獄。
進むも退くも茨の道。
「……とりあえず、日本政府としても黙ってるわけにはいかないので」
長官が決死の覚悟で言った。
「とりあえず『税率は55%です』と告知するしかありません。
所得税の最高税率45%に住民税10%。
数億円稼いだ探索者には、法に則りきっちりと半分以上を納めていただく。
まずは、この原則を曲げるわけにはいきません」
「……本気ですか?」
俺は呆れたように言った。
「みんな、そんなに現金持ってないですよ。
稼いだ端から、使ってますし」
「つ、使っている……?」
「ええ。
高級車やタワマンなら、まだマシです。売れば金になりますから。
ですが彼らの大半は、稼いだ金の全てを『装備』そして『レベル上げのための遠征費』に突っ込んでいます。
形に残らない消費、あるいは換金性の低い資産になっている。
手元の口座残高なんて、スズメの涙ほどでしょう」
探索者とは、強くなるために金を稼ぎ、稼いだ金で強くなる生き物だ。
10億稼いだら、10億の剣を買う。
それが彼らの「健全な」経済活動だ。
「そんな彼らに、『5億5千万払え』と言ってみてください。
『ない袖は振れない』と開き直るか、
『ふざけんな! 俺の剣を奪う気か!』と逆上するか。
……暴動ですよ」
俺の言葉に官僚たちが絶望的な顔を見合わせる。
「どうしたら……」
「でも、放置してたのに、日本政府じゃないですか……」
「いや、ですがね……」
同じ言葉を繰り返すだけの壊れたレコードのようだ。
彼らも分かっているのだ。
これまで、のらりくらりと法整備を先送りにしてきたツケが、今ここで爆発しようとしていることを。
俺はため息をつき、助け舟を出すことにした。
ここで彼らを見捨てて日本が無法地帯になれば、俺のビジネスにも悪影響が出る。
治安の維持は、俺の利益のためでもある。
「……提案があります」
俺が口を開くと、全員の視線が縋るように集中した。
「とりあえず、55%との発表は強行してください。
『法は法だ、払え』と毅然とした態度で告知するんです」
「えっ? で、ですが、それでは暴動が……」
「最後まで聞いてください。
ムチを見せたら、すぐにアメを出すんです。
『ただし、1年後の税制改革で、払いすぎた分は現金で還元金として戻ってくる』と説得するんです」
俺はホワイトボードに向かい、図を描き始めた。
「そして、その『税制改革』の具体案もセットで提示する。
プラス、公式日本探索者ギルド……先日設立されたI・G・Uの日本支部から、あらゆるオークションや魔石換金で『5%徴収』を告知するしかないですよ?」
俺はボードに大きく『5%』と書いた。
「来年度からは面倒な確定申告は不要。
ギルドを通した取引から自動的に5%が天引きされ、それで納税完了とする。
この『源泉分離課税システム』を導入すると、約束するんです」
官僚たちがざわめく。
「5%……。
あまりにも低い税率ですが……」
「捕捉率100%なら、トータルの税収は、55%を無理やり取るより遥かに多くなりますよ。
それに探索者側も、『面倒な計算をしなくていい』、『5%なら払ってもいい』と納得するラインです」
俺は彼らの顔を見渡した。
「そして、ここが重要です。
『今年55%払っても、来年には新制度との差額分が現金で還元されます』と言うんです。
つまり実質的には、『今年は一時的に預かるだけ』というポーズを取る。
これなら暴動は起きません。
『後で戻ってくるなら、まあいいか』と、彼らの怒りを先送りできる」
長官が、なるほどと唸る。
希望的観測を持たせることで、当座の爆発を防ぐ。
政治的な手腕としては王道だ。
「用意はしてるんでしょ?
I・G・Uとの連携システム」
俺が確認すると、佐伯が頷いた。
「ええ、事前に話をして予定済みですが……」
佐伯はそこで言葉を切り、眼鏡の奥の瞳を怪しく光らせた。
何かを言いにくそうに、しかし図々しい要求を孕んだ目で、俺を見ている。
「……が?」
俺が促すと、佐伯は意を決したように口を開いた。
「八代さんからも、『(国から)還元金があるから、とりあえず税を収めよう』と、皆を説得していただけると……」
佐伯の言葉に、俺は思わず顔をしかめた。
「は?
つまり、俺に政府の片棒を担げと?
『みんなー! 政府がいいこと言ってるから、大人しく55%払おうぜ!』って、旗を振れと?」
「ええ。
八代さんのカリスマ性と影響力があれば、暴徒も鎮まります。
貴方が保証してくれれば、彼らも政府の言葉を信じるでしょう」
佐伯は、さも名案であるかのように言った。
俺の信用を使って政府への不信感を拭おうという魂胆だ。
俺は即座に、全力で拒否した。
「えー、やですよ」
俺は椅子にふんぞり返った。
「なんで俺が、そんな貧乏くじを引かなきゃならないんですか。
集中砲火されるじゃないですか。
『八代は政府の犬になった』とか、『金持ちの道楽で庶民を黙らせようとしている』とか。
俺のブランドイメージに関わります」
「そこをなんとか!
国難なんですよ!」
「知りませんよ。
俺は、あくまで一介の探索者です。
そこまで日本政府と、べったりじゃないですし……。
癒着を疑われるのも面倒だ」
俺は冷たく突き放した。
冗談じゃない。
俺はあくまで「自由な探索者の代表」というポジションでいたいのだ。
政府の太鼓持ちだと思われれば、アングラな連中からの信望を失う。
「ですよねー……」
佐伯がガックリと項垂れる。
他の官僚たちも、頼みの綱が切れた絶望感に包まれている。
「なんとか、税務署が更地にならない道はないか……ないですか?
はぁ……」
長官が深い深い溜息をついた。
その脳裏には、明日にも怒り狂ったバーサーカーたちが税務署に突撃し、窓口をハンマーで粉砕する光景が浮かんでいるのだろう。
会議室は沈黙に包まれた。
打つ手なし。
このまま55%を告知して玉砕するか、
それとも法を曲げて見逃すか。
どちらに転んでも地獄だ。
俺は時計を見た。
これ以上、この湿っぽい部屋にいるのは御免だ。
そろそろ「答え」を出させる時だ。
「……とりあえず、もう暴動起きる前に発表しましょう。
引っ張るだけダメです!
SNSじゃ既に、『税金対策オフ会(武装蜂起)』の企画が立ち上がりかけてるんですから!」
俺は彼らを急かした。
決断を遅らせれば遅らせるほど、事態は悪化する。
「55%の納税も、1年猶予で実質なしにするとかですかね……」
俺はボソリと、独り言のように呟いた。
その言葉に、全員が顔を上げた。
「……えっ?
猶予で実質なし?」
「そうですよ。
『今年は55%だが、1年間の納税猶予を与える』と発表するんです。
そして1年後、新税制(5%)が始まったタイミングで、
『昨年度の猶予分については、新制度移行に伴う特例措置として5%で再計算する』として処理する」
俺は指を振った。
「つまり、『払わなくていい』とは言わない。
『今は払わなくていい(1年待つ)』と言うんです。
そして1年後に、うやむやにして実質チャラにする。
これなら法的な体裁も保てるし、探索者の懐も痛みません」
「し、しかし……それは実質的な徳政令では……。
法の公平性が……」
「では、暴動が起きて税務署が燃やされるのと、どっちがいいですか?
物理的に更地になるより、帳簿上の数字をいじる方がマシでしょう?」
俺は究極の二択を突きつけた。
プライドか、生存か。
「……では、ダメですか?」
俺が念押しすると、税務署の役人たちは顔を見合わせた。
彼らは不満げだ。
「税金を取り立てる」という自分たちの職務を放棄することになるのだから。
だが同時に彼らは、現場の恐怖も知っている。
窓口に来るのは、ゴブリンを素手で引き裂くような連中なのだ。
「……更地になるのは、勘弁してくれ」
現場責任者が、絞り出すように言った。
それに続くように、長官も重々しく頷いた。
「……分かりました。
背に腹は代えられません。
『激変緩和措置』という名目で、1年間の猶予と、その後の特例処理を通しましょう。
総理には私が、腹を切る覚悟で説得します」
「じゃあ、そういうことで」
俺はパンと手を叩いた。
決着だ。
これで日本の税制は、実質的に「探索者優遇」へと大きく舵を切ることになる。
今年度はタダ(猶予)。
来年度からは5%。
この甘い汁を吸った探索者たちは、もう二度とカタギの仕事には戻れないだろう。
ますますダンジョンに依存し、俺の支配する経済圏に組み込まれていく。
俺は席を立った。
窓の外、夕闇に沈む東京の街は、まだ何も知らずに輝いている。
明日発表される「徳政令」が、この街にどんな熱狂をもたらすか。
それを想像すると、俺の口元は自然と緩んだ。
プロットが暴走して暴動ルートに行きかけたので大人しく税制改革しました。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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