第72話 終末のラッパは鳴り響かず、ただ強欲な歓声だけが世界を覆う
世界に最初のダンジョンゲートが出現してから、正確に十二ヶ月。
一年という月日が流れたその日、地球は重苦しい静寂と張り詰めた緊張感に包まれていた。
グリニッジ標準時正午。
それは世界中の科学者と魔導研究者たちが予測した、F級ダンジョンの魔素飽和限界を迎える瞬間だった。
北半球の冬空の下、フランスの首都パリは、かつてない絶望の淵に立たされていた。
エッフェル塔を望むシャ・ド・マルス公園。
普段なら観光客と恋人たちで賑わうその芝生広場は、今や厳戒態勢の最前線基地と化している。
広場の中央空間にぽっかりと開いた黒い裂け目――F級ダンジョンゲート。
その周囲を、フランス陸軍が誇るルクレール戦車部隊と、重機関銃を構えた数千の歩兵たちが、三重四重に取り囲んでいた。
彼らの表情には、戦士としての覇気はない。
あるのは、死刑執行を待つ囚人のような色濃い敗北感と恐怖だけだ。
握りしめた自動小銃のグリップは手汗で滑り、無線機からは指揮官の震える声が絶え間なく流れてくる。
「……総員、衝撃に備えろ。
あと三十秒。あと三十秒で、世界が終わる」
地下シェルターに避難した数百万の市民たちは、ラジオから流れるその声を聴きながら、互いに抱き合い、神に祈りを捧げていた。
誰もが知っていた。
これから起こるのは、現代兵器でどうにかできるレベルの戦闘ではないことを。
「スタンピード(大氾濫)」。
それは、ダムが決壊するように億単位のモンスターが溢れ出す現象だ。
弾薬には限りがある。
人の体力には限界がある。
だが、ゲートから湧き出る悪意には底がない。
これは戦争ではない。
ただの虐殺であり、人類という種の淘汰なのだ。
そして。
運命の秒針がゼロを刻んだ。
ドクンッ!!
大気を震わせる重低音が、パリ全土に響き渡った。
ゲートの黒い表面が激しく波打ち、空間がガラスのようにひび割れる音が鼓膜を劈く。
「来るぞおおおおおおおお!!」
兵士の絶叫。
次の瞬間、ゲートが爆発的に膨張した。
溢れ出したのは、緑色の肌をした小鬼――ゴブリンの大群だった。
一匹二匹ではない。
百千一万十万。
視界を埋め尽くす緑色の津波。
先頭の個体が押し出され、転がり、その上を後続が踏み越えていく。
耳を聾する怪鳥音。肉と泥の混じった悪臭。
生物で構成された土石流が、人類の防衛線を飲み込もうと迫る。
終わった。
誰もがそう思った。
戦車の主砲が火を噴くよりも早く、絶望が兵士たちの心を折ろうとした――その時だった。
「ヒャッハー!! 湧いたぞおおおお!!」
「うおおおおお! 魔石だ! 魔石の山が、向こうから走ってきたぞおおお!!」
地獄の底から響くような咆哮とは真逆の、底抜けに明るく、そして狂気的な歓声が戦場に轟いた。
フランス軍の兵士たちが呆然と空を見上げる。
上空の輸送機から、パラシュートもなしに次々と「人影」が降ってきたのだ。
ズドンッ!! ズドンッ!!
着地の衝撃だけで、先行していたゴブリンの群れが吹き飛ぶ。
土煙の中から現れたのは、星条旗を模した派手なマントを羽織った男たちと、最新鋭の魔導アーマーに身を包んだ日本人の集団だった。
彼らは武器を構え、迫りくる数万のモンスターを見ても一歩も引かない。
それどころか、まるでバーゲンセールの開店待ちをしていた客のように、目を血走らせて舌なめずりをしていた。
◇
最前線に着地した一人の日本人が、優雅に折り畳み式のキャンプチェアを広げた。
彼は武器を持っていない。
代わりに片手には冷えたオレンジジュース、膝の上にはタブレット端末。
戦場のど真ん中とは思えないリラックスした態勢で、彼は眼前に迫るゴブリンの群れを一瞥した。
「んー、湧き効率は上々だな。時給換算で1000万はいけそうだ」
彼が指をパチンと鳴らす。
その瞬間、彼の周囲の地面から、どす黒い泥と共に数十体の「動く死体」が這い出した。
腐乱した肉体、虚ろな眼窩。
だが、その筋肉は鋼鉄のように隆起し、全身からは猛毒の瘴気が立ち上っている。
「ア゛ア゛ア゛……」
呻き声と共に、ゾンビたちがゴブリンの津波に向かって歩き出した。
激突。
数で勝るゴブリンたちがゾンビに群がり、錆びたナイフや爪で攻撃を加える。
だが、ゾンビは止まらない。
痛みを感じない死の兵隊は、群がるゴブリンを鷲掴みにし、その首をトマトのように握りつぶした。
ドォン!!
さらに倒したゴブリンの死体が、次々と爆発する。
スキル【死体爆破】。
敵の死体を爆弾に変え、その爆風でさらに周囲の敵を殺し、新たな死体(爆弾)を作る。
連鎖する爆炎。
緑色の津波が一瞬にして、赤黒い血の海へと変わっていく。
「肉体労働はゾンビ君に任せますよー。
俺はドロップ回収のフィルタリング設定、しなきゃいけないんで」
男はストローでジュースを啜りながら、あくびを噛み殺した。
彼の周囲には不可視の【自動回収結界】が展開されており、爆風で飛び散った魔石が勝手に彼のアイテムボックスへと吸い込まれていく。
【ネクロマンサー:完全自動放置狩りビルド】。
汗一つかかず、指一本動かさず。
彼はただ座っているだけで、秒速で積み上がる口座残高を眺めていた。
◇
場所は変わって、イギリス・ロンドン。
霧の都を象徴するビッグ・ベンの真下に出現したゲートからは、ゴブリンよりも遥かに強靭な肉体を持つ豚顔の亜人――オークの軍団が溢れ出していた。
丸太のような腕、鋼鉄の鎧すらひしゃげさせる怪力。
それが密集陣形を組み、重戦車のような突進を開始した。
ロンドン市民の悲鳴が上がる中、その前に立ちはだかったのは一人のサムライだった。
ボロボロの着流しに、腰には一振りの日本刀。
防具らしい防具はつけていない。
一撃でも食らえば即死確定の軽装だ。
だが彼は、オークの群れを見ても動じず、静かに鯉口を切った。
「……【瞬影】」
ザシュッ!!
世界がコマ送りのように見えた。
サムライの姿が掻き消え、次の瞬間には先頭のオークの背後に現れている。
その軌跡には、銀色の斬撃のラインだけが残されていた。
首を断たれたオークが崩れ落ちるよりも早く、彼の姿は再び消える。
ザシュッザシュッザシュッ!!
戦場をジグザグに走る銀色の稲妻。
彼は走っているのではない。
敵から敵へと、攻撃判定と同時に瞬間移動し続けているのだ。
スキル【フリッカー・ストライク】。
自動索敵、自動追尾、そして無敵時間。
一匹斬るごとに【血の渇望】スタックが溜まり、攻撃速度が加速していく。
10匹、50匹、100匹。
数が多ければ多いほど、敵が密集していればいるほど、彼は速くなる。
もはや残像すら見えない。
ただ、オークの首が次々と宙に舞い、血の雨が降る中を、見えない刃が駆け巡るだけだ。
「遅い。止まって見えるぞ」
数千のオークが悲鳴を上げる間もなく、肉塊へと変わっていく。
サムライは血糊を振るい、刀を納めると、つまらなそうに呟いた。
「チッ、もう終わりかよ。魔石拾う時間の方が長ぇじゃねえか」
◇
エジプト、カイロ。
ピラミッドの前に出現したゲートでは、さらに異様な、神話的ですらある光景が広がっていた。
「Go! 我が愛しき眷属たちよ!
わたくしの庭を汚す害虫を、一匹残らず駆除なさい!」
日傘を差したゴスロリファッションの日本人少女が、優雅にレースの手袋をはめた指を振る。
灼熱の砂漠に黒いレースとフリル。
あまりにも場違いな彼女の命令に応えて突撃したのは、F級モンスターなど比較にならない「怪物たち」だった。
ズシンズシンズシン。
大地を揺らして歩み出るのは、身長5メートルを超える牛頭の魔人――ミノタウロス。
その両脇を固めるのは、実体のないローブを揺らめかせ、周囲の空気を凍てつかせる高位の亡霊――スペクター。
そして、全身が燃え盛るマグマと岩石で構成されたリビング・インフェルノ――マグマ・ゴーレム。
本来ならB級、あるいはA級ダンジョンの深層にしか鎮座していないはずのボス級モンスターたちが、少女の「召喚獣」として絶対の忠誠を誓っている。
対するは、ゲートから湧き出たコボルト(犬人)の群れ。
数だけは多いが、戦力差は歴然だ。
ゴオオオオオッ!!
マグマ・ゴーレムがただ歩くだけで、周囲のコボルトが熱波に焼かれ、灰になっていく。
ミノタウロスが巨大な戦鎚を無造作に振るえば、数十匹のコボルトがボールのように空の彼方へホームランされる。
空を覆うガーゴイルの群れに対しては、スペクターたちが一斉に魔法弾幕を展開。
凍てつく波動が砂漠の空を青白く染め上げ、無数の氷像がバラバラと墜落していく。
「ひひぃぃぃ……!」
現地の警備兵が腰を抜かして震えている。
敵のコボルトよりも、味方であるはずの少女の召喚獣の方が、遥かに恐ろしく禍々しいからだ。
少女は兵士の方を向き、にっこりと聖母のような(あるいは魔王のような)微笑みを向けた。
「あら、怯えることはありませんわ。
わたくしの可愛い子たちが働いてくれますもの。
貴方たちはそこで、冷たいお水でも飲んで見学していてくださいな。
あ、流れ弾には気をつけてくださいね? ミンチになりますから」
それは慈悲なのか、それとも圧倒的強者の余裕なのか。
ピラミッドの前で繰り広げられる「怪獣大戦争」は、一方的な虐殺劇として、そして少女の独擅場として幕を閉じようとしていた。
◇
アメリカ、ニューヨークを経由して派遣された部隊が担当する南米エリア。
うっそうと茂るジャングルの中に開いたゲート周辺では、「回転」が全てを支配していた。
「ハハハハ! 回れ回れぇ!! USA! USA!」
両手に身の丈以上の巨大なバトルアックスを持った巨漢が、自らを独楽のように高速回転させながら、モンスターの群れに突っ込んでいく。
スキル【サイクロン】。
移動しながら全方位を攻撃し続ける、単純にして最強の物理範囲攻撃だ。
彼が通った後には、何も残らない。
モンスターは瞬時に挽き肉になり、木々はなぎ倒され、地面は耕される。
ゴォォォォォォッ!!
回転が生み出す風圧が竜巻となり、周囲のモンスターを無理やり攻撃範囲へと引きずり込む。
「ヒャッハー! 魔石だ! もっと寄越せ! 全部俺のガソリンだ!」
彼は止まらない。
敵を倒してマナを吸収し、そのマナでさらに回り続ける永久機関。
血飛沫を浴びて全身を赤く染め上げた彼は、さながら血の竜巻だ。
強欲な回転体が、ジャングルの緑を赤く染め変えていく。
そこに戦術も戦略もない。
あるのは、純粋な「暴力」と「収穫」の喜びだけだ。
◇
世界中で、多種多様なスキルを使う探索者たちが、思う存分F級モンスター達を蹂躙していく。
弓使いが放つ雨のような矢が空を埋め尽くすワイバーンを撃ち落とす。
重装の盾使いがオーガの棍棒を鼻歌交じりで受け止め、反射ダメージで自滅させる。
罠使いが敷き詰めた地雷原で、数千のスケルトンが花火のように打ち上がる。
彼らは「世界を救う」という悲壮な使命感など、薬指の爪ほども持っていない。
ただ「目の前の魔石が欲しい」。
「新しいビルドを試したい」。
「俺の強さを見せつけたい」。
そんな、あまりにも人間臭く純粋な欲望で動いている。
だが、その強欲さこそが、結果として人類を救う最強の力となっていた。
各国のテレビ局は、予定していた「世界の終わり」を告げる特番の内容を、急遽変更せざるを得なかった。
現地のニュースキャスターは、送られてくる映像を見て言葉を失っていた。
モニターに映るのは、恐怖に逃げ惑う市民の姿ではない。
逃げ惑うモンスターを追い回し、「待てー! 俺の3万円!」と叫びながら突撃する、満面の笑みの日本人とアメリカ人たちだ。
『……信じられません。
これが終わりの日ですか?
いいえ、これは……』
フランスのキャスターは涙を拭い、声を震わせた。
『彼らは英雄です。
欲望に塗れているかもしれませんが、間違いなく英雄です。
一騎当千の強者が、こんなにも世界にいたなんて……!』
インターネット上では、世界中から驚愕と感謝、そして呆れのコメントが殺到していた。
『日本人のビルド、頭おかしいだろwww』
『物理法則どうなってんだ? あのサムライ、瞬間移動してるぞ』
『アメリカの火力もイカれてる。ジャングルごと消し飛ばす気か』
『誰だよ今日で世界が終わるって言った奴。始まったのは大セールだぞ』
『ありがとうクレイジーな探索者たち。君たちの強欲さに乾杯』
世界を覆っていた分厚い絶望の雲は、日米の探索者が巻き起こした熱狂の風によって、跡形もなく吹き飛ばされた。
終末のラッパは鳴らなかった。
代わりに響き渡ったのは、魔石がじゃらじゃらと鳴る音と、勝利を確信した者たちの強欲な歓声だけだった。
その日、人類は思い出した。
この星で最も恐ろしい捕食者は、モンスターではない。
欲望のために神話的厄災すらも「ボーナスステージ」に変えてしまう、人間という種族なのだと。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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