第64話 深窓の令嬢は時空を超えて、あるいは規格外の押しかけ弟子
港区ミッドタウン・タワー、ギルド「アルカディア」マスターオフィス。
カイトら「暁の牙」の没落と、結城旭の華々しいデビューという一連の騒動が一段落し、東京の空にはいつもの平和な――(といっても、ダンジョン景気に沸く喧騒を含んだ)――日常が戻ってきていた。
俺、八代匠は執務室のデスクで、至福のコーヒータイムを過ごしていた。
ここ数日、裏工作だの、法案の根回しだので酷使した脳みそを休めるには、この静寂こそが最高の薬だ。
窓の外には東京タワーと、眼下に広がるビル群。
この高さ、この眺望、そして何者にも邪魔されないセキュリティ。
これぞ成功者の特権――。
「……ふぅ。旭のやつも軌道に乗ったし、しばらくは育成と内政に専念できそうだな」
そう呟いてカップを置こうとした、その時だった。
パリンッ。
何かが割れるような音が、部屋の中で響いた。
いや、物理的に何かが割れたわけではない。
俺の【探知】スキルが、空間そのものの「断裂」を感知した音だ。
「……あ?」
俺が顔を上げるより早く、オフィスの窓際――本来なら地上二百メートル以上の空中に面しているはずの空間が、ぐにゃりと歪んだ。
ガラスが割れたわけではない。
空間そのものがねじれ、穴が空き、そこから「何か」が飛び出してきたのだ。
「とぉっ! ですわ!」
軽やかな着地音と共に、オフィスの絨毯の上に降り立ったのは、一人の少女だった。
艶やかな黒髪をなびかせ、手には抜き身の日本刀。
服装は……以前見た時と同じ、名門女子校の指定ジャージ。
ただし、その上から最高級のミスリル製ブレストプレートを無造作に装着しているという、奇抜極まりないファッションだ。
九条カレン。
日本有数の財閥、九条家のご令嬢にして、自宅のガレージに発生したダンジョンを私物化している、規格外の女子高生。
「ごきげんよう、八代様!
約束通り、レベル46になりましたわ!
さあ、わたくしを導いてくださいまし!」
カレンはビシッと俺に指を突きつけ、太陽のような笑顔で宣言した。
俺は持っていたコーヒーカップを取り落としそうになりながら、呆然と彼女を見つめた。
「……おい、お前」
「はい、なんですの?」
「ここ、地上50階だぞ?
窓も開いてないし、セキュリティゲートも通過してないはずだ。
どうやって入ってきた?」
俺の問いに、カレンは「何を当たり前のことを」といった顔で、小首をかしげた。
「どうやってとは愚問ですわね。
転移してきましたの。
自宅のガレージから、八代様の気配を辿って、空間をぴょーんと飛び越えて!」
「……テレポートだと?」
俺は椅子から立ち上がり、彼女を凝視した。
【鑑定】発動。
『ユニークスキル:【時空支配】
習得魔法:ショート・ワープ、テレポート、ヘイスト、スロウ……』
(……マジかよ)
俺は戦慄した。
テレポート。
『ダンジョン・フロンティア』の世界において、それは究極の移動魔法だ。
『次元の楔』のようなアーティファクトを使えば、定点間の移動は可能だが、術者自身の魔力だけで任意の場所に自在に転移するなど、レベル99の大魔導師でも習得困難な高等技術だ。
それを可能にするスキルジェムは存在するが、そのドロップ率は天文学的に低く、もし市場に出れば「10兆円」の値がついてもおかしくない。
いや、金があっても買えない。
サーバーに数個存在するかどうか、という代物だ。
(時空魔法スキル……。
10年後のシナリオでも、使い手は世界でこいつ一人だけだったはずだ。
まさか、もう実用段階までレベルを上げているとはな)
カレンの才能は、俺の想定(シナリオ知識)を遥かに超える速度で開花していた。
レベル46。
その数字自体は、俺たちアルカディアの主力と同等だ。
だが、「空間を無視して移動できる」という一点において、彼女の危険度は核ミサイルに匹敵する。
どんな要塞も、どんな密室も、彼女の前では意味をなさないのだから。
「元気そうで何よりだな?
だが、会いたいとDM来てたとはいえアポなしで人のオフィスに土足で踏み込むのは、令嬢としてのマナーに反するんじゃないか?」
俺が皮肉を言うと、カレンは悪びれもせずに、日本刀『兼定(改)』を振るった。
ブンッ、と鋭い風切り音が鳴る。
「マナー? そんなもの、強者の前では無粋ですわ!
やっとお会い出来たのですもの!
八代様、以前のXで仰っていましたわよね?
『アジール』とかいう場所。
わたくしも行きたいですわ! 案内して下さいですわ!」
彼女の瞳はキラキラと輝いている。
まるで新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。
だが、その手にあるのは血を吸い続けた妖刀であり、その身に宿しているのは時空を歪める魔力だ。
タチが悪いこと、この上ない。
その時。
執務室の扉が勢いよく開かれた。
「マスター! 侵入者反応が、あっ……てえ?」
飛び込んできたのは、秘書兼魔法使いの乃愛と、氷の女王こと雫だった。
二人は執務室の中央で刀を構えているジャージ姿の少女を見て、硬直した。
「……どなたですか?
受付を通った記録はありませんが」
乃愛が警戒心を露わにし、杖を構える。
雫も無言のまま、周囲の温度を急激に下げ始めた。
彼女たちの殺気に、普通の人間なら震え上がるところだが、カレンは涼しい顔で微笑んだ。
「あら、ごめんあそばせ?
わたくし、九条カレンと申しますの。
八代様の一番弟子(予定)ですわ!」
「「……は?」」
乃愛と雫の声が重なった。
一番弟子。
その単語が二人の逆鱗に触れたのが分かった。
「勝手に入り込んでおいて、何をふざけたことを……。
ここは関係者以外、立入禁止です。
不法侵入で警察に突き出されたくなければ、即刻退去してください」
乃愛が事務的かつ冷徹な声で警告する。
だが、カレンは「ふふん」と鼻で笑った。
「でも、もう入ってしまいましたし?
良いんじゃないですわ?
細かいことを気にすると、お肌に悪くてよ?」
「……いや、困るんで。
セキュリティの問題もありますし、お引き取りを」
乃愛が杖を振るう。
【マナ・バインド】。
不可視の魔力の縄が、カレンを捕縛しようと襲いかかる。
相手を傷つけずに拘束するための、初歩的だが回避困難な魔法だ。
しかし。
ヒュンッ。
魔力の縄が、空を切った。
カレンの姿がブレたかと思うと、次の瞬間には部屋の反対側のソファの上に座っていたのだ。
「チッチッチッ。
わたくしを捕まえるのは無理ですわよ?
鬼ごっこなら負けませんの!」
カレンは足を組み、挑発的に笑う。
テレポートによる瞬時の座標移動。
予備動作なし。詠唱なし。
これを初見で捉えるのは、達人でも不可能だ。
「……へえ。
生意気な泥棒猫ですね」
雫が感情のない声で呟いた。
室温が氷点下まで下がる。
彼女の手に握られた300億円の杖『凍てつく思考』が、青白く脈動を始めた。
「逃げ回るのが得意なようですけど、空間ごと凍らせれば止まるかしら?
――【アイスストーム】!!」
ドガガガガガッ!
天井付近に魔法陣が展開され、無数の氷柱がカレンのいるソファ目掛けて降り注ぐ。
容赦ない広範囲攻撃。
部屋が半壊することも辞さない、雫の「排除」の意思だ。
だが、カレンは動じない。
彼女は日本刀を抜き放ち、空間を一閃した。
「甘いですわ!
――【時空断絶】!」
キィィィィン!!
甲高い音が響き、降り注ぐ氷の嵐がカレンの頭上で「消滅」した。
砕かれたのではない。
魔法を構成する魔力式そのものが、空間ごと切り裂かれて霧散したのだ。
「なっ……!?」
雫が目を見開く。
彼女の絶対的な火力が無効化された。
「解呪……いえ、魔法そのものを『無かったこと』にする斬撃ですか……。
こわいですね」
乃愛が冷や汗を流しながら呟く。
物理的な防御でも、魔法的な相殺でもない。
「そこに魔法が存在した時間」を切り取って捨てたような、理外の防御。
カレンは刀を納め、勝ち誇ったように胸を張った。
「わたくしに魔法は通じませんの。
さあ、八代様!
わたくしの実力、認めていただけましたか!?」
部屋の中はめちゃくちゃだ。
書類は舞い散り、ソファは氷漬けになりかけ、空気は張り詰めている。
俺は大きくため息をつき、手を叩いた。
「……そこまでだ。
やめろ、俺のオフィスを壊す気か」
俺の一声で、乃愛と雫は即座に戦闘態勢を解いた。
カレンも「はーい」と素直に刀を下ろす。
「まったく……。
元気なのはいいが、TPOを弁えろ。
ここは戦場じゃないんだぞ」
「あら、ごめんなさい。
でも、売られた喧嘩を買わないのは、九条家の名折れですもの!」
悪びれないカレン。
俺は頭を抱えたくなったが、同時に確信もしていた。
コイツは使える。
テレポートによる神出鬼没の機動力。
そして、魔法を無効化する対魔術性能。
今後の対人戦やギミック満載のボス戦において、最強のジョーカーになる。
「……分かったよ。
アジールに行きたいんだったな?
案内してやるよ」
「本当ですか!?
やったー! さすが八代様、話がわかりますわ!」
カレンが飛び跳ねる。
俺はニヤリと笑い、付け加えた。
「ただし、条件がある。
アジールのクエストは『強奪』だ。
正面突破じゃない。
隠密行動が求められる。
お前みたいな派手な喧嘩屋に、繊細な隠密ができるとは到底思えないが?」
俺の挑発に、カレンは眉を吊り上げた。
「言いましたわね?
九条家の令嬢たるもの、忍び足の一つや二つ、嗜みですわ!
完璧にこなして魅せますわよ!
見てらっしゃい!」
「よし、言ったな。
じゃあ早速、行くぞ。
乃愛、雫、お前らも来い。
新入りのお手並み拝見といこうじゃないか」
渦巻くポータル。
カレンは躊躇なく、その中へと飛び込んでいった。
◇
数十分後。
黄昏の港町、アジール。
オープンテラスの酒場にて。
「……ううっ……。
なんでですの……」
テーブルに突っ伏して泣いている少女が一人。
九条カレンである。
その背中からは、先程までの威勢の良さは完全に消え失せていた。
俺はエールを飲みながら、彼女の無様な姿を生暖かく見守っていた。
「……で、どうだったんだ?
初めての強奪ミッションは」
「だ、ダメでしたわ……。
私、盗賊の才能がないんですわ……」
カレンが顔を上げ、涙目で訴える。
「静かに歩こうとしたんですのよ?
でも、気がついたら敵が目の前にいて!
『あ、見つかった』と思ったら警報が鳴り響いて!
わたくし、パニックになって……つい、壁ごと敵を斬り飛ばしてしまいましたの!」
「……で、アラートレベルがMAXになって、無限湧きする警備兵に追い回されて、這々の体で逃げ帰ってきたと」
「そうですわ……。
宝箱一つも開けられませんでした……。
悔しいですわー!!」
カレンがテーブルをバンバン叩く。
俺は内心で(やっぱりな)と頷いた。
彼女のスキル構成は「戦闘特化」だ。
隠密や解錠といった、地味だが重要なスキルを持っていない。
おまけに性格が「猪突猛進」だ。
ステルスミッションなんて、一番向いていない。
「ぷっ……。
あんなに大口を叩いておいて、これですか」
雫が冷ややかに笑う。
「隠密もできないなんて、探索者失格ですね。
マスターの弟子なんて、100年早いです」
乃愛も呆れたように肩をすくめる。
「まあまあ。
向き不向きはあるよ。
でも、カレンさん、戦闘力だけは本物だったね。
逃げ帰る時、警備ゴーレムを3体も破壊してたし」
そう。
ミッションは失敗したが、彼女は「生きて帰ってきた」。
アジールの警備兵はレベル50相当の精鋭だ。
それに囲まれて無事だっただけでも、彼女の実力は証明されている。
「……ううっ、お腹すきましたわ」
カレンが腹をさする。
アジールの飯は無料だ。
俺はメニューを放ってやった。
「まあいいや。
とりあえず、飯でも食おうぜ。
反省会は、腹を満たしてからだ」
出された料理――竜の尾のステーキや、虹色フルーツのタルトを見て、カレンの機嫌は一瞬で直った。
「わあ! 美味しそうですわ!
いただきます!」
豪快に肉にかぶりつく令嬢。
その食べっぷりは、見ていて気持ちがいいほどだ。
食事が一段落したところで、俺は改めて彼女に問いかけた。
「で、カレン。
今後どうする?
俺のギルド『アルカディア』に入るか?」
これは本心からの勧誘だ。
彼女の時空魔法は、戦略的に極めて重要だ。
もし彼女が仲間になれば、移動の自由度はさらに増し、戦術の幅も広がる。
性格に難はあるが、戦力としてはSSS級だ。
カレンは口の周りをナプキンで拭い、少し考えてから首を横に振った。
「……いえ。
魅力的なお誘いですけれど、今回は辞退させていただきますわ」
「ほう? なぜだ?」
「わたくし、まだ未熟ですもの。
今日のミッションで痛感しましたわ。
力任せに振るうだけでは、真の強者にはなれません。
もっと色々な経験を積んで、自分の『スタイル』を確立したいのです」
彼女の瞳には、真剣な光が宿っていた。
ただの我儘娘ではない。
彼女なりの美学と向上心があるのだ。
「それに……わたくしのガレージのダンジョン。
まだ最深部まで行ってませんの。
A級相当のエリアがあるらしいので、まずはそこをソロでクリアして自信をつけてから、出直しますわ!」
プライベートダンジョンでの武者修行。
贅沢な話だ。
だが、それが彼女を「時知らずの魔女」へと成長させるための、必要な過程なのだろう。
「そうか。
残念だが、意思は尊重しよう」
「でも!
弟子入りを諦めたわけではありませんのよ!
時々はアルカディアに遊びに来ますわ!
八代様の背中を見て、勉強させていただきます!」
カレンは立ち上がり、ビシッと宣言した。
「迷惑です。来なくて結構です」
雫が即答する。
「セキュリティホールが増えるだけですからね。
不法侵入は勘弁してください」
乃愛も冷たい。
「ひどいですわー!
わたくし、一番弟子なのに!
姉弟子たちからのイジメですわー!」
カレンが喚く。
いつの間にか弟子入りが既成事実化しているし、乃愛たちが姉弟子扱いされている。
騒がしいこと、この上ない。
だが、俺は悪い気分ではなかった。
この混沌としたエネルギーこそが、アルカディアに必要な新しい風かもしれない。
「まあ、遊びに来るくらいなら構わんよ。
ただし、来る時は玄関から来い。
窓を割ったら請求するからな」
「はい!
ありがとうございます、師匠!」
カレンは満面の笑みで敬礼した。
こうして最強のジョーカーにして、最大の問題児、九条カレンとの奇妙な関係が始まった。
彼女が次に何をしでかすか、俺の胃薬の在庫が持つかどうかは神のみぞ知る。
だが、退屈しないことだけは確かだろう。
黄昏の空の下、少女たちの騒がしい声が、いつまでも響いていた。
最後までお付き合いいただき感謝します。
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