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第1話 ビルドの夜明け、または狂気の始まり

 午前七時。

 東京都港区、高層マンションの二十五階。

 カーテンの隙間から差し込む朝日は、昨日までと変わらない無機質な都市の輪郭を照らしていた。


 八代匠やしろ たくみの朝は、分刻みのルーチンワークで構成されている。

 六時半に起床、熱いシャワーで眠気を飛ばし、豆から挽いたコーヒーを淹れる。

 そして七時のニュースを見ながら、その日の経済動向をチェックし、三十五歳という年齢相応の重みを背負って会社へ向かう。


 IT企業の課長職。

 世間から見れば「勝ち組」に分類されるステータス。

 だが匠の心は、常に乾いていた。

 まるで色のない砂漠を歩いているような感覚。


(……また退屈な一週間が始まるのか)


 コーヒーカップに口をつけ、リモコンの電源ボタンを押す。

 その瞬間、日常は唐突に終わりを告げた。


『――緊急ニュースです。繰り返します。本日未明、東京都内数カ所を含む世界中の主要都市において、原因不明の異常現象が確認されました』


 画面に映し出されたのは、いつもの見慣れたスタジオではなく、ヘルメットと防災服に身を包んだアナウンサーの切迫した表情だった。

 テロップには赤字で【緊急事態発生】の文字が点滅している。


『現在、新宿区、渋谷区、そして港区の一部エリアにおいて、空間に巨大な「門」のような亀裂が出現しています。

 政府はこれを「ダンジョンゲート」と呼称し、直ちに半径五キロメートル圏内の封鎖を決定しました。

 近隣住民の方は、警察および自衛隊の誘導に従い、速やかに避難を……』


 画面が切り替わる。

 上空からのヘリ映像。

 そこに映っていたのは、CG映画の宣伝でも、ドッキリ映像でもなかった。


 新宿御苑の上空、およそ百メートルの位置に、空間そのものを抉り取ったような漆黒の穴が空いている。

 その縁からは紫色の雷光が迸り、周囲のビル群を不気味に照らしていた。

 地上では米粒のようなパトカーのランプが無数に明滅し、逃げ惑う人々の波が交差点を埋め尽くしている。


 世界が終わるような光景だ。

 誰もが、そう思うだろう。

 恐怖、混乱、絶望。


 だが匠の反応は違った。


 コーヒーカップを持つ手が、空中で凍りつく。

 震えているのではない。

 指先が無意識に「キーボード」や「コントローラー」の感触を探すように、激しく痙攣していたのだ。


「……E3エリア、座標固定。あの波長パターン……それに、ゲート周辺に発生している霧の濃度」


 口をついて出る言葉は、恐怖の叫びではなく、冷徹な分析だった。

 なぜ俺は、あれを知っている?

 あの紫色の雷光。あの渦巻くエーテルの奔流。

 あれは、ただの災害じゃない。

 あれは――


「『ダンジョン・フロンティア』……」


 その単語を呟いた瞬間、脳内で巨大なダムが決壊した。

 奔流となって溢れ出す記憶。

 現在の「八代匠」としての三十五年の記憶と、それを遥かに凌駕する熱量を持った「前世」の記憶が混ざり合い、スパークする。


 そこはこの世界と瓜二つの文明を持ちながら、ある日突然「ダンジョン」が発生し、人々が剣と魔法、そして現代兵器を駆使して「探索者」として生きることを余儀なくされた世界。

 その過酷な世界を極限までシミュレートし、俺が死ぬまでやり込んだ伝説の神ゲー『ダンジョン・フロンティア』の記憶。


「……嘘だろ」


 匠は額を押さえ、革張りのソファに深々と沈み込んだ。

 頭痛がするほどの情報量。

 俺は転生していたのか。

 この平和で退屈な現代日本に。

 いや、もはや平和ではない。


 テレビの中の光景は、俺が何千時間、いや何万時間と費やした『ダンフロ』のオープニングイベント「大崩壊カタストロフィ」そのものだった。


「ははは……」


 乾いた笑いが漏れる。

 次第にそれは大きくなり、リビングに反響する哄笑へと変わった。


「マジかよ……あの世界で、また生きられるのか!!」


 匠は猛然と立ち上がった。

 ワイシャツの第一ボタンを引きちぎる勢いで外す。

 ネクタイを放り投げる。


 三十五歳、中間管理職。

 積み上げてきたキャリア? 将来の安泰?

 そんなものは、今の今まで俺を縛り付けていた「鎖」でしかなかった。

 枯れかけた人生に、突然最高純度のガソリンをぶちまけられて火がついた感覚。


「やり込み要素満載!

 一〇〇〇の基本ビルドから派生する、無限のスキルツリー!

 『最強ビルドは一〇〇〇個ある』と開発者が豪語し、廃人たちが検証に明け暮れた、あの神ゲーの中に俺はいるのか!!」


 思考が加速する。

 脳の処理速度が、サラリーマンモードからゲーマーモードへと完全に切り替わる。


 社用携帯がけたたましく鳴り響き、部下からの悲鳴のようなメッセージが通知欄を埋め尽くしているが、今の匠には路傍の石ころほどの価値もなかった。


 会社に行く?

 馬鹿を言え。

 世界がゲームになったのだ。


 これからの世界における「通貨」は日本円ではない。

「強さ」と「情報」、そして「最適解」だ。

 そして俺は、この世界の誰よりも「答え」を知っている。


「こうしちゃいられねえ! 今すぐ新宿のゲートへ――」


 玄関へ走りかけた足が、ピタリと止まる。

 リビングの床を踏みしめ、深く息を吐く。


 待て。落ち着け、八代匠。

 お前は、かつてサーバー内でも五本の指に入ると言われたランカーだろ?

 興奮に身を任せて初見殺しの罠に突っ込むのは、情報を読まない素人のやることだ。


 脳内の「攻略Wiki」が高速で検索される。

 過去の膨大なプレイログ、掲示板の検証スレ、運営のパッチノート。

 それらが走馬灯のように駆け巡り、一つの「解」を導き出す。


「……あー、ダメだ。行っても無駄だ」


 匠は冷静さを取り戻し、ホワイトボードの前に立った。

 黒のマーカーを手に取り、現状の制約条件を書き出していく。


「最初の『一週間』は、政府がエリアを完全閉鎖して調査する期間だ」


 そうだ、思い出した。

 初期発生のダンジョンゲートは空間が安定せず、最初の七日間は自衛隊と警察の特殊部隊以外、蟻一匹通さない厳戒態勢が敷かれる。

 一般人が無理やり突破しようとすれば、ダンジョンのモンスターに食われる前に公権力に拘束されて終わる。


 民間開放されるのは一週間後。

 政府が「既存の兵器ではモンスターに対してコストパフォーマンスが悪すぎる」

「ダンジョン内資源がエネルギー革命を起こす」

 ことを確認し、苦渋の決断として民間人の参入を許可してからだ。


「それに、初期ドロップの罠もある」


 匠はボードに『強制買い上げ=詐欺』と大きく書き殴った。

『ダンフロ』の初期経済における最大の落とし穴。


 ダンジョン開放直後、政府は混乱を防ぎ、かつ資源を独占するために、ドロップアイテム(魔石や素材)の「強制買い上げ制度」を実施する。

 その交換レートは一律で「一万円分の金券」。

 どんなレアアイテムが出ようと、ゴミのようなスライムの粘液が出ようと、すべて一万円。


「一見、素人には美味い話に見える。スライム一匹倒せば一万円だからな。

 だが、ここでドロップ品を手放した奴は、一生後悔するんだ」


 一ヶ月後。

 誰かが最初の「ユニークアイテム」や「高純度魔石」の真価を発見した瞬間、この制度は崩壊する。


 ドロップ品には現代科学では解明不能なエネルギーや、特殊な加工技術が可能になる素材が含まれていることが判明し、市場価格は数千倍、数万倍に跳ね上がるのだ。


 初期に手に入れた素材を売らずにキープし、来るべき「オークション時代」に備える。

 それが勝ち組への第一歩。

 倉庫枠インベントリを埋めることこそが、最大の投資になる。


「貯金は……ある。

 今の俺はクソ真面目なサラリーマンだったからな。無駄遣いもせず、溜め込んでいたのが、ここで活きるとは」


 通帳の残高を思い浮かべ、ニヤリと笑う。

 当面の生活費には困らない。

 焦って安売りする必要はないのだ。


 となれば、この「空白の一週間」にやるべきことは何か?


「ギルドだ」


 匠はボードの真ん中に『GUILD』と二重丸で囲った。

 ゲームの仕様上、そしてこの世界の法則上、組織ギルドの設立は早ければ早いほど恩恵が大きい。


 後発組になればなるほど、設立条件に「探索者ランクB以上」だの、「構成員五名以上」だの、面倒な縛りが増えていく。


 だが混乱の極みにある今なら。

 システムではなく、人間社会の「穴」がある。


「今は黎明期の混乱の真っ只中だ。

 役所の窓口も機能していないし、法整備も追いついていない。

 だからこそ、SNSなどで『ギルドを設立します』と高らかに宣言し、既成事実を作ってしまえば、それが社会的に認められる」


 後になって政府が管理に乗り出した時、すでに活動実態のある組織を無視することはできず、そのまま認可せざるを得なくなるからだ。

 いわゆる「早い者勝ち」のロジック。

 この一瞬のチャンスを逃せば、後から面倒な手続きに追われることになる。


「よし、方針は決まった。次は俺自身の『手札』の確認だ」


 この世界では誰もが「ユニークスキル」を持っている。

 中には二つ持っている強運な奴も存在する。

 俺はどうだ?


 転生者特典はあるのか?

 それとも、この世界の「八代匠」としての素養のみか?


 匠はテーブルの上に置かれた飲みかけのペットボトルに視線を向けた。

 意識を集中する。

「視る」のではなく、情報の深層を「読み取る」感覚。


 脳裏に電子音が鳴り響き、視界に半透明の青いウィンドウが浮かび上がった。


【名称:ミネラルウォーター(開封済み)】

【品質:E】

【詳細:某国産の天然水。開封から二時間経過。常温。】


「……ビンゴ」


 ガッツポーズ。

 ステータスが見える。

 ということは、所持スキルは――


【ユニークスキル:鑑定(SSS級)】


「やったぜ……! 『鑑定』スキルだ! 初期スキルの大当たり枠!」


『鑑定』。

 それは情報の非対称性を生む最強の武器だ。

 どのアイテムがレアか、どのモンスターが弱点持ちか、すべてが丸裸になる。

 これがあれば序盤の攻略速度は段違いだ。


 だが匠の顔から笑みが消える。

 冷静な分析思考が即座に、その価値を再評価する。


「……いや、待て。確かに初期は強い。だが『ダンフロ』の歴史を思い出せ」


 半年後。

 ダンジョン産素材を用いた技術革新により『鑑定スキル内蔵コンタクトレンズ(量産型)』が開発される。

 精度こそ本物のスキルには劣るが、誰でも安価で情報を得られるようになるのだ。


 そうなれば『鑑定』しか能がない探索者は、ただの器用貧乏に成り下がる。

「あの人、コンタクト買えないのかな?」と後ろ指を指される未来が見える。


「賞味期限は短い。だが……使いようはある」


『鑑定』の真価は、アイテム解析ではない。

「人間」の解析だ。


 この初期段階、誰も自分の才能に気づいていないカオスの中で、他人が持つ「隠されたユニークスキル」を見抜くことができる。

 それはつまり、将来化ける「SSS級の原石」を誰よりも早く青田買いできるということだ。


人材発掘スカウトRTAなら、これ以上のスキルはない。

 俺自身が前線で剣を振るう必要はないんだ。最強の駒を揃えればいい」


 悪くない。

「軍師」や「プロデューサー」としての立ち回りが、今の俺の年齢的にも合っている。

 三十五歳で最前線を走り回って、十代の反射神経勝負に挑むのは骨が折れるからな。

 俺の武器は「経験」と「知識」、そして「大人の狡賢さ」だ。


「よし、一つ目は『鑑定』で確定として……」


 匠は自身の内側に、もう一度意識を向けた。

 多くの人間はスキルを一つしか持たない。

 だが俺は違う予感がしていた。


 奥底に眠る異質な「熱」を感じる。

『鑑定』のような便利なツールではない。

 もっと根源的で、世界そのものを書き換えてしまうような、圧倒的な何かが俺の魂に刻み込まれている感覚。


 意識を深く、深く沈めていく。

 ステータス画面の裏側、ノイズの海を越えた先。

 そこに眩いばかりの黄金の光が脈打っていた。


「……なんだ、これは?」


 そのアイコンが視界に結像した瞬間、匠の息が止まった。

 星々を金床かなとこに見立て、光のハンマーが振り下ろされる。

 飛び散る火花が新たな銀河を形成しているような、創造の根源を感じさせる神々しいイメージ。


 圧倒的な威圧感。

 震える指で、その詳細テキストを開く。


「――――ッ!?」


 ユニークスキル【万象の創造】


 名前: 万象(ばんしょう)創造(クラフト) (Creation of All Things)


 レアリティ: ユニークスキル (等級:SSS)


 種別: パッシブスキル / 法則支配


 効果テキスト: このスキルを持つ者は、あらゆるアイテムのクラフトが可能になる。


 フレーバーテキスト:

 神々は気まぐれにサイコロを振る。

 アイテムは無限の可能性を秘めている。

 シナジーを爆発させろ。

 神々の武器を作れ。

 神々の鎧を作れ。

 神々の装飾品を作れ。

 全てを作れ。


「ううおおおおおッ!!? クラフト系最強ユニークじゃねーか!!!!!」


 深夜のテンションのように、匠は叫んでいた。

 いや、叫ばずにはいられなかった。


『万象の創造』。

 ゲーム内でも存在した、正真正銘の「チート」スキル。


 効果テキストは、あまりにもシンプルだ。

「あらゆるアイテムのクラフトが可能になる」。

 たった一行。

 だが、この一行が意味する事実は、あまりにも重い。


 素材の制約も、設備の制約も書かれていない。

 ただ「作れる」とだけ記された神の権能。


「強すぎる……いや、強いなんてもんじゃない。経済を支配できるぞ」


 心臓の鼓動が早鐘を打つ。

『鑑定』で最強の素材と人材を見つけ出し、『万象の創造』で彼らに最適化された最強装備を与える。

 市場に流通していない「理論値最強装備」を、俺だけが生産できる。


「決まった。俺がやるビルドは、一つしかない」


 ――【ギルドマスター・ビルド】。


 自身は前線に出ずとも、組織の力ですべてを蹂躙する。

 クラフトで莫大な富を築き、その資金と装備で有能な弟子たちを囲い込み、世界最強の探索者集団を作り上げる。

 俺の知識と、このスキルがあれば、それが可能だ。

 いや、俺にしかできない。


「よし、善は急げだ。早速、ギルドの『設置』を行うぞ」


 匠はスマートフォンを取り出し、SNSアプリ「X」を開いた。

 指が高速でフリック入力を刻む。


 狂っていると思われるかもしれない。

 だが、この黎明期においては、誰よりも早く声を上げた者が「旗手」となる。

 ただの呟きでは埋もれる。

 未来の英雄たちが食いつくような、ある種の「匂わせ」と「ハッタリ」が必要だ。


 俺は、もうただのサラリーマンじゃない。

 この世界を攻略する「プレイヤー」だ。


 震える指で送信ボタンを押す。


【投稿完了】


『@Takumi_Yashiro

 【急募】本日より世界最強を目指す探索者ギルド「アルカディア(仮)」を設立します。

 ダンジョンが発生しました。世界は変わります。

 生き残りたい者、力を求める者、あるいは自分の才能の使い方がわからない者。

 私が「最適解」を教えます。

 条件:特になし(ただし面接あり)

 #ダンジョン #探索者募集 #初心者歓迎 #最強ビルド教えます』


「……よし」


 スマホをデスクに置く。


 画面の向こうでは、世界中の人々が不安と混乱に陥っているはずだ。

 SNSのタイムラインは「終わりだ」「死ぬのか」「政府は何をしている」という阿鼻叫喚で溢れている。


 だが俺だけは違う。

 これから始まるのは地獄ではない。

 最高にエキサイティングな「攻略」だ。


 匠は窓の外、遥か遠くに揺らめく紫色のゲートを見つめた。

 口元が自然と歪み、獰猛な笑みの形を作る。


「さあ、始めようか。俺の、俺たちだけの『神ゲー』を」

最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
ハーメルンから賢者の石見てファンになりました、頑張って下さいね。
前世で死ぬほどやり込んだゲームと同じことが現実で起こっている っていうのをやりたいんだと思うけど表現が迂遠すぎる これだけ長々と一人称で語ってるのにダンフロとやらがどういうゲームか全く伝わってこないの…
必要な物資を自作出来るのは強すぎる( ・3・)
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