旅行の条件
倒れた黒いエージェントたちを突いて、巨躯の男は黄ばんだ歯を見せて笑っている。
『オロバス、お主いったい何したのじゃ?』
全員が気絶している。とはいえ、宗次郎も目から血の涙を流しており、とうに限界を超えていた。
『いやぁな、体内時間なら弄れるんじゃねえかと思ってよ。上手く行ったみたいで良かったぜ』
『器が目覚めて一週間も経っておらぬのに、よくもまあそんなことが。宗次郎殿も、無茶をし過ぎじゃ』
ベリアルは、そんな彼を憂う目で見ていた。
肩で息をしている宗次郎を見て、アメリカ大使も悟る。こいつはただの未覚醒者ではない。明らかに、魔法が使える人間とも違う。
「クソ……!この野郎!」
「大使への失態、もはや契約どころの話ではない……!」
起き上がったエージェントが銃を向ける。
――【空】
しかし、それだけの時間があれば、魔法の威力が上をいく。エージェントは四肢を一撃にしてもがれた。
「宗次郎さん、ここは私たちが引き受けます。どうかあなただけでも逃げてください。復活までの間は、自由です」
「無理です。魔力がないんじゃあ、働けもしません」
気絶したユミナを抱えて、セレスティアは魔法を使っていた。血で視界がよく見えないため、宗次郎はぼんやりと振り返っただけである。
――身体が、軽い。とても軽い。
「自由にって言っても、僕はこの世界じゃあ生きていけませんから、結局は誰かの指示に従って生きなくちゃいけないんだと思います。でも、誰の指示に従うかは、僕が決めたいですね」
「何が、言いたい」
震えた声しか大使の喉からは出ない。だが、宗次郎も立っているのが奇跡のような状態だった。
「願望とか特に無いんですが、新大陸、なんとなく僕も行ってみたいんです。ここよりも暮らしやすそうだし。というか、僕の居場所が無いし」
アメリカ大使は冷や汗を流しながら、これまでに無いほどの速度で頭を回す。大使を務めていようと、宗次郎については自分だけの責任では決められない。だが、二の足を踏んでいれば文字通り死ぬ。
「国連軍には……士官学校がある。もしも入学できたのなら、岩戸宗次郎の対応について再度検討する。それと、合格の暁には一ヶ月間だけ新大陸へ渡航できるように手配する。聖王国との契約も継続する。悪いが、これが私の限界だ」
一通りの話を聞き終えて、徐々に宗次郎も正気を取り戻してきた。
――で、どうすればいいんだ。
「セレスティアさん、これでどうですか」
とりあえず、宗次郎はセレスティアに返答を求めた。考えてみれば国際問題のようなので、宗次郎一人では決められることじゃ無い。
「故郷に一度返してくれる……本当ですか。私たちが逃げないという確証もなしに?」
「現在は停戦中だ。この状態を解かれたくなければ逃亡など考えないことだ」
「ご高配に感謝いたします。宗次郎さんも、これでよろしいのですか?」
「僕としては、追われる身になるよりは全然良いかなって」
宗次郎は手にしていた銃を、大使に渡した。緊張状態だったかその空気は、ようやく弛緩の兆しを見せたのだ。
そしてほっとした宗次郎は、ぷつりと限界を迎えた。
『妾が言った通りじゃ。無理に体内時間を加速させるから』
『ねえオロバス、それ魔法なの?未覚醒者に魔法なんて流せるの?』
声が響き、オロバスは頭を掻く。
オロバスは胡座をかいて宗次郎の顔を覗き込んでいた。そしてニッと笑う。
『んなわけあるか。小さい範囲なら時間の流れが読める。俺はそこを少しいじっただけだ。無いよりマシだろ』
おかげで宗次郎の最高速度が跳ね上がったということになる。手荒だったとはいえ、自衛としては大きな役割を果たしていた。
『で、国連のなんちゃらはどうなんだ?俺はよくわからん』
『妾も知らぬ。セレスティアと話した時にはそんなもの話題には出んかった』
ベリアルは僅かな間だけ顕現を果たしたものの、その頃の会話で終わっている。具体的な考えなどを聞くまでもなく、ベリアルは眠ってしまったからだ。
『もしも宗次郎が器として危険な状態になったら、どうするつもり?』
『僕たち……消えるってこと?何とかならないの?』
『そもそも、ベリアルが途中で寝てしまったのが全ての始まりよね。責任とってちょうだい』
ベリアルの影が激しく揺れた。
『ええええ……!妾とて68位の末席じゃし、一人でできることなど限られておる。最悪は器を一時的に借り受けるなど、策は講じてみるつもりじゃ』
――どの口が言ってんだ。
誰もが同じことを思っていた。
目が飛び出るほどの高額なベッドの上で、宗次郎はゆっくりと目を開けた。周りに誰かいないかと見ていれば、横にユミナが眠っていた。
「ご無礼をお許しください。私たちが無力なあまり」
頭に包帯を巻いたセレスティアが、端のベッドから身を起こして謝ってきた。
「謝らないでください。自分が選んだことですから」
宗次郎にとっては、どちらかというと自分の身に起きた異変の方に気を取られていた。異常に体が軽い。あの大男のおかげで状況を打開できたのはいいが、有り余る力のようにも思えた。
――悪魔の、力か。それとも魔法?
「試験は来週です。本来なら出願から必要なのですが、諸手続きは合衆国が済ませたみたいです」
「え、来週?僕、勉強とか全然出来ないんですけど」
――もしかして僕、あの場でとんでもないことにを言ってしまったのでは?
啖呵を切った割に、宗次郎には自信というものが無かった。それに士官学校となれば専門分野も入る。真面目に高校生をやってきたはいいが、受験生では無かった宗次郎は、本気で勉強はしていなかった。
「一次は合格発表まで出ています。おそらく大使が言ったのは二次……筆記なしの実技試験かと」
士官学校は二度試験が行われる。一次試験では筆記に適性検査、面接という他の大学や士官学校と似通った内容の試験で、二次は実技試験のみの完全な実力勝負になる。
「魔力無かったら終わりじゃないですか?」
「それは――」
「それは私から説明しよう」
在日アメリカ大使は、静かに入ってきたのだ。
「で、私はニコラス。レグルス聖王国、並びに岩戸宗次郎の件は、既に大統領に通している。レグルス聖王国については現状維持の決定が下された。そして岩戸宗次郎についてだが……」
書類を取り出して、ニコラスは目を顰める。
「……事前に伝えた通り、二次試験で実力を調査することになった。だが、不合格になったからと言って暗殺者にするとは限らない」
どちらに転んでも価値が大きいのなら、そう簡単に宗次郎が殺されることはないだろう。宗次郎としては、悪魔と会話できるだけで証明にはならないので、悪魔憑きとするのは至難だと思われるが。
「国連加盟国には、宗次郎の存在を正式に認め、現状では共同管理としている。今後どうなるかは未定だ」
「あれ、僕が殺し屋になるという話は?」
「他国からの圧力がかかったから、それは白紙だ。その結果国連に回された」
勢力差を考えれば、宗次郎が大国の手の中にわたるのを阻止したいと考える国家は複数存在している。実際のところ、宗次郎の可能性は未知数であり、それが全く使えないという可能性だってある。
しかし、確実に言えるのは宗次郎自身が悪魔憑きであるという事実を加味していない時点での評価である。
「とりあえず、僕の人権は認められたみたいだ……」
宗次郎だけでなく、セレスティアも胸を撫で下ろしていた。
「どこまで来たら、二次試験を受ける意味はあるんですか?」
ニコラスは鼻で笑う。そりゃあそう思うよな、と言った。
「実力を測るには実践が一番効果的だと判断した。出願と合衆国からの推薦書は提出済み。そして味方が付く」
「監視用、ですか」
「調査目的だ。諜報員は同年代だから仲良くしても良い……28じゃなく、18歳という意味だ。ユミナ女史はいかがするか」
じろりと目線だけが動いた。ユミナはすでに目を覚ましていたようだ。
「私も……行きます。当然です」
ユミナはゆっくりと身体を起こし、宗次郎を見た。その一瞬だけ表情が和らいだ。
「期間は一週間。内容は不明だが、例年はサバイバルかバトルロワイヤルに近い内容だ。その間、我々合衆国の援助は無い」
「僕は魔法が使えないので、相当な弱みになると思いますが、最悪死ぬんですか」
「否定はしない。それと宗次郎については魔法が使えると偽造して戸籍を登録している。高速移動の魔法ということで」
――高速移動。
実際に起きていることとすれば、ただ肉体の最高速度でしかない。果たして魔法と素の肉体、どちらが脅威かなど、聞くまでも無い。
「私は、宗次郎さんに同行しても構いませんね?」
「問題ない。試験の内容によっては、それが不可能になるかもしれないが」
「ニコラス大使は試験の内容、知らないんですか。推薦書まで書いてくれたのに」
ニコラスは首を振った。
「全く知らないといえば嘘になるが、口にすればそれこそ私の首が飛び、お前たちも安全が保障されなくなる。受け入れろ」
――少しは知っているんだ。大使ってどれくらい偉いんだろう。
とはいえ、ニコラスは固く口を閉ざしていた。
猶予は一週間。この短い期間で、できるだけ宗次郎は戦力を証明するべきである。
「少なくとも、手は抜かない方がいいんですね?」
「使えなければ処分されます。未覚醒者は、日常生活ではむしろ使い物になりません」
ニコラスの言い方では、岩戸宗次郎は安全だということだったが、しかしその証拠は何処にもない。宗次郎が有用であると示しておくのは肝要だろう。
――でも、この怪我は治るのか?
「治癒魔法とか、使えないんですか?」
セレスティアは目を伏せる。ユミナが代わりに答えた。
「私も母上も使えますが、ここでは使えません。腕輪の所為で、魔力が集まりません」
「私たちは、レグルス聖王国の特使として来ています。この腕輪は、その信頼を担保しているものです。申し訳ございません」
それはすなわち、先日魔力の集まらない環境にて、セレスティアが魔法を放っているということだった。




