行方不明
――未覚醒者、護送中に行方不明
スクランブル交差点に在る大型スクリーン。大々的に報じられたその内容に、宗次郎は驚愕した。
「こんなに話題になるの……?」
「戦略的価値が高いということです。旧人類と蔑んで数を削った結果がこれですから、いい気味ですが」
「は、はい……」
そんな子供らしからぬ幼女に連れていかれて、宗次郎は初めての東京を歩いて行った。
* *
目覚めたら、この見知らぬ幼女が傍にいた。深く頭を下げて、そして手を差し伸べた。
「セレスティアの娘。ユミナと申します」
赤色の髪の毛をした幼女は、ゆっくりと面を上げた。金色の瞳がこちらを覗いてくる。
突然の自己紹介に困惑して――寝ている間に座っていたらしい――椅子から飛び上がる。
「え、ここどこですか?それと多分、人違いです。僕はあなたのこと知りません」
ユミナは首をかしげて、もう一度同じ言葉を言った。
「はじめまして。セレスティアの娘。ユミナと申します」
だそうで、ユミナという異国な名前と、異国そのものである赤毛は、宗次郎にとっては明らかに面識がなかった。
――というかセレスティアの時点で誰か分からない。
「ご存じの通り、悪魔召喚に失敗し、その結果悪魔に取り憑かれた状態です。今後は内側の悪魔の力が戻るため、残念ながら――」
「ちょっ、ちょっと待ってください。僕が、取り憑かれているんですか?それも、悪魔に?」
訳がわからなくなった宗次郎は、詳しい説明を求める。しかし不安がったのはむしろユミナの方だった。
「母上が召喚に失敗した……?そんなことは…………自分の内側に異物が入った感覚はありませんか?」
何日か前に目覚めたことは記憶している。それからの生活は、10年前の感覚とさほど変わっていない。
「そういえば、10年経ったのに歳取った感覚がないです」
「それが悪魔の仕業か、何とも言えませんが。今後も肉体が老化しなければ取り憑いているはずです」
そもそも、死ぬ直前の記憶が曖昧になっている。思い出そうとすると身体が拒絶してくるせいで、詳しい過去が思い出せない。
宗次郎がそんなことを考えている間、ユミナは静かに耳を澄ませていた。
「失礼しました。確かに悪魔……もとい堕天使の気配を感じます。数十年かけて器の中で成長させ、最終的にはあなたの精神を奪います。そうして堕天使が復活を遂げる予定です」
「それって、死ぬってことですか」
「緩やかに。多少寿命が短くなりますが、少なく見積もって13年です」
死ぬことだった。余命が13年。何度か殺されている事を勘定に入れれば、13年も余生を過ごせるというだけで嬉しいものだが。
宗次郎は意識がなかったが、既に28歳。
――僕もいつの間にかおじさんか。
「僕に取り憑いた悪魔、なんとかならないんですか?」
「器は魔力に弱い。残念ながら、これ以上復活を早めることは、残念ながら魔法を使用しても難しいです」
宗次郎は眉を顰めた。
「は……?そうじゃなくて、魔法が使えるのなら、悪魔を祓うことだって――」
眼光が強まり、全身が硬直する。年端も行かない娘とは思えない強い意志が、その眼差しには篭っていた。
「それはどういう意味ですか」
「僕は、13年で死ぬんでしょう?どうにかして、余命を伸ばせないかと――」
「悪魔の復活は我らスカーレット一族の悲願。名誉ある器でありながら、自らその栄誉を放棄するとは……我々、延いては堕天使ベリアル様への侮蔑です」
――どうして、僕が間違っているんだ。
ユミナは、瞬きしてその視線を収め、代わりに地面に頭をこすりつけた。年端もいかない娘とは思えない覚悟の決まり具合である。宗次郎は人生で初めて土下座を名前で目にした。
「と申しましたが、実際のところ。堕天使の器にふさわしい未覚醒者は、もう宗次郎さんしか残っていません。私たちにはもう余裕がないのです。悪魔召喚に失敗し、刻一刻と時間が失われている状況。どうか、スカーレット一族のため、そして聖王国のために――死んでください」
「あの、一つ良いですか」
「私たちにできることならば、何でも致します。ですからどうか、命を捧げていただきたいのです」
泣き縋りつかれては、さすがの宗次郎も強気ではいられなかった。しかし、自分の命だとはいえ、この命は悪魔がいてくれたからこそ今もなお動いている。
「召喚されていなければ、たぶん僕は死んでいたんですよね」
「恐れながら申し上げますと、死体に悪魔を宿したのです。宗次郎さんの魂が残っているのは、他でもないベリアル様の意志です。この世界では、どうやら魔力を持たなければ蔑まれるとのことだったので、完全に魂を消した方が、器の身としても良いと考えたのですが、上手くいきませんでした」
――そうか、僕はとっくに死んでいたんだ。
世界に裏切られた気分がして、頭がおかしくなって、復讐と怨念にあふれた。それは隠していただけで、生まれた時からずっと、胸の奥に溜まっていた膿。
どれもこれも、自分に魔力が宿っていないから。だから人として扱われない。
そして復活したところで、それは変わらない。動物園だろうと依り代だろうと、宗次郎の居場所はどこにもない。
「わかりました。受け入れます。ユミナさんのおかげで生まれた、僕の余生みたいなものですから」
むしろ、受け入れた方が早く楽になれる。それも、世界を滅ぼしそうな存在の役に立てるのなら、確かに名誉なことなのかもしれない。宗次郎は宗教が何たるか、その片鱗を感じ取った。
「母上の勤めている大使館へ一度運びます。それから、新大陸へ亡命しましょう」
「新大陸ですか?あの場所は民間人でも入れないようになってるはずです」
言いきってから、その知識は十年前のものだったと気が付いた。宗次郎の顔が赤くなる。
「密入国します」
地面が小刻みに揺れている。不規則で緩急のある揺れは、人によっては苦手とするものだった。
「ここ、乗り物の中ですか?」
「フェリーです。到着まで10時間以上はあります。疲れているでしょうから、一度ここで仮眠をとってください」
* *
夢を見ることなんてあまりないのだが、船酔いでもしたみたいで、ひどく悪い夢を見てしまった。ゆっくりと身体を起こすと、隣のベッドでユミナが眠っていた。起こさないように、ゆっくりと扉を開けて外に出る。
デッキに出ると夜風が心地よく吹いていた。
――船乗ったことなかったけど、僕って弱かったんだ。
柵にもたれかかって、眼前に広がる黒い畝りをぼんやりと見つめる。
『毒だって効かない器で、お前さんどうして酔えるんだよ』
――は?
いきなり声をかけられて、宗次郎は驚いて後ろを振り向いた。しかし、深夜に外に出る乗客は誰一人いない。無人のデッキだけがそこにあった。
『そう言うな。このほろ酔う感覚の心地よさは、生の器無しでは味わえぬ』
『普通に酒に酔った方がマシよ。単純に気持ち悪い』
そして別の声も聞こえてくる。視界がぼやけて、霞がかかってくる。白い霧に囲まれたような、感じがして、既に床が見えなくなっていた。
『感覚まで同調するとは、私も聞いていない。どういうことだ、ベリアル』
そして徐々に霧の中から影が揺らめく。焦点が合う頃には、それが人の姿をしていることが分かった。その中心に、やや背の小さい影が見える。
『妾とて知らぬわ。眼にはまだ何も映らぬ。器が馴染んでおらぬゆえ』
ユミナよりもやや大きい、そして足元まで伸びる漆黒の長髪と、血の通っていない蒼白な肌。
――どこから、現れた。
驚いている宗次郎の存在に、彼女らはようやく気が付いた。
『見えてるな。俺たちが』
顔を覗き込むように、長身の男が現れた。長身で、尚且つ筋肉隆々の大男だった。宗次郎はその威容に、思わず腰を抜かした。
『ほう、はじめまして、と申しておこうかのう。宗次郎殿』
倒れてしまった宗次郎に、ベリアルは手を指し伸べてくれた。
『妾はベリアル。最初に召喚された存在じゃ』
宗次郎はその手を掴もうとして、するりと抜けた。
『ふふっ。妾たちに実体はない。お主の見ておる幻像に過ぎぬよ』
霧が晴れてくるとともに、そこに立っている存在が異様で、かつ無数にいることが見て取れた。そして本能からくる恐怖で足がすくんで、宗次郎は巧く立てない。
『君の内側に潜んでいる悪魔は、この程度の数ではないがね』
続々と姿を現していく。そして呼び掛けている。
『主様の器には、我らが潜んで居る』
『余は再びこの地に現界し、今度こそ大地を掌中に納める』
『神殺しを為し』
『地平に安寧を齎す者』
ベリアルは昏い眼差しで、天使のように微笑んでいた。
『すなわち、堕天使』
召喚は失敗している。結果として、特異な存在がこの世に誕生した。悪魔という概念そのものを呼び込んでしまった今、その器の境界は曖昧なものとなった。
『今後ともよろしく――第四の騎士』
触れられない手と、握手をした。




