蜃気楼
言うまでもなく、胃が狭窄し、中身が口まで昇ってきた。だが何も胃の中には無く、そもそも内臓すら焼かれているため、考える以前に何も無いのは自明。
『起きた』
『目覚めたか』
『哀れなものよ。まだ息があるとは』
『傀儡?』
『というよりただの人形よのう』
声が聞こえては薄れ、頭の中はぼんやりとしている。
「病室…………生きてる……」
やけに霞がかった視界は、目を擦っても晴れることはない。
……違う。本物の霞である。蜃気楼のように影が揺らぎ、そして輪郭が鮮明になる。
少し物音がしたので視線を動かすと、点滴を入れ替えている看護師と目が合った。
「っ……!先生…………!」
ひどく驚いた看護師は、病室を飛び出していった。
それから看護師や医者に診察を受け、しばらくすると妹と母親がやってきた。
「お兄ちゃん……!」
その妹がいきなり抱きついてきたものだから、驚いて身体が跳ねる。
「桔梗……なんか大きくなった?」
妹の桔梗は、普段の素っ気ない性格をどこかに追いやって、宗次郎の両手を握りしめていた。
「そんなのもういいよ……とにかく良かった……」
妹はこれだけ背が高かったのだろうか。仰向けなものでよく分からない。
「ごめんね。お母さん気づいてあげられなくて……本当に、ごめんね……」
母親が泣いているなんて初めて見た。宗次郎は、どんな顔をすれば良いのかわからなくなる。
――夢を、見ていた気がする。
艶や輝きといった一切が消え失せた、漆黒の闇が微笑んでくる。白と黒の二色によって構成された、宗次郎よりも一回り幼い、あまりにも幼女らしい幼女は、輝きの一切が無いというのに、その存在は宗次郎の目にしたどんな存在よりも鮮烈で、かつ神々しい。
「ごめんね……!ずっと辛かったのに、私、気が付けなくて。ダメなお母さんでごめんね……」
自分がいじめられていることに気が付かなかった、との謝罪だった。
――僕も、ずっと知らなかったんだけど。
「お母さん。その、みんなは?石、石崎……くんだったかな、あと……」
――誰だったっけ。随分遠くの思い出みたいだ。
「行方不明。お兄ちゃんだけが奇跡的に生き残ったの……それでも、瀕死だったんだよ」
「迷惑かけて、ごめん。明日からはちゃんと、仕事行くから」
二人は顔を見合わせて、そして目線を逸らした。
その沈黙を狙ってか、タイミングを伺っていた医者が姿を現した。
「岩戸宗次郎さん。少しお話があります」
* *
「落ち着いて聞いてください。あなたは10年間眠っていました」
「えっ……10年も?そんな感覚は……」
身体を起こそうとして、看護師に止められた。かなり強引に抑えられたのだが、宗次郎は抵抗できなかった。
「起き上がらないで。骨が弱いですからね」
――かなり弱ってるのか。
自分の手が、やけに大きく見える。けど、以前より細くなっている。
「特に魔力のない未覚醒者は、魔力を過剰に浴びると健康に悪いんです。昏睡状態を長期化させた原因でもあります。そう、呼び名が旧人類から未覚醒者に変わりました」
配慮がされた、と言うことらしい。言われて気分が良いのは、当然ながら後者である。
「未覚醒者って言われた方が、僕も気分良くいられます」
「勿論人道的な配慮もありますが、人工的に覚醒者に導く研究が、今も行われているんです」
「そうなんですか?」
――あって困るものじゃないが、無理をしてまで欲しい訳じゃないかな。
宗次郎にとって、魔法が使えないところでこれといった支障は無かった。生活を送る分には、別に魔法が無くても生きられる。不便ではあるが、魔法が無ければ死ぬというわけではない。
「それと岩戸宗次郎さん……あなたが、最後の未覚醒者です」
医者は厳かに、言葉を選んで言い放った。ただ、宗次郎にとっては頭が真っ白になった感覚だった。
「ん?魔法が使えない人は、10年でそこまで減ったんですか?でも、僕よりも若い旧……じゃなくて未覚醒者とも会ったことがあります」
「外の世界を見ていないからなんでしょうが、今はもう…………魔法が使えない人は人として扱われません。あなたの知人の未覚醒者も、今は既に……」
いつの間にか、奇妙な感触、いや視線に気が付いた。周囲を見れば、白い壁ではなく一面鏡になっていることが分かる。鏡には宗次郎が映っている。目を凝らしても、むしろこちらをにらみ返してくる自分がいるのみだけだ。
「どうして、僕だけ生き残っているんですか。それも10年もの間。僕だけ」
「……………………絶滅危惧種、ということです」
「――ッ!」
医者はポケットからスマホを取り出して、横画面にして宗次郎に見せる。
夕方のニュース番組に、ライブ配信で部屋の内側が映し出されている。それはまさしく、自分自身の姿だった。
――未覚醒の植物人間、起床。
喜べる気にはなれなかった。
「ここは四方がマジックミラーになっています。あなたの周りを取り囲むようにして、報道陣が撮影しています」
「僕は……これからどうなるんですか」
「ロンドンの博物館へ移動し、そこで育てられます。大丈夫。安全な環境で過ごせますよ」
その屈託のない笑顔は、まるでペットでも見ているような表情で、同じ人間に対しての接し方とは到底思えなかった。蒼白になって、宗次郎は再び胃の中身が逆流する。中身が無いため、口の中が苦い。
「大丈夫ですか?点滴ばかりで、お腹が空いたでしょう。離乳食ですが、お昼ごはんにしましょう」
――気持ち悪い。僕は動物園の動物みたいに、死ぬまでこの人たちに飼われるのか?
背中を撫でる仕草も、ニュースでのテロップもニュースキャスターのコメントも、どれも温かいものである。未覚醒者は迫害されその多くを殺されてきたというのに、宗次郎だけが別の扱いを受けている。特別扱いであるが、全く嬉しいとは感じなかった。
「いっぱい見られて辛かったですね。そろそろ元の病室に行って、ご飯を食べよう。まずは美味しいものを食べましょうね」
肩を借りながら、ふらついた足取りで病室に寝転がった。その日、宗次郎は出された食事に手を付けることが出来ず、結局は点滴を打ってもらった。
「僕には、もう自由がないのか」
――どうなってしまったんだ。この世界は。
少し疲れた。ゆっくりと瞼を閉じる。
すると、焼かれて死に、電流で死に、そして内臓が潰れて死にそうになった、あの恐怖が、10年越しで合っても鮮明に回想される。ずっと忘れられない恐怖。死んだはずなのに、あれで死んでいないのは、果たして不運なのか幸運なのか。
「――ぐっ……!」
汗をびっしょりとかいて、宗次郎は飛び起きた。いつになっても恐怖が背筋を撫でるおかげで、宗次郎は眠れなくなっていた。
「これから、僕は誰かに飼われる」
――今まで考えたこともなかったけど、誰かに自由を否定されることって、こんなにも嫌なことだったんだ。
宗次郎の自由は、偽物で、誰かが道楽で描いたものでしかなかった。絵空事で満足していた自分が、とても滑稽だった。
しばらくして、突然眠気が襲い掛かる。宗次郎は争うことをせず、眠ってしまいたい感情のまま、沈むように意識が消えていった。
* *
部屋に取り付けられた監視カメラで、宗次郎が眠ったことを確認すると、医師はにこやかな面持ちで立ち上がる。
「今の内だ。運搬しよう」
控えていた作業員が立ち上がり、人一人が入るカプセルが持ち込まれる。
「別に眠らせる必要も無かったのでは?」
「彼は精神的に不安定だ。ストレスで死にかねない。だからこそ、記憶が曖昧な今のうちに場所を移した方が良い」
マスクと手袋をはめた研究員たちは、宗次郎の容態を確かめつつ、白いカプセルへと収容した。
「手袋もマスクも無いまま、よく話せましたね」
「流石に消毒はした。10年も放置してるんだ、そもそも腐ってるかもしれないだろ?」
何重ものカプセルに収容されて、ひっそりと研究室から運び出された。これは到底、メディアには映せない。だがニュースの消費期限が著しく早いこの世界では、昨日のニュース、まして絶滅危惧種の生物の話など、新大陸の戦争の前では気に留めることもない。
「だがな、俺にはこの子が幸せに見える」
偽造の霊柩車、という名目のトラックを見送った後、医者と研究員たちは各々車に乗り込んだ。
「魔法がない旧人類ですよ?本気ですか」
「領有された新大陸沿岸部の利権争い、そして新大陸に乱立する小国家。この時代に世界大戦だ。魔法が使えれば戦場に行かされる。俺たちだって例外じゃない」
戦争は10年前には無かった。新大陸には元来、四つの国家があり、帝国や共和国など、時代遅れの制度を取る国家が均衡を維持していた。
それが新大陸の開拓による流入と、欧米の諜報活動によって国家は分解し、無数の小国家と成り果てた。
「いやいや、それで魔法がない方が良いなんて考えにはなりませんって。僕らは国家で守られてますよ」
「その国家が続いている限りはな」
しかし、新大陸にばかり目を向けていれば、背後から切られることもある。
スマホが振動し、通知が入る。
――行动开始
「確かに、今の時代魔力が無ければ、透明人間と変わりません。最強の諜報員ですよ」
魔法を使えば、必ず魔力の痕跡が残る。捜査に利用される痕跡の一つである。
そのため、魔法を使わない武器が規制され、特に銃の闇市場における取引価格が高騰した。
僅かに車が横に揺れた。
運転手である医者は、こめかみに突きつけられた銃口を、避けることなど叶わなかった。
「窓汚れたし……内側だからワイパーで綺麗にならないなぁ」
* *
山間を走る複数のトラックと、護送する黒い車たち。山頂付近に位置する風力発電所の上に立ち、ベルノルトが電話をかけた。迷彩柄の外套を深く羽織り、黒ずんだ金髪を後ろにまとめて結んでいる。
『検問は全て封鎖完了した』
「Achtung――」
黒色で細い腕輪が、怪しい紫紺を灯した時、山間から遠吠えが響き渡る。
――【傀儡】
両手を握りしめ、これからの犠牲者を先んじて悼む。
「Spielen beginnen」
闇夜の山間。深い森の中に、赤い眼光がいくつも光を放っていた。




