死屍累々
治癒魔法を施しても、宗次郎に反応は無かった。
「もー、死んじゃったじゃん。これじゃあ治せないよ」
美香が腕輪の効果を見ることは無かったため、落胆を隠せない。
「すまん将吾。思ったより威力が出た」
「早いんだよ猿が。ったく、つまんねえな。カラオケでも行くか。卒業式だし」
素っ気なく、死体を棄て、将吾は冷めた場を再び温めるべく、場所を変えることを提案した。まあ、座興だけでも愉しめただろうが。締めが退屈だった。
「賛成!全員で行こ!」
立ち上がり、スキップで美香がドアに手をかける。
「じゃあね。あの世でも頑張って?」
聞こえもしないというのに振り返ってそんな声をかけ、扉を開けた。
が、開かなかった。
体育倉庫の鍵は、内側から開く。美香は鍵が開いていることを確かめ、再び扉を引く。
やはり、びくともしない。
「どうした?」
「なんか、ドアが開かない。壊れちゃったかな?」
「おいおい、つまんないってそういうの」
しかし、冗談抜きでドアはびくともしなかったのだ。まさか閉じ込められるとは思わなかった将吾たちは、少しだけ異変に思った。多少の不愉快が、膨れ上がった。
「焼け死ね」
――【炎】
もはや胴体しか残っていない死体を、再び大炎が食い尽くした。流石に後輩たちは狼狽したが、仲の良いクラスメイトだけは未だヘラヘラと笑っている。死体撃ちも甚だしい、宗次郎の遺体は完全に黒色の灰の塊と化していた。
「魔法で開けてみるか?」
「それってドアを壊すってこと?誰が修理代払うの?私嫌だよ?」
「まあここは主催者の俺が責任持ってやるよ」
魔力を腕輪に流し込んだその瞬間――突然ドアは吹き飛んだ。同時に採光用の小窓も砕かれ、蛍光灯のパイプは割れる。
「俺、なんかやった?」
将吾は自分を指差して、口を開けて笑っている。その笑い声が一人だけのものだと知った時、ようやく視界が開けた。
* *
「…………存外」
傷一つ消えた、それどころか身長が二回りも伸びた男。
「感傷も無いものじゃ。俗世を追放されて幾星霜。肉の温かみも息苦しさも、懐かしさの一つも感じぬ。むしろ煩わしいのお」
自分の手のひらを見つめてふと、呟いている。
「は?岩戸、だよな……」
しかし、岩戸宗次郎の雰囲気とは大きくかけ離れている。外見はやや背が伸びた程度で、地味な面貌に変わりない。
「どうみても死んだだろ。原理的に復活はあり得ない」
死んだ人間は治せない。死んでいるため、魔力が体内を循環しない。そのため死体は魔法が通らない。
「美香、お前本当に治癒できなかったのか?」
「あ、当たり前でしょ!?治癒できたとしても、無傷はあり得ない。っていうか岩戸君って、こんなに背高かったかな……」
そもそも治癒魔法は特殊で、せいぜい外見を取り繕う応急処置程度の代物。最初の時点で宗次郎を蘇生させたのは事実だが、そのまま放置しても半日足らずで絶命していた。
どちらにせよ、死んでいたはずだ。
「一体何を血迷って妾を喚び込んだのやら。それも雄の器。酔狂な趣向でもしていると――」
雷鳴が轟き、顔を掠めて背後の壁を抉る。幸助が咄嗟に放った雷魔法は、何故か軌道が逸れた。体内電気を目印とするため、雷魔法が命中しないという可能性は限りなく低い……はず。
「なあ岩戸。もしかしてそれ魔法か?ここにきて発現したか。気持ち悪いな。お前本当に人間か?」
徐々に将吾の気分を害していく要素が増えていく。自身が完璧であると信じて疑わないからこそ、思い通りにならないことには我慢ならない。頭を掻きむしり、前髪を掻き揚げた。
「どうでも良い。死に損ないめが。俺たちを揶揄って楽しいか?散々いじめてやったから、お前もキレてんだよなァ。だったらやってみろよ!その旧人類の身体を使って、殴りにかかって来いよ!」
宗次郎は大気を撫でるように、指先を動かしてはしみじみとしている。何か気配が変わったような不気味な印象は、徐々に恐怖へと変わっていく。先程からずっとドアノブに手をかけているのに、いっこうに動かない。
「そう口走るな。お主の唾液はしかと届いておる」
普段の宗次郎と違って、今の彼とは一度も眼が合わなかった。将吾の、額に刻まれた皴が深まる。
「そうかよ。じゃあもういっぺん死んでみるかぁ?」
一度殺しているのだ。既に後戻りはできない。それに、もはや力を押さえることなどできなかった。哄笑と共に、将吾は制限を取っ払って最大出力で魔法を放とうとし――
肘から先の腕が消えていることに気が付いた。
遅れて傷みが電流のように迸る。
「…………ッ!!」
冷や汗が噴き出し、苦悶の声が漏れ出る。当たり前だろうが、腕を斬られたことは将吾にとって初めてだった。そして切断は、基本的に治癒魔法でも治せない。
「雅な腕輪じゃな。だが豪奢が過ぎる。育ちの悪さが露見しておるぞ小僧」
「なん、だと……!舐めやがって」
「ははっ。ようやく本音で話せるように…………うっ……くっ…………!」
――息が、できない……!
いきなり首が締まり、美香の乾いた笑みは崩れていく。睨みつけるような視線から生じる眼力が、美香の顔を徐々に圧し潰していく。美形が鬼の如き面貌へ歪み、瞼から血が溢れる。
「お主、妾を嗤ったな」
「美香に何しやがる……!」
やがて鎖骨が浮き上がるほど締め付けられ、鈍い音と共に首は本来ならばあり得ない方向へと曲がった。
並大抵の魔法を防ぐその腕輪は、片手の握力でいとも簡単にねじ曲がった。そして手の中で潰れた。呆気なく首をへし折られ、地面へと突っ伏した美香を横目に、残りの一本の腕を振るって将吾が殴り掛かる。
「空腹は最上の調味料とは、よく言ったものじゃな」
一瞬にして、将吾の肉体は影に呑まれた。自身の影に呑まれ、そして宗次郎の影の中へと吸い込まれていった。バリバリと骨の砕ける音が、慟哭に代わって聞こえてきた。
「誰か、なんとかしろよ!全員で魔法使えば、こんな旧人類くらい殺せるだろ!?」
呆気に取られていた生徒たちが、思い思いに魔力を練り出した。そう、おかしいのは宗次郎。旧人類の彼以外は、等しく魔法が使える。攻撃用の魔法だって、使えるのだ。
「――首を垂れろ不埒者どもが」
どこからともなく聞こえてきた声とともに、いきなり股から下が頽れる。その場にいた全員の足が、脚が、腿が、突然骨から砕かれた。声を出す間もなく地面へ突っ伏した。
――何が起きた!?何の魔法だ!?
その場で頭を地面につけることを余儀なくされ、地面に頭を打って血が流れる。顔から地面に落ちた者はより凄惨で、口の中が切れて、歯が折れ、整った顔立ちは台無しになっている。
「まさか……重力、魔法?」
「いかんいかん。嗤われた程度で腹を立てていては、堕天使といえど無慈悲に思われる。矜持に関わることじゃ」
肩に重みがのしかかった程度に思っていた宗次郎は、肩を軽く回した。
仲間の一人、伊吹が血反吐を吐きながら驚愕の声を上げる。
――もし重力魔法なら、長年世界が探し求めていた魔法ってことに……
「重力だと?寝惚けておるのか主ら」
指を下に向けた途端――本物の重力魔法が彼らを襲う。
ただ地面へ落下した痛みが、更に増していく。骨が軋み、亀裂が走る。加圧が強まる。血管と心臓が圧縮されていき、血が口から飛び出す。声を震わせようにも、喉が潰れて声帯が使えない。ただ赤子の泣き声のような、気色の悪い声が漏れるだけだった。
それでも重力は強まる。地面へ叩きつけられる。部屋全体にひびが入る。そして床を抉り、ついには閉じていた結界を破り階下の教室へとめり込む。
「重力とは星の力よ。お主ら人の器では到底御しきれぬわ」
既に一階部分の床を突き破り、地面をなおも抉り続ける。既に原型をとどめていない形で、ひとまとまりに肉の塊となっている。それでも重力は弱まることを知らない。
ぐしゃりと言った鈍い音や、果実が潰れる小気味良い音もしなくなったころ、ようやく宗次郎は重力魔法の加重を弱めた。
いつから死んでいて、いつまで生きていたのかはわからない。肉塊が完全に飛び散り、中身の特に頑丈だった部分が、赤い球体となって転がっている。教室の底が丸ごと抜け落ち、宗次郎にも足場が消えていた。
ただ、彼は浮遊しているおかげで落下することは無かったようだが。
「お迎えに上がりました。ベリアル様」
ようやく扉が開き、恭しく銀髪の女が頭を下げた。面を上げれば、赤色の瞳を持った人間離れした貴婦人である。
「で、肉にならず残った肉が一匹と。お主の名を訊いておらぬな」
白が目立つ美しい肌が、一気に蒼くなったのを、宗次郎は見逃さなかった。いや、今は宗次郎ではないのだが。つい殺してしまった美香の服を取って、自分が雄の肉体であることに気が付く。が、将吾の服は血で汚れていたため、そのまま美香の制服を着ることにした。
「僭越ながら、セレスティアと」
「知らぬ真名じゃ。忘れておるだけかのう?」
「先代からはスカーレット一族、とだけ聞き及んでおります」
「合点が行った。吸血鬼めの末裔か。セレスティア。妾は少し眠りに落ちる。委細は任せるぞ」
それだけ言い遺して、気絶した。そっと肉体を持ち上げると、ひどく軽い。奇妙なもので、全身はどこにも傷が残っておらず、切断された痕跡すら消えていた。
「これで、本当に宿願が叶ったのでしょうか……お父様」
根本的な疑念が、セレスティアの中に残っていた。




