今
最初は魔人かとも思ったが、少なくともマガツの知っている魔人にこのような奇っ怪な見た目をした者はいない。
であれば魔物のはずなのだが……目の前に居るのは、伯爵領を切り盛りしながら魔物に関する書類に目を通しているマガツをして、知らない魔物だ。
おまけに人語を解するとなると、その知能は極めて高い。
となると考えられる可能性は一つ――長い年月を過ごした魔物だけが辿り着くことのできる魔物の最終形態である魔族以外には考えられない。
「俺様の名は――タリバーディン。魔王様より『強欲』の二つ名をいただいた、魔王軍幹部さ」
「魔王、だと……?」
魔王という名は、王国に住む者であれば誰だろうと知っている。
ウェスペリア王国ができるよりはるか前に猛威を振るっていたという、一体で一国を落とすことができるという怪物だ。
もはや伝承でしか存在の確認できぬ存在の配下を語る目の前の魔族。
今後に待ち受けているであろう苦難を思い、マガツは下唇を強く噛み締めた。
だがそれを気にするのは、まずはこの場を切り抜けてからだ。
「ルクス、全力だ!」
「は、はいっ!」
「けけけ……良い声で鳴けよ、雑魚共がぁっ!!」
そして領都フレイベルの趨勢を決める戦いが始まった――。
「くかかかかっ、こんなもんかよ?」
「バ、バカな……」
マガツが口から血を吐き出しながら地面に倒れこむ。
その身体は至る所が傷だらけで有り、一級品の魔物素材を使って作らせた特注品の戦装束は見るも無惨な姿に成り果てていた。
対しタリバーディンの方はというと、いくつかの傷跡や火傷痕などを残しながらも未だに健在。
翼を羽ばたかせ軽く宙に浮きながら、マガツのことを嘲笑して見下ろしていた。
「はあっ、はあっ……なんという、強さだ……」
そのすぐ後ろで魔眼による支援とサポートに徹していたルクスも既に限界が近く、魔力切れの症状である強い眠気と倦怠感に必死になって耐えている。
彼はマガツとタリバーディンの戦いに割り込むことができなかった。
いくつもの魔法とスキル・そして魔眼を使った高速戦闘が、今のルクスには未だ及ばぬ領域での高次元なものだったからだ。
彼は自身の無力を歯噛みしながら、光魔法を使いマガツの傷を癒す。
マガツは荒い息をなんとか整えながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……なぜ殺さない」
「はぁ? そんなこともわからないのかよ。そ・れ・はぁ……俺が人間を甚振るのが大好きだからさ!」
タリバーディンの眼前に魔法陣が現れ、黒の弾丸がマガツへと襲いかかる。
マガツは魔眼を発動させその全てを燃やし尽くすが、その時には既にタリバーディンがマガツの背後を取っていた。
「ぐはっ……」
やられながら口から胃液を吐き出すマガツを見て、タリバーディンがその背中をゾクゾクと震わせる。
恍惚の表情を浮かべるその姿は、異常そのものだった。
「ああ、そうだ、俺はこれが見たかったんだよ……だが! わけがわからねぇうちに潰されたあの二回の恨みはこんなもんじゃ晴らせねぇ!」
「一体何を……ごふっ!?」
マガツを蹴り上げ、そのまま足蹴にして、タリバーディンはゲラゲラと激しく笑い出した。
既に気を失っているマガツをそれでも執拗に痛めつけるタリバーディンがその瞳に宿す狂気に、ルクスは戦慄した。
目の前に居るのは自分とはまったく別種の生き物。
決して生きるのを許してはいけない存在――。
「魔眼、解……」
「させねぇよ」
ルクスが蹴り飛ばされ、後方へと跳ねてから城壁に激突する。
既に周囲に居る兵士達はマガツとタリバーディンの激戦の余波を避けるために退避しており、この場に他に人の姿はない。
「魔眼持ちは俺んところにもいるからよぉ。大体どんな力かはわかるのさ。お前の魔眼は対象を秒単位で見つめる必要がある……高速で動くかぶっ飛ばして発動をキャンセルさせちまうのが手っ取り早い」
「が、ぐ……」
腹の痛みに視線を下げれば、鎧がへしゃげ、わずかに除く内側にはべったりと血で染まった鎧下が見えた。
敵わないことがわかってしまうほどの圧倒的な差。
それを目の前で突きつけられ絶望するルクスを見て、タリバーディンは再び多いに笑った。
「さて……それじゃあお前達に俺がわざわざここまでやってきた、もう一つの理由を教えてやろう」
タリバーディンがパチリと指を鳴らす。
するとどこかから、地響きのような音が聞こえてくる。
今まで何度も聞いてきたこの音は……。
「なぁ、俺が今までどうして定期的に魔物を退かせてたと思う? もちろんお前ら人間が苦しむ顔が長く見たかったってのも大きいが、それ以外にももう一つだけ理由があってな……こうやってバカな人間達を油断させる目的もあったのさ!」
青空にその姿を浮かび上がらせるのは、先ほど撃退したばかりの魔物達だ。
だが先ほどまでと比べると大柄な個体が多い。
空を飛ぶワイバーン達の数は優に十を超え、奥には城壁を上回るほどの上背を持つ巨大なドラゴンの姿まで見えている。
「さあって、チミ達はこの満身創痍で、ボロボロになった城壁で、魔物の大群達を止められるのでしょうか!?」
おどけた様子でゲラゲラと笑っていたタリバーディン。
道化を思わせる笑みが深まり、ニチャアと嫌らしい笑みを浮かべながらルクスの前髪を掴み、その顔を城壁の外へと向けさせた。
「お前が弱かったせいで、街が潰れるんだ……領民達が魔物に蹂躙されるのを、その目で最後まで見届けなよ、貴族サマ?」
絶望の表情に染まるルクスの顔を見て、タリバーディンが頬を紅潮させる。
「あーっはっはっはっは、最高! ファンタスティック! エキサイティング! ずっとその顔が見たかった!」
魔物達が近づいてくるのを見た兵士達が急ぎ迎撃準備へ入ろうとするが、タリバーディンがスッと手を掲げればそれも不可能になった。
風魔法によってバリスタや投擲物、果てには兵士達までが吹き飛んでいき、後には絶望だけがその場に残る。
「これで俺様の趣味と実益も兼ねた任務も達成! ――全ては魔王様のために!」
目の前で蹂躙されようとしているフレイベル。
幼い頃から育ってきた街が、消えていく。
そしてその様から目をそらすことすらも許されない。
全ては自分が、自分が弱かったせいで……。
自分が……自分がもっと強ければ。
そう思った時にルクスの脳裏に浮かぶのは、彼が誰よりも信じている、自信の兄の姿であった。
「兄、上……」
「んー、そんな風に叫んだって助けなんてきちゃくれませんよー! 自分でできないからって他人に任せるの、俺は良くないと思うなぁ。なぁ、現実を受け入れろって。お前のせいで街が滅ぶ……」
「――違う。お前のおかげで、街は守られた」
先ほどまで前髪に感じていた圧迫感が消える。
そしてこちらを見下ろしていたタリバーディンが、城壁の外へと吹っ飛んでいった。
先ほどまで彼がいたところには、一人の男が立っていた。
記憶の中にある彼よりも、幾分か大人びた姿。
精悍になった顔立ちと、誰よりも頼れるその大きな背中。
今まで一度として忘れたことのない、その少年は。
「よく頑張ったな、ルクス。ここから先は――俺達に、任せておけ」
「あに゛、うえ……」
ヴァル・フォン・フレイム。
廃嫡され爵位の継承権を失った、フレイム家の長男。
ダート大森林を手中に治めた男は、魔王軍幹部を前にしても何一つ変わらぬ様子で、キザったらしく前髪をかき上げながら笑う。
全てを守るために手に入れたこの力を振るう瞬間は――今この時を置いて他にない。




