人魚姫
【side リリィ】
小さな頃、お母様が聞かせてくれた大好きなお話がある。
それは悲しくも優しい恋物語。
ある日難破して海に打ち上げられた王子様とそれを助けた人魚姫が、様々な苦難を手を取り合って乗り越え、最終的には結ばれるという話だ。
けれど現実は、そう上手くいくものじゃない。
人魚と人間はかつて争い合い、人魚は居場所を追われることになった。
人魚は積極的に人と関わることをやめている。
私はいつも、物語の中のお姫様に憧れていた。
あくまでも物語のお話とわかっていても、それでも心のどこかで、いつか王子様が私の下にやってきてくれるのではないかと。
時折私に下卑た視線を向けてくる男の殿方も、同じマーメイドの男性も、魅力的には思えなかった。
なのでそんな年甲斐もない少女のような願いを秘めているうちに、あっという間に時が流れてしまった。
けれど私は、ようやく出会うことになる。
目が覚めるような黒い髪をした、一人の王子様と――。
「紹介しよう、妾の婿殿のヴァルとその嫁候補達じゃ」
「……あらあら、カーミラにもようやく春が来たのですね。おめでとうございます」
友達のカーミラが連れてきたのは、思わず言葉に詰まってしまうほどに綺麗な少年だった。
年に一回あるかないか程度ではあるけれど、男の人を見ることはある。
時折道に迷って船が以外の人間の男を見るのは、ずいぶんと久しぶりだった。
私にとって人間の男性は、身なりに頓着せず、髭がぼーぼーに生え、体臭もすごいものだという認識があった。
けれどヴァルさんは、そんな普通の人間達とは違っていた。
きちんと清潔感があり、その顔はたまのように美しい。
そして彼はただ綺麗なだけではなく、マーメイドの男達にはないような力強さを兼ね備えていた。
マーメイドという種族を預かるプリマドンナとして、その身に宿している強さを感じずにはいられなかった。
彼の名前はヴァルというらしい。
カーミラ、本当にいい人を見つけたな……ちょっとだけ、羨ましい。
その後、なぜかカーミラの勧めでヴァルさんが私達マーメイドの悩みを解決してくれることになった。
相手は深海に棲まう伝説の魔物、クラーケン。
決して触れてはならぬと語り付かれているほどに有名な凶悪な魔物だ。
早い時点で存在に気付けたのは幸運だったけれど、現時点で既に数人の精鋭達が帰らぬ人になってしまっている。
なので私はやめておいて欲しかったのだが、カーミラもヴァルさんもやる気なので止めるのも難しい。
海の戦闘の難しさを教えて大人しくなってもらおうとしたのだが……ヴァルさんは想像していた通りに、しっかりと強かった。
海の中で呼吸ができるようになれば、深層の魔物であっても問題なく倒せてしまうほどに。
もしかしたら、彼ならやってしまうかもしれない。
数日一緒に過ごしていくうちに、そんな風に思っている自分がいることに気付く。
そして私の思いがただの希望的な観測ではなく事実であったことを、私は知ることになる。
「サンダーロード・オーバーライド!」
私の目の前で、奇跡が起きていた。
海の災い――海魔とも呼ばれるクラーケン相手に、一方的な戦いを続けるヴァルさんの姿。
私が必死になって魔法を使っているうちに、戦いは終わってしまった。
本当になんの危なげもなく、クラーケンの討伐は完了してしまったのだ。
「……(ぼーっ)」
私の目は、気付けばヴァルさんのことを追っていた。
戦闘が終わっても、戦っている最中のヴァルさんの背中が、目に焼き付いて離れない。
男性としてはさほど大柄ではないはずなのに、ヴァルさんの背中は出会った頃よりもずっとずっと大きく見えた。
クラーケンを引き揚げると、当然ながら島では大騒ぎになった。
ただ強いだけではなく、クラーケンはその美味しさでも有名だ。
イカ型の魔物では深層に生息しているキングスクイッドなどがあるが、クラーケンはそれとは比べものにならないほどに美味しいらしい。
巨体をなんとかしてぶつ切りにしてから陸地に乗せると、そのまま宴を執り行うことになった。
皆で獲っていたお魚やアマゾネスの方達が持ってきてくれたお肉も使い、BBQ大会が始まる。
私達は基本魚を生で食べることが多いが、今回はヴァルさん達がいるのでしっかりと火を通して食べるべきだろう。
「ん……俺も少し、生で食べてみてもいいか?」
「は、はいっ、もちろん大丈夫ですよ」
意外だったのは、待ちきれずに生食をしているマーメイド達を見たヴァルさんが、お魚を生で食べようとしたことだ。
他の人達の反応を見る限り、やはり彼だけが特別変わっているらしい。
なんとなく他の子達に任せたくないと思い、手ずから包丁を使い魚を捌いて皿の上に乗せていく。
「ヴァ、ヴァル様! 本当に食べるのですか?」
「ん? ああ、心配はない。もし寄生虫が居ても、光魔法で治してもらえばいいしな」
陸に住む人達からすれば、生魚はどちらかと言えばゲテモノ料理のような扱いを受けているということは知っている。
けれどヴァルさんは本当に気にした様子もなく、刺身を口へと運んでみせた。
「~~っ! 美味い! しょうゆがないのが痛いが、塩で食っても十分に美味いぞ!」
一瞬私達に配慮したのかとも思ったけれど、どうやらそんな様子もなく、ヴァルさんは本当に美味しそうに刺身をパクパクと食べていく。
「ララも食べるか!?」
「い、いえ、私は焼き魚をいただけたらと……」
「カーミラはどうだ!?」
「だ、大丈夫じゃ」
そんな様子を見て周りにいる人達は引いているけれど、私はむしろ彼の好感度が更に上がった。
マーメイドの食文化にも理解があり、その上あれだけの強さがあり、困っている私達に手を差し伸べてくれる。
こんな人、探そうと思っても他にはいないだろう。
(本物の、王子様……)
ぼーっと彼のことを見つめていると、その隣にいたカーミラがちょいちょいと手招きをしてくる。
そちらに近づいていくと、彼女はぼそぼそっと耳元で、
「リリィ、お主ヴァルに惚れたか?」
「そ……そそそそそそそんなことないですけど!?」
嘘をつきました。
気になっている……というのは間違いないと思う。
だってあんな人、今まで私の周りにはいなかったもの。
私の動揺を見たカーミラが笑う。
「よいよい、あれの戦う姿を見た妾も、同じじゃったからな。魔物の性質を強く受け継ぐが故か……魔人は強き者に惹かれるものじゃ」
たしかに、魔法を使ってクラーケンを倒すその後ろ姿は、あまりにも格好よすぎた。
彼は正しく物語の中の英雄そのものだった。
彼以上の異性なんて世界中どこを探してもいないと、今なら断言できる。
「安心せい、人間界は一夫多妻が許される世界じゃ。あそこにいる二人もヴァルの嫁候補じゃしな。もし良ければ、リリィもその中に入るとええ」
「……」
強い雄が複数の雌と番うのは、自然界では当たり前のこと。
カーミラがいるのだからと一歩引こうとしていたけれど……いいのだろうか。
ヴァルさんと一緒になることができたら……どんなに幸せだろう。
もしそうなったら私も掴むことができるだろうか。
物語の中の人魚姫のような幸せを。
一度その考えが頭をよぎれば、二度と頭から離れることはなく。
私はその魅力的な提案に抗う術を持たず、ヴァルさんと一緒にいる未来を想像し……気付けば小さくこくんと頷いていたのでした――。




