表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

最終話 世界で一番うらやましい追いかけっこ

 

 

 僕――春川 優里(はるかわ ゆうり)は、黒板の横に貼り出されている「掃除当番表」を食い入るように見つめていた。

 

 今日、教室のゴミを回収した当番の名前。それを確かめれば、相沢くんより先に消しゴムを回収した人がわかるはずだ。

 そこに書かれていた名前を見た瞬間、僕は衝撃に身を震わせた。


(……今日の教室のごみ回収の当番は“朝比奈すみれ”さんだ……!)


 つまり、ゴミ箱に捨てられた僕の消しゴムを拾えたとすれば――。


(今しかない。聞かなきゃ……!)



 ――その日の放課後。


 僕は悶々としていた。結局、五時間目も六時間目も終わってしまった。


 夕暮れの光に照らされる教室で、彼女は机の引き出しから教材を鞄に入れて帰る準備を始めていた。髪が夕日に透けて金色に見えて、胸が苦しくなる。


 本当に朝比奈さんが僕の消しゴムを持っていたとして、その先は……。

 もし、彼女が消しゴムの中の僕の名前と彼女自身の名前を見ていたら……。


 そんなことを何百回も脳内でシミュレーションするたびに、僕は怖くて席を立つ勇気が出ない。

 すると僕の後ろから相沢くんが静かに言った。


「大丈夫。絶対上手くいくから。頑張って」


 僕は頷いて勇気を振り絞って彼女に歩み寄った。


「……あのさ、朝比奈さん」


 僕が話しかけると彼女もどうやら驚いている


「ひゃ! ど、どうしたの、春川くん!?」


 月並みな言葉だけど、ものすごく緊張した。でも、今は退けない。


「……今日の掃除のとき、ゴミ箱から……何か、拾ったりしなかった?」


 一瞬。彼女の目が大きく見開かれた。だけどすぐに笑顔を作り直し、首を振る。


「え? なにそれ、どういうこと?」


 ごまかすような声色。


 だけど、僕の目はソレを見逃さなかった。彼女のペンケースの隙間から、あの白地に黒文字の紙ケース――『MONOKURO』の文字がちらりと覗いたのを。


(……やっぱり! 朝比奈さんが持っているのは、僕の消しゴムだ!)


「それ……もしかしたら僕のじゃないかな。新品の『MONOKURO』、今日、なくしちゃって……」


 僕が踏み込むと、朝比奈さんは慌てて筆箱を閉じた。


「ち、ちがうよ! これは……私の!」

「でも、これは!」


 僕は彼女の筆箱へ手を伸ばそうとする。 


「だめっ! 見せられない!」


 思わぬ“攻防戦”に、僕の胸はドキドキと高鳴った。


 彼女は真剣な顔で筆箱を抱きしめている。


 だが、僕も引くわけにはいかない。


「紙のケースをとって見せてくれればすぐわかるんだ。もし、本当に僕のじゃなかったら、それでいいから!」


「……それは私が困るの……!」

「なんで!?」


 問い詰めると、彼女はしばし唇を噛み。


 僕の前を横切って教室から全速力で出て行ってしまった!


(えええぇぇぇ!? なんで!?)


「え、ちょ、ちょっと待って!?」


 慌てて僕も後を追う。

 廊下を駆け抜ける彼女の後ろ姿。廊下には夕日が差し込み、伸びた影が長く床に揺れていた。


 曲がり角を抜け、階段を駆け下り、飛び込んだのは図書室。


「しーっ! 走らないの!」


 司書の先生に怒られそうになり、僕らは慌てて口元を押さえて小走りに移動。

 本棚の間に隠れた彼女を見つけ、僕は思わず声を張り上げた。


「これ以上は無駄だよ、朝比奈さん!」


「やだ……っ! 見られたくないの!」


 彼女は顔を真っ赤にして、反対側の扉からまた飛び出していく。


 今度はパソコン室。無機質な蛍光灯の明かりが白く床を照らす中、パソコンの電源が点滅していて、妙に現実感がない。

 彼女は振り返りざまに僕をにらむ。


「追いかけてこないでよ!」

「いや、追いかけるって! だってそれは僕の消しゴム――」

「だから、それが困るのっ!」


 小さなやり取りが、どこか鬼ごっこのようで、僕は胸が苦しいのに楽しくもあった。


 そして最後にたどり着いたのは音楽室。


 窓からは赤く沈む夕日。グランドピアノの黒い艶が橙色(だいだいいろ)に染まっていた。

 彼女はピアノの前で立ち止まり、肩で息をしていた。僕も同じく胸が大きく上下していた。


「……はぁ……はぁ……朝比奈さんって足早いんだね……」


 静まり返った音楽室。校庭の生徒たちの声と、僕たちの荒い呼吸だけが響く。


「でも……もう逃げられないよ、朝比奈さん」


 そう言ったときだった。

 彼女が後ずさった拍子に、ピアノの足に軽くつまずいた。


「きゃっ!」


 次の瞬間、彼女はバランスを崩して床に尻もちをつき、その拍子に抱えていた筆箱を取り落とした。


 カランカラン、と音を立てて中身が散らばる。シャープペン、赤ペン、定規、クリップ……それらが四方に転がっていった。


 「だ、大丈夫!? 朝比奈さん!」


 そして――ひときわ目を引く白い四角が、床をすべるように僕の足元へと転がってきた。


 黒い文字で『MONOKURO』と書かれた紙のケース。間違いない。僕の消しゴムだ。

 音楽室の夕陽に照らされ、その白さはやけに眩しく見えた。

 

 僕は膝を曲げてそっと拾い上げた。


「……これ、やっぱり僕のだよね」


 彼女は顔を真っ赤にして、床に座り込んだまま目を逸らした。


「見せたくない!」

「だから……どうして――」


「……だって、その消しゴムには――私が書いた春川くんの名前があるんだもんっ!」

「――えっ……!?」


 全身が固まった。じわじわと耳まで熱くなるのがわかる。彼女が今なんと言ったのか。僕の名前が――この消しゴムに?


 でも待て。僕がその消しゴムに書いたのは、“朝比奈すみれ”の名前だ。


 と、いうことは――。


 僕は恐る恐る、消しゴムのケースに指をかける。


 彼女は観念したのか僕の方を見ていた。


 そして僕が紙のスリーブをゆっくりとずらす――。


 僕の人生で一番長い瞬間だった。


 そこにははっきりと“春川優里”の文字。


 それと同時に消しゴムの反対側の面を見ている彼女は、僕が書いた“朝比奈すみれ”の文字を見ているのだろう。


「うそ。私の名前……」

「こっちは僕の名前……書いてある……」


 僕は息を呑んだ。胸の奥で、熱いものが一気にこみ上げてくる。


 朝比奈さんも顔を真っ赤にして、指先をもじもじと絡めた。


「……その……小学生のころ、友達とふざけてやってたおまじないを思い出しちゃって。新品の消しゴムに好きな人の名前を書いて、誰にも見られずに使い切ると両想いになれるって……」


 彼女の声は震えていた。けれど、しっかりと僕の耳に届いた。


「私……春川くんの名前を書いたの。そしたら……」

「……僕もだよ」


 気づいたら口にしていた。彼女が顔を上げる。驚いた瞳と、真っ赤な頬。


「僕も……そのおまじないを信じて。朝比奈さんの名前を書いたんだ」


 しばしの沈黙。窓から降る夕日の光が、二人の間を染める。


「……じゃあ、私たち」

「……両想い、なのかな」


 言葉にするのは勇気が要った。けれど、言葉にしてしまえば、胸のつかえがすっと消えていく。


 朝比奈さんは小さく頷いた。瞳に夕焼けが映り込み、キラキラと光って見えた。

 僕は、手の中の消しゴムにはずしたケースをそっと再びつけた。

 

 小さな四角の中に刻まれた、僕たちの名前。その秘密が、奇跡的に僕たちを繋いでくれたんだ。

 窓の外、放課後の校庭を駆けていくサッカーボールの音が響く。

 

 僕はただ、目の前の彼女を見ていた。多分、彼女も同じ。


(もし本当にこのおまじないが叶うなら……僕は何があっても、この消しゴムを最後まで使い切るだろう。多分、これも彼女と同じ)


 教室に、チャイムの鐘が鳴り響いた。

 その鐘の音は、僕たちの新しい関係の始まりを現しているようだった。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

本作は「30分で読み切れる短編シリーズ」の一つとして執筆しました。忙しい毎日の合間や、ちょっとした休憩時間にでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

また、アキラ・ナルセのページ内「シリーズ」として、同じく【30分読破シリーズ】をまとめていますので、ぜひ他の作品もお楽しみください。

今後も、同じく30分程度で読める短編を投稿していく予定ですので、また気軽に覗きに来ていただけると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ