第2話 本気で消しゴムをさがす令和の名探偵
掃除のあとの給食の時間。
湯気の立つカレーライスを前にしても、僕の心は全然落ち着いていなかった。大好きなカレーライスをスプーンで口に運んでも、頭の中を通り過ぎていくのは“おまじない消しゴム”のことばかり。
(消しゴムが消えたのは三時間目以降で確定だ……)
三時間目は体育だった。本当なら外でバレーボールの予定だったが、大雨のせいで急きょ体育館に変更された。男子も女子も全員、筆記用具を机に置いたまま体育館へ移動した。
つまり——。
(もっとも“犯行に及びやすい時刻”は、体育が始まる直前の誰もいないこの教室……!)
僕は心の中で断言した。
スプーンを握りしめながら、推理モードに入る。
(この後の昼休みの四十分間で……僕は必ず、真犯人にたどり着いてみせる!)
決意を固め、カレーを胃に流し込みながら、頭の中で作戦を練った。
* * *
いよいよ捜査時間……いや昼休みの時間――
第一の捜査作戦は、『同じ銘柄チェック』
僕が持っていた消しゴムは「MONOKURO」という新しいシリーズの新品の消しゴムだった。真っ白で角も削れていなかった。
ならば、クラス内に同じ銘柄を使っている人間がいないか観察すれば、候補が絞れる。
昼休み、僕はさりげなく教室を一周した。机の上や筆箱の中を、何気ないふりをしながらチラチラと覗く。流石に勝手に人の物に触れることはできないからだ。
机の上に見えた該当者はとりあえず二人……坂本 良平くんと黒瀬 静音さんだ。
まず坂本良平くん。見るからにある程度使い込まれていて、サイズは2/3程度になっている。角もすっかり丸くなっていた。
(違うな。僕のは新品だった。坂本くんのじゃない)
次に黒瀬 静音さん。こちらはほとんど使われていない新品同然のMONOKURO。僕の持っていたものと状態が近い。これは要注意だ。
(……とりあえず話しかけて反応を見よう)
黒瀬 静音さん。
彼女はクラス内の可愛い子ランキング堂々の一位。艶やかな黒髪と吸い込まれるような瞳。スポーツも勉強もできて性格もいい、という完璧すぎる女子。普段なら僕が軽々しく話しかけられる相手ではない。
でも今はそんなことを言っている場合じゃない。
「や、やあ、黒瀬さん。今日のカレー、おいしかったね」
「えっと……春川くん? どうしたの、急に。珍しいね!」
声をかけると、不思議そうにだが笑顔で首を傾げる。その仕草すら洗練されていて、心臓が跳ねた。
(いかん。落ち着け僕)
「えっと、その……黒瀬さんの、その消しゴムなんだけど」
「あ、これ? 人気のやつだよね。どうかした?」
「それって、いつ、どこで買ったの?」
「え? あぁ、これはね——もらったんだよ。“お兄ちゃん”から。昨日の夜、私が消しゴムなくしたって言ったら、新しいのを買ってきてくれて」
「へぇ……優しいお兄さんだね」
「まぁねー。ちょっと過保護すぎるのが玉に瑕だけど」
彼女は優しく笑って肩をすくめた。答えは自然で、嘘の気配はない。普通、嘘をつくときは一瞬の間が生まれるものだが、彼女の言葉にはそれがなかった。
(……黒瀬さんは“白”。間違いない)
「そ、そうなんだ! ごめん、ちょっと気になっちゃって!」
僕は慌てて話を切り上げ、僕はその場を離れた。胸の鼓動を抑えながら心の中でつぶやく。
(じゃあ、僕の消しゴムはどこにいったんだ……)
次の捜査作戦は、『目撃者への聞き込み』
体育時間の前後。特に開始前に教室に出入りした人間がいなかったか、誰かが見ているかもしれない。
僕はクラス委員の森山 奈緒と田辺 信也に声をかけた。クラス委員は移動教室の際の生徒たちの動向を把握して、遅れている生徒の移動を促す役割があるからだ。
僕は二人を呼んで雑談風に、さりげなく聞き込みを始める。
「急にごめん。ちょっと二人に聞きたいことがあって。今日の体育の前って、教室を出るのが遅かった人や、逆に教室に戻った人、いなかったかな?」
森山 奈緒は首を傾げた。
「女子はみんな一緒に移動したし、戻った人はいなかったと思うよ」
一方の田辺信也は、少し考えた後で言った。
「ええっと。ああ、そういえば。体育の授業が始まる直前に、相沢くんが“タオル忘れた”って言って戻ってたのを見たな」
(……ヒットだ!)
相沢 陸。僕の後ろの席に座っている男子だ。
確かに彼なら僕が新品の消しゴムを持っていることを、席の位置から知っていた可能性が高く犯行にも及びやすい。
僕は拳を握った。
(よし、相沢くんに直接聞いてみよう)
* * *
廊下の窓際。風にあたっている相沢くんを見つけた。
彼はなぜか落ち着かない様子で、窓の外を眺めていた。
「……やぁ……。春川か。ど、どうかしたのか?」
呼びかけると、彼はぎこちない笑みを浮かべた。
その態度を見て、僕は確信に近いものを覚えた。
「……相沢くん。君だね。体育の授業の前に教室に戻って、僕の消しゴムを盗んだのは」
ピタリと空気が止まった。
彼は目を伏せ、しばらく黙り込む。やがて、小さくため息をついた。
「……まるでどこぞの名探偵だね。うん、俺だよ。本当にごめん」
やっぱり。
胸がざわめく。僕は問いを重ねた。
「どうして、そんなことを」
相沢くんは苦笑し、少し声を震わせた。
「だって……春川は、朝比奈すみれのことが好きだろ?」
僕は驚きで飛び上がりそうな勢いだった。
「え!? もしかして、僕の消しゴム……」
「いや、結局怖くて、中は見なかったよ。ケースを外して中を覗く勇気はなかった」
「じゃあ、なんで」
「俺はお前の後ろの席だ。春川、お前がしょっちゅう朝比奈のこと見てるの、知ってた。……実はね俺も、小学校のときからあの子が好きなんだ」
僕は言葉を失った。
相沢くんは窓の外に目をやり、かすかに笑った。
「だからこそわかるんだ。朝比奈は春川、お前のことが好きだよ。お前達はお互いに気づいてないだけで、両想いなんだ」
「そ、そんなこと……」
「いや、俺はお前に負けないくらい朝比奈を見てきた。だから断言できる」
彼は拳を握りしめ、悔しそうに言葉を続ける。
「今日、柏木と消しゴムのおまじないの話をしてただろ? そのあと、お前が新しい消しゴムに何かを書いてるのも見えた。見えなくても、誰の名前を書いたかなんて……わかり切ってる。だから俺は、焦って。つい、お前の消しゴムを盗んだ。そして教室のゴミ箱に捨てたんだ」
僕は目を伏せた。
静かな廊下に、二人の呼吸音だけが響く。
「春川、本当にごめん!」
相沢くんは頭を下げた。
その肩が小さく震えている。
僕はしばらく黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「……許すよ」
「え……そんな簡単に?」
「だって僕もわかるから。人を好きになるって、苦しいよね」
「春川……」
彼の目に、涙が浮かんでいた。僕は彼の肩に軽く手を置いた。
敵でもなく、ライバルでもなく、同じ気持ちを抱えた友として。
「じゃあ、教室のごみ箱の中をあされば僕の消しゴム――」
ここで僕は思い出した。つい先ほど、掃除の時間があったことを。
そのとき相沢くんが思い出したように言った。
「そう……俺もさっきそれに気づいてごみ捨て場に行って回収しにいったんだ。春川への罪悪感でね。俺達のクラス番号が書かれた袋を開けたが、どういうわけか消しゴムがなかったんだ。それを春川にどう言おうか、実はここで悩んでいたんだ」
消しゴムは、すでに誰かの手に渡っているのかもしれない。
(……じゃあ僕の消しゴムは、いったいだれが? いや、もう事件の解決の糸口は見えている)
キーンコーンカーンコーン――
そのとき、昼休み終了の予鈴が鳴ってしまった。捜査はここで一旦終了だ。
僕は相沢くんと五時間目の授業のために教室に戻った。




