2-5 佳祐の写真
守屋の撮影は午前中で切り上げとなった。午後は佳祐が撮るらしい。
一輝は出された弁当を見て思わず、やった、焼肉弁当だ!とうれしい声を上げた。わざわざ佳祐が地元の小料理屋に注文しておいて、車で受け取りに行ってきてくれたのだった。
「この辺は、別荘客向けだから……きっといい肉だと思うよ」
と、佳祐も微笑む。
「すげー、いただきます!」
一輝が嬉々として弁当のふたを開ける姿を佳祐が写真に収める。
一輝も開けた弁当をカメラに向けるようにして、 凡庸なポーズでその写真におさまった。
「ギャップがすごい」
と佳祐が笑う。いつもの感じだった。
「午後は少し晴れるみたいだね」とスマートフォンで確認しながら守屋が言う。仕出し弁当を箸でつつきながらも、頭の中は写真でいっぱいのようだった。
「一時間くらい休憩したら、再開しようか」
と言っておきながら、さっさと食事を終えて、リビングでノートパソコンを出し、何やら仕事を始めた。
守屋をリビングに残し、佳祐と山荘の周りを散歩して歩いた。雨は止んで、澄んだ空気の中、一気に木々の色味が濃くなったようだった。都会を遠く離れた山の中。なんだか小旅行感が出てきた。隣を歩く佳祐とあれこれ珍しいものを探しながら歩く。なんとなく二人で街をぶらついて歩いた学生時代を思い出す。
牛舎に牛が寝ていて、柵の中に数匹のヤギがいた。近くの畑に持ち主らしき人もいて、佳祐が撮っていいですか?と聞いたら、快く「お好きにどうぞー」と返してくれた。
「ねぇ、ヤギと撮ろう」
と一輝が言うと、佳祐がカメラを向ける。
「そうじゃなくて」
一輝は佳祐の腕を引いた。スマホを出して、二人で柵の前で自撮りをした。
「なんか小さくて、かわいいヤギだね、子どもなのかな。……待ち受けにしよう」と一輝がヤギを撮影して、スマホを操作する画面を見ながら、「おれと撮ったやつじゃなくて?」と佳祐が横から言ってくる。「じゃあそうしようかな」と一輝が冗談ぽく言うと、「や、やっぱ恥ずいな、いい歳して」と佳祐が言う。
「まあ、思い出だから」と一輝は目を細めた。
こんなに長く佳祐と過ごすのは久しぶりだった。つい、はしゃいでしまう。午後の撮影も頑張ろうと思った。
歩いているうちに、思ったより晴れてきた。
来た道とは別のルートから帰っていると、山荘の裏に小川が流れているのを見つけた。
「そういえば守屋さんの写真集……ヤマメってタイトルだよね、ここに山女魚はいるのかな?」
気になって小川を覗き込む。透き通った水だが、魚の影は見えなかった。その姿を見ていた佳祐が「午後はここから始めようか」と言った。
佳祐が守谷を呼びに行くのを待ちながら、一輝は木立の間から、日が差し込むのをまぶしく眺める。濡れた木々の香りが清々しい。
「休憩できた?」
守屋はやってくるなり、一輝の乱れてきた髪を櫛で直し始めた。
「はい、散歩してました。ヤギと牛がいましたよ」
と、先ほどの写真を何枚か見せる。ヤギを挟んで佳祐と撮った写真もある。
それを見て「楽しそうだね」と言いながら、守屋は制汗シートで、一樹の額を拭いて、パウダーをはたいた。その念入りさに、困惑しつつもされるがままになっていた。
「さっきの小川で撮りたい」
佳祐が二人を連れて川の前までやって来た。
「どんな感じで撮るの?」
「うーん」
守屋と違って佳祐には明確なビジョンはないようだった。
「なんとなくとってみるからさ、好きなものとか見ててよ」
一輝はわずかに困った顔をしたが、佳祐に「頼むよ」と言われて、どうしたものかなと考える。先ほど川魚を見つけられなかったから、もう一度澄んだ流れに目を凝らした。その横顔を佳祐は何枚か写真に収める。
「ザリガニとかはいるかな・・・」
一輝は岩をひっくり返す。
「あ、ほら、沢蟹だね」
「どれ?」
佳祐も水面を覗く。
「水がきれいなのかな?」
「確かにかなり澄んでるな」
一輝が水に手を入れる。冷たい水流が心地よい。佳祐も同じようにして、「結構冷たいんだな」と手を払い、水しぶきを、なんとなく一輝にかけてくる。「わ、」と顔をそらしながら、反射的にやり返そうとするが、佳祐がカメラを向けているので、やめた。
「防水だから」
カメラの下で、佳祐の口元が楽しそうに笑っている。一輝の咄嗟の気づかいを見抜いたのだろう。一輝も口角を上げると、「じゃ、遠慮なく」と水をすくって、佳祐に引っ掛けた。
「思い切ったな!」
とカメラから顔を離したあと、佳祐は濡れたシャツをはためかせた。わき腹がちらりと見えた。一輝は目を細めた。
守屋はその撮影風景を眺めていたが、自分自身も二人にカメラを向けた。守屋はあまり佳祐の写真には口出しをしないようだった。あくまで静かに見守るスタンスらしい。
撮影した写真をカメラの液晶で確認しつつ、佳祐が守屋にも見せる。
「うん、いいんじゃないかな。自然な感じで」
守屋は続ける。
「佳祐も撮ってて楽しいんじゃない?」
「そうですね」
と佳祐はうなずいた。
一輝は佳祐とキャンプ場に行った時のことを思い出した。あの時、家族の写真を撮ってやりながら、佳祐が楽しそうだったのを思い出した。
午前中とは違って、ほとんど遊びながらの撮影は、あっという間に終わった。
外での撮影を済ませて、山荘の中に戻った。
最後に守屋のパソコンで、今日の写真を振り返ることになった。
一輝は緊張しながら、守屋の撮った写真を見た。自分がモデルになっていても、さすが、プロの写真家だな、と感じた。一輝の視線は不安げだが、見るものの心をさざめかせるようなものがある。しっとりとした山荘の空間と、一輝の色の白さや、控えめな感じが調和している。「やっぱりきれいだな」と、佳祐が一言こぼした。一輝はさすがに赤面した。
佳祐が撮った写真は外の明るい景色の中で、リラックスした自然体の写真だった。跳ねる水しぶきや、童心にかえったような笑顔。
夕方の気配が出てきた空を見上げる、少し切なげな表情。この写真を撮った時、佳祐との時間ももう終わりが近づいているのを感じていた。精巧に作られた空間の中に閉じ込められたのではなく、開放的で自然な姿が写真にあった。
佳祐は、そういう何気ない一瞬をとらえていきたいんだと感じた。当たり前だけど、愛しい一瞬を。
「親父も写真館やっていたからな」
佳祐は自分の道筋を見定めるように呟いた。
「それが、お前らしさなのかもな」
守屋は言って、「おれも、おちおちしていられないな」と、眩しそうに佳祐の写真を眺めた。