2-2 展示会の後で
「昨日、美波が展示会に来たんだよな」
「そうだったんだ」
一輝は自分より彼女のほうが先なことに胸にチクリとした痛みを感じた。
「あいつ、お前の写真を見て、『何で私を撮ったほうのやつじゃないんだ』って笑ってた」
「それはそうだ」
カジュアルだが静かなレストランバーで向かいあって座った。一輝が静かに話したかったから予約した店だった。
「ところで本当に結婚するのか」
さっそく一輝は聞きたかった核心に触れた。ここ数日、煩悶していたことだった。
「あー、多分そうなると思う……もうお互いいい年だし、結婚するんだったらまた付き合うって言われたんだよな」
佳祐の言う言葉を一つ一つ、しっかりと追っていった。
「そうなんだ。いい加減落ち着いた方がいいよな」
そして、本心ではなくとも、口がそのように勝手に動いていた。なんどもシミュレーションした通りに。
こういう日が来るだろうとは思っていた。その覚悟が決まりすぎていて、案外自分が動揺していないのに、一輝自身がむしろ驚いていた。
「一輝ははどうなの」
佳祐は落ち着き払った一輝の様子が予想外だったのか、片眉を上げつつ、聞いてくる。
「おれはまあ、いいよ」
と、一輝は曖昧に笑った。胸の痛みを誤魔化しながら。
一輝はふと、周りのテーブルに目をやった。
皆、酒を飲みながらゆっくりと語っている。折角だから、佳祐といろいろなことを話したかった。一輝は話題を変えた。
「今仕事は何してるの?」
「守屋さんについて回ってるかな。もともと山梨に会社とスタジオがあるけど、今、守屋さんの知りあいの写真家が海外に撮影行っているから、東京のスタジオも管理任されてるんだよね。何かと忙しいんだ」
「二拠点だと大変だね」
「そうなんだよ。あとは、最近守屋さんが写真集を出すっていう話になって、そっちは主に山梨のアトリエ付近で撮影をしてるから、その補助とか」
「……佳祐は守屋さんみたいな写真に憧れてるの?」
先ほど眩しそうな目で作品を見ていたのを思い出して、聞いてみた。師匠というからには、きっとそういう思いがあるのだろう。
「確かに人物の撮り方とか、勉強になるけど、なんだろうな……何を撮りたいのか……最近は忙しくて、あんまり考えられてないかな」
淡々とはしているが、そのつまずきつつ話す感じに苦悩が垣間見えた。
「大変なんだね」
「まぁな、」
佳祐が遠くを見つめる。つられて、一輝も窓の外を見た。夜景が煌めいている。会話の途切れた二人の間にジャズピアノが静かに入り込む。その沈黙すらも、長い付き合いの二人の間では穏やかに過ぎていく。
「お前も大変だな」
しばらくして、佳祐にそう投げかけられる。
「なにが?」
と一輝は視線を戻す。佳祐はいたずらっぽく笑っていた。
「いや、一輝もおれが結婚したら寂しくなるなって」
「どういう自信だよ」
ずっと前佳祐を好きだと気づいた日から、いつかはこうなることが分かっていた。佳祐に告白もしないのは、 せめて友達として一緒にいたいという思いがあったからだった。その覚悟が決まっていたから 思ったよりも あっさりと自分の中で受け入れられた。
一輝が穏やかな表情を崩さないので、佳祐の方がどことなく肩透かしにあったような顔をしている。
「結婚したら今までみたいに簡単に遊びに行けないだろうな」
とか、
「子供が生まれたらきっと家族サービスでますますお前に会えなくなるな」
と、佳祐はちらちらと一輝の様子を見ながら試すように言ってくる。
「贅沢な悩みじゃないか」
そのうかがうような視線が気になりながらも、一輝は自分でも上手に笑えていると思った。
ちょうど食事を終える頃、守屋が合流した。食事を軽く済ませてきたということで、そのまま店で飲むことにした。守屋が甲州ワインを頼んだ。口当たりの良い酒を飲みながら、先ほど展示会で感じた一輝の緊張も少しはほどけた。
一通り今日の展示会の感想を話し合った後、チーズをつまみながら、守屋が切り出した。
「2人は学生の頃から友達なんだよね。仲がいいんだね」
そう言って、一輝の方を見つつ、聞いてくる。
「一輝君は佳祐とあんまりタイプが違うと思うけれども、どんなところで友達なの」
佳祐が先に答えた。
「意外と一緒にいるとなんか落ち着くって感じですかね」
一輝が少し考えてから、
「性格が違うから、あんまりぶつからないというか。あと佳祐は気が強いから、おれくらいのじゃないと付き合いが続かないんじゃないかなって思います」と言うと、守屋は笑った。
「 そうなんだ」
「まぁ確かに一輝は優しいからな」
守屋は頷いた。
「佳祐を甘やかしちゃうんだね……お母さんみたい」
お母さんという言葉が妙にしっくり来て一輝も微笑した。
「確かにそんな感じですね」
雑談しつつ、話題は守屋がしたいと言っていたあの夏の写真の話になる。
「あの佳祐が高校のときにまとめたポートフォリオだけどさ」
と、守屋が切り出した。
「写真に出てきた女の子は、一輝くんの彼女?」
「いや、違いますよ」
一輝は笑いながら佳祐を見た。そんなことも守屋に話してなかったのかと、佳祐を見る。佳祐は苦笑いしていた。
「あれは佳祐の彼女です」
「彼女って、当時の?」
「今もその話してたんですけど ……付き合ったり別れたりを繰り返して、……ついに今度結婚するんだよな」
と佳祐に振ると、慌てたように付け加えた。
「かもしれない、っていう感じですね 」
守屋は僅かに驚いたようだった。
「それは良かったね!ていうか佳祐も言えよな、 いつプロポーズ したの?」
「いやそれはまだで……」
「そうなんだ、じゃあいつ頃?」
「まだ具体的には……」
佳祐は困ったように、ちらりと一輝を見た。
一輝も意外に思った。てっきりすでにプロポーズの段取り位はできているのかと思っていた。守屋に話していないというのも気になったが、それはそういうものなのかと思った。師弟関係はよくわからない。
「それなのに結婚するつもりでいるの?向こうから断られるかもしれないじゃん……早めにしておきなよ」
守屋に相槌を打つように、一輝も頷く。
「それはそうなんですけど……」
佳祐はいかにも歯切れが悪かった。
ちらちらと一輝の様子を伺う。
先程から佳祐の視線が気になる。
……もしかして、自分に気を使っているのか。佳祐の試すような口ぶりや、一輝の様子をうかがう視線の意味を勘ぐってしまう。
けれど、佳祐はいつもそうやって思わせぶりなことをしてくるから、一輝はその考えを追い払う。
その二人の様子を見ながら守屋はあっけらかんと言い放った。
「あの一輝君の写真だけどさ、なんかこっちを見てくる、熱量っていうか、視線が普通じゃない感じだから、おれ、てっきりか一輝君と佳祐が好きあってんのかと思ってた」
思わず二人とも沈黙をしてしまった。ピアノの音だけは 間に入ってくる。
一輝は動悸がした。
少し経ってから、やっと佳祐が得意げに切り出した。
「そうなんですよ、こいつおれのことすごい好きなんですよ」
「だから、その自信はどっから来るの?」
佳祐はいつものように冗談にしてしまうことにしたらしい。一輝も合わせて笑った。
でも守屋だけは真剣な顔だった。
「そうなんだ 。じゃあ一輝君も佳祐が結婚したら寂しくなるね」
「いや だからその……」
その真面目さにたじろいで、一輝が言葉に窮する。
「まあ 飲みなよ」と守屋はワインを勧めてきた。