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2-1 展示会にて


 

 一輝はiPadでバスケットボールの試合を見ていた。つい目で追いかけてしまう選手がいる。浅黒い肌の目鼻立ちがはっきりした選手。最近応援しているプロチームの一人だった。佳祐に似ている。なんだか勝手に懸想していて申し訳ない気もする。けど、心に空いた穴を埋めるには、そうでもしないとやりきれなかった。


"美波とまた付き合った。今度は結婚すると思う"


 この前、佳祐から久しぶりに来た連絡がそれだった。


 今日の午後、佳祐と半年ぶりに会う予定がある。きっとその件の続きを聞けるだろう。

 一通りの家事を済ませても、まだ時間に余裕があった。落ち着かない気分で何度も時計を眺めていたが、何もしないよりは、とバスケットボールの試合を見ることにしたのだった。



 一輝が自ら希望を出し、東京の事業所に異動して3年は経つ。我ながら呆れてしまうが、異動願を出せる機会に恵まれて、一輝がその選択をしたのは、佳祐がこちらにいるからというのもあった。ただ、佳祐の方は、専門学校を卒業後、写真家に師事しており、多忙のため、年に数回程度しか合う時間は取れなかった。



 一度だけ、休暇の合った夏に、二人でキャンプに出かけた。佳祐がやたらと花火を買い込んで来たのを覚えている。「男二人でこんなにどうすんだよ」と一輝は呆れた。結局、その花火はほとんどキャンプ場に来ていた子どもたちに配った。まるで「夏のサンタさんだな」と佳祐は笑っていた。

 その後、佳祐は親達のスマートフォンで写真を撮ってやり、ちゃっかり「今度記念写真を撮るときはぜひ!」と名刺を配っていた。そんなやり口もあるのかと一輝は呆れを通り越して感心した。

 あの夜は、肘が触れるくらい狭いテントの中で、何ともなく遅くまで話し込んだのを覚えている。


 佳祐はその時も、また美波とヨリを戻しており、地元と東京に遠距離になっても、ついたり離れたりという間柄らしかった。「もう結婚すれば」と一輝が言うと、佳祐は一度、一輝の顔をまじまじと見返してから、やがて笑った。そして、目を逸らして「まぁな、」とだけ答えた。


 それがついに本当になるとは。目はバスケットボールの試合を追いかけていても、あの夜の佳祐の笑顔を思い出していた。



 午後は、佳祐の誘いで渋谷のアートギャラリーに行くことになっていた。佳祐が師事する守屋が主催を務める若手写真家達の展示会に呼ばれていたのだった。


 小洒落たアートギャラリーの受付に、佳祐がいた。久しぶりなのに、「よぉ」と片手を上げるだけの挨拶だった。しかし、その相変わらずさにも、一輝は会えて嬉しかった。


 折角だからと、一輝は佳祐と共に入口から順に一点ずつ作品を眺めていった。一輝は芸術には疎いが、写真は撮る人によってこうも違うのだなと感心した。


 進んでいくと、ついに佳祐の作品に出会った。高校の頃よりも洗練されていたが、なんだか郷里に帰って来たような落ち着く感じがあって、他の写真よりも、その世界に入っていきやすかった。

 

 『彼女を探して』という題の一連の作品だった。人で賑わうお台場の午後の公園や、忘れ去られたようなどこかの団地の公園、夕暮れの公園が舞台だった。どの写真にも同じモデルの女性が写っている。ベンチに腰かける背中や、錆びた鉄棒に触れる腕、ブランコに乗って揺れる脚。けれど彼女の表情は見えない。そして、最後の一枚は誰もいない公園の写真だった。


 見つけられない彼女の姿に、不在という事実を強く突きつけられる。


 その喪失感が、切なく胸を打った。


 一連の写真が途切れたあと、『Memory』と題された一枠だけ別になった写真があった。それは、高二の夏、海浜公園で自分がモデルになって、佳祐が撮ったあの写真だった。


 その前で、一輝は思わず足を止めた。あ、と声が出そうになる。


 展示会に出すという話は聞いていたし、佳祐の撮った写真なのだから、それを出すと言われたら一輝には断る資格はないと思っていた。


 しかし、改めて自分がモデルになった写真がこのように展示されると気恥ずかしかった。写真のなかの自分から目を逸らした。


「今回のはオマージュなんだ」

 苦笑交じりに、佳祐は言った。

「いや、というか自己模倣かな。最近忙しくて、なんというかスランプ気味でさ。……守屋さんから勧められて、一輝のあの写真を頼りに、いくつかの連作を撮ってみた」


「全然、スランプとは思わないよ。おれは好きだけどな」


 と思ったままを伝えた。


 「ありがとうな」


 佳祐は素直にそう言って、照れくさそうに笑った。


 その感じが学生の頃から変わらない。

 懐かしさに包まれて、一輝はもう一度だけ、自分の写真を見つめた。




「もしかして、君がこの写真のモデルの……佳祐のお友達?」

 背後から声をかけられた。振り返ると、一回りほど年上の男が立っていた。オールバックのショートヘア、シルバーのピアスというなかなかに洒落た出で立ちだった。一輝の顔を見て「やっぱりそうだね」と白い歯を見せて笑う。


「守屋さん、」

と佳祐が言った。どうやら、佳祐の師匠の写真家らしかった。


「はじめまして、佳祐の、同級生の片瀬一輝です」

「守屋浩介です。どうも」

と、守屋が右手を出してきたので、握手を交わした。力強い握手だった。

 

 改めて一輝は守屋を見た。

 彫りの深い浅黒い肌は佳祐に似ている。ただ、服に頓着のない佳祐に対してファッションには気を使っているようだ。革のジャケットやジーンズの中に、シックなシャツを着こなすこなれた様子は、いかにも芸術方面の仕事をしている人間らしかった。


「佳祐から聞いていたよ、来てくれたんだね」

と朗らかな声で守屋は言って、気安く一輝の肩を軽く叩く。


「いえ、こちらこそ招待いただいて」

とおずおず一輝が答える。


守屋はまるで往年の知り合いのように一輝の肩に手を置いて、写真を眺めた。

「この写真、いいよね、なんか青春が滲んでるって感じでさ」


「……はぁ、ありがとうございます」

その勢いに押されつつ、一輝は自分が撮ったわけでもないのだが、とりあえず、礼を述べた。


「それにしても、」

と守屋は目を細めて、一輝の顔を見つめた。その絡みついてくるような強い視線に一輝はどきりとする。写真家としてレンズ越しに被写体を見つめる眼差しも、きっとこのようなものなのだろうと、感じさせられるような視線だった。


 守屋はやがて、写真に写った一輝と見比べて、感嘆のため息を付いた。


「こん時もきれいだけど、今でも変わらないね」


 あまり堂々と男性にそのように褒められることはないから、一輝は困った。


 咄嗟に佳祐を見る。


 助けを求めるようなその視線に佳祐が応えてくれた。


 それとなく守屋と一輝の間に入り、「守屋さん、声大きいですよ」と宥めるように言った。守屋はその指摘も気にもとめず、豪快に笑う。


「あの写真、俺すごく推してるから、君とも話してみたかったんだよね……ここで話し込むのも何だからさ、よかったら今度三人で飲みに行こう」

と、二人の背中を軽く叩いて、「ゆっくり見てってね」と受付の方に戻っていった。その背中を見送ってから、佳祐が教えてくれた。


「守屋さんが、写真学校の講師をしていたときから、世話になってるんだ。……ああ見えて、結構すごい人なんだよ」



 写真学校の特待生試験の時、佳祐が提出した一連のポートフォリオの中でも、特に一輝の写真に目を留め、「この写真も全国コンテストに出せば、金賞が取れたかもね」と言って、推薦した教員が守屋だったらしい。


 一通り佳祐と他の写真も見て回った。最後に何点か守屋の写真が展示されていた。

 女性が何かを待つような、期待めいた表情で座っている。けれども背景は朽ちかけたどこか山間のテラスのような場所だった。廃墟めいた建物と、女性の瑞々しい、笑顔を浮かべる唇や、透き通った肌のコントラストが強い写真だった。

 まるで、写真の中から、彼女が腕を伸ばしてきそうだ。そして、その生暖かい手に、掴まれてしまったら、きっとどこか得体のしれないところに引っ張られていくに違いない。


 その肉体的な表現に、一輝はたじろいだ。


「この色の出し方とか……なんか、すごいね」

とようやく感想を言うと、佳祐はその恥じらいを見抜いたように笑った。


「何か守屋さんの写真は、その辺がすごいんだよな、生々しいっていうか。真似できないよ」


 守屋の写真はひと目で見るものを、何処かに連れて行くような妖しくも甘美な魅力がある。確かに佳祐の言う通り、すごい写真家なのだろう。


 佳祐は尊敬するような目で、守屋の写真を眺めている。先程自分でもスランプだと言っていたが、師匠との力量の差に途方に暮れているのかもしれない。


 それでも、と一輝は思う。守屋とは違って、どこか素朴な雰囲気がある佳祐の写真の方が自分は好きだった。ふと先程の守屋の視線を思い出して、それを払うように軽く首を振った。


 どことなく肩を落としたような佳祐の肩に手を置いて、

「おれは佳祐のほうが好きだな」

と伝えた。佳祐は「そうか」と本気で照れたようだった。



 すべての写真を見終わって、受付の方に戻ると、守屋に声をかけられた。

「お疲れ様、どうだった?」

と、守屋は屈託のない笑顔でそう聞いてきた。どうも先程のものすごい写真を取った人物には見えない。

「なんというか、色が綺麗でした……」

と、一輝が控えめに感想を伝える脇で、佳祐が堪えきれずに口角を上げながら、「一輝は守屋さんの写真の前で絶句してましたよ」と、守屋の耳に入れる。

「本当かい」

と、守屋は嬉しそうに言った。


一輝はなんだか恥ずかしくなって俯いた。頬が熱くなる。


 すると守屋は、目を細めて一輝の顔を見た。その時、今までの守屋の印象とは違う、なにか空間の切れ目から、覗いてくるような鋭さを感じた。まるで自分が彼の作品の中にすでにあって、その中に閉じ込められているとでも言うような。


「一輝くんは感受性豊かなんだね」

 観察するようなその目で見られると、まるでカメラのレンズを向けられたように、背中に緊張が走る。


 ふと、肩の力を抜くように、守屋は微笑んでから、佳祐に聞いた。

「もしかして、このあと二人で飲む予定なの?」

「その予定でした」と、佳祐が答える。


「おれも、片付けとか済んで、間に合うようなら合流していいかな?」


「えっと、一輝が良ければ……」

と、佳祐がちらりと一輝の顔色をうかがってきた。


 佳祐は一輝に判断を委ねるということだろう。折角の二人きり

だから、できれば遠慮したかったが、師匠の誘いを無碍にもできない。

 一輝は笑顔を作って「ええ、もちろん」と頷いた。


 内心では先程の守屋の写真を見たときと同じような、なにか得体のしれないものに、手を引かれてしまっているような気がしていた。




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