1-3 白熱と眼差し
アルバムを捲っていくと最後の頁に来た。佳祐が一輝の隣で写真を指さして、「この写真は専門の先生にもわざわざ褒められたんだ」と言った。「こっちも全日本に出す写真に入れたら、金賞取れたかもって」ならば何故入れなかったのかと、一輝は言えなかった。それが自分の写真だったからだ。写真の中の自分が、苦しいような目でこちらを見返してくる。
あの後、浜辺から離れて、近くの海浜公園で撮影をした。その途中に美波が「暑いし、飲み物を買ってくるね」とその場を外した。疲れてきた一輝が木陰に入って木に背中を預けると、すかさず佳祐が一眼レフを向けた。
「おれのことは別に撮らなくていいだろ、美波が主役なんだから」
と、一輝はため息を付いた。
佳祐は「一輝を撮りたいって言っただろ」とはっきりと返した。そして、手の甲で自分の額の汗を拭った。シャツの襟元をパタパタと仰がせ、「にしても、暑いな」と言った。
一輝はぼんやりと佳祐の鎖骨あたりを眺めていたが、彼がこちらを見たので、我に返って視線を逸らした。
一輝の視線に気づいていたのかいなかったのか分からないが、佳祐が近づいてきた。
「一輝。お前の首んところも、見てて暑い」
そう言って、一輝の首元に手を伸ばして、すでに一つだけ開けていた襟のボタンを、さらにもう一つ外した。
佳祐の指が一輝の鎖骨のあたりに触れた。
一輝は思わず身を固くした。
佳祐は目を細めて笑い、一輝の襟を崩すように手を動かしつつ、わざと手の甲で首筋に触れた。そのまま猫にするように何度か、首のあたりを撫でる。しばし一輝の息が止まった。佳祐の節っぽい手の甲の感覚以外は、暑さも、鳴り響く蝉の声も、何も感じなくなる。
「……やめろよ、くすぐったいだろ」
どうにか、声を絞り出した。
てっきりいつものように、冗談だ、と笑うかと思ったら、佳祐はそのまま真剣な目をして、一輝の手を引いた。
暑い夏の日、田舎にある公園だというのもあって、二人の他には誰もいなかった。彼らは日差しを受けて、白光りするような遊具の間を歩いてった。
佳祐は公園の隅にあるグローブ・ジャングルの前に一輝を立たせた。
「向こうから撮るから、こっちを見ていて」
そう言って、球体の反対側に回って、カメラを構えた。
一輝はカメラ越しに見られているという羞恥心と、体の奥で何かが燻っているような、ぞくぞくした感覚に戸惑って、俯いていた。
「一輝、おれを見て」
格子の向こうで一眼レフカメラを構えた佳祐が言った。腰につけた撮影カバンからカメラ用のフィルターを出して、レンズの前にかざす。それを手元を見ないでやってのける。
カメラに隠れて佳祐の目は見えないが、真剣な声からして、本気で何かを撮ろうという気持ちが伝わってくる。佳祐が前に踏み出して、格子の中にレンズが入る。日に当たって熱せられたグローブ・ジャングルの鉄の格子に体が触れて、熱いだろうに、それにも構わず何度かシャッターを切る。
「一輝、おれの名前を呼んでみて」
「佳祐、……もう、いいだろ」
「あと少し……もう一回、」
恥ずかしさに耐え切れなくなりそうな一輝だったが、佳祐の焦れたような切ない声に、なんとか応えなければならないと思った。
「佳祐……」
一輝も少しだけ前に踏み出して、格子を掴んだ。思った通りに熱い。照りつける日差しも、カメラの向こうから感じる焦れたような視線も、すべてが熱い。蜃気楼みたいに溶けてしまいそうな意識の中、一輝は鉄の格子から手を離して、佳祐に手を伸ばして、……そして、触れたいと思った。
佳祐がシャッターを切る音だけが、辛うじて現実に繋ぎ止めていた。
「……よし!」
永遠とも思える時間の後、やっと佳祐がカメラを下ろした。一気に気が抜けて、一輝は軽くめまいを感じた。
けれども、「いい感じに撮れたと思う。ありがとうな」と、佳祐が屈託なく笑うので、いつものように、やれやれと安堵のため息を付いた。
そのあと美波が買ってきてくれたスポーツドリンクのペットボトルを持ちながら、一輝が無意識に掌を冷やすようにしていると、彼女に理由を問われた。「写真を撮った時に、日差しで熱くなっている遊具を触らせてしまった」と佳祐が白状して、美波が呆れて佳祐を軽く叱った。そして、同じように一輝を見て、困ったような笑い顔で、「全く、一輝もよく付き合うよね」と肩をすくめた。
出来上がった写真は、フィルターの効果もあってギラつく白光が抑えられ、柔らかい印象に仕上がっていた。背景に映り込んだ遠くの青空や、近景の公園は、蜃気楼に霞んでいるかのようにぼやつつも、焦点は強く一輝の視線を捉えている。
グローブ・ジャングルの格子を掴んで、その鉄軸越しに、カメラを見返す一輝の表情は、明るい空とは対象的に不安げに切ない。
今その写真を見ると、なんでこんなに真剣だったのか、と照れくさくなった。早くアルバムを閉じてしまいたかったが、佳祐は作品の出来に満足気に眺めているから、そうもいかなかった。