第4話 羆
倉庫に詰めかけた三百人の暴徒たちが荒々しく武器を振り回す。手に手に角材や鉄パイプを以て悪童隊の五人に襲い掛かる。
右左、振り下ろされる暗器の数々を少年たちは敏捷な反射神経で躱す。悪童隊……、公安庁治安維持局から派遣されてきた強化少年兵たちの数は五人。リーダーの馬飼首。言うまでもなく最警戒対象。1年の頭・柤岡兎、スキンヘッドの厳つい体格の男児、それから青墓鞆秋・青錆武千代・青黄錬の三人組。北海道最大派閥・『熊嵐』のリーダー合佐毘羆は腕組みをしながら事態の趨勢を見極めた。
第三次世界大戦、通称『無人戦争』における数少ない本土決戦の場となった北海道は、戦後40年経った現在でも再興が見込まれないほどに荒廃していた。終戦時の有耶無耶に付け込んで複数の国が領有権を主張、睨み合いとなって復興のプランも実行に移せないまま半世紀近い年月が経過した。見捨てられた都市に生きる若者たちは政府の思惑をよそに自警団を形成、荒れ果てた街で世紀末さながらに抗争を繰り返した。『十三蝦夷』はその中で数々の暴徒軍・自警団の吸収・合併の末に生まれた連合組織であった。
「悪童隊だかなんだか知らんが、所詮は不良の集まり。いくら政府の支援を受けたところで、本土でぬくぬくと育ってきた学生共の覚悟など多寡が知れている。日々命と生活をかけ争っている儂らに、適うはずもなし!! すり潰せ、貴様ら!!」
羆の一括に呼応するように、暴徒たちが統率のとれた動きで悪童隊を取り囲む。
その中から、一陣の風のように一人の少年が群れを掻き分けた。
飛び出たのは柤岡兎、スキンヘッドの一年坊、がたいに見合わぬ敏捷な動きで群れの上を跳ね回る。二本の足で敵を蹴散らしていく。
「っ……! なんだこいつ、速え、だけじゃねえ! なんつー跳躍力だ‼ 捉えきれねえぞ!」
柤岡は敵の肩や頭を蹴り抜き、八艘飛びさながら人垣の上を駆け抜ける。
「足だ! 脚に仕掛けがあるんだ、足を狙え!」
生身の暴徒たちの攻撃はしかし、脱兎のごとく宙を駆ける少年の影すら踏めない。
上に向いた意識、を刈り取るかのように、スクラムを組んだ青錆・佐知・佐清の三人組がダンプのように周囲の敵を撥ね退けていく。
「何をやっている、敵はたかだか五人だぞ……!」
立ち上がっている『熊嵐』のメンバーの数はみるみる減っていく。さすがに数百の数は伊達ではない、しかしこの蹴散らし様、地面に伏せた者の数が地上で闘う人数を上回るのも時間の問題に見えた。
羆は舌打ちした。
「もういい、『奴』を出せ!」
「はッ……、しかし羆の旦那、今日はあくまで親善試合だと……」
「このまま引き退がれるものか! 獣に喰われて終わるなら所詮そこまでの連中よ!!」
倉庫のシャッターが空いて日差しが差し込んだ。柤岡たちは光に目を細めながら出てきた異様な檻を見やった。
合図とともに人が離れ。檻から黒い塊が放たれる。空気を咆哮が震わす。少年たちは思わず叫んだ。
「ヒグマぁ⁉」
現れたのは熊の名を関する男……ではなく、本物のグリズリー・ベアーであった。羆はヒグマの前に鮭の生肉を放り出し、従順に餌を喰らうグリズリーの首を親密に叩いた。
「何を驚く。ここは蝦夷、試される大地だぞ。注意看板を見なかったか? 『熊出没・注意』となッ!!」
羆がグリズリーの尻を叩く。グリズリーは一声咆いて佐清たちの方へ走り出した。暴徒たちが恐れおののいて逃げていく。三人組たちもスクラムを解いて防御の姿勢をとる。
と、人垣の上を影が飛び越した。華麗に着地した柤岡兎が強靭な脚力で踏ん張る。金太郎さながら熊とがっぷり四つで組み合う。
「おい兎、さすがに無茶だ!!」
「良いから退けっ、今のうちに!!」柤岡が鼻から血を出しながら全身の筋力を唸らせる。ヒグマが苛立ったように息を吹き出した。荒々しく右腕を振るい、柤岡を地面に転がらせる。覆いかぶさるようにのしかかり、熱い息をその顔に吹きかける。
「兎っ!!」三人組が飛び出す、が距離がある。グリズリーの血に塗れた緋い口が生々しく開かれる。
「まったくよ……。力量差は見誤るなって、いつも言ってんだろ」
呆れた調子で言いながら、グリズリーの顔の前に一人の少年が立ちはだかった。
「馬飼先輩!」
「見とけ柤岡ぁ。偉大な先輩の背中、をッ!」
一閃する右の拳。暴風のように繰り出されたストレートがヒグマの顔面に激突する。と、同時に深い傷が真一文字に熊の鼻づらを切りつけた。
痛みに熊が吠える。ぐっとのけぞった熊の肩と腹部に狙いをつけ、馬飼は両拳を固めた。
「悪く思うなよッ、熊公!!」
拳撃のラッシュがヒグマを襲う。打撃の放つ衝撃が斬撃となって傷を刻み付ける。胴体を深く傷つけられた熊は決死のひと振りを馬飼に向かって振りかざした。爪よりも鋭い『大切断』の拳が、グリズリーの手の平を断絶した。
最後に馬飼の打ち込んだ膝打ちが決定だとなって、内臓に深い傷を負ったヒグマは沈んだ。
「まだ生臭えや」
自身の肩に鼻を近づけて、馬飼が顔をしかめた。「熊鍋でも食っときゃ良かったかな。そしたら臭いも気にならねえ」
「走ってりゃ臭いも飛んできますよ」
柤岡がバイクのサドルの上で、脚に付けた補助装置を調整しながら答えた。脚力を増強させる外骨格のようなものだ。「しかし、さっすが馬飼さんっす。あの巨大なヒグマ一匹伸しちまうなんて……」
「お前が一人で飛び出さなきゃ、俺抜きでも仕留められたはずだぞ。佐清たちと四人で連携してな。まあ本物の熊を出してきたのには、俺も驚いたけど……」馬飼はまだ不満げにぶつくさと零している。
「馬飼さん、消臭剤買ってきたっす」
青錆たちがコンビニから戻ってきた。「おう、助かる。宇合さんは?」馬飼は頭にスプレーを吹きかけながら尋ねた。「ここにいるっす」
「俺じゃなくて、オペレーターの宇合さんだよ。慶留間家の三男の」
オペレーターとして同伴していた慶留間宇合は、慶留間四兄弟と呼ばれる四つ子の三男である。上から藤原四兄弟よろしく武智麻呂・房前・宇合・麻呂と続く。四人とも伏魔殿のオペレーターで、それなりの古株だ。
「慶留間の宇合さんならまだ羆と会談中っすね。まあ契約に関しては、俺らより大人に任せた方が良いでしょう」
たしかに、組織の小難しい話は馬飼の出る幕でない。そもそも馬飼たちは改造兵の力のほどを実演するために、あるいはスカウト先との交渉でいざこざが起こった時のために来ているのだ。話し合いは上の人間に任せておく。
「次のスカウト先との会談は午後一だったな……。事前の連絡では好感触だったみたいだが、油断はするなよ。俺らと同じ10代でも、国境の防衛線で外国軍とドンパチしてきた連中だ。道北の、たしか『アングリー・ペンギンズ』と言ったかな」
「なんか、アイドルグループの名前みたいっすね」
兎がとぼけたことを言う。『ペンギンズ』のリーダーの蝦夷森十三は強面の厳つい男だが、馬飼は彼らがステージの上で元気よく声を合わせている姿を思い浮かべた。「私たち、『アングリー・ペンギンズ』です!」
「っ……!」
馬飼がバイクの上で肩を震わせると、腕時計型の通信端末に着信が入った。
息をついて応答する。
「ふぅ……、はい、こちら馬飼。……あぁ見くんか。ああ、羆とは話が付いた。今契約を確認してるとこだ。あー、『アングリー・ペンギンズ』は、ふっ……、……いや、なんでもねえ。思い出し笑い……」
笑みを見せていた馬飼だったが、仕事の話に戻るとまた真剣な表情で相槌を打った。
「……ああ、分かった。じゃあ柤岡を向かわせる。……了解」
「何の電話っすか?」
通話を切った馬飼に柤岡が尋ねた。馬飼が腕を下して答える。
「本部(見くん)からだ。ちょいとばかし予定が変わった。柤岡、お前青森まで向かってくれ」