第2話 不法
雪が局長室の重厚な扉を開けると、中には局長の他に葎と副局長の木葉下が既に待ち構えていた。空になった紅茶のカップがある。こちらが呼び出される前から、話し合っていたらしい。面子と空気からして重たい。何かあったな、雪は察知してソファの前に回り込む。昼間の安穏とした時間とは大違いだ。
「雪くん」
声に反応して振り向く。扉から隠れる位置にのまえが座っていた。なぜ、非戦闘員ののまえまでここに。雪は不安な眼差しを局長に送った。
「揃ったな……。掛けてくれ」
紫は顔の前で手を組んだまま言った。「少し長くなる」
「穏やかじゃなさそうですが」
のまえの隣に腰かけて尋ねる。ここに危険があるけではないし、この人たちはもうのまえを狙ってはいない、そのことは分かっているのだが、つい、のまえを庇うように浅く前のめりになる。
「そうだな。前置きは省略して本題に入ろう」紫は微かに緊張を含んだ声で続けた。「7号の煙草森鳰が死んだ」
「……煙草森……って、協力者の?」雪はさすがに少し驚いた様子で問い返した。「彼女は僕と同じ〈12人の怒れる男〉の一人でしたよね。そう簡単にやられるとは思えませんが」
「彼女を葬ったのも、同じ〈12人〉だ。それもより上位の能力者、第3号・海土路佑丞」
雪がやや不服そうな顔をしたので、紫は言い直した。「すまない、号数がそのまま強さの序列、というわけでないのは分かっている。だが現状、3号以上は〈12人〉の中でも別格とされているんだ。その実力は、君もよく知っているだろう」
「第2号能力者、御黒闇彦ですか……」
雪は表情を曇らせる。理論上、地球を全球凍結させられるほどの力を持ち、国連と個人で単独講和を結ぶほどの規格外の化け物……。エデンにも手の付けられない黒の帝王・「黒太陽」。限界を超えた雪の悪魔の力でも、あと一歩届かなかった存在だ。
「たしかに、3号があいつに並ぶほどの実力者なら、話は変わってきますね」
「ああ……。3号の海土路佑丞、そして4号の海土路佐丞の双子兄弟……、彼らはエデンの有する最高戦力だ。それに今回は海土路兄弟だけじゃない、9号の雨乞烏合も関わっていたと見られている」
「……! ま……雨乞が」
雪を気遣ってか、局長は手短に説明した。
「とある事情から我々は煙草森の死亡をいち早く察知し、ここ数日の都内の事件・事故の記録を洗った。伏魔殿にも関わる事件だったので、すぐに特定することができた。我々伏魔殿が所有する武器庫が、一夜にして潰されていたんだ。文字通りね」
「3号の海土路佑丞は、重力操作能力者や」
副局長の木葉下が口を挟む。元マル暴所属の関西人で、違法・合法問わず手段を択ばない捜査でのし上がってきた男だ。かつての捜査で喉を潰されているので、声はひどくがさついている。眉無のスキンヘッドに、かっと見開かれた不気味な瞳。首を90度傾げて垂直に雪を見る。
「現場の写真見て、直ぐぴんと来たわ。三階建ての、鉄筋コンクリの武器庫がペシャンコや。で、しかもその区域では二週間近く前から、原因不明の感染症が蔓延してたっちゅう話。それが事件後ぴたりと納まったんやと。雨乞烏合の細菌錬成能力と見て、まず間違いないやろ。なァ、真白クン?」
「……だとして、7号の死体は見つかってるんですか」
「死体は回収できなかった。おそらく、エデンが運び去ったんだろう。だが、近隣で火災事故の起きた家の少女が行方不明になっており、それが煙草森鳰だと確認できた。それに何より、煙草森の死は、この施設の防衛システムが裏付けている」
葎が口添えする。
「テロ組織の襲撃を避けるため、ここ伏魔殿本部には、煙草森さんの能力を利用した認知遮断幕が張られているわ。端的に言えば、蜃気楼の類ね」
伏魔殿に入隊した者にはIDが発行され、携行あるいは液状のマイクロチップを注射することが義務付けられる。このIDはいわば鍵のような役割を果たしている。伏魔殿に辿り着くためには、このIDは不可欠なのだ。
「伏魔殿本部にはID所持者と許可された人間しか辿り着くことができない。それ以外の人間は、どうやっても別の道に出る。蜃気楼の幻覚作用でね」
「そのシステムがダウンしていたと」
紫が首肯する。
「そもそも、煙草森の異変に気付いたのもそれがきっかけだ。現状、この本部の所在地は『運よく』発覚していない」紫はのまえを見やった。「……だが物理的に特定可能であることに変わりはない。数か月もあればエデンは確実に見つけてくるだろう」
雪は納得してのまえと目を合わせる。のまえは1号の能力を部分継承した、確率操作能力の持ち主だ。偶然を操るのまえの守護が働いているために、今の本部はエデンの目を逃れられている。彼女がこの場に参加しているのも、そういう経緯からに違いない。
「事情は分かりました……。で、僕を呼び出したのは、本部の防衛強化に回すためですか?」
「ゆくゆくはそうしてもらうつもりだ。が、今日は別件で呼び出した。優先して行ってほしい任務がある」
紫は机の上に空中ディスプレイを開いた。拡大された東日本の地図の上にいくつかの記号が記載されている。本州の北端から矢印が伸びていた。「君たちにはこれから、青森の恐山に飛んでもらいたい」
「? 青森……、ですか」
雪は口の中でその地名を繰り返した。そのあたりに重要なポイントがあったという記憶はなかった。エデンの拠点にもなっていないし、地方の有望ななスカウト候補がいるわけでもない。
「今、我々治安維持局が各地の有力な青少年組織を引き入れているということは知っているだろう。東北をまとめている連合グループ『十三蝦夷』のリーダー・眼目 伊達政。彼のスカウトに、君自ら赴いてほしい」
「東北グループはたしか仙台を拠点に活動しているはずでは……。それにたしか、既に東北には五頭たちが派遣されていましたよね?」
「その先行部隊が、勧誘に失敗したんや。眼目クンは、生粋の戦闘狂いみたいでなァ、伏魔殿で一番出来る奴と手合わしたい言うてきたらしいわ。で、その決闘の舞台に、恐山を指定してきたんやと」
木葉下がぐるりと目玉をこちらに回す。「真白クン。行ってくれるな?」
「……指令とあれば」
雪は簡潔に答えた。紫が肯く。
「よろしい。では作戦の詳細について説明する……」