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人獣見聞録-猿の転生 Ⅶ Side-B:N+Anachronism   作者: 蓑谷 春泥
第3章 発狂した宇宙
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第27話 暴走(ライオット)

空っぽの大聖堂に反響して、着信音が大きくこだました。祁答院(けとういん)伊舎那(いざな)は壊れた木椅子にどっかと腰を下ろして、腕時計を耳に当てた。

「やあ、靜馬君か」

 時計越しに聴こえてくる声に耳を傾ける。「なに……、阿舎利ちゃんが?」

『そうなんだ、医療班の参謀たちと連絡が付かない。捌光さんやグリム兄妹ともね。南棟は何者かの乱入で壊滅状態、北棟の安虎隊、餘目隊もオペレーターを追い込んでいたはずが連絡途絶だ……。包囲を突破した十三蝦夷や、副局長の部隊も向かってきてる。状況が目まぐるしく変わってるのに指揮が無いせいで、こっちの部隊は総崩れだよ。このままだと……』

「オーケー、分かった。僕が指揮を執るよ。とはいえ指揮官が二度も変わっちゃあ、部隊の統率もままならないな。潮時か……」

伊舎那が残念そうに判断する。『退くのかい?』靜馬が意外そうに尋ねる。

「深追いは禁物だからね。だが目的は完遂させてもらう。最後にもうひと暴れするよ。靜馬君、手筈通り大聖堂へ」

『そっちに向かった悪童隊は?』

「そのことなら心配ない。全員片付いたよ」

 伊舎那は床の上に広がる血だまりと、肉体の数々を見渡した。

「……ここにいた連中は、ね」


 肩の揺れる感覚で、馬飼首はぼんやりと目を覚ました。明かりの消えた廊下の床が見える。靴の先に割れたガラスの感触があった。「……俺……は……」

「気が付いたかよ。だったら自分の足で歩いてくれねえかな」

 後原未(らむ)の顔がすぐ横にあった。「あたしも結構、満身創痍だからさ」

 馬飼は、後原に肩を組むようにして担がれていることに気が付いた。半ば引きずる格好で歩かされている。

「っ、悪い(らむ)(ねえ)……」肩から離れ、すぐに前後の状況を思い出す。「っ戦闘は……? 聖堂はどうなった⁉」

「もう終わった頃だろう……。多分、聖堂にいた部隊のほとんどが壊滅してる。あたしらは伊舎那に敗けたんだ」

馬飼が息を飲む。

「生き残ったのはあたしたちだけだ……。青墓の〈車井戸はなぜ軋る(アクロイド・マーダー)〉であんたは転移()ばされたんだ。伊舎那の一撃で気絶したところをね。あんたを逃がすため、あたしも一緒に移された」

「んな……、今からでも引き返そう! 姐御……」

「馬鹿を言うな。馬飼……、あいつらが私たちを逃がした意味を、考えろ……! 悔しいが今は……、退くべきだ」

「そんな……、このまま逃げるしかないってのかよ」

 唇を噛む。

「堪えろ。次借りを返すために……、今は生きて力を付けるんだ」

 後原が呟く。「それか……、期待することだな。他の仲間が、奴を倒してくれることを」



 雪は『大聖堂』の扉を開けた。向かう先は作戦本部……。隔壁で限定されたルートでは、ここを経由する必要がある。見の安否も気にかかったが……、放送室は隔壁の内側だ。通信のままならない現状では向かいたくても向かえない。紫が助けを向かわせていると信じて、雪は本部を守ることを選んだ。

「やあ、来たか。雪くん。ここを通ると思ったよ」

「……! 祁答院(けとういん)……」

 聖堂の正面、パイプの上に座った伊舎那の姿を認めて、雪が睨む。二人の間には数本の鎖が非常線のように張り巡らされて分断されている。鎖の袂に真虫散什郎が居てこちらに(ガン)を飛ばしていた。

「僕らもそろそろ半年の付き合いだ。友情を込めて伊舎那と、そう呼んでくれないかな?」

「友情? 僕たちの間にそんなものがあるか。お前は僕たちの『敵』だ……。のまえの家族を殺したことを忘れたか」

伊舎那はのまえの飼い犬を殺し、あまつさえその骸を彼女に曝していた。少なくとも雪はそう認識していた。

「あは、前も言ったけど、あれをやったのは僕じゃないよ。偶然手に入れた遺骸を利用させてもらっただけさ。……しかし、今回のことは先に謝っておこう。君への貸しを、少しばかり水増ししてしまったからね」

 伊舎那が床を指さす。「……!?」雪は部屋の内に歩み入って、ようやっと気が付いた。足元には血だまりが広がり、戦闘の痕跡が残っていた。「……! 悪童隊か……!!」

「文字通り片付けさせてもらったよ。残念ながら、馬飼と後原さんは逃してしまったけどね。……さて申し訳ないが、君に謝罪しておきたいことはそれだけじゃない。お見せしよう」

 伊舎那が指を鳴らした。エデンの隊員に連れられて縛られた女が入ってくる。雪は目を見張り一歩出た。「局長!!」

「おっとォ……。行かせねえよ?」進路を塞ぐように鎖が揺れる。真虫が雪の視線に応じた。

「雪……! 下手に動くな!」

 手の下でもがく注連野紫を見下ろして伊舎那がほくそ笑む。「作戦本部は既に陥落した……。とはいえ僕のノルマはまだ未達成だ。雪くん、君に協力してもらうよ」

 伊舎那は銃を紫の額に突き付けた。「いつか君を廃工場に幽閉した時……、君は寝言で言っていたね。君の一番の弱点は、母親(このひと)だろ?」

「母さん!!!」

 銃口が弾む。打ち出された弾丸の反動で、伊舎那の腕が上にぶれる。景色がスローモーションに映った、それは雪が能力を発動させたからではなく、認めがたい光景を目の前に突き付けられたからだった。

 頭部を衝撃に揺らし、注連野紫が床に倒れた。

「……ッッッ!! ()ッ、()()ぁあああああああ!!!!!!!!!!!」

 どす黒いオーラが雪を包み込む。髪は金に染まり、背中から剥き出した爆炎の翼が空気を灼く。黒い(いかづち)の天輪が禍々しく(かたど)られ、凍てついた氷河が床を突き破る。大気は怯え、咆哮に壁を這うパイプが次々とひしゃげた。伊舎那の高笑いがそれに応じる。

「それだよ、それ!! 君の中の悪魔が見たかった!! さあ雪くん、ここまでおいで! この伏魔殿(パンデモニウム)をぐちゃぐちゃに搔き回すくらいの、壮大な追いかけっこを始めようじゃないか!」



 振動で埃がぱらぱらと落ちてくる。「……近いわね」

 苦竹葎は、患者の寝かされたベッドの間をせわしなく動き回りながら天井を見上げた。「この辺ですと、副局長でしょうか。彼の場合、あまり近づかれると……」

「場内の地図は頭に入ってる。巻き込まない範囲で戦ってくれるはずよ」使い終えたメスを熱湯の中に入れ、葎は唇を噛む。「……それより、見くんは……」

 がた、と入口の扉が音を立てる。負傷者か。葎は防弾のガラス戸を透かして外を見た。そして息を飲む。黒眼がちな散切り頭の初老……。左衛門三郎捌光が外に立っていた。

 警戒……の声を上げる前に、視線が彼の肩に止まる。捌光の肩の上には、脱力して手足をぶらさげた見の姿があった。

 捌光は、葎を見据えたまま見を下ろす。戸の前の壁にもたれかけさせる。それから救護を訴えかけるようにこちらをじろりと見据え、壁の中に消えていった。

 罠かどうかは考えなかった。葎は扉を跳ねのけて駆け寄る。

「見くんっ」

 少年の姿は痛ましかった。歯は折れ目の周りは内出血で黒ずみ、裂けた服から蚯蚓(みみず)()れの跡が見えた。片方の耳から血が流れ肩の上に染みを作っている。だというのに、少年は身じろぎもしない。

 最悪の事態を想像した。

 葎は震える声でもう一度少年の名を呼ぶ。無事な方の耳で聞きつけたのか、見は重たそうに瞼を開いた。「む、ぐら、先生……?」

血で湿った唇が、言葉を繋ぐ。「僕……、喋りませんでしたよ、葎先生のこと。まだちゃんと……、あの時のこと、謝れてなかったから」

「見くん……」

 職員たちも見の存在に気付く。「鴛原隊員⁉ ……こりゃ酷い……! 救護用グローブと増血剤だ! すぐに止血処置を!!」葎は見を抱きしめる。

「ごめんね見くん……、ごめん……。私のせいでこんな……。すぐに治してあげるから。傷も残らないくらい完璧に、全部……っ」

「へへ……、葎先生なら……できちゃうんだろうなぁ。でも……ひとつくらい残しても……、良いかも。葎先生守った証なら……、男の、勲章だし」見は厚ぼったくなった唇で微笑む。「あと、傷跡ってかっこいい」

「ばか……」葎は頬に涙を伝えながら笑った。

 隊員たちが器具を揃えて駆けつける。その時、天井と壁の一角が、悲鳴を上げて爆散した。

 粉塵の隙間を縫って、けたたましい笑い声が走っていく。女を抱え、何者かを誘導するように逃げる灰色の少年。建物は地上に向かって巨大な断裂にさらされ、届くはずのない太陽の光が地下二階に降り注いでいた。その後ろ、剥き出しになった鉄筋コンクリートの断面を這う悪魔じみた姿……。

「……雪君……⁉」

「っとぉ、ここが救護室だったかぁ。……となるとヤッバいな、苦竹先生を巻き込んじゃったら、邇凝博士が哀しむもんね」

 祁答院伊舎那が雪を誘導するように、天井の裏をひらりと駆ける。どういった能力か、重力を無視して当然のように天井に張り付いている。その腕の中では注連野紫の顔をした女が、紅い血……、いや、粘度からして血糊か、塗料を拭ったところだった。そして奇妙なことに偽血を拭い去ったあとの彼女の顔は、既に紫とは全く別人の顔に成り代わっていた。「野一色靜馬……!」

「葎!!」

 破れた天井から声がかかる。「紫! 指令室は……?」顔を出した局長に尋ねる。

「指令室は既に崩壊した……! 私は雪を止める。君らはすぐに逃げろ、負傷者たちを連れて‼」

「これはこれは注連野局長……。失礼ながら、あなたは雪くんの中で死んだことになってるんです。出しゃばられると困りますね」

 伊舎那が振り向いて非難する。雪は周囲の声が届いていないのか、伊舎那だけを視界に入れて咆哮を上げる。氷柱が飛び出て周囲の壁が崩れ去った。

「ま、無駄ですけどね……。雪君は既に自我を失ってる。とはいえふとした拍子にあなたを認識されても困ります。本物もここで死んでください」伊舎那が拳銃を紫に向ける。「……今度のは本物ですよ……」

「……っ!」伊舎那の瞳に紫の視線がぶつかった。……と同時、紫は伊舎那の眼の中に、意外な……、とっさの逡巡のようなものが(よぎ)るのを感じた。

「……?」

 雪が雄叫びとともに雷の槍を放つ。四方に黒い稲妻が(すさ)ぶ。「! ちぃ……!」雷を受け止め伊舎那の引き金が引かれた。紫の肩を熱線が撃ち抜く。

「ッ……!!」

 天井が損壊に堪えかねて崩落しオペレーターたちを巻き込む。紫は肩を押さえ全員に向かって叫ぶ。「逃げろ‼ 建物が保たない‼」

 粉塵と人の流れに紛れ、全体に合図を出す。「本館で戦闘中の隊員は、全員外郭まで退避‼ 真白雪の暴走で本館中央部が崩壊状態だ‼ 戦闘員は避難、中央付近の贋作(パスティーシュ)たちは医療部隊を護衛しつつ地上へ向かえ!」

 雪の攻撃をあしらい、土埃の中に伊舎那が降り立つ。

「……やれやれ。局長殿を見失っちゃったね。まあいいか、作戦本部は潰せたし」

 土埃の周囲を見渡す伊舎那に靜馬が問う。「苦竹博士もまだ近くにいるはずだけど、どうする? 小生また行ってこようか」

「いや、いいよ。副局長も居るし、長引くと面倒だ。そいよか、僕らもお(いとま)しよう」

 伊舎那はカメレオンのように体色を変化させて周囲に溶け込んだ。熱感知もごまかす変温で姿を晦ます。

『エデン諸君、目的は達成した。伏魔殿司令部は壊滅、研究施設群も延焼、建物もじき崩壊する見込み。というわけで、これにて総員撤退します。おうちに着くまでが作戦です、追撃に気を付けつつ、速やかに退散しましょう』

 雪は伊舎那の姿を探し、唸りながらあたりを見回し、逃げ惑る集団に対し本能的に攻撃を仕掛け始めた。

 断絶した地下空間は通路の中ほどがごっそりと吹き飛んで、地上から最下層まで見通せるほどぽっかりと穴が開き、荒れた風が吹き抜けている。

「雪……」

地下一階、崩れた廊下の端に立ち、雨乞烏合は雪を見下ろした。

「雨乞班長、撤退の命令が出ています。伏魔殿の兵も後退しているようです、包囲が完成する前に抜けましょう」

「……部隊を撤退させて。隊員はあなたに預ける」雨乞は憂えるように瞬きをして告げる。「私は、まだやることがある」

「班長……っ?」

 雨乞は驚く隊員を尻目に何もない(くう)へ足を踏み出した。地下空間目掛け重力に身をさらす。強者の気配に雪が天を見上げ、業火に()かれる魔物の如く咆哮する。



 三角形の円盤が回転をやめて、真っ赤な焔を内に湛えた巨大な山岳の上に留まる。アメリカ合衆国・ハワイ島。その中央に座す煉獄の山脈、キラウェア火山。本来なら煮え立つマグマに熱さえ帯びるその岩石地帯が、今日は真っ白に雪化粧している。

 白い山脈にぽっかりと紅の口を開けた火山。その窪地(カルデラ)の片隅に、ぽつんと一転の黒い染みが滲んでいる。

 円盤は口を開き、真下に向かって二人の青年を降下させる。黒い一つの影……、御黒闇彦がゆっくりと顔を上げる。

「やっぱ枢機卿の予想通り……、2号はこっちだったか。なあ、佐丞」

 片割れの兄が霜の降りた大地を踏みしめる。弟がその隣で白い息を吐きながら肯う。「ええ、兄貴。猊下の読み通りです」

「……お前らか」

御黒は品定めをするように無言で眼鏡を押し上げた。海土路兄弟は挑戦的な視線を揃ってぶつけた。

「やろうぜ御黒。大将戦だ」


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