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人獣見聞録-猿の転生 Ⅶ Side-B:N+Anachronism   作者: 蓑谷 春泥
第3章 発狂した宇宙
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第25話 斬(キル)

 (えだなし)兄弟の生まれた家は、人里離れた山奥にある、かなり風変りな村にあった。

 第一に、その村では所有という行為が禁じられていた。食物や衣料品はもちろん、田畑や家屋に至るまで皆の共有物。貨幣は必要なく、結婚の概念もなかった。特定の相手と添い遂げる必要はなく、生まれた子供も皆の子として育てた。

第二に、その村では外界との接触が禁じられていた。ネットや通信機器、テレビも新聞も禁止。家族との手紙すら許可が必要だった。とはいえ大半の者は不便を感じなかった。彼らは俗世との関りを捨てた者であり、家族とすら縁を切っていことがほとんどだったからだ。

第三に、彼らは生活のためとは別に、いくつかの植物を栽培していた。それらは違法薬物の原料となる非合法な植物だった。自分たちで使うわけではなかった。村で手に入らない必要な物資と交換するためだった。月に一度、「本部」の人間がそれらを回収しに来た。黒い袈裟を来た「本部」の人間を見かける度、村の人々は土を鋤く手を止め、深く拝んだ。

つまるところ、十兄妹は宗教二世だった。

 その村はとある新興宗教の信徒たちが移り住んでできた小さな共同体で、彼らは現代的な生活を厭う質素な集団だった。部屋を仕切る扉はなく、個人の部屋は存在しなかった。決まった家もなく基本的に大部屋で雑魚寝。夜の愛撫は部屋の隅で控えめに、しかし公然と行われた。それは不道徳な行為ではなかった。皆がそれを当然のように受け入れていたので、×(オサム)と〇(マドカ)はこれといった不満足を自覚することもなく平和に暮らしていた。だが今思うとそういう村の歪さが、知らず知らずのうちに〇の歪みを強くさせていたのだろう。


ある夏の日のことだった。気温は緩やかにあがり、湿った南風が田んぼの続くあぜ道に生ぬるく滞留していた。本土ではほとんど見かけなくなった蛙が道路のそこいらを飛び跳ね、沼地では草の隙間から鈴虫が心地よい歌声を響かせていた。

「人形劇……」

 質の悪い印刷しにプリントされたカラフルな絵に兄妹は興味津々だった。村にめったに来ない巡業の知らせだった。娯楽の少ない土地だ、近くの農村に時折やってくるイベントがあると、年長の子供たちは大人の目を盗んでよく参加していた。その時来ていたのは、からくり人形のちょっとしたショーだった。二人は見たことのない珍奇な催しの知らせに目を輝かせた。

「これ、行ってもいいかな?」×(オサム)は興奮した様子で尋ねた。やっと10歳になろうという年だったが、それまでは幼すぎるという理由から、こうした秘密ごとの仲間に入れてもらえていなかった。年長の者たちは思案して話し合った。

「二人ともそろそろ良いんじゃないか?」

「だな……。いや、×(オサム)は今日は駄目だ。血抜きの日だったろ?」

「血抜き」とは不定期に呼び出され血液を採取される行為を指した。神に捧げる供物として、子供たちの生き血が必要だと教えられていた。実際のところ、それは臓器取引と並んで行われている血液売買の一環なのだが、当時の子供たちの知るところではなかった。光栄に思いなさいと年長の子は言ったが、幼い×(オサム)としては当然面白くなかった。夕方になって子供らしくめかしこんだ〇(マドカ)が彼のもとを訪ねてきたときも、×は壁際を向いて寝転んだまま素っ気なく答えるだけだった。

「良いよな、お前は」

 ×はふてぶてしく言った。「お前だけ血抜きから外されてる。それだけじゃない、稲刈りも薪割りの仕事も無しだ。特別扱いだよ」

「しょうがいないですの。刃物はダメってみんなが言うから」

「過保護だよ。お前よりもっと小さい子だって、台所に立ってるぜ」

〇(マドカ)のそうした扱いには事情があったし、その分他の仕事を彼女が(こな)していることを、当然×(オサム)は知っていた。しかし彼はふてくされ、つまらぬ八つ当たりを妹にした。

〇(マドカ)は寂し気な顔をして、少しして彼の隣にちょこんと座った。

「お兄様、やっぱり私残りますの」

 〇が背中越しに言った。「なんで?」×は怪訝そうな顔で振り返った。

「わたくし、本当は劇なんて興味なかったんですの。子供っぽいし、きっと退屈ですのよ。代わりにお兄様が行けばいいって思ってましたの」

「本当か?」×は明るい表情で跳ね起きた。「……でも、代わりに行くったって……。僕は呼ばれているんだぜ。すぐにばれちまうよ」

「大丈夫ですの」

 〇は朗らかに言って、かぶっていた麦わら帽子を×の頭に乗せた。

 夜、馴染みのおじさんに手を引かれて出ていった×は〇の恰好をしていた。〇は×の服を着て、×のふりをして家に残った。いつもやっている遊びだった。

 ×は会場に付くと、期待に胸を膨らませて天幕の内側へ入った。すぐにショーが始まり、天幕の内は観客の歓声と拍手で賑わった。

小一時間ばかりのショーの中でも、×(オサム)を魅了したのは操り人形だった。生気のない木の骸が、演者の指先一つで瞬く間に生きた人間のように動き出すのだ。×はその不思議な魅力に夢中になった。

……虫の知らせというべきか、しばらくその奇妙な動きを見ているうちに、×の心には奇妙なわだかまりが浮かんできた。家に残してきた妹のことが、急に気がかりに思えた。

 ×はそっと会場を抜け出し、それほど遠くない集落までの道を走った。今からでも入れ替わって、〇をあの場所に連れて行ってやりたい、そんな気分になっていた。

 ×は明かりの消えた家屋の裏木戸をそっと押し開けた。その時になって、家の電灯が消されているのに気付いた。家の中は妙に静まり返っていて、×はなぜか心臓がどきりと跳ねるのを感じた。

「……〇(マドカ)?」

 廊下から呼びかけてみるも反応はない。足袋の先に微かに感触があった。闇を透かして足の裏をみると、指先にじんわりと黒い染みができている。×は床に視線を戻した。黒い油のようなものが、点々と居間から玄関の方へ続いている。

 その雫の標が導くように、玄関の三和土(たたき)の上にうずくまって肩を震わせている妹の姿があった。そして傍らには……、見知らぬ男の体が横たわっていた。

 一目見て死んでいると分かった。その異様な状況や、男のシャツが血に塗れているといったことを抜きにして、×には直感的にそれが死体であることが分かった。それは明らかに日常の中にない異物であり、強烈な存在感を放っていた。

 ×は上ずった声で妹の名を呼び駆け寄った。妹の肩は震えていた。落ち着かせようと置いた手がじっとりと湿った。その時ようやく×は、廊下に続く染みが血液でったことを理解した。

「……なんっ、この……、なにが……、何があった?」

 ○の答えはしゃくりあげていて不明瞭だった。

「怪我は!?」

 ○はふるふると首を横に振った。ひとまず安心した×は妹の手に草刈り用の鎌が握られていることに気付いた。その湾曲した刃先から滴る紅い雫で、床の上には水たまりを作っている。

 ×は体を強張らせ、ぎこちない足取りで居間に向かった。震える手で半開きのドアを押す。少し軋んだ音を立てて扉は開き、途中で何かにぶつかって止まった。

その先にある景色を見て、彼は、その場で嘔吐した。居間では肩や首をめちゃくちゃに裂かれた大人たちが、血だまりの中に沈んでいた。

「にいさまぁっ、ごめ、ごめんなさい……」〇が背中にしがみついた。混乱した彼女が何を訴えているのかは分からなかったが、それでも×は〇の震える手を握り絞めた。

 十〇は殺人依存症だった。

 5万人に一人、潜在的に持って生まれる病だと、後に闇医者に教えられた。うち発症に至るのはさらに0.2%。22世紀後半に初めて症例が認められた、世界的に稀有な「現代病」だ。初めのうちは虫や小動物への加虐行動に終始する。大半はそこで止まり第二次成長期までに鎮静化していくが、ストレス環境下や強いきっかけにさらすと発症してしまうことがある。現状、一度完全に発症してしまった場合完治は望めず、当人の意志で抑え込むか、薬物投与によって症状を軽減させることしかできないという。

 子供の頃、〇は周りの子供を殺しかけたことがあった。鋏を使って布断ちの手伝いをしていた時だ。隣の子供が怪我をした。ありふれたちょっとした事故だったが、血を見た〇は興奮しその子に突然切りかかった。周囲の大人が止めに入ったから良かったものの、制止が入っていなければ確実に殺していただろうと言われている。その時の〇の暴れようは、5歳児相手に大の大人数人がかりでやっとな程だったと言う。それ以来〇は刃物や血から遠ざけられていた。

 それと同じことが、今日起こった。

 血抜きをした後、ついでだからと昼間の草刈りで使った鎌を洗う手伝いを頼まれたらしい。そこで断っていれば良かった。だが〇は自身の血を目にして既に昂っていた。大ぶりの草刈り鎌を前に出され、彼女の自制の(たが)は外れた。

「殺したくなかった! 殺したくなんてなかったのに……!!」

 〇は大声で泣き始めた。自身のしたことに心底傷ついているようだった。今にも刃を喉に当て、自刃してしまいそうな危うさを×は感じた。

そんなことはさせられなかった。×は混乱していた。だが妹の命だけは失いたくなかった。何一つ、家族すら持つことを禁じられた村の中で、兄と妹という関係だけが彼らの唯一所有することのできた関係だった。

「大丈夫だ、〇(マドカ)」×は妹の目を見て言った。「……殺すしか、ないなら……。殺せばいい。殺した記憶がお前を苦しめるなら、それが楽しさに変わるまで、殺し続ければいいんだ。〇(マドカ)、お前は何をしても許される。俺が全部許してやる。お前が生きてさえくれるなら」

 〇と×は村を離れ、都会の喧騒に溶け込んだ。賞金稼ぎとして裏社会専門に身の置き場を見つけ、村の時と同じく表沙汰にならないような標的を見繕っては〇に提供した。いつしか彼らは「死神(グリム・リーパー)」として闇の世界に名を轟かせていくことになる……。


「……というのが、僕らの生い立ちでね」

 ×は脂汗で前髪の張り付いた見の顔を覗き込んで言った。

「君の話も聞かせてほしいんだけどね、おにーさん」

 見は何も言わず、腫れあがった瞼の隙間から、拷問人の目を睨みつけた。

「ふん……」

×はピアノ線を指で弾きながら鼻で笑った。

「正直なところ驚いたよ。あんたみたいな非戦闘員が、ここまで口を割らないとはね」

「……当たり前だ……。葎先生は……、お前らなんかに売らない!」

「よく分かったよ、鴛原見……。苦竹博士のことは、どうやってもあんたに吐かせることはできない」

 ×は椅子から立ち上がった。

「これ以上あんたに利用価値はない。時間には早いけど、苦竹先生には首から先だけで会ってもらおう」

 〇(マドカ)、と×は入り口で見張りをする妹を呼び寄せた。「待たせてごめんな、もう始末して良いよ」

「やっとですのー」

 〇は鎌を提げた両手を胸の前に持ち上げて気合を入れるような仕草をした。殺しを遊戯として受け入れている目……、殺人衝動を抱えてしまっただけの純粋な少女が、ここまで罪悪感を擦切らすまでに、いったいどれだけの人を殺めてきたのだろう。

「待て……」

 ここで落ちたら最期だ。見は歯を食いしばり、〇の目をじっと見据えて説得にかかった。心臓が肋骨を叩き喉の奥が締まる。「早まっちゃいけない。君たちはまだ、やり直せる……」

「やり直す?」〇はぞっとするほど哀しい顔を見せた。「……どこからですの?」

 ○は鎌を肩の上に高く掲げた。一息に、鎌が斜めに振り下ろされた。木製の柄が勢いよく見の前を通り過ぎる。見は目を閉じた……。

……が、予期した痛みは襲ってこなかった。

「………?」

 見は奇妙な沈黙にどうにか片目を開けた。硬い音を立てて、鎌の刃が遠くの床に突き刺さる。大鎌は柄の先のところで綺麗に切断されていた。それを握る〇の両腕ごと。

 血飛沫と共に、木の棒を握った小さな腕が床に弾む。

斬撃が弾け、〇の全身を八つ裂きにしていた。腹部や喉から大量に血を溢れさせ、〇が倒れ伏す。何が起きたのか理解できない様子で手首のない両手を眺めた。

 ×は呆気にとられた様子で一瞬口を開いていたが、すぐにありえない現実を拒絶するように叫んだ。「マドカあああっ!!!!!!」

「斬り捨て御免」

 壁を通り抜けて、刀を携えた壮年の男が現れた。「……其奴に手を出すことは……、許さぬ」

左衛門三郎(さえもんさぶろう)捌光(はちみつ)! 血迷ったか……!!」

 ×が無数の鉄線を捌光に伸ばす。一閃。捌光の斬撃がピアノ線とともに×の胴を裂いた。

 殺し屋の兄妹が崩れ落ちて、見の前に倒れる。だが見の視線は二人ではなく、返り血を浴びた八号の顔に注がれていた。

 急速に暗くなっていく視界の中、見は僅かに言い残した。

「……親父……?」


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