第22話 アリス・イン・マーダーランド
見の絶叫が室内にこだまする。
見は浅く息を繰り返した。縫合された胸の傷が疼く。しかしそれ以上に、今折られた指の痛みがじんじんと響いていた。
「さっきは危ないとこだったぞ、〇(マドカ)。拷問相手を殺しかけちゃだめだ。口を割ってからにしろ」
縫合跡を確認しながら、×が注意する。〇が抗議するように口を尖らせる。
「殺しかけてないー、ちゃんと寸止めしましたのー!」
「切り口を、心臓に達しない深さで止めておくことを、寸止めとは言わない」
×(オサム)は苦笑いして叱りながら、見の傷口を押さえる。スイッチを押されたように、見の口から悲鳴が飛び出る。
「運が悪かったね、お兄さん。さっきので死ねてたら、苦しまずにすんだのに。楽になりたかったら、とっとと葎博士の居場所を吐くんだね」
靜馬はその様子を黙って眺め傷を癒していたが、気が済んだのか、後は任せると言って立ち上がった。「この部屋は無線室だ。仲間に連絡されないよう気を付けて」思い出したように、扉から半身を残して警告した。
「……そもそも拷問は嫌いですの、口を割るまで殺せないんですもの。ふらすとれーしょんですの。すぐ殺せるって聞いたから付いてきたのに……」
〇がぶつくさ言いながら見の指を折る。見が絶叫した。息も絶え絶えに二人を睨みつけ、口角を上げてみせる。
「尋問する相手を間違えたね……、葎先生は死んでも渡さない」
「ふーむ。お兄さん、非戦闘員のくせにずいぶんと我慢強いねえ。どうしたものか……」
×は机に置かれたマイクに目をやり、悪童らしい笑みを浮かべた。「……遊びの趣向を変えようか、〇」
〇
「ずいぶん派手にやられましたねえ、姐御」
「るせえ……、名誉の負傷だ」
エデン隊員に支えられながら、安虎艶が救護車へ続く廊下を歩く。
安虎を襲った弾丸は、彼女の頭部を避け壁に皹を入れていた。……後原は、安虎を殺さなかった。
「へ……、情けをかけられるとはな」
悪態をついているが失血がひどいので、肩を借りないと歩けない状態だ。だが安虎の表情はどこか満足そうだった。
「この傷だと……、邇凝博士に見てもらって、あとは後方待機ですかね」
「ふん、しゃあねえな。まあオレの目的は達成した」安虎は晴れ晴れとした顔で呟く。「しゃあねえ。心残りはねえ、……よ?」
安虎の言葉尻が宙に浮く。廊下の向こう側から、制服姿の少女が現れたところだった。ゆるいウェーブのかかった髪はミルクティー・ベージュ、暗い桜色の瞳がこちらをしかと見据える。「……あんたたちに質問する」
「あ?」安虎は少女を睨みつけた。途端に金縛りにあったように身動きが取れなくなった。隣の隊員も同じように強張り凍りついている。
「この作戦、今現地にいる人間の中で、最も階級の高い人間は誰。そいつはどこにいる」
「……い……ま、いるのは……、和喰邇凝博士、だ。ちょうどそこを出た先の、運動場の脇……、光学迷彩のテントに、隠れている」
勝手に口が動いている。少女は冷たい瞳でこちらを見続けている。
「そう。ありがと」
金縛りが解ける。二人は投げ出されるように膝を付いて荒く息をした。凄まじい圧だった。何なんだこいつは……?
「……あ、それともう一つ」少女は外に足を戻しかけて振り向いた。「7号……、煙草森鳰のマンションに放火した人間……、心当たりない?」
「!! お前、まさか煙草森……」
「『言え』」
言葉の重みが安虎を圧し潰す。「あ……」安虎の口が勝手に開く。「アタシ、だ……。煙草森の住居を特定し……、燃やすことを発案した。実行したのも、アタシ一人だ……」
「へえ、そう」煙草森は短く答えて、呪い殺すような目で安虎を見下ろした。「あんただったんだ」
瞬間、安虎の脳内で宇宙が爆発した。精神が分裂し、神経の一つ一つを剝き出しにして酸に浸した様な恐怖、恥辱、考えうる限りの汚穢、それらをはるかに超える苦しみが雪崩込み、安虎は瞬時にして数十、数百の拷問を同時に経験した。
それは時間にして数秒だった。だが数か月分にまで濃縮された数秒間は、安虎の脳を破壊し、ショックによる心停止を呼び起こすのに十分な時間だった。
『……やっぱり、お前しかいねえかもな』
安虎が白目を剥いて倒れる。
『……Λの二代目を任せられるのは、お前しかいねえ』
記憶が遠くなっていく。かつての言葉が色褪せ、永遠の虚無が、安虎を引きずり込んでいく。
……殺されるなら、あんたが良かったな。
そして安虎の意識は、永久の暗闇に閉じ込められた。
〇
ブレードと刀の間に火花が散る。
切っ先の圧力に押し戻され、雪は後退する。戦闘は膠着している。捌光も放っておけば施設を大破させかねない脅威だ。したがって彼を自由にさせないでいること自体は立派な功績……なのだが、この状況下では雪は他の戦場もカバーしなければならない。時間操作によって敵の刃の振動回数を下げ、切れ味を通常の刃物と同程度に落としているものの、伏魔殿から支給される簡易的なブレードは既に数本駄目になっている。守りに入ったらしい捌光を相手に、雪はずるずると足止めされていた。
第二通信室の件も気にかかる。袈裟丸が配置されたのは第一か、第二か? 既に後原隊が向かったというが……。
「どうした……。剣先が鈍り始めて……いるぞ。その程度では……」
捌光の斬撃がブレードを叩き折る。「っ……」雪はすぐに替えのブレードを装填する。
「抜かせ! お前はここで……、⁉」
つんざくような悲鳴が、耳を弄する。館内のスピーカーから、少年の絶叫が響き渡っていた。雪は思わず足を止める。
「この声……、見先輩!?」
『ははっ。いえーい、苦竹博士、聴いてる?』
異なる少年の嘲笑が、スピーカーから流れる。
「グリム兄弟……兄……」捌光が呟く。背景では、見が喉も枯れんばかりに叫び続けている。
『今から先生の大事なお弟子さんと『お楽しみ』させていただきまーす。鴛原見くん……だっけ? この人全然口を割らないのでー、苦竹博士の方から、こちらに出向いてもらいたく思います。さもなければぁ……』
一瞬の静寂がある。続けて、肉を突き刺すような音。『ぐっ、ぁああああああああ!!!!!!!!!!』
『……苦竹葎博士、今から15分以内に無線室までお越しください。でなければ先生の大事なお弟子さんは、15等分になって帰ってくることになります』
叫び声の途中で放送は切られた。
「見先輩……!! ……あっ、待て!」
雪が意識を逸らした隙に、捌光は壁抜けを使って床に沈み込もうとしていた。
「御免……」
銃弾を放つが間に合わない。捌光の姿が階下に消える。
「くそっ、逃がした……!」
雪は指示を仰ぐため本部に通信する。砂嵐のような音が耳の中に走る。機器の故障か、あるいはジャミングがかかっているのか、通信は切断されていた。雪の頭の中を様々な思考が駆け巡る。足止めはなくなったが、かといって捌光をフリーにさせておくのはまずい。壁抜けを使える奴はどこにでも侵入可能だ。作戦本部を狙われると非常にまずい。……だが、見も……。
作戦本部か、無線室か。
刹那の思考の末、雪は目的地に向かって時を加速させた。




